【最新号】 220号 (2024春)


テーマ 「未来に向け、ぶれずに本質を守る」

どんな時代でも、
良いものは良い。
流行りや利便性に流されて、
本質を見る力を見失ってはいないだろうか。

本質に気づけたら、
迷わず、ぶれずに貫き通す
そのことの大切さを教えてくれる一冊となりました。

 

2024年4月22日発売

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読者の声

  巻頭対談

「すごさ」ではなく深さ、高さへ

スポーツを通し人生に活かせる成長を

 

作家・スポーツライター 小林 信也
VS UK実践塾 宇城 憲治

 

220号 対談 小林信也・宇城憲治 220号 対談 小林信也・宇城憲治 220号 対談 小林信也・宇城憲治

スポーツが「勝つすごさ」の追求から
人間としての「深さ、高さ」に向かうことは大事だと思います。
そうすると、ものの見方、考え方が変わってくる。
すなわち人間の可能性と潜在力を
引き出す方向へ向かうということです。

 「 進歩成長とは変化すること
   変化するとは深さを知ること
   深さを知るとは謙虚になること」 (宇城)
 

世間の常識と違っても真理はここにあるのだから
迷わず「高い山を昇る」。
その山を昇るのが自分の人生だと
宇城先生に自信を与えていただきました。
次第に同じ感覚を共有する仲間も周りに現われてきました。(小林)


作家・スポーツライター、またコメンテーターとして様々なメディアで活躍する小林信也氏。小学生で野球に魅了され、高校時代は投手として新潟県大会で優勝も経験。社会に出てからは少年野球監督として多くの子供たちの成長を見守ってきた。長年、スポーツの素晴らしさだけでなく、不祥事や金銭トラブルといった実態など、その表裏両面を、スポーツを愛する一人としてまっすぐ見つめ、発信してきた。

今対談では、ご自身が20年以上師と仰ぐ宇城憲治氏と、スポーツ界の現状やそこから見えてくる日本の課題、今後スポーツが進むべき道に到るまで、山の高さ、深さにたとえながら語り合っていただいた。

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スポーツ報道の裏表

宇城 今回はスポーツライターとして多数の書籍を出し、またテレビのコメンテーターとして活躍している信也さんに、あまり語られることのないスポーツの実態や本質なども含めて、話ができればと思っています。
スポーツ界では様々な活躍、進展が報道される一方で、いろいろな問題が起きていますね。

小林 本当にいろいろな問題が起きているのですが、大手メディアは取り上げません。政治報道と一緒です。五輪もあるので、連盟と揉めるのは面倒だ、と言い訳する記者もいます。それ以前に、メディアは競技団体やスポンサーと組んでお金を儲ける側になっているので、世間が期待するような客観報道は放棄しているも同然です。

2018年にボクシングの山根明会長の不正が告発され大騒ぎになりました。会長の独特なキャラクターも相まって連日ワイドショーが取り上げた。山根会長が辞任してボクシング連盟は良くなったと思われていますが、実態はもっと歪んだ独裁体制になりました。僕はその実態を発信しようと週刊誌などに提案していますが、「現会長は山根会長ほど売れるキャラじゃない」という判断で取り上げてくれません。商業メディアは話題性に価値基準があって、事実や正義といった観点は二の次という、残念な状況です。

空手界でも東京五輪の前に強化委員長によるパワハラが告発されました。あの時はすぐピンときました。メディアは、若い女子選手を悲劇のヒロインにすると視聴者が関心を持つパターンに味をしめて、「女子選手をいじめる権力者たち」を悪者にする図式で報道しがちです。誰かが裏で仕掛けて、思惑通りに団体の体制を転換しようと画策している場合もあります。

宇城 そういう図式は一般の人には分かりにくいところだけど、だからいつまで経っても改善されないわけだ。

小林 そうです。長く君臨する会長や指導者を邪魔だと思う勢力が、女子選手をいじめているという図式を作って彼らを失脚させ、自分たちが主導権を奪う例もありました。スポーツ界の改革というと最近は弁護士や会計士が主要メンバーに入ります。彼らの中にも政治家と結びついて新たな利権づくりを目論んでいる者がいる。結局、スポーツは道具にされているのです。

「すごさ」で惹き付けてはならない

宇城 長年スポーツライターをやっているだけに、裏表がよく見えるわけですね。そういう状況を打開していくためにも、今日は「スポーツとは何か。何のためにスポーツをするのか。その価値とは」ということや、今や小・中・高・大・一般からプロに至るまで、スポーツ文化とも言えるほど大多数の人が関わっているわけで、それだけに「それぞれの立場でそれが日常や社会生活でどう生かされているか」ということをテーマに話ができればと思っています。

