216号 (2023春)


テーマ 「時代のエネルギーを継ぐ」

どんなに長い時代を経ても、
やってきた人、行動してきた人のエネルギーは
彼らが残したものから伝わっていく。

その情熱が、魂が、志が響き合い、
時空を超えて受け継がれていく。

目に見えない素敵な伝承のメッセージが
ちりばめられた一冊となりました。

 

 

2023年4月20日発売

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読者の声

  巻頭対談

限りなく湧く知恵

木を活かし、人を育てる

宮大工 棟梁 小川 三夫
VS UK実践塾 宇城 憲治

 

季刊『道』216 巻頭対談 小川三夫・宇城憲治 季刊『道』216 巻頭対談 小川三夫・宇城憲治 季刊『道』216 巻頭対談 小川三夫・宇城憲治

知恵は身体から生まれてくるわけだよ。知識は頭から生まれてくる。
だから頭使ったら駄目なんだよ。先に身体だよな。身体がものを思う。
だから職人というのはえらいと思う。本当の紳士だと思うよ。
職人の世界はもう下手は下手だから。言い訳したって通用しない世界だ。

技を伝え人を育てた宮大工・西岡常一棟梁のもとで法輪寺や薬師寺の再建を担った小川三夫氏。独立後は鵤工舎での設計施工で130寺社を超える実績を持つ。
氏の著書『棟梁』には、そうした鵤工舎の偉業の礎の第一歩は集団生活にあり、そのなかで弟子たちが宮大工としての必要な技と心を身に付けていく様子が綴られている。まさに教育者や現代の若者たちの生き方バイブルだ。
『棟梁』には人間としての心得と生き様が随所に書かれており、対談ではその要所要所を宇城氏が取り上げる形で、具体的に語り合っていただいた。

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芯仕事 面仕事(つらしごと)

宇城 本日はよろしくお願いいたします。前回対談させていただいたのは、2010年の11月でしたが、その時の多大な教えは昨日のことのように覚えています。

小川 この前の対談の『道』(167号)を読んだんだけど、あんないいこと言えないな、もう(笑)。

宇城 本当にいいこと書いてありますよね。今読み返しても新鮮さを感じます(笑)。ここ最近、心に思い当たることがあって小川さんのご著書『棟梁』を読み返していたのですが、まさに、このタイミングで対談させていただくことになり、感謝の気持ちで参りました。

現在ITやAIなどの技術が発展し、とくにAIの進化はめざましく、名門大学のMBA(経営学修士)合格レベル、医師資格試験合格レベルまで達していて、これまで知的労働作業はAIにとって代わられないと言われてきましたが、チャットGPTの登場で一気に形成が逆転してきていることが報告されています。

一方で「人は人、自分は自分」すなわち「人は他人」というように、人間が「人」に成り下がっている現在の姿が浮かび上がってきますが、ご著書『棟梁』に書かれているあり方はまさに人間としての生き方の指標を示すバイブルとも言えるのではないでしょうか。

江戸時代の剣術に三つの勝ちという教えがあり、「打って勝つは下の勝ちなり。勝って打つは中の勝ちなり。打たずして勝つは上の勝ちなり」すなわち「戦わずして勝つ」ことこそが最上であると。そこに至る道のりを極めようとすると、内面の心のあり方によって可能となる「陰と陽」とか「虚と実」「無力化」といった術技が絶対となるのですね。

そういう術技を可能とする内面の本質とは、中心の存在とその奥にある芯にあると思っているのですが、まさしくご著書にある、木の「芯と面」の言葉に強く惹かれました。

小川 面仕事と芯仕事というのがある。芯仕事というのは、木の芯(真ん中)を見つけて、糸墨を打って、そこから計算して仕事をすることだ。その芯から計算して、ほぞ穴を掘ったりする。昔は真っすぐなところのない、曲がった木をそうやって使ったんだ。

製材所ができてからは、真っすぐな面の通った木しか使わなくなった。面を通すとは、製材してすーっと真っすぐにすること。面が通ってないと、機械に入れて切ったり、加工したりできないからね。そうすると面で計算して仕事をするわけだ。それが面仕事。

