■ 読者の声


 

宇城空手の真髄と継承(一)

宇城空手の真髄と継承

共に未来へ ― 親愛なる塾生たちへ ―

 

宇城憲治/榎本麻子 著

[詳細・購入ページ]

自らの未熟さを実感すると同時に希望も湧いてきます
東京 自営業 40代 男性


読んでいると、自らの未熟さを実感すると同時に希望も湧いてきます。
本から得られるものを経験にしていきます。

娘や孫に伝えなければならない
奈良 教員 50代 男性


あらためて宇城先生の教えを娘や孫に伝えなければならないと思いました。そのためには、先生の講演会やご著書を通して、それぞれの体に刻んでもらいたいと思います。自分自身も先生の気を通していただき、自分の後ろ姿で娘や孫生徒たちに少しでも伝わればいいなと思いました。

重要な箇所に線を引きながら読んでいたら、線を引いていないところがほとんどなくなってしまいました
神奈川 会社経営 60代 女性


この本を読んだ後、私の中で「何か」が大きく変わったように思います。
はっきりとは言えませんが、根幹にかかわる「何か」が。

「目盛り」「電波」「乗り越えるエネルギー」「寄り添う身体を培う」
「全ては『型』の中にある」「『型』の深化」…こうした重要なキーワードは、道塾や昨年から参加させて頂いている実践塾で耳にして来ていて、自分でも重要だな、と感じて来たものですが、この本を読んでからは、何となく「身体で分かろう」としている自分がいるように思えます。
それまでは、まだまだ頭での理解の域を出なかったものが、榎本師範との対話などを通して、身体への落し方を疑似体験させて頂いたことがあるようにも思います。

先生の指導と、それを必死に、そして真剣に受け止め、ものにしようともがく師範の忌憚のない生の声を聴けたこと、そして先を歩んでおられる師範が「出来る」ようになっていること。
これは大きな希望となり、その後に続いてその道を歩みたい、という気持ちになったことも、自分の中で変わったことかも知れません。

そして、子どもに関わる仕事をしている私にとって、この本において子どもたちへの指導を多く示唆して頂いてることも、とても勉強になりました。
子どもたちには穴がたくさん開いていて、そこから吸収できること、けれど、言葉で教えようとすると、その穴は閉じて行ってしまうこと、やっていることを「好き」にさせること、それには、指導している私自身が電波を出して、子どもたちの目を輝かせるような指導をしなければならないということ。
「身体でものを考える」ことを培う。それには「寄り添う」身体を培うこと。
どれも重要かつ実践が困難な内容ですが、一つ一つ、実現して行けるよう精進するしかない、と思います。

最後に榎本師範のお話で、宇城空手は困難を乗り越える、その乗り越え方を教えてくれた、という内容があったかと思いますが、まさにそう思います。
宇城空手と出会っていなかったら、私はどうなっていただろうか、と思うことがよくあります。
まだまだ困難の只中ではありますが、先生の教えを頼りに乗り越えて行ける、と思っております。

重要な箇所に線を引きながら読んでいたら、線を引いていないところがほとんどなくなってしまいました。
これを身体と行動と心に落とし込んで行ければ、と思っております。
第二弾、第三弾を楽しみにしております。
ありがとうございました。

前を歩かれている榎本師範のお話は、宇城先生に学ぶ塾生達にとって、ガツーンと頭を叩かれるような衝撃と、「こっちやで」と手を引いてくれる希望を同時に与えてくれます。
鹿児島 会社員 40代 男性


今回の新著『宇城空手の真髄と継承(一)』を拝読させて頂き、自分自身の学ぶ側の力量の無さを痛感しました。いかに私が、先生の教えに自分の頭でフィルターを掛けて、自分の都合の良いように解釈をして受け取っているのかを反省させられました。先生は「欲が邪魔をする」ということを何度も何度も教えて下さっているのに、欲が消えず、頭で考えてしまう自分がいます。本書についても、先生そして榎本師範が語られたお話をそのまま素直に読み、今の等身大の自分のまま受け止めて解釈をすれば良いのに、自分の都合の良いように解釈をしようとしてしまう自分がいることに気が付きました。自分の都合の良いように解釈しながら読んでしまうと、機密情報文書が一般公開された際の黒塗りされた書類を読んでいるかのように、大事な部分が全く分からないまま読み終わってしまう感覚です。当然ながら実際には黒塗りされていないにも関わらずです。

自分に都合の悪い部分を見ようとしないのは、自分と向き合っていない証拠だと思います。本書において榎本師範が仰っているように、「自分は違う」と無意識で思ってしまい、自分には関係ないと見て見ぬふりをしてしまっている。読んでいるのに無意識に内容が入ってこない部分が出てくる。自分と向き合って、自分を知らなければ一人革命など夢のまた夢で終わってしまう気がします。
榎本師範が語って下さった師との向き合い方や、過去の葛藤等のお話は、相当オープンにして下さっているのだと感じました。前を歩かれている榎本師範のお話は、宇城先生に学ぶ塾生達にとって、ガツーンと頭を叩かれるような衝撃と、「こっちやで」と手を引いてくれる希望を同時に与えてくれます。ガツーンと頭を叩かれるような衝撃も叱咤激励の意味です。

宇城先生のご著書は全て、読み手の現状のレベルによって理解度が変わってくるものですが、本書において榎本師範が語って下さった師との向き合い方のお話をどれくらい理解できるかも、今の自分の学ぶ側の力量がどのくらいがあるのかが分かるバロメータになってくるのだと感じました。私は一生掛かっても辿り着けない場所に行こうとしているのかもしれません。ですが、諦めずに精進します。

どのお言葉も大変重く、できない自分には心身に刺さるお話ばかりですが、体感させていただいたことを思い起こし、振り返りながら読ませていただいております
熊本 男性


『宇城空手の真髄と継承(一)』を読ませていただきました。読み始めてすぐに、道塾で宇城先生に一触を通じて体感させていただいてきたことの意義を勘違いしていたのではないか、はき違えていたのではないかと大いに反省しつつ、最後まで拝読させていただきました。

宇城先生がどのような想いでいつも私たちにご指導をして下さっていたのか、日頃の道塾では中々知り得ず、受け止めきれていなかったその真意や深いお考えについて、榎本師範との対話を通じて、私たちにその一端を垣間見させていただいた、そのように感じております。

内容の一つひとつが厳しくも優しく、私たち塾生が今まで悩んできたことや躓いてきたこと、今まさに躓いていること、これから悩み躓くかもしれないことに対して、ずっと先の方から手を差し伸べ見守ってくださっていて、どのお言葉も大変重く、できない自分には心身に刺さるお話ばかりですが、体感させていただいたことを思い起こし、振り返りながら読ませていただいております。

