「盛平翁の映像を後世に残したい」プラニンの映像収集

stan先日、どう出版の前身の合気ニュース社長であり、植芝盛平の研究家であるスタンレー・プラニンと電話で久しぶりに話をしました。
 
季刊誌『道』やどう出版になる前の、季刊誌『合気ニュース』や、合気ニュース社をご存じの方は、プラニンを知っている方も多いかと思いますが。
 
プラニンは、1962年、高校生の時に合気道に出合って以来、
盛平開祖にぞっこん惚れ込み、
のちにカリフォルニアで、盛平翁の研究誌英語版『AIKI NEWS』を出版します。
 
1977年からは、来日して定住し、盛平開祖にまつわる直弟子や関係者に、それこそ一人も聞き逃すまいとインタビューをして当時ではめずらしい武道誌のバイリンガル版「合気ニュース」を、日本で発行しました。
 
私がプラニンを手伝い始めたのは、「合気ニュース」が日本でも少し知られるようになりせっせと直弟子に熱心に会いに行っている「妙に熱い外人がいる」という
うわさもちらほら聞かれるようになった頃のことでした。
 
「ええ! なんだって? 〇〇先生って、もう80歳過ぎてるの?
急がなきゃだめだよ!
すぐに手紙を書いて取材のお願いをして!」
 
今から思い返しても、
プラニンの合気道や盛平翁に対する情熱は半端ではありませんでした。
 
とにかく、開祖のお弟子さんと聞けば、
どこでも、なにがあっても優先して話を聞きに行く!
という日々を送っていました。
 
その頃のことを書くと、本当に書ききれないほどの思い出があります。
(時折、お話していきたいと思います!)
 
そのプラニンは、現在は、アメリカ・ラスベガスにて英語版Aikido Journal(英語のオンラインマガジン)を配信し、多くの人に、これまで収集した開祖や直弟子方の映像や歴史資料を提供しています。
 
プラニンの口癖は
 
「僕がいなくなったら、せっかく収集した資料が埋もれてしまうよ。
そんなことになったらたいへんだ。
だからいろんな形で、たくさんの方に提供したいんだ」
 
それは今も変わらないそうです。
 
日本にいる時も、開祖の映写会をやったり、会派を越えた演武会を企画したり本当にいろいろな活動をしました。
 
そしてなにより、長年かけて収集した盛平翁の映像記録を後世に残していきたいと、
 
それまでばらばらだった盛平開祖の映像をDVD6巻にまとめた時は、
アメリカのラボに1週間、二人でこもって編集しました。
 
DVD『植芝盛平と合気道』全6巻は、
まさにプラニンの情熱と収集力がなければ
もしかしたら、永遠に失われてしまった映像資料であったかもしれません。
 
ただ、収集しただけでなく、
当時開祖がどのような状況にあったかを歴史的史実とともにドキュメンタリーにして紹介しています。
 
 
 
合気道開祖植芝盛平翁のDVD全6巻をアメリカで編集したことをお話しましたが、
その編集は、すべて開祖の年齢別の活躍をベースにして行ないました。

年齢別にすることで、開祖の修行の変遷を演武を通して追って行こうという意図がありました。

第1巻は、開祖が51歳です。いまだ大東流の影響が色濃く残る技が印象的です。

第2巻は、開祖が70歳前後の頃。戦後、相手と一体になって次々に技を生み出していく「武産合気(たけむすあいき)」に至る境地が描き出されています。

第3巻は、開祖74歳。東京タワー開局の年に来日した米国テレビ局が当時開祖を取材し記録したTVドキュメンタリーです。

第4巻は、開祖が78歳くらいの頃の映像で、合気会本部道場で指導している様子です。座り技が絶妙です。

第5巻は、開祖85歳の生涯最後の演武を収録しています。

第6巻は、第5巻までの資料映像とは別のもので、1961年に制作されたドキュメンタリー映画です。
岩間と東京における開祖の日常の生活、翁自身の稽古風景が収録されています。

開祖をこのような形で、年代別に編集すると、
開祖が常に進化されているのを感じ取ることができます。

修行は一生であると言われますが、
開祖自身の修業のながれをこのDVDシリーズで感じとっていただけたら、大変嬉しいです。

『決定版 植芝盛平と合気道 第1巻』が電子書籍版(Kindle)になりました!