たとえば空手で石割りというのがあり学生時代、私も得意気によくやったものですが。自然の石を割れるようになるには何年もの修行がいるという話もありますが、実は石割りは「浮かし割り」というコツがあって1分程度の指導で割れるのです。うちの空手では小学校1年生から全員石を割らせていました。道塾でも合宿などで一般女性を含めて全員割らせたこともあります。それは一般的には自然の石が素手で割れるなどと思っていないので、「石を割るのはすごい」「何年も修行しないと割れない」という思い込みが作られてしまう。その勘違いに早く気づいてもらい、強さとは何か、空手とは何かという本質に集中してもらいたいからです。

また「ものを割る」という文化は元々日本にはないんです。空手で瓦割りというのもありますが、瓦は屋根に敷いてこそ活かせるわけです。ですから「すごさ」ではなく「活かす工夫」が大事。スポーツならそこで得られた身心のレベルアップの深化と「日常に活かす」進化が必要だと思っています。

小林 先生に学び始めた時、「すごさで人を惹き付けてはいけない」と言われ、理解できませんでした。スポーツ界は「すごさ」に価値を置いて人を惹き付け、発展してきた分野です。

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220号 対談 小林信也・宇城憲治

 

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●プロフィール

◎ こばやし のぶや

1956年新潟県長岡生まれ。慶応大学法学部卒。高校では野球部の投手として新潟県大会優勝。大学ではフリスビーの国際大会で活躍。大学生の頃から『ポパイ』編集部スタッフライターをつとめ、卒業後は『ナンバー』のスタッフライターを経てフリーランスのスポーツライターに。2000年に自らカツラーであることを著書『カツラーの秘密』でカミングアウト。著書は他に『真夏の甲子園はいらない』『子どもにスポーツをさせるな』『長嶋茂雄語録』『柳都新潟 古町芸妓ものがたり』など多数。


◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在力を気づかせる活動を展開中。「気」による「不可能が可能となる体験」は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手実践塾、道塾、教師塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長

  ロングインタビュー

竹炭の力で子どもたちの未来を守りたい

夢工房
株式会社夢大地 代表取締役社長 岩熊 裕明

 

220号 岩熊裕明 220号 岩熊裕明 220号 岩熊裕明

僕はこの炭化装置、よくぞできた、と思っているんです。
炭のことをみんなに知ってもらって山に炭を撒いてもらいたい。
ここまで地球が穢れきっているのだということを
知らずに多くの人が暮らしていますが、
本当は地球環境は大問題になっているんです。

これからの未来の子どもたちのために、
その次の赤ちゃんのために、
昔のきれいな大地に戻してあげたい。


竹炭の魅力やその循環型地球環境保全の可能性を全国で伝え歩いている岩熊裕明氏。岩熊氏は、これまで熟練職人が8日ほどかけて作っていた炭を、わずか1日で、しかも化石燃料も電気も使わず、安全で効率的に作れる炭化装置を開発。

かつて建設会社のトップだった氏が、なぜ炭焼きに目覚め、新たに起業したのか。その思いは、「炭が夢の大地を蘇らせ、地球を救う」という夢大地のキャッチフレーズが如実に示している。
炭への思いや現在に至る氏の波乱の道のりを語っていただいた。

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花に魅せられた少年時代

―― 本日はお忙しいなか、お時間をありがとうございます。「クマちゃん」こと岩熊さんは、一晩で誰でも簡単に炭が焼ける炭化炉を開発され、地球環境や人々の健康を救うために様々な活動にエネルギーを注がれていると伺いました。現在の活動に至るご苦労や、炭がいかに地球や人間にとって素晴らしいものであるかなど、詳しく聞かせていただきたいと参りました。

岩熊 ありがとうございます。幼少の頃、父は建設業をしていて、九州にある三つの国立公園の有料道路を手掛けるなど大きな工事をしていました。その一つ、霧島国立公園の有料道路のために機械で山中を拓いていく時に、霧島には有名なミヤマキリシマツツジがあって、それを父が工事に行ってはいただいてきて家に置いたのです。それが盆栽みたいに本当にきれいなんです。

父は工事に出張すると1ヵ月は帰ってこなかったので、その時の管理を小学生の僕に任せたんですね。それで僕は花が大好きになって、小学2年の頃からサボテンを集め出しました。当時で200鉢くらい持っていました。サボテンの花もいろいろ違うし、きれいなんです。