コロナ禍、ウクライナ侵攻、天災や異常気象、高齢者や子どもを狙った事件が多発し、ますます社会不安が高まっている今、また私事で子どもの学校のことや教育について悩んできて、縋る思いで先日行われた大阪での体験講習会に親子で参加させていただき、不登校がちだった長女がその日から変わったのを目の当たりにしてから、親として、大人として、より一層、道塾で学ばせていただきたく思っていた矢先、こうして本書を拝読する機会をいただけたこと、まさに僥倖でした。
改めて心より感謝申し上げます。

宇城先生に気を体感させていただくだけで満足してしまい、道塾で折角いただいたことを自分で断ち切ってしまい、教えていただいたことを工夫することなく、すぐに頭で考えるいつもの自分に戻ってしまい、日常に活かし切れていない私には、『できなければ「分かった」にならない』、「言われた通りにするだけでもダメ。頂上が見えている上で、自分の中の試行錯誤が大事」、「どれが脱線していることなのか、分かっていない。だからと言って、怖いからと何もやらないのでは前に進まない。一番意味がない」、「今の自分は否定できない、事実」、「すべては自分」、「身体での教えを学んでいるのに、その学びを身体で表せなければすべて嘘。思い込みの自分で生きている自分に気づくこと」、「誠とは心が素直で所作が自然体のこと」、「宇城空手は誠を作る稽古」、というお言葉が心深くに刺さり、常に感謝の気持ちを忘れないのと共に、宇城先生、榎本師範のお言葉に常に立ち返り、肝に銘じて日々修正、日々行動していきたいと思います。

子どもの教育や将来についてまた悩んだ時は、「今のあり方で子どもたちは未来を生きていけるのか」、「電波が出ていない言葉の指導には子どもたちの目は輝かない」「好きになるというのは、中から出てくるもの。好きにさせるために厳しくすると、おもしろくないとなる。だからといって、子どもに合わせたら堕落してしまう」、『「よし、よし」と甘えさせて守ることは守ることではない。どんな時代になっても生き抜いていけるように育てることが唯一持たせてあげられるお守り、だからこそ前を向いて歩いている自分がそういう見本になることが一番守るということ』、『最後には「守れる」という事理一致でやれる実力が要る。言葉では守りきれない。

言い訳が全く通用しない現実での絶対的な守り、なってらからでは遅い。来てからでは遅い。なる前にくる前に守れる早さ、先を取るの世界』、のお言葉を思い出し、これからも親として、大人として日々勉強を積み重ねて参ります。

塾生として、子を持つ親として、大人として、一人の人間として、宇城先生と榎本師範のお二人の対話から大変勉強をさせていただきました。誠にありがとうございました。

悩むではなく考え抜くという言葉に、感銘を受けました
男性


宇城先生と榎本麻子師範の父であり師である関係のなかでのご自分との大変な葛藤があったことと感じました。
小さい頃からやっていたからではなく麻子師範の空手の稽古も自分に厳しくまた母親としての食事の支度など宇城先生としての教えと父親であることの塾生とは違う観点から日常に生かされていたことを感じ取ることができました。また悩むではなく考え抜くという言葉に、感銘を受けました。
また娘さんの、誰も知らない言葉も通じない海外留学先で空手の型と基本をやってるのには何か宇城先生に守られてるを感じとる感性が素晴らしいと感動するばかりです。
自分も見習うばかりです。
また宇城先生と下澤さんの対談から人間のエネルギーとパワーは何処からくるのかの問いかけにはじまり、「ユング心理学の世界」の書籍のお話から掘り下げられ「全体と部分」を「健康と病気」を「調和と対立」の意味が関連してとらえることができました。
人間が人かの問いかけに、今無くしてしまっていることがあることに気付かされました。
今更ですがもう一度人間に近づくことを宇城先生と下澤さんの対談から感じました。
人間としての心は目に見えないものですが人間は心の作用が身体にどう働きかけるものがあるかを自分に問いかけるきっかけとなりました。

本を家族がよく集まるダイニングテーブルの上に置いて、数日間その温かさを感じておりました
名古屋 男性


自宅に届いた梱包を開けた瞬間、この本の表紙にまず心惹かれました。
先生は、いつも道塾にて「お天道様が見ている」と仰ってみえますが、まさにその言葉が表紙そのものであり、神々しい太陽の光は宇城先生ように感じました。

そして、新緑の木々はそれぞれ世界・日本各地の塾生のようにみえ、お天道様(宇城先生)の愛に包まれた中で、まっすぐ上へ伸びていこうとする姿にみえます。
本を家族がよく集まるダイニングテーブルの上に置いて、数日間その温かさを感じておりました。

そして、どこへ行くときも鞄の中にいれて、お守りのように持ち歩き、表紙をみては心が落ち着いていくことを感じとっておりました。
そして、この本を読ませていただいていること自体、稽古そのものであると思っております。

P83最終行~P84の1行目・2行目に、「そしてそれが感想文や空手、剣、そのものに出てきて、それが癖であることの証明になっています」「一心に稽古する」ができていないとありますが、読んでいくうちに、仕事上のストレスや力みが次第になくなり、一心に文書へ赤線を引っ張っている自分がいました。
それは、榎本師範が、自分を包み隠さずさらけ出すように、師匠と弟子の関係、そして父、娘の関係を嘘のなし真実、苦悩のなかで学ばれたことを語られ、嘘のない世界がこの本のあるからだと思っております。
だから、読み手側の癖の原因となる仕事上のストレスや力みがなくなっていったのだと考えます。

そして、読書という稽古の中で、榎本師範のP109 にある「思い込みの自分で生きている自分に気づくことです」との言葉がぐさりと胸に突き刺さりました。
「今読んでいるこの瞬間も除いている自分」「先生はすべては自分と教えているのに、まず自分を省く」私自身がこれに当てはまるのでは…と考えさせられました。
ゆえに、居着いてしまっていたことが多々思い出され、「身体の教え」からかけ離れた知識からの命令を知らず知らずのうちに日常生活のなかで行っていたとを反省するばかりであります。
「自分に気づく」、そのことを教えていただいているということ、「よく(先生が)この時代にいてくれたなと本当に奇跡だ」ということに感謝の念が薄れてしまっている自分を恥ずかしく思う次第であります。