『決定版 植芝盛平と合気道 第1巻』


『決定版 植芝盛平と合気道 第1巻 ―開祖を語る直弟子たち―』は、合気道開祖・植芝盛平開祖の直弟子たちが、開祖を語る会見集です。
 
合気道を学ぶ方々にとっては、開祖植芝盛平が原点であり、本書は、その開祖に直接学んだ直弟子たちの証言集です。
 
当事の開祖の人となり、時代背景が感じ取れるように、愛弟子方の生の声をできるだけそのままの形で伝えています。
開祖を神格化したり、美化したりするのが本書の目的ではないからです。

本書を通じて、

植芝盛平が何を考え、何を求めて努力していったのか。
そして弟子たちに何を残し伝えようとしたのか。

本書から多くのことを読み取っていただけると思います。

第1巻に収録した会見は、主に、戦前から戦中にかけて開祖に学んだ弟子たちの会見です。
まさに合気道がつくりあげられる過程において開祖に学んだ方々の証言集です。


[『決定版 植芝盛平と合気道 第1巻』 【書籍版】内容詳細へ]

[『決定版 植芝盛平と合気道 第1巻』 【Kindle版】内容詳細へ]

 

 

 

発売 DVD『雷撃電飛の技 井上鑑昭 合気武道から親英体道へ』

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2013年9月、DVD『雷撃電飛の技 ―― 井上鑑昭 合気武道から親英体道へ』が発売となりました。

合気道草創期に開祖・植芝盛平とともに修行の道を歩んだ盛平の甥・井上鑑昭。
このDVDでは、秘蔵されていた貴重フィルムより、昭和47年から51年までの69歳~70歳代の演武映像の数々を紹介している。
井上の、美しく流れるような体捌き、見事に安定した腰、繰り出される多種多様な技は必見!
その演武は、大本教の影響色濃い彼の宇宙観を表わしています。


いのうえ のりあき 本名:井上要一郎
明治35年(1902) 和歌山県に生まれた井上鑑昭は、叔父・植芝盛平と共に武道の道を歩み、合気道創始に多大な役割を果たした。大本教に帰依した井上は、植芝と進む道を異にし、昭和29年(1954)、それまでの合気武道から親和体道(後の親英体道)を名乗る。平成6年逝去。享年92歳。
[プロフィール さらに詳しく]


[収録内容]
○ 「合気道と井上要一郎」 井上鑑昭親英体道道主の紹介
○ 井上鑑昭演武 昭和47年~51年の講習会および演武映像より
  ・居取
  ・半座半立
  ・立技 その1
  ・― 井上鑑昭による「黒田節」 ―
  ・立技 その2
  ・多人数掛
  ・棒・剣の妙技
  (語り:井上鑑昭講演より)

収録時間: 78分
(*VHS版『雷撃電飛の技 井上鑑昭と親英体道』上下巻を1本にまとめたものです。)

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 ↓ こちらで内容の一部をご覧いただけます

〈その1〉

〈その2〉

 

~「合気道と井上要一郎」 ナレーションより~

現代日本武道のなかでもひときわ精神性を重視する武道、合気道。その創始者として多くの人に知られているのが、植芝盛平である。
そして、その植芝の甥が、井上鑑昭、幼名 井上要一郎である。

ここ数年に及ぶ研究によって、井上が合気道草創期において重要な役割をはたしたことが明らかにされてきた。
植芝と井上は、ともに和歌山県田辺市に生まれた。富豪であり、田辺市の有力者であった井上の父善三は、植芝の姉を妻として迎えた。これによって井上は植芝家と姻戚関係となる。

植芝より19歳年下の井上は、わんぱくで手のつけられない少年だった。そして数年間を植芝家で育てられる。その後大正2年頃井上は叔父、植芝のいる北海道へ渡る。植芝は当時すでに北海道白滝村で開拓事業に従事していた。
北海道で植芝と井上は大東流合気柔術の武田惣角と出会う。・・・・・

『斉藤守弘 合気武道』 DVD版 3月18日発売

〈2013年3月18日発売〉
合気道開祖 植芝盛平翁の技術書『武道』を斉藤守弘合気道九段が解説・演武する『合気武道』がDVD版として再登場!
ビデオ版のため長く絶版となっておりましたが、多くのご要望にお応えし、このたびDVDとしてお届けすることになりました。
合気道初期の技を、開祖とともに暮らし薫陶を受けた斉藤守弘師範がていねいに再現。
合気道のより深い理解に導く、貴重な資料です。


 合気道開祖 植芝盛平の技術書『武道』映像化
       DVD 合気武道
        演武・解説 斉藤守弘


『武道』は、昭和13年(1938)に合気道開祖植芝盛平翁が出版した唯一の技術書です。合気道技が現代に変化発展していく様を理解する重要な鍵を与えてくれるとともに、開祖自身による演武・解説した唯一の技術書としても非常に貴重なものです。

本DVDでは、開祖の下で24年間薫陶を受けた斉藤守弘合気道九段が、この『武道』に収められた50の技の解説を読み上げ、一つひとつ再現しています(1986年撮影)。
『武道』をより深く味わっていただくため、付録として技法図解・解説の(一)~(六)の複製をパッケージに封入しました。(B6判4ページ)

