季刊『道』220号

読者の声| 季刊『道』 220号(2024年春)  

今号では特に、私たちはいかに間違った常識や「本質」から外れた物事に晒されて、「本質」が見えていないことを改めて認識させられた
東京 会社員 60代 男性


巻頭の対談では、スポーツ界の現状を知らされるにつけ、驚きと共に暗澹たる気持ちにさせられました。

本来健全であるはず、また健全であるべきのスポーツ界が、政治の世界と同じように腐り切っており、マスコミもそれに加担しているという現状を見せつけられ、私たちはいかに事実を隠蔽され、間違った情報に踊らされ、ミスリードされているということを改めて感じました。

小林信也さんの「スポーツは大事なことに関心を持たせないためのガス抜き。そんな分野に生涯をかけて取り組む価値などない。」というお言葉に全くその通りだと思いました。

しかしながら小林さんは、それでも公正を信条とし事実に目を向けてそれを発信し、本来ならスポーツ界やマスコミ界から煙たがられるであろう存在にも関わらず、干されることも埋もれてしまうこともなく、番組などには呼ばれて、また志を同じくする同士も現れているということに、正にスポーツ界という大河の中で「コップ一杯の水」を実践されているのだと感じました。

岩熊裕明さんも信念の方だと感銘を受けました。51歳で会社を潰しながらも文字通りゼロからの出発で、お寺さんの忠告通り、全財産を処分し四国に移住しその場所で夢大地を設立するも、その土地がなんと人類史上最古の木炭が発見された場所であるという偶然。会社の倒産も四国への移住もそして炭焼きの事業もまるで見えない力に導かれるような展開に「こんなことがあるのだ」と驚きでした。
また炭にも地球を救うという素晴らしい効果があることを今回の記事で初めて知りました。
燃料を使わない炭焼き釜の構造なども興味が尽きないところです。私も毎日自家製の梅干しを食べており、種は全部捨てていましたが、記事を読んでからは残しておくようにしました(笑)。

森田隼人さんの記事も非常に印象深いものがありました。私も一般企業のサラリーマンとしての勤務が長く、事業が不採算であれば容赦なく切り捨てるという場面に多々遭遇しておりました。それが事業運営の常識だと思っておりました。それだけに、売上が99%と減となったり、赤字が17年続いても事業を存続させたことに驚きを禁じ得ませんでした。一般企業に於いて、長年の赤字垂れ流しはあり得ず、たとえオーナー企業であったとしても、あそこまで信念を貫く姿勢は今まで見たことも聞いたこともありませんでした。

それだけ前社長の執念とも思える信念の強さにを凄まじくさえ感じました。また経営不振脱却の起爆剤となった「自然流『せっけん』読本」の巻末に、本来ライバルであるはずの同業者の名称住所を掲載したということに、自社の利益だけでなく、業界全体で「せっけん」という「本物」を広めようという信念を感じました。

しかもその前社長の志を受け継いで、会社のDNAとされていることは本当に素晴らしいことだと思いました。私も「せっけん歯磨き」と「せっけんシャンプー・リンス」は使っておりましたが、今まで合成洗剤とせっけんの違いについて認識を誤っており、今回改めて勉強させて頂いた思いです。また他の製品も使っていこうと思いました。

工藤さんの記事では、ヨーロッパの人たちも日本人以上に昔から塩分は大量に摂取している事実に改めて知り、どれだけ塩が悪者にされているのか呆れかえる程でした。

前島さん、岩井さんには「寄り添う」ことの本当の意味を、実践を通じて教えていただいている気がします。山本加津氏の文章にも「寄り添う」ことの素晴らしさが溢れているように思えました。

金澤泰子さんとは、昨年11月のイベントで、交流会の時少しお話をさせて頂きました。「翔子がダウン症で良かったです。」と仰っていましたが、そこに至るまで私たちには思いもつかないような、想像を絶する葛藤があったのだなと改めて感じさせました。

佐々木隆さんの写真は、能登半島地震の凄まじい被害と、それと関係なくいつもと変わらない夜空の星々が同じ構図内で写し出され、自然の脅威と美しさのコントラストが見事に表現されていて、感慨深いものを感じました。

