24 3月

〈訃報〉ねむの木学園 宮城まり子さんがお亡くなりになりました

ねむの木学園の宮城まり子さんがお亡くなりになりました。

2009年春の季刊『道』160号でインタビューを掲載させていただきました。

かわいらしくて、やさしくて、あったかい。

子どもたちのことが愛しくて愛しくてたまらない。

まり子さんが語ってくださる子どもたちのエピソードからは、そんなまり子さんの気持ちがまっすぐに伝わってきました。

宮城まり子(道160号)

 

インタビュー「ありったけの愛と命をこどもたちへ」からちょこっとご紹介。

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(先生のやってこられたことは、こどもたちの絵が証拠です。誰にでもあんな才能があるんだって教えてくださいました。)

私、良かったなと思ったのは、私が施設を40年前に始めた時には、「なぜこんなかわいそうなこどものために」とか、そういう質問ばっかりだったの。だからなんて日本人は、ちびっちゃいなと思っていた。今のあなたのような質問、ぜんぜんなかったわ。今はそれだけ世の中広くなったわね。でも世の中広くなった代わりに、「感じる」ものがちょっと少ないかなぁって思うのね。

今、偉い先生方、たくさんいますが、その方々も、30歳の時、40歳の時、今とは違うことを思っていたのよ。
今忘れているから言わないだけ。
「あった」心。
こどもの頃、「なんでこれしたいのにお母さんはいけないって言うの!?」って抵抗したことが絶対あると思う。その時、そのこどもはもしかして「本当のこと」を感じていたかもわからないよ。
お母さんが、大人のほうが忙しくて、本当のことが分からなかっただけかもわからないのよ。

でもいつの間にか、長い年月の間にその子たちが大人になって、偉いことをちゃんとできる立派な先生方になっていらっしゃるんじゃないかなって思う。

今度出す本ね、「約束」っていうタイトルで出すの。「結婚しましょう」「明日の晩はこのおかずにしましょう」、そういう約束じゃないの。何か分からないけど、いろんなものとの約束、そういう「約束」。

お花が咲いて5歳の時に感じた綺麗さと、20歳の時の綺麗さと、30歳の時と感じ方が違うじゃない。だからその時その時を必死に生きていくことが、私は好き。

だから今の偉い方がこどもの時も偉かったとは思えない。私はペケだから、いつまでもこどもたちと同じ感覚でいられるのね。

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「私はいつでもありったけ。
明日死んでも、
ありったけやるの」

お言葉通り、子どもたちのために「ありったけ」で生き抜いてこられたまり子さん。
心から、ご冥福をお祈りいたします。

[『道』160号 ]