中学になると蘭に魅了され、高校に入ってからは松とか梅、桃、椿など。盆栽が好きになり盆栽を始めたのですが、松の盆栽は花が咲かないし、やっぱり花が好きな僕は、きれいな花が咲くサツキ盆栽を長くやりました。社会人になってからは150鉢ぐらい持っていたのですが、日本皐月協会の第1回の品評会では、僕が出したサツキが初代のチャンピオンになりました。

―― 素晴らしいですね。ご著書では、花や竹と会話ができるようになったと書かれていましたが、大好きだからこそでしょうね。

岩熊 はい。それほどにサツキが好きでした。水やりをして可愛がっていると、サツキが振り向いて「もうちょっと水を頂戴」とか言ってくるんです。そういうことがあったので、のちに竹とも話ができるようになりました。

竹林に入っても、放置竹林を見たらもうかわいそうなんです。光が当たらないから光合成ができず、倒れてギチギチになって風も通らない。竹は苦しくて泣いていました。僕は竹林に入ったら「竹さん、苦しいでしょう。こんなに光が入らず、風も通ってこなかったら大変だね。今日は僕がちょっとだけ痛い思いをさせてしまうけど、古い子たちから切らせてね」と言いながら、チェーンソーは使わずに、必ず手ノコを使って竹を切るのです。

そしてその時に「炭にして地球と人のために役立てるからね」という約束をする。命をいただくけれど必ず役に立てるよと。商品を送る時も「行ってらっしゃい。困っている人の声を聞いて、その人たちの役に立つようにね」と。

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220号 岩熊裕明

 

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●プロフィール

◎ いわくま ひろあき
1951年、福岡県柳川市生まれ。
1968年、東海大学工学部卒。商社マンそして父の経営する建設会社の経営などを経て、2006年に愛媛県大洲市肱川町へ移転。2012年に株式会社夢大地を設立。岐阜県天皇林公園に炭化炉「環炭くん」を設置し、地球浄化プロジェクトをスタートさせる。「人々の健康に役立つ企業」を目指し、さまざまな竹炭・竹酢液製品を開発。全国各地で講演会も開催し、炭の魅力を伝えている。

  ロングインタビュー

元祖 無添加に込めた想いと技術を未来へ
― 人にも環境にもやさしい石けんを作り続けて50年 ―

シャボン玉石けん株式会社 代表取締役社長 森田 隼人

 

220号 森田隼人 220号 森田隼人 220号 森田隼人

石けんと合成洗剤は、〝洗剤〟という総称で一緒にされますが、
似て否なるものなのです。
環境に優しく肌に優しいものを使いたいのであれば、
シャボン玉石けんじゃなくても、
せめて妊娠から授乳期間ぐらいは石けんを使うのが
当たり前の世の中にしていきたい。
それを一般常識レベルにしていきたい。
そのためにも地道な活動を継続していきたいと思っています。

化学物質や合成添加物を一切使わない無添加石けんの製造・販売を手掛けるシャボン玉石けん。創業は1910年(明治43年)、2代目社長の時代に一時合成洗剤の販売で飛躍的に業績を伸ばしたが、自ら苦しんだ湿疹が無添加石けんで消えたことと、病を得て死を身近に感じたことから「人生一度きり。本当に正しいことをやる」と決心、合成洗剤から安全な無添加石けんに切り替えて今年で50年を迎える。

売り上げが1パーセント以下に落ち込んでもぶれずに貫き通した父の意思を引きつぐ3代目社長の森田隼人氏に、無添加石けんにこだわる商品作りへの想いや、企業理念である「健康と体ときれいな水を守る。」実現のために、現在氏がエネルギーを注ぐ様々な取り組みや活動について語っていただいた。

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合成洗剤から無添加石けんへ
父の決断

―― 本日はよろしくお願いいたします。「明日はシャボン玉石けんさんを取材しますよ」と言ったら、スタッフの一人が「シャボン玉石けんを40年使っています!」と言っておりました(笑)。

森田 そうですか。ありがたいですね(笑)。40年前はうちは赤字でしたので、そういう方々に支えられてきたのだなと。

―― 創業110年以上でいらっしゃるのですね。

森田 創業は1910年(明治43年)です。私の祖父・森田範次郎が北九州市若松の地で雑貨商として森田範次郎商店を創業しました。当時の若松は石炭の炭出し港で非常に栄えておりました。筑豊地方で採れた石炭を若松へ運びその若松の港から日本各地へというように、エネルギーの一大集積地となっておりましたので、人もたくさん出入りし、日用品全般を扱う家業は順調だったそうです。