ものすごい実践哲学の詰まった本だと思います
大阪 男性


新刊「宇城空手の真髄と継承(一)」を読ませていただきました。
サブタイトルにある「共に未来へー親愛なる塾生たちへー」の御言葉には本当に感動しました。
宇城先生、榎本師範への感謝の気持ちとともに、何とも言えない温かい気持ちになりました。
このサブタイトルの御言葉が宇城空手の真髄だと思いました。
本の表紙に書いてあるこの言葉を目にするだけで、自分の身体にエネルギーが漲ってきます。
幸せな未来に向かって今頑張ろう、進んでいこうという気持ちになります。

この本は空手の進歩成長のためだけに書かれた本ではないと思いました。
宇城先生と榎本師範の我々塾生と本を手にされる方の幸せを願うメッセージが込められている本です。
人生を幸せに導く指針となる本だと思います。
それだけのエネルギーが込められている本だと思いました。

また、榎本師範が幼少期より宇城先生から空手を学び、どこまでも「気づく、気づかせる」という御指導を先生から受けてこられたということが分かりました。
宇城先生は榎本師範に言葉で「教えて、学ぶ」という御指導ではなく、とことん「気づく、気づかせる」という御指導をされ、その中で榎本師範が宇城先生の背中を追い求め、見つめ続け、数えきれないほどの試行錯誤を乗り越えてこられてきたことが目に浮かんできました。

自分が宇城先生の御指導にどれだけの情熱を向けられるのか、先生という頂点を見据えた試行錯誤をどれだけできるのかということが大事であり、全ては自分自身だということに気づかせていただきました。
本の中で、榎本師範が「宇城空手は乗り越え方を教えてくれる」と書かれていますが、この本がまさに乗り越え方を教えてくれる本だと思います。
今自分が悩んでいることや、乗り越えたいことの答えがそのまま本に書いてあるということではなく、本を読んでいるとエネルギーが自分の中に入ってきて、今自分が抱えている問題や悩みを捉える角度や見方が変わり解釈が変わるのです。
そうすると今まで出てこなかった乗り越え方がフッと浮かんでくる。

本当に不思議なのですが、それだけのエネルギーがこの本にはあり、榎本師範が仰るように、それが「宇城空手が乗り越え方を教えてくれる、生き抜く力、哲学をくれる、どれだけ究極に追い込まれても宇城空手があれば大丈夫」ということなのだと思います。
こんな本が存在するなんて凄いとしか思えないです。
ものすごい実践哲学の詰まった本だと思います。
宇城先生に御指導いただいている自分、榎本師範に学ばせていただいている自分、この本を手にしている自分が本当に幸せだということを感じました。
家族、友人、知人にこの本を渡します。

幸せになるための指南書
神奈川 自営業 男性


この度は「宇城空手の真髄と継承(一)」を刊行して頂きありがとうございました。
とにかく、書籍の厚みと内容量がこれ程までに比例しない本は初めてです。

最初に手に取りページをめくった際に、これは稽古だなと・・覚悟のいる本だなと思いました。そして、幸せになるための指南書でもあると思いました。

恵まれた時代に不自由なく生きてきました。幸せというのも何か向こうからやってきてラッキーなものという考えがどこかにあります。しかし、そうではなく生まれ持った完成形がありながらどこかでそれを活かすことに間違いを起こしていました。

そこに向き合わない限り本来の幸せなる日々はやってこない、その向き合い方が本書には詰まっています。

対話形式ですのでダイレクトに響いてきますし、一言一言が自分への向き合い方に繋がるため読み終えるまでにかなりの時間を要しました。今まで度々聞いていた一言一言があらためて響くということは稽古でのことを持ち帰れていないという反省や書籍として残して頂けることへの感謝の思いが入り交じっています。

最近は自分と向き合うことで根深い自分の癖というものを実感しております。そこに向き合うことに怖れのような気持ちを抱くこともありました。しかし、この本のおかげでそういったことを乗り越えてきた先生はもちろんのこと、幼き頃よりそのようなことを学び実践してきた師範、先に学んでいる先輩がいらっしゃるということが大きな大きな励みとなっております。

日常の自分が位置する各所に本を置いてその都度拝読し、自分と向き合うことを常とさせて頂きます。
続きの(二)(三)が刊行される際に「ちょっと待ってください。」とならないよう励んでまいります。
そのようなことにも指南書となる本を世に出して頂き感謝を申し上げます。

この本はページごとに感想文が書けるというより、1行ごとに感想文が書けるぐらい
に厳しく暖かい内容
神奈川 自営業 50代 男性


P.87真ん中あたりに、榎本師範の言葉で、
一番大切なことは一心に稽古すること。
その「学ぶ姿勢」であるということに私は最近気づいていきました。
とあります、
大人の場合、過去の自分に引っ張られてしまいます。
自分の真面目がすでに横着であり、場合によっては計算だったりします。

そこに気づいても価値観を変える事は生き様を変えるぐらいに苦しくなります。
しかし、信じる師匠を持ち覚悟さえあれば変えていくことは可能です。

自身を見つめ葛藤の先に「一心に稽古すること」というシンプルに見えて究極の答え
が導かれています。

この本はページごとに感想文が書けるというより、1行ごとに感想文が書けるぐらい
に厳しく暖かい内容です。

まだまだ、自問自答が始まったばかりなので感想文はまだ書けないというのが感想です。

「何のために宇城空手を学ぶのか。」この御言葉は、狭い世界で先生の御教えを捉えてしまう自分を、救ってくださる御言葉だと感じました
福島 会社員 30代 男性


榎本師範のお話を読ませて頂きまして、自分自身の努力が全く足りないという思いがありました。
宇城先生の言葉を一つ一つを試行錯誤するにしても、先生のお話を聞いて本を読み、知識を得て
知ったかぶりになっている自分にとっては耳が痛いお話のオンパレードでした。
榎本師範の言葉には、ご自身で悩み抜いての言葉の重みがありました。師範の空手の稽古や、
子育てのお話、父である宇城先生に厳しい言葉を言われた時のお話を文章だけで読むと苦労した印象なのですが、
少しも暗さを感じないのはやはりエネルギーがある方のお話と感じました。
今回の一番の気付きは自分の心がまだまだ、投げやりになっていると分かった事です。
少年期より家庭環境に問題がありまして、恥ずかしながら、半生を投げやりに生きてきたと反省しております。
宇城道塾に通わせて頂いてから、それまで見て見ぬ振りをしてきた問題が一気に自分に降り掛かり、苦しい思いを
誤魔化しながらも、道塾に通い続けていると解決していく。という不思議な体験をさせて頂きました。
宇城先生とお会いしていなければ自分は今、生きてはいなかったかもしれません。