野村哲也さんの「地球を歩く」は、相変わらず美しい写真と臨場感溢れる文章で、撮影時の情景がありありと思い浮かびます。

安藤誠氏の写真は、いつも自然が織りなす絶妙の瞬間を捉えていて、眺めていると素晴らしさに思わず唸ってしまいます。「渡鳥たちに躊躇や迷いはないのだ」に、「やるかやらないかではなく、やる一択だ」の言葉を思い出させました。

今号では特に、私たちはいかに間違った常識や「本質」から外れた物事に晒されて、「本質」が見えていないことを改めて認識させられたような気がします。

事実や正義といった観点は二の次というマスコミの報道姿勢。ショー的な「すごさ」で「本質」を見誤らさせるスポーツや武道。

東北大震災でカリフォルニアに流された家屋の木材部分を炭化しようとしたり、炭で放射能を除去できるという取り組みを、利権により排除しようとする動き。

自然由来のせっけんが安心安全という事実にも関わらず、自然への負荷も大きく人体にどのような悪影響を与えるのか訳のわからないカタカナ成分オンパレードの合成洗剤の普及。

人体に有効かつ必須だと分かっていながら悪者にされている塩。

私たちは何か大きな力によって、そんな間違った常識を植え付けられ、洗脳され、ミスリードされている。

工藤さんの記事にも
「勇気を持って戦ってもすぐに僕は負けるだから草の根運動しかないのだ。」
「しかも静かにしないとやられてしまう。」
とありました。

何かの力は強大です。しかし今号に限らず『道』に登場される方々はその「草の根」の担い手ばかりであり「本質」とは何かを分かっている方々だと。

巻頭の対談で宇城先生が「『大河にコップ1杯の水』になれば、そこに皆が寄ってくる。いずれわかる日がくる」仰っていて、「大河にコップ1杯の水」は対談集のタイトルでもありますが、恥ずかしながら今号で、その意味がやっと腑に落ちた思いでした。

読み終えて本当に元気になりました
福島 公務員 50代 男性


今号のテーマは「未来に向け、ぶれずに本質を守る」

読み終えて強く感じたのは、我々庶民は何者かの都合の良いようにコントロールされているということです。スポーツもメディアも庶民をコントロールするための道具であり、本質ではない、知名度や肩書、作られた正義、スポーツのような限定的条件下でのパフォーマンスのすごさという虚飾に庶民は飛びつき、無意識領域に植え付けられた不安や怯えを払拭するための代償行為、憂さ晴らしをしています。この構造自体が仕組まれたものであり、無意識領域からコントロールされているため、我々庶民は浅い意識領域でしか物事を考えられなくなっているのではないかと感じました。

同じことが、日常生活における食や石けんなどの日用品、子育て、教育、大きな世界では国交や環境でも起きていると思います。宇城先生と小林信也さんとの対談で「外交」のお話がありましたが、これこそ本来の日本人の持つ力(自然免疫力)を無視して、軍備増強(ワクチン接種)するようなものではないかと感じました。人々はますます宇宙の理から乖離し、分断と孤立が進み、怖れと不安の支配する衝突の世界へ変貌していくと思います。

ならば、この傾きゆく世界で我々はどう生きていくか?

我々庶民が気づき行動するしかないのだと思います。そのためには本質と虚飾を見分ける力を身につけるしかない。それは知識としての学習ではなく、身体を通した学び、気づきでなければならないと思います。何よりも「師」を持つこと、帰ることのできる「基準=イズム」を持つことなのだと感じました。そして、気づいた者同士が繋がり、寄り添い、仲間を増やし、自ら幸せになること、その実践を続けること、輪を広げることが我々の戦い方なのだと思いました。

その行動のエネルギーはひとりの人間のやる気ですが、師を持つこと、多くの仲間と繋がること、季刊『道』で実践者の生き様に触れることで、何十倍・何百倍にも増幅されると思います。

