■ 読者の声


 

空手談義 座波仁吉・宇城憲治 座談録

空手談義

型は美しく技は心で

― 座波仁吉・宇城憲治 ― 座談録

宇城憲治 著

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読み返すとまた新たな気づきがある   愛知 販売業 60代 男性


宇城先生が大きく影響を受けた、座波仁吉先生。一度読んでまた、読み返すとまた新たな気づきがある。
空手の歴史から生まれた背景、温故知新ではないけど、技と術の違い一度目に読んだときには、あまりの情報量の多さから読んでいく先に前読んだことが記憶として薄れていて、私の中では肥しとなっていないことが多い。2度目に読んで、その深さがます。少しずつ読み返すことで気がつかなかったことに気づく。ありがたいことである。

人としてあるべき姿、生き方を教えて頂きました   神奈川 主婦 70代 女性


座談録とある通り、会話が綴られているので、分かりやすい気がしました。
座波先生と宇城先生の深い師弟関係と言っては言葉足らずですが、人としてあるべき姿、生き方を教えて頂きました。

宇城先生が本物を求められていたから、座波先生に出会われた   神奈川 事務職 50代 男性


宇城先生が、スポーツ空手から、座波先生に出会って、「武術空手を極めたい」と思われ、24時間365日稽古である。とされているところは凄いと思いました。
宇城先生が本物を求められていたから、座波先生に出会われたのだと思いました。
沖縄空手が本土に広まり試合中心のスポーツ空手になり、ルール化し貫手とか、な
くなり技がつくかけるかくらいしかなくなり技が少なくなった。とあり残念だなと思いました。
でも宇城先生が受け継がれて、良かったと思いました。
また技もそうですが、空手の心も修行の重要な部分で、宇城先生が日頃言われてい
る「戦わずして勝つ」という最上級の勝ちを目指していらっしゃった事で気を体得されたのだと思いました。
また居合も刀を抜かずして勝つということも同時に稽古されてます。
昔の沖縄と日本の侍は凄いと思いました。またそれと同じことができる宇城先生も凄いと改めて思いました。

真の優しさが溢れる一冊   神奈川 事務職 50代 男性


沖縄空手の歴史背景、座波先生の時代に、僅かながらでも触れることができたように思います。
座波先生と宇城先生の深い信頼感と、厳しさが伝わってきます。
空手が生き様そのものであるという、あまりにも大きすぎる内容に、打ちのめされた思いです。
優しい言葉の中に厳しさがあり、なおかつ、真の優しさが溢れる一冊です。

先生方のぶれない生き方は日常の一瞬一瞬の思考や
行動の蓄積からくる土台の上に成り立っている  
名古屋 大学准教授 50代 女性


先生方のぶれない生き方は日常の一瞬一瞬の思考や行動の蓄積からくる土台の上に成り立っているとつくづく感じました。
周りから褒められたり認めたりされることで自信を確信する自分とは遠い存在と思いましたが、ほんの少しでも近づきたく謙虚に気づいたら直すの連続で先生と繋がりを生かしていこうと思いました。

宇城先生の一貫して変わらない姿勢と先を見る目に感動   埼玉 会社員 40代 男性


20年以上も前から既に宇城先生の一貫して変わらない姿勢と先を見る目に感動すると共に、そのものを観る眼を我々も鍛えて自分自身が変わっていかなければならないと切に感じました。

何回も読み直して、より一層人生を豊かにさせていきます   東京 男性


『型は美しく 技は心で』を拝読している最中です。
やはり、お二人の師弟関係は非常に結びつきが強く、これこそ師弟関係のお手本であると感動しております。

私は座波先生とお会いできませんでしたが、私にとって絶対的な存在である宇城先生のお師匠様であるお方の言霊が、沢山掲載されているこの本は大変貴重であります。

対談されている文章を読みながら、もし座波先生がご存命であればどのようなことを現在の宇城先生にお話したのだろうか?と考えるとワクワクして読み進めています。

しかし、本当に凄い、素晴らしいお二人が同じ時代に知り合い、師弟関係となることはとてつもない奇跡です。宇城先生が、師匠のことをどれだけ信じられるのではなく、どれだけ(自分が)信じるかだとお話しされたことが鮮明に記憶に残っています。
師にめぐりあうのも、自分の人生をその方に預けるほどの覚悟が必要であるとのことだと思います。

まだまだ、私は覚悟が足りませんが、宇城先生の言霊を人生の軸にしている私にとって、座波先生のお言葉が沢山掲載されているこの本を何回も読み直して、より一層人生を豊かにさせていきます。
素晴らしい本を発刊していただき、ありがとうございました

古伝空手の型のなかの山突きに見とれました   東京 造園業 50代 男性


最初に、座波先生と宇城先生の写真からパッサイの型より山突きの組み手の写真から古伝空手の型のなかの山突きに見とれました。

今、スポーツの空手が主流になりつつあるなか、古典の流れのある空手の姿がなくなりつつある、古伝空手を絶やさず受け継ぎ、守ることの大切さが、しみじみと感じられました。

座波先生との稽古を通じ、日常一緒に行動される中での学びの大切さや、武術空手の修行を通じ社会の中に活かすことを、「戦わずして勝つ」実践と生き方をタイトルの"型は美しく技は心"での修行を通じ実践されてきたお二人の会話から、何か疑問がわいたら読み直し、その疑問を解くヒントが沢山隠されているように感じました。