少し、感想文と趣旨がずれてしまいましたが、書籍を読み自問自答した所、この思いが出た為書かせて頂きました。
この投げやりな心とも自分自身が一つ一つ向き合わなければ、自分が今感じている、宇城道塾の講義に参加する→
宇城先生にエネルギーを頂く→日常や仕事が円滑に進む→横着な自分が出てくる→惰性で生きる日常にいつのまにか
戻ってしまう→宇城道塾の講義に参加する
このサイクルの繰り返しから抜けでれないと感じました。全ては自分自身。
自分の成長が家族へ、周囲へ、国へ、人類への共生に続いていくとまではまだまだ言えないので、まず、自分自身が
変化できる様努力したいと思います。ここまで書いた文章を読み直し、まだ自分のプライドや、相手への忖度の様な
感じを自分で感じてしまいます。自分が目盛りのない人間だと思いますので、この本の1ページ、1ページを咀嚼しな
がら精進したいと思います。榎本師範の分からないという事は希望になる成長のお話は自分にとってとてもいい話でした。
素晴らしいお話をありがとうございます。拙文で失礼致します。
今後とも御指導、宜しくお願い致します。

「何のために宇城空手を学ぶのか。」この御言葉は、狭い世界で先生の御教えを捉えてしまう自分を、救ってくださる御言葉だと感じました
山口 教員 30代 男性


この度、宇城先生そして榎本師範の新刊、宇城空手の真髄と継承(一)を読ませていただきました。
言葉がなかなか上手く出てきません。宇城先生と榎本師範のご対談や下澤さんが聞き手となったインタビュー、そして先生のお書きになられた文章を二度、三度と繰り返し読み返しております。その中で今はっきりとわかることは、自分の一生を掛けても、この御著書の内容を真に理解することは今の自分には到底不可能であるということです。
そしてこの文面の奥にはあり得ない深さと世界が広がっていること。表紙を見た時、手に取った時、身体の細胞が熱く反応します。
希望に導かれています。

宇城空手を学べている幸せ、そして継承の厳しさ。先生と師範のご対談は、私達の次元とは全く異なる世界(次元)のものであり、
師範がその世界に到達されたプロセスをオープンに語っていただいていること、そして私達塾生へ、後へ続くために心から応援して
くださっていることがとても嬉しく、自分もこの歩みを進めていきたいと強く願うと同時にエネルギーが湧いてきます。
この身体で具体的な行動をもってやってみせる。それしかこの思いを表す方法はありません。

素晴らしい師の下で、同じ指導を賜っても生じる差。先生に学ぶ姿勢を常に自分に問い続けなればなりません。
その過程で見える未熟な自分に気付けることは、普通ではありえないことであると同時に、本当に幸せなことなんだと思いました。

「何のために宇城空手を学ぶのか。」この御言葉は、狭い世界で先生の御教えを捉えてしまう自分を、救ってくださる御言葉だと感じました。
宇城先生、榎本師範、この度は貴重なご著書とメッセージを誠にありがとうございました。一生を掛けて読み続けます。
本当にありがとうございました。

本当に多くの気づきとエネルギーをいただいています
大阪 30代 女性


「宇城空手の真髄と継承(一)共に未来へ―親愛なる塾生たちへ―」を読み、本当に多くの気づきとエネルギーをいただいています。ありがとうございます。
「すべては自分」ということを、今までより、より深く強く感じさせていただいています。

師範のお話のなかで、まず衝撃を受けたのは、「間違い→ダメ→落ち込む」ではなく、分かっていないという現状への気づきが、希望になるというお話です。
衝撃であったことのまず一つは、自分のなかに「間違いはダメ→失格」という感覚があまりにも自然に存在していたことです。「正解はない」という言葉を知りながら、無意識で正解の存在を前提にしていたこと、他との比較で自分をみていたことです。別の章で、「なぜ自分はその時代を生きてきたのに、自分は違うと思うのか」という師範のお言葉がありました。私は自分を省いてしまっていたことに気づかされました。「受験戦争、競争主義、プライド、自分さえ」それらが与える影響を、先生のお言葉だけを受け取って、自分は具体的にどういう問題を抱えているのか、それがどのように周りに影響を与えるのか、深く真剣に考えることができていませんでした。たとえば「間違い→ダメ→落ち込む」という感覚を、無意識レベルまで持ってしまっている自分が、親として子どもに向き合ったら、どうなってしまうのか。頭で「それは違う」と思っていても、子どもに伝わるのは、現実の本当の自分です。また、現実の本当の自分に、自分は全然気づくことができていないことも、とても怖いと思いました。
そのうえで、衝撃の二つ目が「分かっていないことが希望になる」というお話です。今まで「できていない」ことに後ろ向きで希望がないように感じてしまっていましたが、180度見え方が変わりました。自分が間違っていたと気づくことが、未来に変化していけるための入口に立っているということだと気づかせていただきました。そして宇城空手を通して、自分の間違いに気づいていけること、変化していくためのエネルギーをいただけることは、非常にありがたいことだと改めて思いました。ただ、どれほど気づけるのか、どれほど変化できるのかは、自分次第であり、自分の目盛りを少しでも細かくしなくてはならないと思いました。その努力が足りず、ありがたさに甘えている自分に向き合わせていただきました。その自分から目をそらさずに、稽古をしていきたいと思います。

また、師範が母としてお話をされていることも、どれも心に残りました。特に、「生きられるように育てる。そこに母親の感情や欲は不要」、「どんな時代になっても生き抜いていけるように育てることが唯一持たせてあげられるお守り」というお言葉です。そのような子育てをできるには、今の自分は非常に勉強不足であり、まずは自分がどんな状況でも生き抜ける自分へと変わっていかなくてはいけないと思いました。そのなかで、宇城先生や師範に目指すべき方向を示していただいていることは、とてもありがたいことだと思いました。上と重なりますが、そのありがたさに甘えずに、勉強をして行きたいと思います。

そして、自分に集中をすることができておらず、課題であることも気づかせていただきました。師範や子どもたちは、サンチンをしているときに他の何も考えられないとありましたが、私は、色々な考えが浮かんできてしまう現状です。また「誰かのために、社会のために動くことではなく、自分が自由に動けることが大事」というお言葉にも、はっと衝撃がありました。誰か何かのためと思いながら、その誰か何かを言い訳に、自分でなく周りを変えようと思ってきた自分に気づかされました。誰も何もそのままでいい、そのなかで自由に動ける自分になる、そのことを何度も肝に命じながら、自分に集中できる自分になるために、稽古をしていきたいと思います。

