09 3月

「器の大きさ」 宇城憲治著『心と身体の神秘』

なぜ人は対立をしてしまうのでしょう。

宇城憲治先生は、『心と身体の神秘』の中で次のように述べています。

『人は、自分が持つ器の大きさでしか能力を発揮できません。すなわち、横着や知識偏重によってつくられた器と謙虚さや未知の世界に対し畏敬の念を持って生きている人の器とでは、人間としての桁が違うという事です。後者の器こそが、生かされている存在として潜在能力への気づきへとつながり、未知に対するスピード、すなわち未来に対しての歩みを加速させ、人間として充実感に満ちた人生につながるのではないかと感じています』

人は、自分が持つ器の大きさでしかものを見れない。

器が小さいと、ものの見方も、相手の言動の受け取り方も小さくなり、
結果、対立構図を招いてしまうのだと。

それはまた、本来ある人間の能力を発揮できなくしてしまう。

人間の器を小さくしてしまっているのが現在の知識偏重のあり方であると宇城先生は言います。

知識ばかりを優先してものを見ていると、どんどん人間としての謙虚さを失い、横着になり、結果、人と対立するようになってしまいます。

一方、自分たちを活かしている地球や宇宙、未知の世界に対して
畏敬の念や感謝の心を持っている人は、生かされている存在として自然と謙虚になり、器も大きくなって人と調和することができるようになります。

その調和できるあり方、謙虚さが自分の潜在力の気づきを促していく、と宇城先生は言います。

本書では、そうした対立のない調和の時空を作り出すエネルギー「気」について詳しく紹介されています。
https://www.dou-shuppan.com/books/u_kokoro/