■ 読者の声


 

空手談義 座波仁吉・宇城憲治 座談録

空手談義

型は美しく技は心で

― 座波仁吉・宇城憲治 ― 座談録

宇城憲治 著

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座波先生の独特の表現や過去の逸話なども印象的   東京 不動産業 20代 男性


巻頭では座波先生と宇城先生の写真が多数ご紹介されており、初めて拝見するものも多かったです。お二人の間の温かな信頼関係と、宇城先生が師・座波先生に、道場にとどまらずあらゆる場で学んでいらっしゃった様子が伝わってきました。

本編の対談では、稽古するうえでの心がけや学ぶ姿勢、物事のとらえ方について、数えきれない金言があり、座波先生の独特の表現や過去の逸話なども印象的でした。

「自分の覚えている技を譲るという感じで教えている」「弟子に教えて弟子から習う」というところから、常にオープンかつ弟子への愛情に満ちた座波先生のお心が垣間見えるようでした。また、宇城先生の学びの姿勢から、「まあこれくらいでいいか」では話にならず、とことんまで突き詰め貫く真剣さがあってこそ、ということを強く感じました。

『武道の原点』『武術空手の知と実践』『武術空手への道』のなかで過去にもこの対談を拝見していましたが、『型は美しく技は心で』を拝読し、改めて今の自分に必要な部分が目に留まり、迫ってくる感じがします。

一度読んでわかった気になっているのは、しょせんその時の自分のレベルがその程度だということに違いありません。今回はむしろ、「この箇所はどういうことをおっしゃっているのだろうか」という疑問、探求心が湧いてくる感じがいたします。

文章を表面的な意味で理解するのではなく、その言葉を通して、座波先生、宇城先生が何を伝えようとしてくださっているのか、いかに自分が学び取り、吸収するかだと思います。

受け身で教えてもらうのを待つのではなく、自ら課題を見いだし工夫・研究すること。なぜできないのか、どうすればできるのかを突き詰めて考えていくこと。大事なのは理屈ではなく、自分が気づき変わっていくことだ、と激励を下さっている気がいたします。ありがとうございます。

武道の本質を余すところなく且つコンパクトに収めた良書   千葉 医療従事者 40代


今回の『宇城空手』は本当に武道の核心だけを選りすぐった内容であると感じられました。底本となった3冊はもちろん所持しておりますが、今回あらためて『宇城空手』を読むにあたり、これら3冊を脇において見比べてみました。本書の内容は、単に3冊を出版順に並べたものではなく、加筆修正があると同時に、底本3冊の中でも序盤に書き記すもの、中盤にもっていくもの、終盤で締めくくるものと、その内容によって並べ変えられているため、とても分かりやすくなっておりました。武道の本質を余すところなく且つコンパクトに収めた良書だと思いました。

また、座波先生を交えての座談録『型は美しく、技は心で』は古伝の空手がどのようなものであったのか、そして今どうなっているのかを知る貴重な記録だと改めて感じました。そして、宇城先生が座波先生と向き合う姿に、心を込めた付き合いの神髄を見て取ることができました。自分が師と仰ぐ人に、また目上の方に、どう接するべきかを学んだように思います。

今回の2冊は例えてみれば、武術空手という綺羅を織り成した、古伝空手を伝えた座波先生による歴史という縦糸と、今この現代において世界へ広がる宇城空手という横糸とも言えるものであったと思います。

「空手はまず空手をやる人が自分の心を作る」   福島 男性


「空手と心」
「師と弟子」
この2点がとても強烈に心に残った、本当に重い一冊でした。

空手は型という外形であり、心を入れる器であると感じました。
空手は多くの先人たちが編み出してきた技を、型という外形に集約し結晶化したもの。
まさに無形文化遺産だと思います。
そこには無限の技の資源・情報が眠っており、空手を修める者が自ら発掘し、己の技としていくものだと思います。
しかし、人は自分勝手に解釈し、本質から乖離するからこそ、師が必要なのだと思います。

本質が失われば、貴重な資源や情報も劣化し、変質し、まったく別な形で伝承され、形骸化してしまいます。

しかし、「座波空手」は、その本質を失うことなく「宇城空手」に伝承されています。
まさに「不易流行」「述べて作らず、信じて古を好む」であり、この現代でこそ活かすべき「実践哲学」であると思います。

「空手はまず空手をやる人が自分の心を作る」
この座波先生の言葉にハッとしました。

空手で心を創る。
その心を持って日常を生きる。
迷えば空手に帰る。
空手の器に己の心を乗せる。
今の己の心が正しいのか否か、鋳型の型とご指導いただいた師の心に聞いてみる。

空手は人を相手に殴る蹴る、いわゆる対人格闘技だと一般的には思われています。
しかし、大量殺戮兵器が世界中に存在し、大規模自然災害や目に見えないウイルスの恐怖に怯えるこの世界において、人を殴る技術が何の意味を持つでしょうか。
空手の本質は、そんな些末な技術の追求ではなく、伝承の型から、師の神業のような高次元な技を探求しようとする自身の姿勢、覚悟、行動、何よりも師の存在という規範から、その人の生き様、心を創出することなのだと思いました。

世界には空手以外にも、貴重な無形文化遺産が存在しているかもしれません。
それらがどのように伝承されてきたのか、伝承されようとしているのかは知る由もありません。
私は、座波先生から宇城先生に受け継がれた「空手」を自身の生き様とし、自分の家族、同僚、地域の仲間に映し、私に関わる人を少しでも幸せにしていきたいと思いました。

本当に素晴らしい一冊でした。幾度も読み返します。

ありがとうございました。