冒頭に、「師は太陽」というお話がありました。先生の存在や教えはどのような状況でも美しく輝いて、制限がありません。その教えを受けて、日常を輝かせられないとしたら、全て自分が曇らせているということです。その自分の曇りに気づき、少しでも磨くことができるように、これからも学ばせていただきたいと思います。
誠にありがとうございました。

子どもたちに繋げていけるよう学びつづけていきたい
奈良 主婦 女性


宇城憲治先生と榎本麻子師範の座談録にはじまり、
榎本麻子師範会見、宇城憲治先生会見という貴重なお話をこうして拝読させて頂き誠にありがとうございます。

榎本麻子師範会見にある
『娘から「いつも母ちゃんが、宇城先生が守ってくれる、宇城空手は御守りやと言う、今その意味がよく分かる」』
このお言葉から
宇城憲治先生が三世代に継承されている実証

榎本麻子師範が継承されている事実、やってこられた壮大な目に見えないもの
宇城空手とは三世代に続くすべてを守り包み込むエネルギーそのものだということを強く感じました。

榎本麻子師範のお話されることから、
実際やってこられた、そして継承されている、自分の身体でできているから分かっているから出てくるお言葉であるのだということが一番印象に残りました。

それを感じると
自分の軽薄な有り様では言葉にならない程の偉大さに圧倒され
自分の小さな器ではなかなか言葉にできない未熟さがあぶり出されご著書を拝読してから文字にならない毎日でした。

そんな中拝読してまず感じたことは
自分は自分の範囲で物事を頭で考えてしまうということ。
宇城先生にご指導頂いていることやお話くださることを自分の枠で捉え「色めがね」で見ているのだということを物凄く感じました。

たくさんのご指導、あの時の宇城先生のお言葉、あの時の宇城先生の目、心に残っているものがたくさんあります。
それを自分の枠でしか捉えていない、自分の世界で理解しようとしている
まだまだこういうところが強いのだなと感じます。
ここを取り除いていきたい。
ここを取っていかないと違う次元の世界はいつまでたっても感じることはできないのだろうと感じました。

そしてそれを取り除くには身体で感じる身体で学ぶことしかないのだろうと感じます。
言葉でなく身体で学ぶことしか真の「変化」、真の「分かった」は、ないのだろうと思います。
それが宇城空手を学ぶことなのだと思います。

道塾で宇城先生のもと学ばせて頂くことも当たり前ではなく有難いことなのだと改めて感じると共に
自分の学ぶ姿勢次第で受け取り方や時間が変わってくると思います。
心を開く、素直である、さらけ出す。本物の学びに向かって今を大事にしていかなければと感じます。

宇城先生がこれまでに仰ってくださったお言葉、目が常に心にあります。
その答えに近づけるように宇城先生の教えに直向きに向き合い自分に問い続けることが学びではないだろうか。
そこに答えはないのだろうけど、こういうことだったのかと一つそう思えたら

次に思う時にはもっと深いところでこうだったのかと感じられるように自分に問い続ける。
宇城先生の教えに近づけるように宇城先生のお言葉、目を心に置いて生きる。
そういうことがなければ人間としてぶれてしまう 潰れてしまう 対立してしまう。
これが師をもつということに繋がっているのではないのかと思います。 
師をもつということしか本来の人間の有り様ではいられないのではないか、生き残れないのではないかと感じます。

そしてもう一つは今の自分がいるのは宇城先生が私自身の身体でできる自分をさせてくださったから
今自分はこうしていられるということです。

初めて参加させて頂いた道塾合宿で
宇城先生に気を流して頂き実践させて頂いたあの時間がなければ
今の私は存在していないということを改めて感じています。
これは常に感じています。

自分の存在を気づかせてくださったということは一生学び続けていくということ。
あの瞬間はやはり忘れられない。

言葉でアドバイスを言われても、そこらの本を読んでも決して変わることはない。
自分が変わったのは宇城先生につくって頂いたあの実体験しかない。

薄白い光が降り注いできて体中からボロボロと鎧のようなものが剥がれ落ちていきとりとめもなく涙となり溢れ出てくる
身も心も軽くなったような縛られてきた鎖から解かれたような感覚
あの瞬間は地球に存在する一人の人間として蘇らせていただいたように記憶しています。

それまでは自分さえ苦しめば、自分が悪いから、自分が我慢すればそれでいい
自分は必要のない人間である

今は口にも出したくないような思いと言葉を常に自分の中に抱えて生きていました。
今ではそのようなことを思うことはない。

あの瞬間から自分を大切にしていいこと
生きていてもいいこと 生かされていることを感じ気づかせて頂いた。
そしてこんな自分でもできる体験をさせて頂き自分を信じる力を頂いた。
そこから自分の芯のようなものが強くなってきた。自分を出してもいいという力が出てきた。
そうなると間違っていることは間違っていると思えるようになってきた。
間違った大人の力で潰される子どもたちを守り抜くと自然と肚が据わっていったように感じる。

言葉でなくやはり身体で感じることでしか人間は変われないのだと強く強く思った。
気づきを与えてくださったのは宇城先生が気を流して私自身の身体で本当の人間の力を感じさせてくださったからです。

拝読しながら
自分の身の回りのことを思い出し身近なものでも色々と繋がるような感じがします。
書道で筆の使い方を分かっていなければいつまでたっても不格好であるが
筆の使い方が分かれば手本のようになっていく
筆の使い方が分かってきてからそこからが無限の美しさを創造していくことができるように思います。
着物も中心がずれていると全てがずれてくる。
陶芸の芯出しも少しでも「まいっか」で甘くいくと途中で作品がぶれて、ふにゃっと潰れてしまう。
茶道も座る位置がピタッと合っていないと姿勢が崩れ道具に手が届かない。

中心や軸、回転、重力 私たちはこのようなものの中で生かされていること、過ごしていることを最近よく感じます。

自分が気づけること気づいていないことも含めまだまだ間違っていることはたくさんあるけれど
こうして今自分がいられることは宇城先生にあの瞬間を頂いたからです。
それが土台にあり宇城先生のもとで学びを大切にしていきたいです。
自分が今こうして生かされていることは宇城先生が身体で感じさせてくださった以外の何ものでもない。

宇城空手はそのようなエネルギーが満ち溢れているものなのだなと感じます。

体験道塾で宇城先生のお姿に魅了される小学生中学生、宇城先生の周りにいつの間にか集まる生徒たち子どもたちの姿、
宇城先生のお話を聞いている生徒、子どもたちの目がよく目に浮かんできます。
あのような目で見られる大人、親でありたいと
そこに近づいていけるような学び悟る力を身に付けていきたいと心から思います。
こうして学ばせて頂いてきてこのような貴重な時間を頂いてきて今の世の中ではあり得ない経験をさせて頂いている。
それを子どもたちに繋げていけるよう学びつづけて参りたい。