読み終えて本当に元気になりました。実践者の方々のように私も私の日常で実践を続けます。

次号も楽しみにしております。
ありがとうございました。

今回の「道」でも、真実を教えてくださって本物の学び与えてくださって、いつもありがとうございます
奈良 主婦 40代 女性


220春号を拝読しながら、言葉にならない程に日常の自分の姿勢、在り方を深く考えさせられています。

親として、宇城先生に学ばせていただいている一人として自分の在り方を問い続け終わりがありません。

宇城先生と小林氏の巻頭対談での「すごさ」で惹き付けてはならないとのお話で、すごさを見せている大人に何だか違和感を感じていたし嫌な気持ちになっていたことを思い出しました。
でも自分がそうなっていないだろうかと感じます。

「すごさで教えたらいけないということだ」

「大事なことは「すごさ」で惹き付けるのではなく、その本質なんです。」

このお言葉を常に心に置きながら自分と向き合っていかなければいけないと感じました。

「すごさ」ではなく「本質」。これは自分が勉強しないと身に付けていないとできないことだと思います。

そして人間として深さをもっていないとできないことであると思います。
そして「本質」での教えは人間の深さが変わってくるのだと感じます。

自分はいかに上辺だけの軽い物の見方、生き方をしてきたのだろうと思います。
まだまだその軽さが自分には残っていることを感じます。
それは自分の学ぶ姿勢、日々の行動、あらゆるところに表れ出てきます。
日々、その軽さ、甘さのある自分との戦いであるように思います。

子どもたちを守るために今の自分では話にならないことを宇城先生のあらゆるお言葉、ご指導から教えていただいています。

「牧草が50センチくらいの高さで茂っていて、走るとそれが足に絡む。だから足を上げて走らねばならない。」

「ところが県代表に選ばれての強化練習では「足を上げろ!」と指導される。すると逆に記録が落ちてしまう。」

自然と身体で感じて動いているのと、言われて頭を通してやる、の違いを感じます。

本来のできる力があること、本来の人間がもっている力があるのに、それを壊してしまっている指導があることを感じます。
ここを日常で大切にしていかなければならないです。
子どもたちをこれ以上絶対に潰してはならないと強く感じています。

そのために日常の小さなことから自分が変わるを実践していきます。

師に学ぶ 自分の日常の在り方 自分への問いかけたくさんの宇城先生からの教えが詰まっているように感じます。

対談でお話しされていることは全部自分事でしっかりと親、大人として真剣に心していかなければならないことばかりです。
心に置きながら自分に問い、行動に移していきたいと思います。

小林信也さんのありのまま全てをお話くださるお姿を見せていただいて感謝致します。
宇城先生に学ばせて頂いている一人として、自分の姿勢、日常の在り方を大変深く考えさせられる時間になっています。自分が変わるに繋げていきます。

岩熊裕明氏のお話で「竹炭の力」を初めて知りました。
炭の力のことを何も知りませんでした。

地球も人間も救うことができるのが炭。そんな力がある炭のことをもっと知りたいと思いました。
そして種のお話。

「植物が自分の子どもを守るためには殻があります。

殻に全部の成分を集中して守っている。エネルギーが全部そこに入っている。自分の子どもを守るための成分がそこに凝縮されているわけです。」

このような次世代を守る植物の姿に本物の守る姿を教えてもらいます。

「炭にして残す」「きれいな大地に戻す」 次世代の自分たちの子どもたちを本気で守ろうということが深く心に響きます。

子どもを守る、次世代の子どもが元気で幸せにいれるためにしっかりと学び実践していくことが親、大人の使命であると強く感じます。
子どもたちの元気な姿、声、笑顔ほど愛おしいものはないです。
自分ができることを見つけてやっていく、そして子どもたちの身体、未来を潰さないように心を込めて過ごしていくと改めて感じさせていただきました。

森田隼人氏のお話を拝読し、石けんのことも、無添加の本来の意味も、知らないことばかりでした。

お父様の「人間はいつか死ぬんだな。人生一度きりなら自分が本当に正しいと思うことをやろう」強く心に残ります。

決心されたことをやり抜いてこられた方々のお姿、本物のお話をこうして共有してくださることに感謝致します。

真実を、大切なことを教えてもらったのなら、気づかせていただいたのならそれを行動にうつしていく、毎日自問自答しながら自分の課題に向き合い、子どもたちが元気で過ごせるように自分が勉強していかなければならないと思います。

