DVD『植芝盛平と合気道』第2巻 「後世に残す」プラニンの信念

前回、DVD『植芝盛平と合気道』第1巻について書きましたが、第2巻にもいろいろなプラニンの思い入れが編集につまっています。

この第2巻には、1952年~1958年までの、盛平翁が70歳代の時の演武記録がまとめてあるのですが、歴史的に貴重だと思うのは、その後指導者として合気道界で大活躍した師範方が、盛平翁の受けをとり、道場や演武場であちらこちらに投げ飛ばされている様子が収められているという点です。

1952年の演武では、植芝吉祥丸、藤平光一、斎藤守弘、田中万川、阿部正といった高弟方を相手に、体術と太刀取りの演武を披露しています。
この映像は、このあとに藤平光一氏がハワイに合気道の指導に初めて行くことになり、そのための資料映像を撮影する必要があって、撮られたものだとプラニンから聞いています。プラニンが、どうやってこの映像を手に入れたのかはわかりませんが、貴重な資料映像を発掘したのだなと改めて思います。

また、1955年の大阪合気会の田中万川先生の道場で撮影された盛平翁の映像では、盛平翁が稽古前の準備運動を弟子たちと一緒にやっているところも記録されています。

プラニンは、合気道の稽古において怪我が頻繁に起こっている状況をとても憂いていて、盛平翁がきちんと準備運動をしているこの映像に出合った時は感動したと言っていました。
「ほら、開祖だってちゃんと準備運動していたよ!」というところだったのでしょうか。ふつうだったら、記録に残さないような部分かもしれませんが、こういう映像が残されているのも、プラニンならではではないかなと思います。

1957年~1958年において、防衛庁屋上で撮影された映像も非常にめずらしいものです。
57年の映像では合気会の多田宏先生、フランスで活躍されていた田村信喜先生が受けを取っておられます。わかりにくいのですが、当時白帯だった佐々木の将人先生も映っています。

58年の、同じく防衛庁屋上での演武は、米軍のMPを相手に演武をしているというもので、盛平翁がMPの軍人さんに囲まれて、彼らを次から次に投げていく様子が上方のカメラがとらえていました。わざわざ上から撮っているので、おそらく米軍が撮影し、アメリカに持ち帰られた映像をプラニンが発掘したのだと思います。

同じく58年に撮られた映像では合気会本部道場での盛平翁の稽古の様子です。
そして、その一番最後に収録されているのが、剣道家 羽賀準一先生による居合演武です。

羽賀先生は、剣豪・中山博道の高弟の一人であり、有信館三羽烏の一人として知られている高名な剣道家ですが、当時盛平翁と親しく交流があったそうです。羽賀準一先生のことは、当時を語る直弟子たちの会見集『植芝盛平と合気道』にもよく登場しています。

羽賀準一先生の実弟の羽賀忠利先生に取材した際にお聞きしたのですが、お兄さんの準一先生は、よく盛平翁のところに遊びに行っていたそうですが、「いやあ、植芝先生は神さんだよ」と言っておられたそうです。[季刊『道』151号]
 
合気道の記録作品にこうして居合の羽賀先生の演武映像をも残すというのは、
「貴重な資料はすべて後世に残していく」という強い信念を持っていた、これもプラニンならではの決断だったと思います。

この時にこのDVDに収録する決断をしなければ、たぶん、どこかの記録資料に紛れて、公開されることはなかったと思います。