《収録内容》
片手取り入身投げ・呼吸投げ/正面打ち一教・二教・三教・呼吸投げ・小手返し/横面打ち入身投げ・四方投げ・二教・四教・五教/両手取り四方投げ・天地投げ/突き入身投げ/後襟取り呼吸投げ・固め技/後両手取り呼吸投げ/太刀取り小手返し・呼吸投げ/短剣取り/剣対剣/銃剣/槍取り/座り技呼吸法/ほか

収録時間: 42分
定価: 5,250円(税込)

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『武道』について ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

1930年代の開祖の弟子には宗教界、実業界、政界、軍部からのそうそうたる人物が名を連ねていました。『武道』は1938年に開祖によって、開祖の弟子であり軍部高官である賀陽(かや)の宮のために編纂された教本です。これは開祖が陸軍戸山学校で定期的に指導していたことによるものです。賀陽の宮はのちの1942年、開祖が教鞭をとった戸山学校の校長に迎えられています。

また開祖は1930年代後半、様々な古流武術の武器技、なかでも鹿島新当流を合気道稽古のなかに取り入れて研究を重ねています。『武道』に収められた50の技のうち、まさに3分の1は、小刀、剣、槍、銃剣など、武器を使用した技で占められています。
『武道』は一連の技を開祖自身が演武・解説している唯一の資料であり、歴史的にも非常に貴重なものと言えましょう。


斉藤守弘 合気道九段 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

1928年~2002年 開祖亡きあと茨城道場長を務める。

1942年戦時中に、茨城県岩間に引退した開祖は、農作業と瞑想、そして合気道修行に日々を過ごしていました。戦争終結後の1946年、若き日の斉藤守弘師範が開祖の岩間道場に入門しました。日本国有鉄道に勤務する斉藤青年は、職場が交代制をとっていたことが幸いして開祖のもとで直々の稽古を長い年月にわたって受けることができました。斉藤師範が開祖のもとで過ごした期間は通算24年に及びます。この間、斉藤師範は家族とともに植芝家に仕えました。

斉藤守弘師範は、武器技を含む開祖の合気道を教授するために海外にも精力的に出かけ講習会を行ないました。その際、斉藤師範は合気道技の源を示す資料として教本『武道』の重要性を強調し、講習会で『武道』をしばしば参照しています。

「この『武道』の技の再現によって開祖の技の歴史がよく理解されることでしょう。
 開祖は晩年、「合気道の完成は戦争後にある」と言われていましたが、なるほど、この戦前の『武道』の技と開祖晩年の技とを比較すると大きな開きがあります。なぜこの技が晩年の技の形に改良されたのか、比較してみるとよくその理由がわかります。その意味で今後の合気道の研究のためにも、いかにこの『武道』が重要であるかがおわかりになると思います。」 ――斉藤守弘師範談(1986年)

合気道師範 佐々木の将人先生ご逝去

合気道八段・山蔭神道上福岡斎宮名誉宮司 佐々木の将人先生が2月15日、お亡くなりになりました。84歳でした。
プロフィールをご紹介します。

ささきのまさんど
1929(昭和4年)山形県に生まれる。中央大学経済学部、同法学部専攻科卒業。
合氣道開祖・植芝盛平翁と出会う。武道と人間の修行に打ち込み、合氣道師範となる。
その間、人生の道を求め、滝行、坐禅、「一九会」等の修行に励み、人生の師、中村天風先生と巡りあい師事する。縁あって山蔭基央先生と結ばれ、山蔭神道の神官となり、上福岡斎宮宮司をつとめる。
『合気ニュース』創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。


佐々木先生は、季刊『道』の前身『合気ニュース』の頃から、連載「なるほど」を実に12年間も寄稿くださいました。自ら「佐々木説法」と呼ぶ独特の語り口や文章は、終戦後にやっていた野師(てきや)の経験によるとのこと。「歩いている人を止めるということは、人の心を掴むことで、むずかしいがおもしろい」と、『道』147号でのインタビューでお話しくださいました。

『合気ニュース』から『道』への誌名変更の際も、賛同してくださり、支えてくださいました。便箋に書かれた先生の言葉を、今も編集部の壁に掲げています。

「人の世は縁の糸のからみあい たぐる幸せ また不幸せ
 『道』との出合いの縁が、多くの人々を救うことを祈りつつ ― 将人 ―」


『道』になるにともない、誌面が横書きから縦書きになったことも喜んでくださいました。佐々木先生の「縦」と「横」でみる世界観がありました。インタビュー記事より「日本文化の原点は縦の道」の項を抜粋いたします。