知らないことを知る 口で言うのではなく身体を通して子どもたちが成長できるよう子どもを守れる大人になる 自分が変わり自分が実践していく。

自分の在り方を深く見直していく必要があること、同時に子どもの元気に繋がるように自分が変わっていかなければならないことを肝に銘じます。

自分が死ぬまで子どもを守れるように自分が死んでからも子どもたちが元気でいられるように今を大切にしていかなければならないことを感じさせていただいています。

深く考えさせていただき、またこの思いを日常の自分の学びへと繋げていきたい思いでいっぱいになります。

今回の「道」でも、真実を教えてくださって本物の学び与えてくださって、いつもありがとうございます。

次世代の子どもたちのために自分ができることを探して実践していく、知らないことを自分が勉強して知る大切さを改めて感じます。
そして、こうして長い時間をかけて実践されてきた方々が惜しみなく本物のことを教えてくださることに深い感謝の念に堪えません。

大事に何度も感覚で読みたいと思いました
東京 会社員 40代 女性


小林さんとの対談で、スポーツの現代における課題は、以前から宇城先生のお話の中でとりあげられてきた中で、なぜ今この内容をとりあげられたのだろうと思いました。いざ内容を拝見すると、そのスポーツに対する現代の発想から、宇城先生がおっしゃってきた深さ、高さの世界へシフトしていくための、たくさんの例や例え話、言い方が詰まった対談になっていて、今の世の中、読者が置かれている状況や感度だからこそ、それらを読んで何か感じ取れるのではないかと、今書いてくださったのかなと感じました。一つ一つ、自分に重なっていった玉ねぎの皮(先入観や悪い癖)を剥いていくように、大事に何度も感覚で読みたいと思いました。

岩熊さんのお話は、恥ずかしながら私はこれまで灰と炭の違いのことを考えたこともなかったです。
森田さんの取り組まれていることもそうですし、また工藤さん他「どう」に出られる多くの方がそうですが、本来だったら炭や石けん、微生物と、ちゃんと生活し、地球が生き、循環するものはもう既にあるのに、それと異なる人工的なものを作りまたそれを世の常識にし、都合のいいようにビジネスと世の仕組みが作られているものがいかに多いことか、そしてそれに気づけていないか、とても感じ入ります。
地球上で人間として生きる者として、本物の本来のものを使うことで、地球が本来の循環状態でいられること、おかしなものでこれ以上地球が本来の姿からずれていってしまわないように、それらを使わないことによって減るように、していきたいと思っています。

『道』を読むとその信念が揺ぎ無いものとなって自分の中に宿っていくように感じます
静岡 農業 40代 男性


巻頭対談の宇城先生と小林信也氏のお話では今のスポーツ界の本当の面を知る事ができました。何故スポーツ界での不祥事が多いのか、それを何故マスコミは報じようとしないのか、その原因が次々とお二人から語られており、スポーツに現を抜かす日本人全てが読まなければならない対談内容だと思いました。小林氏の「スポーツ界は「すごさ」に価値観を置いて人を惹きつけ、発展してきた分野です。」という言葉、その性質がまさに大事な本質を求めていない人間を生み出してきたのだと思います。日本刀の試し斬りでも、刀を試し斬り用にしてしまうのでは本来の真剣を使いこなす修行、という事から外れていってしまう、切り易い刀で沢山切るというすごさ、をもてはやす。それが今のスポーツ界でありまたそれを良しとする為、劣化が進むのみだと思いました。柳生兵庫助のエピソードはまさに今の筋力のパワーが強さの根源だと思い込んでいるスポーツ界に対しての答えであり、またそれを現代で実践されているのが宇城先生の教えだと。まさに現代スポーツの専門家である小林氏のスポーツ界の実情と、本質を求める武術の世界の宇城先生との会話はその違いが浮き彫りとなり、感じられました。スポーツ界でも筋力ではない深さの世界への片鱗を選手が感じても、それを深める道筋、教えを持たないのが今のスポーツ界であり、だから深まらない。人間的な深まりもなく、筋力という一番単純な、若さ、スピード、反射神経、重さ、などの有利な世界になってしまうのだと思いました。それならば、遺伝子操作をした子供を幼少時からの英才教育で育てるのが一番という事であり、またそこに何の意味があるのかというのが、スポーツの究極であり、突き詰めても意味が無い世界、だという事が分かります。