その中でも特に石炭で汚れますので、日用品の中でも回転する石けんにだんだん特化していきました。そして販売代理店、特約店のような形から、製造委託するような半メーカーの形になっていきました。

その後日本が戦争に突入し、戦後、私の父に代替わりしました。日本が高度経済成長に差し掛かる時に、それまでは日本には石けんしかなかったのですが、いわゆる電気洗濯機、冷蔵庫、テレビの三種の神器の普及と共に、アメリカから合成洗剤が入ってきて、それが日本に広がり出したのです。父が洗濯機が売れ出したのを見て「これからは石けんではなく合成洗剤の時代が来る」と、いち早く――1960年頃ですが――合成洗剤に切り替えたのです。これがうまく当たって業績も右肩上がりで伸びていき、当時父は30代前半だったのですが、こんなに簡単に儲かる商売があるのかというくらい順調だったと聞いています。

ただその頃から父は原因不明の湿疹で悩まされるようになり、薬を塗っても何をしても良くならず、「仕方がない」とあきらめていたそうです。

当時の国鉄にも合成洗剤を納めていまして、九州管内では一番力のあった門司鉄道管理局(通称 モンテツ)にも納めていたのですが、ある時担当の方に呼ばれて行ってみると「おたくの洗剤で機関車の車体を洗っているが、どうもサビが出やすい」と。おそらく塩基が強かったり酸やアルカリが強かったりといろいろ要因があったと思うのですが、その担当の方から、JIS規格の無添剤、今で言う無添加の粉石けんだと恐らく錆びにくいと思うので、おたくでそれを作れないかという依頼があったのです。

―― その頃の石けんは無添加ではなかったのですか。

森田 昔は石けんしかなかったのですが、無添加ではありませんでした。作りやすくするために助剤を入れていたり不純物を多く残したりしていました。無添加の石けんの製造は技術的には非常に難しかったのです。ですが超大口の得意先である国鉄からの依頼ですから、父も「やります」と。

当時長崎の佐世保に委託していた工場がありましたので、そこに父も技術者と一緒に泊まり込みで試行錯誤した結果、JIS規格水準を上回る無添加の石けんを作ることができました。それを家に持ち帰って試しに洗濯や身体洗いなど、いろいろな用途に使ったところ、1週間も経たないうちに父の長年悩まされていた湿疹が良くなったのです。「良かったな」と言っていたのですが、その無添加の石けんのサンプルがなくなって、自社商品の合成洗剤を再び使い始めると、一日で一気に湿疹ができてしまったそうです。

―― 合成洗剤の負の影響を自らの身体で気づかされたわけですね。

森田 はい。そこで初めて自分の湿疹の原因が自社商品だということに気がついたのです。そこで自分と同じ肌荒れがある人には無添加石けんが売れるのではないかということで、中心市街地の小倉で粉石けんのサンプルをアンケートをつけて配ったところ、意外と嬉しい反応が返ってきました。「すごいふんわりタオルが仕上がりました」とか「子供のオムツかぶれが良くなった気がします」など。そこで「これはいけるな」と思い、今度は商品企画書を作って営業マンが問屋やスーパー、薬局、薬店に持っていくのですが、1970年代前の時期だったので、「いまさら石けん?」という反応でした。「科学の力で画期的に生活を豊かにしてくれる合成洗剤が出ているのに、いまさらそんな時代遅れの石けんなんて売れないからいらない」という声を営業マンたちがことごとく持って帰ってきて、それで父もあきらめて会社では合成洗剤を売り、自宅では無添加石けんを使うという生活がしばらく続いたのです。

そんな中、父が42歳の時に体調を崩し、病院に行くと血圧が200以上あって、「あなたはこのままでは死んでしまいますよ」ということで、すぐに入院となりました。今の私より若い40代前半の父は、自分が死ぬなんて全く考えていなかった。そんな時に「あんた死ぬぞ」と医者から言われ、ショックを受けつつも「人間はいつか死ぬんだな。人生一度きりなら自分が本当に正しいと思うことをやろう」と決心したそうです。なんとか体調を元に戻し、その決意を胸に出社して「うちは合成洗剤をやめて無添加石けん一本でやるぞ」と宣言するのです。それが1974年、昭和49年のことでした。

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220号 森田隼人

 

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●プロフィール

◎ もりた はやと
1976年 福岡県生まれ。専修大学経営学部卒。2000年シャボン玉石けん株式会社に入社。関東エリアの卸店、百貨店、スーパー、ドラッグストアチェーンなどへの営業に携わる。その後、取締役副社長などを経て、2007年より現職。無添加石けんを通じた現在の環境問題を広く社会に伝えるため、講演活動も積極的に行なっている。

