26 12月

『はだしのゲン』作者 中沢啓治先生の思い


戦争は絶対にだめ 

戦争ほど悲惨なものはない 

戦争せずに世界中と 

仲良くやっていける若者に育ってほしい  

漫画家 中沢啓治先生が亡くなられました。
季刊『道』では2009年の夏に161号でインタビューをさせていただきました。
体調もあまりすぐれませんと言いながらも、被爆体験と戦争が市民にもたらす苦しみを語る先生の目の光、声、姿勢はとても力強く、中沢先生の描かれた「ゲン」は、本当に先生の分身なのだと感じました。


 8月6日の空は真っ青に晴れ上がっていて、中国山脈がきれいに見えていました。そこをB29がすーっと僕らの上空に向かってきたのです。それを見つけた僕は、あれはB29じゃないか、と。おばさんも見上げてね、「ああ、そうだね、B29だね。おかしいね、空襲警報のサイレンが鳴らないね」って、ふたりでボーっと空を見上げていたんです。飛行機雲が後方にずーっと消えていった。しばらくすると、白を中心にして周りが青白い、リンが燃え狂ったような色をした、外輪が赤とオレンジを混ぜたようなすさまじい火の玉がばーんと目に入ってきたんです。その光を見た瞬間から、一切記憶がないのです。その光だけが網膜に焼き付いています。

 気がついて目を開けてみるとあたりは真っ暗なんです。「あれ、さっき真っ青な空があったのに、いつのまに夜になったのかな」と思ってね、それで顔をぐっと上げると、材木から出た五寸釘が顔に刺さっていて、ぎぃーって皮膚が裂けて鮮血が流れ出ました。
 気が動転していて、起き上がろうとすると、背中にレンガだの木切れだの破片がたくさん乗っかっている。学校の塀が斜めになって僕に圧し掛かっていたんですね。僕は夢中で背中にあるものを跳ね除けて、塀の下から這い出した。ふと周りを見ると、目の前にいた同級生のおばさんが、電車道の反対側まで吹き飛んでいる。その時の光景がいまだに目に浮かぶんです。

 そのおばさんは真っ黒だった。髪の毛は黒人のように縮れていて、全身真っ黒、だけど目がぎらって光っていて、僕のほうをじっと見ていた。
 1メートルの差で違っていたんですね。僕は学校の塀があったから熱線を避けることができた。おばさんは真正面から光をあびて、爆風とともに吹き飛ばされたんですね。
 その時、そのおばさんに呼び止められなかったら、僕は完全に門をくぐって運動場にまで行っていた。そこには遮蔽物は何もないですから、確実に真っ黒焦げになっていたと思います。

中沢先生は、原爆投下後の惨状や、家族を焼かれた悔しさ惨さ、逃げ延びたあとも襲い掛かる差別などの苦しみ、そして原爆への怒りを『はだしのゲン』に込め世に出すまでを、一気に語ってくださいました。
お聞きするだけでも辛く、何度も胸が詰まるものでした。

中沢先生がインタビューの最後にくださったメッセージを以下に抜粋いたします。
今、そしてこれからを生きる者が、しっかりと受け止めなければならないメッセージではないでしょうか。

中沢先生のご冥福を心よりお祈りいたします。


 とにかく戦争はだめだ。どんなことがあっても。どんな屈辱をあびようが何しようが、絶対に戦争はいけん、戦争はしちゃいかん。お互いに話し合いで解決していく。生意気だからやっつけろとかそういう発想じゃいけない。戦争だけはどんなことがあってもしちゃいかん。これはもう、僕らがいやというほどその苦しみを味わったんだから。

 日本憲法というのは、僕らが戦争で苦しみのたうちまわって手にしたもの。東京はじめ日本列島ぜんぶ焼け野原になって300万人以上というすさまじい数の人が死んでいる。その上でやっとあの平和憲法というものを手にしたんだ。だからあの憲法はどんなことがあっても守らなくてはいけない。もうこれは、次の世代のその次の世代の人にも、次々にこの日本の憲法を守っていくようにしなければならない。
 おしつけの憲法だと言っているけど、あれは日本人は認めたんだから。すばらしいもんだ、世界の誇りにすればいいんです。
 何があっても戦争という手段は絶対使ってはいかん。そのことを日本人はね、世界に広めていかねばならないのです。

 (自殺者が年3万人を超える現状について)情けないな、と思うね。なんで自殺するんだろうって思う。僕らが経験したような悲惨な状況のなかで自殺を考えるのならわかるけど、僕なんて一度だって死にたいなんて思ったことがない。「生きたるぞ! 徹底的に生きたるぞ!」って思ってた。中傷されたって? 意地悪された?軽い、軽い。そんなの目じゃない!しっかり生きてけ!
 歌にもあるでしょう、「生きてりゃいいさ」って(笑)。本当にあれはまったくだと思う。生きてればいい、生きていれば必ずいいことがあるし、楽しみもある。どうせ寿命がきたらみな死んでいくんだから、自らの手で死んでいくなんてとんでもない。しっかり生きろと言いたい。

 麦のようになれ。
 麦は寒い冬に芽を出し、何回も何回も踏まれる。踏まれた麦は大地にしっかり根をはって、まっすぐにのびて豊かな穂を実らせる。
 そういう生き方をしっかりせい。今は本当に幸せだと思います。米のめしが腹いっぱい食えるだけでも幸せですよ。

(「踏まれて育つ 麦のように強くあれ」 季刊『道』161号より)