今後ともどうかご指導よろしくお願い致します。

一読して終わりでなく、お守りとして持ち歩き、また折に触れて、ぱっと開いてメッセージを頂く本として、成長の糧とさせていただきます
東京 女性


宇城先生、このたびも塾生、そして私が必要としている本をご発行頂き、誠にありがとうございます。浮かび上がってくる多くの気づきや反省点などをメモしながら読ませていただいております。

今朝は感想文を書くために本を手に取り、何気なく開いてみたところ、「指導者が一番勉強しなければならない。勉強すると考え方や身体が部分体から統一体に近づき、電波が出るようになって自分も周りも変わっていく。」の部分が出てきました。

先生のご本は今の私にもっとも必要なメッセージを与えてくれるのだ、と痛感いたしました。先生のご指導を受ける前には、十分な勉強ができないことの言い訳を当然のようにしていたと思います。ですが、今は、先生のことを少し思い浮かべるだけで、言い訳はすぐに引っ込んでしまいます。今でも言い訳が浮かんで来ることがありますが、すぐに自分で気づけるようになり、その思いにまったく意味はないことに気づけるようになってきました。

先生、そして今回の本からはあまりにも多くの大切なことをご指導いただいているので、それに対するご報告やお礼のことばをしたためると切りがなくなります。ですが、最近、先生のご指導をありがたい、と身にしみて思うことが多いのは、次の2つのことです

一つは、謙虚さについてです。おそらくある程度の世代までの日本人は、謙虚でなければならない、と子どもの頃から言われて育っていると思います。また、私の場合は、自然と人が仕事の相手ですので、人間は自然界に対してもっと謙虚でなくてはならない、と常々感じておりました。ですが、翻って自分のことを見ると、考え方、行動パターンに見事に謙虚さが欠けていることに気づかされました。

一般的に言われる「謙虚さ」は人目、人の評価を気にした、ごく表層的なものをさすことが多いと思いますが、先生の言われる、体現されている「謙虚さ」は、絶対の世界で留まることなく先に進んでいくためには不可欠の「謙虚さ」で、これまで思っていたものとはまったく別物であることに気づかせていただきました。
私の仕事の先生も自らの分野の多くの誤解に気づき、それを変えることに努めてこられた偉大な方ですが、謝恩会で学生に対して非常に謙虚な言葉を述べられたとき、その言葉が心から出ている真実のことばであることが、聞いている人にちゃんと伝わってくることに驚きを感じた経験も思い出されます。
そのように目にしていても、かつての私には真の意味がわかりませんでした。「謙虚さ」に次元の違いがあることは、先生にご指導頂かなければ気づけなかったことです。そして、そのレベルの謙虚さがなければ、到達し得ない世界があることも、です。

もうひとつは、「もったいない」と感じることです。長年、常に自分の、そして人間の限界まで挑戦し続け、人間はここまでのことができる、というのを体現し、しかもそれを私たちもできる、と指導して下さる師に巡り会え、またご指導いただくことを許されて、その幸運を活かさないのは、ただただ「もったいない」ということです。それを思うと、言い訳の無意味さは問答無用となりました。
これ以上、自分の人生をもったいないことに空費することのないよう過ごしたいと思います。

この本も一読して終わりでなく、お守りとして持ち歩き、また折に触れて、ぱっと開いてメッセージを頂く本として、成長の糧とさせていただきます。
宇城先生、いつも貴重なご指導を頂き、本当にありがとうございます。

読んでいて、非常に大きな安心感と穏やかさに包まれました
男性


「親愛なる塾生たちへ」という言葉に象徴される、なにか本当に暖かく大きなものに包まれている感覚の中で読ませていただきました。読んでいて、非常に大きな安心感と穏やかさに包まれました。
読後に感じたことは、本当に素晴らしい先生方にお会いできて心底幸福だという想いと、本に書いてあることを自分の人生に沁みこませて生きていきたいという想いです。ただひたすらに、本から伝わってくることを自分の生き方に沁みこませ、折りに読み返し、自分の人生に照らし合わせて
受け止めていきたいと思いました。
「継承」という行為の本質がどこにあるのかということ、それを受け止める姿勢や気持ちの在り方、その道程の全てに学ばせていただきました。
「愛」とは何かを、言葉と感覚を通して説いて頂いた気持ちです。本当にありがとうございます。

言葉にできないほどの感動を感じました
女性


宇城空手の真髄と継承、読ませていただきました。
言葉にできないほどの感動を感じました。
本を手に取ると、とても柔らかいです。
そして、繊細にそして丁寧に扱いたくなる何かを感じました。
文章からは、本にスピーカーが内臓されているかのように、宇城先生の声、榎本師範の声で、文章が聞こえてきました。
榎本師範のお話、とても感動しました。
宇城空手と出会え、今こうして稽古することができる事に感謝します。
言葉であらわせない位、大きな感動を、この本から感じました。
感動の嵐が身体の中を駆け巡っています。

読む度に飛び込んでくることが変化している深い内容ですので指南書としてこれからも何度も読み返したい
男性


今回、新刊宇城空手の真髄と継承を拝読させて頂き、読み進めていくうちに自分の中で昂る思いが込み上げてまいりました。
榎本師範と先生の対談にしかり、榎本師範の先生への想いが事細かく記述されていてまさしく塾生のための一冊だと思います。
榎本師範の日常の稽古のあり方、大きく変化した瞬間のお話、そして現塾生への思いを感じられる内容でした。
今回の書籍の内容は本当に最後の覚悟であり、ラストチャンスなんだと強く感じました。
感想文全てに目を通してくださっている事に驚きと共に見ていて頂けるという愛情の深さもあり、稽古不足の自分にとって突き刺さる内容でした。
型の一人稽古を黙々といつまでもやっていても変わっていなければ何もならない。
言われたことを言われたとおりにやるのが一番ダメだというお言葉がおそらく自分のフィルターを通してやっても結局は何も変化をしないと言われていると感じました。
自分が術ができないことを練習不足だという言い訳をしていた自分がどう変化しないといけないかはいつも先生がおっしゃられている謙虚になるしか目盛りを細かくすることができず稽古後自分を振り返りもしないで先生の話や教えを毎回お話として聞いているということに反省しています。
一回一回が2度と戻って来ない日々であり、当たり前はないという榎本師範のお言葉はとても重く誰に習っっているということを再確認して自分のフィルターを外して謙虚に稽古を行うようにしていきたいと思います。
調和とは相手のゼロ化だけでなく自分もゼロ化していないと自由自在になるために自分フィルターを外すことが大切というお言葉。いかに守りゼロ化しようとしても自分があるとゼロ化できない。それは自分という色があると自然では無くなってしまう。しかし、調和というものは相手がいて初めて行われるのかなとも感じました。自分を出すだけでもなく、相手と対立する訳でもなく、自然とはお互いがお互いに利益とか自己主張をせず、目に見えない菌糸の繋がりのように宇城先生との繋がりを常に感じられるように日常、仕事に活かしていきたいと思いました。
接骨院という職業柄人の体に触れる仕事であるがゆえに部分で捉えて患者さんに関わっていると自分が病気にさせてしまう危険性しかなく、先生の教えを頂いているものとして統一体として身体に触れられるようにしていきたいと思います。
先生が弟子と関わり広めていかれるように自分に関わってくれる人に先生から教わり、体感したものをそのままを自分のフィルターを通さず伝えられるようになるために稽古に励んでいきたいとあらためた思いました。
整体はなんの流派ですか?と聞かれた時に宇城流ですと躊躇なく胸を張って言えるようにしていきたいと強く思います。