建具なんかは、面仕事でいい。材の大きさが決まっているから、面からみな計算できる。面仕事というのは、面が決まっているからできる仕事。
そうすると面が通らない、曲がった木は山に置いて使わない。ほかしておけ、というふうになる。

しかし曲がった木には力があるんだ。素直に真っすぐに育たずに、ひねくれて育った木というのは案外力がある。

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季刊『道』216 巻頭対談 小川三夫・宇城憲治

 

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●プロフィール

◎ おがわ  みつお
1947(昭和22)年、栃木県生まれ。栃木県立氏家高校卒業直後に西岡常一棟梁の門を叩くが断られ、仏壇屋などでの修業を経て昭和44年に西岡棟梁の内弟子となる。法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔の再建で副棟梁を務める。昭和52年独自の徒弟制度による寺社建設会社・鵤工舎を設立。以後、今日まで全国各地の寺院の修理、再建、新築などを続け、平成19年設立30周年を機に棟梁の地位を後進に譲る。著書に『木のいのち木のこころ(天・地・人)』(新潮文庫)『棟梁 技を伝え、人を育てる』(文春文庫)など。

◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。「気」によって体験する不可能が可能となる体験は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手塾、道塾、教師塾、野球塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長

  ロングインタビュー

時代を越えて響き合う

茅葺きの魅力を伝え続ける

 

茅葺き職人 相良 育弥

季刊『道』216 相良育弥 季刊『道』216 相良育弥 季刊『道』216 相良育弥

大真面目に茅葺き屋根だけを葺いていると
茅葺きがなくなってしまうんですよ。
1棟直している間にどこかで2棟潰れている。
知ってもらわないと、なくなるのが止められない。
ですから、「知ってもらってなくならないようにする」ことこそ、
現代茅葺き職人の業(わざ)だと僕は思います。


20代の頃、宮沢賢治の『農民芸術概論』を読み、生活自体が芸術でありそれが美しく尊いという言葉に、自然の風景に溶け込む実践者になりたいと、百の業を持つ「百姓」を目指した相良育弥氏。茅葺き職人の道を選んだのは、「植物を刈って、葺いて、使い終わったら土に還せる」茅葺きの世界が、まさに百姓の業でできていると知ったからという。

その茅葺きの道に入って17年。年々、茅葺き民家が少なくなっていく現状に、ただ修繕しているだけでは守れないと、積極的に茅葺きのことを知ってもらう活動や、茅葺きのあらたな魅力やアートとしての可能性を伝え続ける相良氏に、茅葺きへの思いと、これからの取り組みについて語っていただいた。

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百の業を持つ百姓になりたい

―― 本日はお忙しいなかありがとうございます。相良さんは昔DJをやっていらしたと伺いました。茅葺き職人でいらっしゃる今の相良さんとはまた違う相良さんがいらしたのだなと。

相良 それは高校生の頃からで、20代前半くらいまでです。DJでご飯を食べられたらいいですけど、なかなか難しいわけで。成人して大人になった時に、真面目に将来のことを考えないと、と思ったのです。

僕は阪神淡路大震災を中学生の時に経験しているのです。その時は「これはえらいこっちゃ」と、まず自分に「生きていく技術を身に付けなければ」と考えました。しかし高校生になると、楽しいことが他にあって(笑)、一度そのことを忘れてしまうわけです。

でも大人になって、自分がどうしたいのかな、どう生きたいのかなと考えた時に、「生活に必要とされる百の業」ができる「お百姓さん」になりたいと思ったのです。

田舎なので家の裏に田畑もあり、当時、祖父母と住んでいたので、一緒に米や野菜を作ったりしていたのですが、米や野菜はできても、現金がない。大規模農家でもないので、これでは死にはしないが、ただ細々と生きているという感じで、この生き方もどうかなと悩んでいた時に、たまたま「茅葺きのアルバイトの現場があるよ」という話をいただいたのです。

ちょうど神戸の藍那というところで文化財の移築のために、丸葺き(屋根をまるごと葺きかえる)のアルバイトがあったのです。1〜3月は農閑期だったので、この間に働いて現金を得て、また春になったら種を撒こうと思っていました。