宇城先生の言われる「スポーツをスポーツ道へ」という教えはその意味の無いものに深さ、を与えるものであり、そのようなものならば子供にもさせたいと思いますが、今のスポーツは宇城先生の言われているように遊び、気分転換で良いと感じます。「今スポーツ界は何が真理かを追究する姿勢を失い、「お金が集まるならOK」の状態です。」という言葉も、まさにその通り、お金が正しい、という雰囲気しかありません。これを、この空気を子供たちが感じて育っていく事は、人間としてもそれが一番大事だという人間を増やしていく事になるのだと思います。少子化で人口が減っても、そのような考えを持つ人間しか生まれない状況では全く策が無い、のも当然だと思います。答えが出せる訳が無いと思います。

人間力、深さを求める世界では、「戦わずして勝つ」という答えがあり、それは外交という一国、世界の平和にも通用するものであり、それには勇気、自信、信頼、信念がなければできない、という宇城先生の御言葉はスポーツでは絶対に生まれ生まれない言葉、考えであり、今の日本の政治を見れば、大谷翔平よりも、そのような事を実践躬行の出来る人間を育て、その中からそのような人材を生み出す事が急務ではないかと思います。

大谷翔平の通訳の事件が起こる前(対談は2月21日、水原氏の報道が3月21日)にすでにこの対談で野球やスポーツ賭博のお話をお二人がされている事にもまさに物事の「先」を取る事が無意識に行われていたのだと思いました。時間の先取りになっていると感じました。まさにこの対談は本質、そこを感じるものである為、報道されるまでどの報道機関も知る由もなかった、誰も考えた事もなかった大谷翔平の通訳の賭博という事にも、対談の中で話題が出て、考え、思いが至って話題となったのだと思いました。本質を求めていくとそのような事になってくるのだと。このような対談は今まで見た事ないと思いました。

竹炭を使った岩熊さんの事業は竹という日本の増え続ける耕作放棄地での厄介者を利用する、まさに日本人の知恵、叡智だと思いました。竹の成長はかなりの早さであり、これを石油燃料の代わりとすれば日本でのエネルギー自給率が大幅に改善されるのではないかと思いました。環境にも優しく、様々な効用があるにも関わらず利権でそれが出来なかった事に、まさに一部の人間の我欲が世界の循環を阻んでいる、その中でも研究者など、分かる人間と前に進んで行く事が大事ではないかと思いました。また「食」の重要性も言われおり、炭はその事に対しても非常に良い物であると思いました。

「気づく、気づかせる」でも、まさに現代の日本、世界にとって必要な事が語られていると思いました。日本で生み出された武術の境地と最先端の量子学が繋がっており、それは平和への道であると。そこに至るには自らの無意識の部分と向き合わなければならない。だからこそ自分が変化するのだと思います。

意識という5%の世界はスポーツ、筋力がまさにその中にあり、それを強化する、競う、という事は更にその5%よりも自分の考え方、人生の範囲を絞る事になり、人間がそれだけ小さくなる、という事だと思います。

そこを打破し無意識の部分を変えるには知識ではまさに「意識」の部分でしかなく、自己啓発本やスピリチュアルでは、変わった気になるだけであると思います。

無意識の部分を変えるには身体で行う行動、実践、しかないと思います。まずは日常で「寄り添う」を実践し、また同時に不安と怯えに捉われない、自分に自信をつける事、それには信念を持つ。『道』を読むとその信念が揺ぎ無いものとなって自分の中に宿っていくように感じます。

このエネルギーを自分の糧として更に実践して参りたいと思います。今回の対談と「気づく、気づかせる」も読んでいて全ての箇所に線を引かなければならない程でした。いつも素晴らしい気づき、世界、そしてエネルギーを与えて下さり、ありがとうございます。