読み返し、書籍の内容は厳しいお言葉も多く、自戒を多く頂けた内容でしたが本を閉じた時にまずめに飛び込んできたのが『共に未来へ』という言葉でした。
宇城先生がいるからこそゼロ化して調和する世界を見せて頂ける。経験した身体は自分以上にエネルギー溢れるものになっていますので素直に受け止め師である先生に自分で調和できるような弟子になっていきたいと思います。そして読む度に飛び込んでくることが変化している深い内容ですので指南書としてこれからも何度も読み返したいと思います。
今回、先生が親愛なる塾生たちへと添えて頂いた事に心から感謝申し上げます。

生きる上での貴重な指針をいただきました
福島 団体職員 40代 男性


宇城空手の真髄と継承を読ませていただきました。ありがとうございます。生きる上での貴重な指針をいただきました。書かれている言葉、一言一言が心に突き刺さり、とても私の薄い言葉で表現することができませんが、世界がひっくり返るような真実とそこに向かうエネルギーある生き方、人から人間となり幸せになる生き方を教えて頂きました。

表紙を見た瞬間からパッと周りが明るくなったような気持ちになりました。写真の木漏れ日が、この目で本当の太陽を見ているようで、本自体から温かなエネルギーを感じました。宇城先生と榎本師範との座談録の中でもありました、「先生は太陽」との師範のお言葉の通り、表紙の写真を含め本全編からエネルギーが正に太陽光のように、身体に、心に伝わってきました。本を開く度に、ああここも大切な言葉であったと気づき、マーカーが増え、このままでは全部ページにマーカーが引かれてしまいます。

宇城先生、榎本師範の塾生に向けた厳しいお言葉も嘘が無い真実であり、太陽の光のように私たちを導いてくださるものと思います。一心に稽古し、先生という太陽に向かって真っすぐに伸びていくことが成長であると思いました。どうしたらできるのかではなく、一心に稽古し、身体ができているという状況にならなければならないことを肝に銘じます。自分自身の中にあるずれを感じ、心身の一致から生き方の一致と空手と人生を統合していく道に早く進まなければならないと思いました。

宇城空手の真髄と継承では、榎本師範が宇城空手を継承されていく過程で、気づき、成長されていくそのお姿を、師範自らのお言葉で語られていました。その内容が深く、師匠と弟子、親と子、人と人の原点とも言うべき混じりのない愛を感じました。時代や国が変わっても必ず人の心に伝わると思いました。その生き方は宇城先生に学ぶものにとって正に希望であると思います。魂と愛について感じ、自らの内面へと問いかけ、内面からの答えに従って動いていく生き方というのが榎本師範の生き様を読ませて頂き心に浮かびました。生き方についてとても大切な事を教えて頂きました。

自然界がお互いに助け合い命というものを守りあっているのに、我々人間だけが競争という違う生き方をしていること。人間ではなく人になっている現実など、全編を通じ今の私たちが抱えている問題を明確に具体的に教えていただきました。人間として生まれたからには人間としての生を全うできるよう、人と人の心の繋がりの中で生きる生き方を目指して行きたいとの思いが沸き上がってきました。

このような本を世に出していただき本当にありがとうございます。

日々修行として毎日を過ごし、改めて読み返すと新たな気づきがある
東京 会社員 40代 男性


新刊「宇城空手の真髄と継承(一)」を拝読致しました。宇城先生のご著書はサンチンの型のように思えます。それは、本質が書かれており、目盛が10の人にも100の人にも1000の人にも、どのレベルの人にも通じますが、どれだけ吸収できるかは読み手次第。もし、私が後日にこの本を読んで同じ感想であれば、それは自分自身が成長していない事であり、成長度合いのバロメーターになると思います。日々修行として毎日を過ごし、改めて読み返すと新たな気づきがある。以前さらっと読んでいた事が、そういうことかと気付く。毎日修行していなければ、新たな気付きはない。型と同じように感じました。

今回、榎本師範との対談や会見はとても新鮮でした。宇城空手は今までの世にない、とてつもない術ですが、もし、出来る人が宇城先生しかいらっしゃらなければ、凡人にはできないと学ぶことを諦めてしまうかもしれません。しかし、榎本師範や拓治師範が宇城空手を継承され、宇城先生以外にも出来ることを示して頂いております。また、諸先輩方も力の空手から脱却して色々と身に付けはじめている中、我々の前を進んでいる榎本師範が宇城先生から学び、どう感じて何を考え、どう実践したかを知ることは、とても参考になりました。

その中でも稽古の集中について考えさせられました。創太くんのサンチンをやっている時に他のことが考えられない話がとても印象に残りました。また、凄いと思いました。今の自分には、稽古の集中力が足りていないと思っていたところでした。

先日、ナイフを握っての検証を受けて、その後、カッターの刃を握って型の稽古をしましたら、とても集中でき、良い稽古方法だと思い、続けていました。しかし、最近、少し違和感を覚え始めていたのですが、今回のご著書で、寄り添うと強くなる検証が、何回か繰り返すと出来なくなるくだりを読んで、これと同じ現象だと思いました。講義の中でも何度も仰っていた事ではありますが、改めて活字で読む事で再度認識致しました。最初は刃を持つ緊張感がありましたが、だんだん慣れてきて、エクササイズとなってしまい、頭で真剣に稽古しているつもりになっているのだと思いました。また、子供の集中力の話を読んでいて、確かに真剣でもない刃物に依存した集中力はちょっと違うと思いました。今度は刃物ではなく、目で集中力を高めてみようと思います。頂点の見えている上での試行錯誤が大事とご著書にもございましたが、自分で試行錯誤しながら研究したいと思います。