その時の親方は当時僕より10歳上で若かったのですが、親方からしたら、アルバイトを募集したら年配の方がたくさんくると思っていたのが、若い子が来たので、20代の僕に「お前は何をしとんや」と声をかけてくれたのです。

当時僕は山で小屋を作ったりしていて、山に入る時はいつも地下足袋をはいていました。おそらく親方からしたら、「おお〜こいつ地下足袋はいてるし、なんか使えるかも」というのもあったのでしょう(笑)。

僕が親方に「百の業を持つ百姓になりたいのですが、まだ全然技術がなくて、三つぐらいしか分からないから、三姓なんです」と話をしたら、「それだったら茅葺きをやったら?」と言われたのです。

百姓の100の業のうち10くらいは茅葺きにあるというのです。それまで僕は茅葺き職人というのは伝統技術を守っている方々みたいに思っていたのですが、草を刈り取り、屋根に葺いて土に還すというのは、まさに自分がやりたいことだったので、それで弟子入りしたのです。

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季刊『道』216 相良育弥

 

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●プロフィール

◎ さがら いくや
茅葺き職人 株式会社くさかんむり代表
1980年生まれ、神戸市出身。宮澤賢治の『農民芸術概論』の「生活自体が芸術であり、それが美しくて尊い」の言葉に百の業をもつ「百姓」をめざす。そんな時に出会った茅葺きの親方の「茅葺き屋根は百姓の業でできている」との言葉で弟子入り。
5年後に独立。現在はふるさとの神戸市北区淡河町を拠点に、民家から文化財まで幅広く手掛け、 積極的にワークショップも行なう。空と大地、農村と都市、日本と海外、昔と今、職人と百姓のあいだを草で遊びながら、茅葺きを今にフィットさせてゆく活動を展開中。
平成27年度神戸市文化奨励賞受賞/第10回地域再生大賞 優秀賞
ジャパンアウトドアリーダーズアワード2020 優秀賞/第14回 創造する伝統賞

  ロングインタビュー

自分にもできる

時代を越えて受け継がれる手仕事の情熱

 

独立時計師 菊野 昌宏

 季刊『道』216 菊野昌宏 

作りたいけど作れない理由を探していた時に、江戸時代の職人のパワーを見せつけられた。
それで一人でできないのは嘘だなと思ったのです。
それならば自分もやってみようと私の時計作りが始まりました。
あの田中久重の万年時計を見た時から、あのメカニズムを腕時計にしたいという思いがありました。

菊野昌宏さんは精巧な機械式腕時計を設計から組み立てまで、すべて一人で手掛ける独立時計師だ。その作品は世界でただ一つの腕時計となる。所属がわずか34名という独立時計師の世界団体AHCIの日本人初の正会員でもある。
菊野さんは大半の部品を手作業で作り、組み立てる。その工程がとにかくワクワク楽しくてたまらないと言う。その作る楽しさや喜びを、使う人に伝え、共有してもらうことが大切と語る菊野さんに、この道に入るきっかけとなった江戸時代の発明家・田中久重の万年時計のことや、自身の時計作りへの思い、これからの挑戦について語っていただいた。

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機械式時計との出合い

―― 先日、江戸末期の発明家・田中久重の万年時計の解体ドキュメンタリーを拝見し、そのつながりで、その和時計のしくみを腕時計に再現しているという菊野さんのことを知りました。素晴らしく独創的な時計を制作されている菊野さんに、是非お話を伺いたいと参りました。
菊野さんは子供の頃からモノ作りがお好きだったと伺いました。

菊野 子供の頃は折り紙とかお絵描き、レゴブロックで何かを作ったりが好きで、自分で材料を買ってきて作り、それを誰かに見せると「あ、すごいね!」と言ってもらえる、それが純粋に楽しかった。
ただ子供のモノづくりは一人で好きなようにできますが、社会に出てからのモノづくりについて勉強するようになると、自分一人でデザインして自分一人で作るというのはできないんだなと感じたのです。それで少し熱が冷めたのが中学校ぐらいでしたでしょうか。