   *    *    *

日本文化の原点は縦の道

 道とは歩くことである。歩かなければ道にならない。道は光がないと見えない。だから明るくなければ合氣じゃないと言う。道は縦に歩く。だから縦社会。人間の耳と鼻は縦、だから蓋がない。目と口は横だから蓋がある。人間だけというのは結構あるでしょ。人間だけ立って歩くということが縦社会だよな。四ツ足だったら電車が混んでしょうがない(笑)。家を建てる、人を立てる、お茶を点てる、志を立てるとか。
 ところが横文字文化には横道、横取り、横恋慕、横切る、金よこせ(笑)。横でいいのは横綱ぐらい。縦(たて)て悪いのは腹ぐらいなもんでしょ。そういうものから言ったってなるほどなと。
 物は上から落ちるということ自体が自然の道です。良い悪いは別として、日本は道の文化。文字は縦に書くのが基本。ただし日本の場合は自由無碍ですから、横でも縦でも斜めでも書ける。下から読んでも「山本山」、裏から読んでも「山本山」というふうに、おもしろいと思うんだ。横文字は「いやだいやだ」と読むし、縦文字は「なるほど」と読むがごとし。横文字を縦に書くと首が痛くなる(笑)。
 今はいざ知らず、昔の機織は、まず縦糸から始まるんです。そして横糸で織っていく。キリストだってアーメンと縦から横。もう一回原点にかえって、縦社会であることを考える。
 経済というのは国を経(た)てて、民を救う。〝経国済民〟という頭文字から経済という言葉が生まれてきているわけであって、それがいつの間にか経済というのは金のことだけになってしまっている。日本は宇宙構図の菊のご紋のように、「中心をたて、分を明らかにして中心に結ぶ」国体で、それは永遠の祖先が内在する臍を中心に、頭に手足の分を明らかにして中心に結ぶ人体と同じで、まず国を立てる。国家あっての我々なんです。
 ことに日本の場合は、国があっての民だから〝国民〟と言い、日本は、神武以来、三千年、皇統連綿として、万世一系の天皇を中心に立ててきた家族国家日本で、国の家と書く。家族というのはすなわち、先祖代々子子孫孫と継承されているから、昔の武士は戦をする時は必ず、先祖を名乗って「いざや尋常に勝負・・・」と言ったもんだ。
 

季刊『道』147号
佐々木の将人師範インタビュー記事
「一瞬一瞬を明るく生きるのが人生だ」より
(2006年11月15日取材)

   *    *    *

「あの世はいいところ。
 その証拠に、戻ってきた人は一人もいない。」

佐々木先生からよくうかがったフレーズです。
「いいところ」にいらっしゃるのだと思いつつ、
ご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。

DVD  『 開祖直弟子に見る合気道 』

DVD  『開祖直弟子に見る合気道』 発売中です。



「世界を和合させて、仲良くさせて、
この地上に楽土の建設こそ
合気道の主眼である」

「他人というものは一人もいない。
全世界は一軒の家である」――

合気道開祖・植芝盛平の唱えた合気道の理念のもと、
会派を越えて合気道のトップ師範が一堂に会した
友好演武会。

さらに、開祖が合気道を創始する上で修行した各種武道の
演武が紹介された歴史的イベント。

そのベストシーンの数々を収録しました。


[DVD] 開祖直弟子に見る合気道

定価: 5000円+税
収録時間: 86分
英語字幕付き


1985年、1986年に行なわれた「開祖を偲ぶ」友好演武会と、1987年に行なわれた「合気道のルーツをたどる」友好演武会のダイジェスト版。
今は亡き武道家、そして現在も武道界の第一線にある師範方の珠玉の演武がくりひろげられる。
(ビデオ スーパー友好演武会をDVD化)

(収録師範)
開祖の直弟子10名による合気道演武。斉藤守弘、塩田剛三、砂泊諴秀、望月稔、清水健二
西尾昭二、小林保雄、黒岩洋志雄、五月女貢、杉野嘉男(敬称略)
(杉野師範は香取神道流の演武をされました。)

開祖が修行した武道の紹介演武。(第3回友好演武会)
近藤勝之(大東流合気柔術)、吉川浩一郎(鹿島新当流)、島津兼治(柳生心眼流)(敬称略)


(内容構成)
第1回 開祖を偲ぶ友好演武会(1985年)
五月女 貢  合気道スクールズ・オブ・植芝
小林 保雄  合気会
砂泊 諴秀  万生館
黒岩洋志雄  合気会
西尾 昭二  合気会
斉藤 守弘  合気会

第2回 開祖を偲ぶ友好演武会(1986年)
杉野 嘉男  香取神道流
斉藤 守弘  合気会 
清水 健二  天道館
塩田 剛三  養神館
望月  稔  養正館

第3回 ルーツをたどる友好演武会(1987年)
近藤 勝之  大東流合気柔術
吉川浩一郎  鹿島新当流
島津 兼治  柳生心眼流
斉藤 守弘  合気会

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