座波先生の動画があれば見てみたい   大分 団体職員 50代 男性


このような本が出ないかとずっと思っていました。今まで疑問であった箇所が理解できました。座波先生の動画があれば見てみたいです。

師弟愛が随所に感じられ、
感銘を受けると同時に、とても羨ましくも  
 東京 会社員 50代 男性


宇城先生の座波先生への尊敬の念、座派先生の宇城先生への信頼、師弟愛が随所に感じられ、感銘を受けると同時に、とても羨ましくも思えました。
「きれい」と「美しい」の違いについては、目を開かれる思いでした。

座波先生の独特の表現や過去の逸話なども印象的   東京 不動産業 20代 男性


巻頭では座波先生と宇城先生の写真が多数ご紹介されており、初めて拝見するものも多かったです。お二人の間の温かな信頼関係と、宇城先生が師・座波先生に、道場にとどまらずあらゆる場で学んでいらっしゃった様子が伝わってきました。

本編の対談では、稽古するうえでの心がけや学ぶ姿勢、物事のとらえ方について、数えきれない金言があり、座波先生の独特の表現や過去の逸話なども印象的でした。

「自分の覚えている技を譲るという感じで教えている」「弟子に教えて弟子から習う」というところから、常にオープンかつ弟子への愛情に満ちた座波先生のお心が垣間見えるようでした。また、宇城先生の学びの姿勢から、「まあこれくらいでいいか」では話にならず、とことんまで突き詰め貫く真剣さがあってこそ、ということを強く感じました。

『武道の原点』『武術空手の知と実践』『武術空手への道』のなかで過去にもこの対談を拝見していましたが、『型は美しく技は心で』を拝読し、改めて今の自分に必要な部分が目に留まり、迫ってくる感じがします。

一度読んでわかった気になっているのは、しょせんその時の自分のレベルがその程度だということに違いありません。今回はむしろ、「この箇所はどういうことをおっしゃっているのだろうか」という疑問、探求心が湧いてくる感じがいたします。

文章を表面的な意味で理解するのではなく、その言葉を通して、座波先生、宇城先生が何を伝えようとしてくださっているのか、いかに自分が学び取り、吸収するかだと思います。

受け身で教えてもらうのを待つのではなく、自ら課題を見いだし工夫・研究すること。なぜできないのか、どうすればできるのかを突き詰めて考えていくこと。大事なのは理屈ではなく、自分が気づき変わっていくことだ、と激励を下さっている気がいたします。ありがとうございます。

武道の本質を余すところなく且つコンパクトに収めた良書   千葉 医療従事者 40代


今回の『宇城空手』は本当に武道の核心だけを選りすぐった内容であると感じられました。底本となった3冊はもちろん所持しておりますが、今回あらためて『宇城空手』を読むにあたり、これら3冊を脇において見比べてみました。本書の内容は、単に3冊を出版順に並べたものではなく、加筆修正があると同時に、底本3冊の中でも序盤に書き記すもの、中盤にもっていくもの、終盤で締めくくるものと、その内容によって並べ変えられているため、とても分かりやすくなっておりました。武道の本質を余すところなく且つコンパクトに収めた良書だと思いました。

また、座波先生を交えての座談録『型は美しく、技は心で』は古伝の空手がどのようなものであったのか、そして今どうなっているのかを知る貴重な記録だと改めて感じました。そして、宇城先生が座波先生と向き合う姿に、心を込めた付き合いの神髄を見て取ることができました。自分が師と仰ぐ人に、また目上の方に、どう接するべきかを学んだように思います。

今回の2冊は例えてみれば、武術空手という綺羅を織り成した、古伝空手を伝えた座波先生による歴史という縦糸と、今この現代において世界へ広がる宇城空手という横糸とも言えるものであったと思います。

「空手はまず空手をやる人が自分の心を作る」   福島 男性


「空手と心」
「師と弟子」
この2点がとても強烈に心に残った、本当に重い一冊でした。

空手は型という外形であり、心を入れる器であると感じました。
空手は多くの先人たちが編み出してきた技を、型という外形に集約し結晶化したもの。
まさに無形文化遺産だと思います。
そこには無限の技の資源・情報が眠っており、空手を修める者が自ら発掘し、己の技としていくものだと思います。
しかし、人は自分勝手に解釈し、本質から乖離するからこそ、師が必要なのだと思います。

本質が失われば、貴重な資源や情報も劣化し、変質し、まったく別な形で伝承され、形骸化してしまいます。

しかし、「座波空手」は、その本質を失うことなく「宇城空手」に伝承されています。
まさに「不易流行」「述べて作らず、信じて古を好む」であり、この現代でこそ活かすべき「実践哲学」であると思います。

「空手はまず空手をやる人が自分の心を作る」
この座波先生の言葉にハッとしました。

空手で心を創る。
その心を持って日常を生きる。
迷えば空手に帰る。
空手の器に己の心を乗せる。
今の己の心が正しいのか否か、鋳型の型とご指導いただいた師の心に聞いてみる。

空手は人を相手に殴る蹴る、いわゆる対人格闘技だと一般的には思われています。
しかし、大量殺戮兵器が世界中に存在し、大規模自然災害や目に見えないウイルスの恐怖に怯えるこの世界において、人を殴る技術が何の意味を持つでしょうか。
空手の本質は、そんな些末な技術の追求ではなく、伝承の型から、師の神業のような高次元な技を探求しようとする自身の姿勢、覚悟、行動、何よりも師の存在という規範から、その人の生き様、心を創出することなのだと思いました。

世界には空手以外にも、貴重な無形文化遺産が存在しているかもしれません。
それらがどのように伝承されてきたのか、伝承されようとしているのかは知る由もありません。
私は、座波先生から宇城先生に受け継がれた「空手」を自身の生き様とし、自分の家族、同僚、地域の仲間に映し、私に関わる人を少しでも幸せにしていきたいと思いました。

本当に素晴らしい一冊でした。幾度も読み返します。

ありがとうございました。