―― 子供の頃から全部を一人で作りたいと思っていらしたと。

菊野 そうですね(笑)。自分で作ってそれを褒めてもらうまでが自分にとってのモノづくりの魅力でしたので、一部にしか関われないのは違うなと感じていました。
父親が金属加工の仕事をしていたのですが、何かの一部のパーツを作っているのを幼い頃から見ていて、今自分がやっているようなモノづくりは大人の世界では違うんだというふうに感じていました。それで高校生くらいになると、やりたいことが分からなくなったという感じになりました。

―― 自衛官になられたのは。

菊野 進路に迷っていた時、たまたま自衛隊の説明会に友人と行く機会があり、そこで自衛隊の中にもいろいろな仕事があることを知るのです。自衛官は前線で戦う兵士というイメージだったのですが、武器整備の仕事があると。武器を分解する経験はなかなか出来ないだろうなと思いました。
またそれまで私はあまりきちっとした生活をしてこなかったので、ある意味、そういう生活とは真逆の厳しい環境に自分を置き、自分を変えてみたいという気持ちもありました。それで自衛隊に入ることにしたのです。

―― そこで時計との出合いがあったと。

菊野 はい。自衛隊には4年いたのですが、勤め始めて2年くらい経った20歳の頃、たまたま上司が新しい時計を「30万円もしたんだぞ」と自慢して見せてくれたんです。当時私は時計に興味はなくて、自衛隊の売店にある1000円のデジタル時計をしていたのですが、その上司の時計を手に取ると確かにずっしりしていてかっこいい。でも30万円もして、何が1000円の時計と違うんだろうというのが僕の最初の素朴な疑問でした。
そのことが頭にあって、ある時本屋で時計雑誌を手に取ると、機械式時計のことが書いてあったのです。中に小さい歯車が入っていて、ゼンマイ仕掛けで動いているという。それまで僕は時計は電池で動くものだと思っていたんです。
小っちゃくて細かくてこちゃこちゃしている精緻なものがやっぱり子供の頃から好きだったんでしょうね。「こんな世界があるんだ」と魅了され、以来、雑誌が出るたび買っては読みという感じになりました。
当時自衛隊では銃の分解をやっていて、ドライバーも大きなものを使っていたのですが、徐々に時計の中身に興味が移っていったのです。
その後、雑誌でスイスの独立時計師という人が個人レベルで時計を作っていることを知るのです。こういう機械式時計は工場で作っているものだと思っていたので、「一人で作っている人がいる」と、すごい衝撃を受けました。そしてその時「自分もやりたい!」と思いました。

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●プロフィール

◎ きくの まさひろ
1983年北海道生まれ。陸上自衛隊に勤務している時にスイス製の機械式時計と出合い、2005年に自衛隊を除隊して時計学校に入学。江戸時代の田中久重による「万年時計」と出合い、独立時計師の道を目指し、自動割駒式和時計を製作。これがスイスの著名な独立時計師の目に留まり、スイスで行なわれた世界最大の見本市で「不定時法腕時計」を出展。2011年に28歳の若さで独立時計師アカデミー(AHCI)の準会員となり、2013年には日本人初のAHCI正会員に。2015年「和時計改」2017年「朔望」を発表。

  連 載

季刊『道』216 工藤清敏

◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』

「いざとなれば、海と塩 ルネ・カントン博士が証明した海水療法」

怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。

◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。

季刊『道』216 前島由美

◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』

「大人の心のゆとりが、子どもたちの未来を拓く」

療育支援施設「ゆめの森こども園」で、生き辛さを抱えている子どもたちに向き合う前島由美さん。愛情いっぱいの関わりと、親御さんや学校・地域と丁寧に連携によって本来の輝きを取り戻していく子どもたちの実例を紹介していきます。

◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。

季刊『道』216 安藤誠

 

◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』

「厳冬を惜しむ」

ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。

◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。

季刊『道』216 船橋康貴

 

◆一般社団法人ハニーファーム代表 船橋康貴
連載『ミツバチが教えてくれること』

「つながりに感謝して、素直に生きる」

ミツバチ絶滅の危機は人類滅亡の危機
私たちが生きていくための環境維持に欠かせないミツバチの存在を伝え、守ろうと東奔西走する船橋氏。
その活動の「今」を伝える。

◎ ふなはし やすき
養蜂家・環境活動家。
世界中で激減しているミツバチを守るために、環境のプロとして、ミツバチを使った「ハチ育」や町おこしなどを行なっている。

季刊『道』216 佐々木隆

 

◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』

「神秘のオーロラ かけがえのない地球」

生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。

◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。

 

◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』

「伊勢神宮物語(2)」

世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。

◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。

 

◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』

「大丈夫、みんなで一つの命を生きている」

人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。

◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。古民家を中心とした「モナの森」で、生きる力を強くするための活動を行なう。

 

◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』

「永遠の天空で思うこと」

ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。

◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。

季刊『道』 岩井喜代仁

 

◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』

「地域に開かれた薬物依存回復施設 山梨ダルク」

薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設を回り責任者やスタッフを育てる岩井喜代仁さん。
仲間に励まされ、支えられ、許され、受け止められながら、入寮者が回復に向かっていく姿は毎回感動です。
ともに苦しむ仲間の絆があるからこそ、人は前に進むことができるのだと教えてくれます。

◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。

『道』216 気づく気づかせる

 

◆UK実践塾代表  宇城憲治
連載『気づく気づかせる』

「寄り添うネットワーク 『絆』をつくる」

最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。

◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長

 

 

◆編集部コラム 『心の奥の取材ノート』

「伊藤忠商事株式会社理事/日本合気道協会顧問(八段) 木暮浩明先生のこと」

交わした言葉、ちょっとした仕草、振る舞い ――
今もありありと思い出す、取材で出会った人たちの思い出を綴ります。

  編集後記

「前の対談みたいに、あんないいことはもう言えないよ」と小川棟梁。けれどお話しくださること全てが人として生きる道へのヒントに溢れていて、あらためて身体を通して生きてきた人の厚みを感じました。受け継ぐべきは知識ではなく知恵というエネルギー。その感動が時代を経て人を動かす。まさに小川棟梁は自らやってこられた偉業で、その真実を示されていると思いました。

職人然とされているのかなと思いきや、DJの経験があるというのも頷けるような颯爽とした雰囲気で取材場所にいらした相良さん。これで地下足袋だったら確かに親方も「おおっ!」と思うだろうなと納得しました。百の業を身に付けたいという発想ってどこからきたんだろう。きっと相良さんは時代を超えた何かとつながっているのかな、そんなふうに感じました。

田中久重の万年時計からつながった菊野さん。工房はまさに「手仕事」の場。極小のネジ一本でも手作業で制作するというその緻密な時計作りの一端を味わうことができました。ここでの作業に菊野さんのワクワクが詰まっている。科学的に分析しても出てこない職人魂が、じわじわと込められていくのだと思いました。

小川さんも相良さんも菊野さんも、「今」という時間だけでなく、過去とも未来とも自然につながって生きていらっしゃる、そんなふうに感じました。

(木村郁子)

育った町に、自然に囲まれた広い公園があり、自由に出入りできる茅葺き屋根の家が保存されていました。入ると乾いた草と土のにおいがして、竈や臼、箕や木の脱穀機もあって、昔はこうして暮らしていたんだ…と子供ながらに興味深く眺めたことを思い出します。213号インタビューで、Yaeさんに相良育弥さんの活動を聞き、茅葺きの〝今〟を聞きたいと取材を申し込みました。現場続きでお忙しい中時間を割いてくださって恐縮していると、「こういう取材を受けるのも、現代の茅葺き職人の業の一つ」とお話しくださいました。

菊野昌宏さんの工房は、まさに「こちゃこちゃしたもの」がいっぱいで、男の子の多くが目を輝かせるのではないかと思いました。子供の頃に描いた夢を、大人になるにつれて「そうはいかない」とあきらめることを何となく受け入れてきた…のが大部分の大人ではないかと思いますが、菊野さんは、江戸時代の仕事にはっぱをかけられて軌道修正をされた。

ハニーさんこと船橋康貴さんには6年間、24回にわたって大自然と私たちとの関わりについて連載いただきました。やむにやまれぬ想いで養蜂に飛び込んだ時のように、すぱっと養蜂を引退され、次の生き方に向かわれます。これまでたくさんの気づきをいただきました。心より御礼申し上げます。ありがとうございました!

(千葉由利枝)

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