私は、高校生の時に読んだ中国拳法の漫画の中で出てくる「最高の拳法は宇宙の法則を表現している」と言う内容に惹かれて、最高の拳法を探し求めて、続けておりましたら、宇城先生に出会い、まさにその世界に辿り着いてきました。そして、当時私が、考えていた宇宙の法則は、相対的強さの延長線上で視野の狭いものでしたが、もっともっと大きな世界がある事に気づかさせて頂きました。メリケンサックとの間に手を入れて、手を傷付けずに、その先の相手を倒すなどは、今までの常識では、あり得ないことです。でも、それはただ凄さを示しているのではなくて、宇宙の法則であり、活人剣であり、人間が幸せになる法則である事に気付かさせて頂きました。人は何のために生まれてきたのか?難しく考えないで、単純に幸せになるために生まれてきたで良いじゃないかと思えるようになりました。幸せの字の中に辛いという字が含まれてますが、辛いを乗り越えて本当の幸せに辿りつく。日々修行。修行というと辛いイメージを持つ方々が多いですが、本当は逆で日々修行と思うことが出来れば、日々楽しく過ごせると思います。人生幸せになったもん勝ち。自分は幸運だと思います。

この幸運を自分だけのもので留めるのではなく、周りにも広げていきたいと思います。

素晴らしい一冊を本当にありがとうございました
福島 公務員 50代 男性


我々塾生の為に記された本当に本当に大切な一冊、宇城先生、榎本師範という人物の生き様を学ぶことができる貴重な一冊、読み進めるうちに、真剣ではない自分の甘さを
認め、謙虚に素直にならざるを得ない、読み終えて自分の中の何かが洗われ、すがすがしい心持ちになり、堂々と前に進もうと思うことができた一冊でした。

本の中の全ての言葉が身体の中に入ってきます。スッと入ってくる言葉。わからない言葉。痛みを感じる言葉。胸が締め付けられる言葉。ハッと気付かされる言葉。本質から発せられる言葉の奔流にのみ込まれ、自分のちっぽけな考えなど消し飛び、身を任せて読み進めました。今の己がどれだけ浅いのか、どれだけわかっていないのか痛感するとともに、そんな自分のレベルにガッカリすること自体、時間が止まった自我の現れだと思いました。

この日本も世界も急速に崩壊が進んでいるのを強く感じます。人と人とが分断され、孤立し、今さえ良ければ、自分さえ良ければという雰囲気が蔓延しています。考えられないような事件・事故が日々発生し、同調するかのように「100年に1度」の自然災害が頻発しています。この雰囲気の中にいると、一人の力では何にもできないと諦めてしまいそうになりますが、それは過去や既存常識、そして何ものかの支配に心が囚われているからだと思いました。人の本質的な力「調和」を体現する宇城先生、榎本師範の姿、その生きざまに希望というエネルギーを頂き、自分もそうなりたい、近づきたい、幸せになりたい、誰かを幸せにしたい、人が人間として生きていける世の中にしたいと思いました。

宇城先生のおられる時代に生まれ、宇城先生に出会うことのできた奇跡に感謝し、それだけの強運を持っていた自分自身を信じ、宇城空手を守り刀として、日常生活の中で、相手を尊重し、間を大切にして寄り添い、その輪を広げていく、強めていく、繋げていく。しょうもないことは気にせず、不安に囚われず、言い訳をせず、常に本質にコンパスの針を置き、希望をエネルギーに、ブレずに真っ直ぐ進む。自分が、家族が、地域や職場の人々が安心して暮らせる働ける空気を醸していく、それをどんどん広げていく、次の世代に繋げていく。私の「一人革命」は意識レベルでしか行えていませんが、その土台となる日々の稽古を本物の稽古に 浅い思考を深い思考にしていけるよう、宇城先生という頂上をしっかり見据え、己を律し、今この場この時から変化していきたいと思いました。
素晴らしい一冊を本当にありがとうございました。

宇城空手を習う者だけでなく、この本は、教育、育児、人生の実践書だと思いました
 男性


この度は、「宇城空手の真髄と継承(一)」共に未来へ-親愛なる塾生たちへ-を発刊いただき誠にありがとうございます。自宅に著書が到着後、一気に読み終えました。表題に宇城空手とありますが、発売前にどう出版の方が言っていたように、宇城空手を習う者だけでなく、この本は、教育、育児、人生の実践書だと思いました。

麻子師範のストレートな表現が細胞に突き刺さります。麻子師範がおっしゃられることすべてが自分自身の学ぶ姿勢を御指摘いただいていると感じました。また、麻子師範でさえ宇城先生に学ぶにあたり様々な壁にぶつかっているのだと知り、やり抜くこと、信じ抜くことで分かること、できることがあるのだと知りました。さらに、その境地に導く宇城先生の御指導、「教える」にはない、「気づく、気づかせる」御指導、絶対的な師の存在、宇城先生の生き様があればこそだということが麻子師範の一言一句から感じとることができました。

著書を読み、自分の浅い学ぶ姿勢、謙虚さのない姿勢を知ることができました。「過去の自分を捨てる」「自分は捨てている」「自分の物差しではかっていないはずだ」まさに「自分は」と言い、「自分は違う」と自然と考えてしまっている「自分」がいます。無意識のうちに、この感覚が身体に刻まれています。しかし、無意識に刻み込まれたものをそぎ落とす術が宇城空手にはある。自分の過去にない未来が宇城空手にはあることを感じました。著書を読み、自分に対する絶望もありましたが、未来(宇城先生)に向かって歩み続ける勇気、エネルギーをもらいました。また、もっと一回一回の稽古を大切にしなければいけないと思いました。次回の稽古まで少し日にちが空きます。繰り返し著書を読み、一人稽古に励みます。そしてこの本を自分の周りの人に繋げていける日常を送ります。

人生上最高の本
長野 男性


宇城空手の真髄と継承を読ませていただきました。
本が届いて開いてみると夕飯も食べずに夢中で読み切っていしまいました。
榎本師範の言葉が自分の心の奥底にある宇城先生に対して言いたいことや思っていることを代弁してくれているようなところもあり、弟子としての心構えを教えてくれている本だと思いました。宇城先生と榎本師範の会話の内容はすべて、「自分はどうなんだ」と自分自身と向き合えるようになっているような気もします。読んでいると実践塾の合宿のような濃密な雰囲気になります。自分の人生上最高の本だと思いました。