  連 載

220号 工藤清敏

◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』

「お金があってもなくても、健康が大事」

怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。

◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。

220号 前島由美

◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』

「親の変化で子どもは変わる」

療育支援施設「ゆめの森こども園」で、生き辛さを抱えている子どもたちに向き合う前島由美さん。愛情いっぱいの関わりと、親御さんや学校・地域と丁寧に連携によって本来の輝きを取り戻していく子どもたちの実例を紹介していきます。

◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。

220 安藤誠

 

◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』

「季節の移ろい」

ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。

◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。

220 佐々木隆

 

◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』

「活きた津波の教訓」

生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。

◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。

220 野村哲也

 

◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』

「野生の聖域・コスタリカ」

世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。

◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。

220 山元加津子

 

◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』

「みんな、ひとつ ― 能登地震に思うこと ―」

人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。

◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。古民家を中心とした「モナの森」で、生きる力を強くするための活動を行なう。

220 金澤泰子

 

◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』

「計り知れない、翔子の愛の深さ」

ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。

◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。

季刊『道』 岩井喜代仁

 

◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』

「社会復帰の拠点となる びわこダルク」

薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設を回り責任者やスタッフを育てる岩井喜代仁さん。
仲間に励まされ、支えられ、許され、受け止められながら、入寮者が回復に向かっていく姿は毎回感動です。
ともに苦しむ仲間の絆があるからこそ、人は前に進むことができるのだと教えてくれます。

◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。

220 宇城憲治

 

◆UK実践塾代表  宇城憲治
連載『気づく気づかせる』

「気が導く…平和への道

最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。

◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長

  編集後記

様々なスポーツ界の理不尽や、客観報道ではなくお金を基準に動くテレビやマスコミ業界の課題を、師匠である宇城先生に吐露するかのように始まった対談。多くの矛盾や憤りがあっても、「この山に昇る!」と決めた小林氏の活動は、一貫して事実を伝えようとする誠実な姿勢であり、スポーツ界という大河のなかで、スポーツを愛すればこそ、まさにコップ一杯の水にならんとする気概を感じました。
電話でお話した時やお会いした時は、幼少の頃から花好きだった少年そのままの柔らかな印象のクマちゃんこと岩熊さん。でも、時折、何か普通の人とは圧倒的に違う時間の速さを感じました。それは岩熊さんが歩まれてきた激動の人生を垣間見る瞬間でもありました。
昔から石けん派ではありますが、ただ「石けんであること」に安心していただけで、今回その「石けん」にも見えない落とし穴があることを知り、食もそうですが、消費者である私たちが、しっかり勉強し賢くならねばと強く思いました。香害について立ち上がった森田さんに、社会のなかで企業がどうあるべきか、お父様の思いを確実に引き継ぐその姿勢に感動しました。
自分がなぜ今の活動をしていきたいのか。いつの間にかぶれてしまっていないか。そんなことをあらためて自問自答させていただけた今号に感謝します。

  (木村郁子)

「あまり知られたくないんだか、標識もなくて分かりにくいけど、天皇林公園に来てください」 クマちゃんこと岩熊裕明さんの言葉で岐阜駅から車で山を目指しました。少し迷いつつ辿り着いた公園の駐車場脇に、かの「環炭くん」が設置されていました。小さくはないけれど、1日で炭焼きができてしまう優れモノにしてはさほど大きくない、という印象。その後、天皇家三代にわたって植林、間伐をされたという区画を案内していただき、車で10分ほどの喫茶店へ。岩熊さんの人生を伺いました。「導かれて」という場面が何回もあり、天に白羽の矢を立てられ、世の中や地球のために〝お役目〟を与えられた人なのだなと感じました。
 「青いお空がほしいのね…」の歌がすぐに思い出されるシャボン玉石けん。子育てが始まってからずっと石けん派の私としては、ワクワクの取材。とくに「香害」についての意見広告を見た時は衝撃で、「よくぞ言ってくれた!」と「シャボン玉石けん」の名を強く意識した瞬間でした。子どもたちが持ち帰る給食袋から漂う強い〝香り〟が苦手でした。好き嫌いを超えて体調を崩すほどのものであることを、誰もが当たり前に知っている世の中になってほしいと思います。その先頭に立つ森田隼人さん。「会社のDNA」と即答されたその心意気をどうぞこれからも! ますます石けんが好きになりました。

(千葉由利枝)

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