読者の声| 季刊『道』 224号(2025年春)
今を生きる私たちは、中村哲さんのように本質を理解できる人間になるために、学び、努力を重ねるべきなのだと思います
鹿児島 会社員 40代 男性
私は高速道路の料金所で働いています。料金所ではETCや自動収受機などで自動化が進んでいますが、有人対応の一般レーンも多く残っています。普段から常に使われている有人ブースもあれば、自動化に伴い予備として残しているブースもあります。
先日、普段使っていないブースの中を掃除した際に、そこに置きっぱなしにされていたプラスチック製のカルトン(お金の受け渡しに使うトレー)を持っただけで、ボロっと崩れて割れてしまいました。普段使っている有人ブースに置いてあるカルトンと同じ時期に購入した物であるにもかかわらず、放置されていたカルトンは著しく劣化していたのです。
巻頭対談の中で語られていた「手塩にかける」というお話を聞き、この出来事が思い出され、「なるほど、すごいな」と思いました。プラスチック製品でさえ、人が普段触れているものにはエネルギーが入り、結合が強くなり壊れにくくなる。ならば、生命の源である海水から作られている塩に人の手が加わることで、強いエネルギーが入り、ミネラルたっぷりの塩になるというのは、ごく自然なことなのだと思いました。
塩業界にとっての「悪魔の30年」は深刻なダメージを日本人に与えたかもしれませんが、工藤さんが伝えておられる塩についての正しい知識を理解する人が増えれば、日本の塩もきっと復活できる。そう希望を感じさせてくれる対談でした。
■ロングインタビュー 村上優さん
「中村哲さんは“本質的な人”である」という言葉に、深く感銘を受けました。中村哲さんは「先を見よう」としたのではなく、物事の本質が見えていたからこそ「先が見えた」のだろう。そして本質が見えていたからこそ、決してブレなかったのだと思います。
今を生きる私たちは、中村哲さんのように本質を理解できる人間になるために、学び、努力を重ねるべきなのだと思います。どうやってその力を身につけられたのか──中村哲さんの行動から、私たちが学べることは計り知れません。
■ロングインタビュー 加納佳世子さん
「復讐」という言葉が非常にショッキングでした。大きな過ちを後悔し、反省しながら生き続けるのは、きっと非常に苦しいことだと思います。赦す側は怒りや悲しみを押し殺し、赦される側はその思いを背負って生きていく。
私はまだ、加納莞蕾さんの言った「大統領は復讐したんだよ」という言葉の真意を掴み切れていません。もっと深く、加納莞蕾さんのことを知りたいと思いました。
■愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち
問題を個別化せず、皆で話し合い、自分の意見を持つということ──これは「自分の哲学を持ちつつ、他者と衝突せずに調和する術(すべ)」が自然と身につく、とても素晴らしいミーティングだと思いました。感動しました。
■私たちは銀河のなかに生きている
私は自然に対して畏怖の念を抱いているつもりでしたが、物質文明の恩恵に大きくあずかっている自分に気づきました。これは“無関心”と同じことなのだと思いました。畏怖の念を抱いているというのであれば、それを行動に移さなければならない──そう反省しました。
■地球を歩く
碧い海を往く一艘の白い船の写真を見て、「いいなぁ、見てみたいなぁ」という想いが込み上げてきました。心を奪われるとは、まさにこのことだと思いました。
■ありのままの私たち
原田大助さん。自然の草花の声が聞こえるということは、きっと宇宙からのメッセージも聞こえているのではないでしょうか。私も、聞こえるようになりたいです。自然の法則、宇宙の法則に則って生きることこそが、人間の道なのだと感じました。
■きょうも、いい日
翔子さんを立派なウェイトレスに育てようという泰子さんの言葉に、大きな愛と希望を感じました。元気をいただきました。
■今日一日を生きる
私は41歳で、酒井さんの手記を読んで、自分と同世代だと感じました。私も、小学・中学・高校、大学へと進み、社会人となりましたが、薬と出会うことなく過ごしてきました。けれどそれは、ただ運が良かっただけかもしれないと思えてなりません。
『道』を通じてダルクの存在を知り、多くの体験談や手記に触れて、薬の怖さを学ぶことができました。もし、薬の恐ろしさを知らずに出会っていたとしたら──と想像すると、本当に怖いです。ダルクの方々の果たす社会的役割はとても大きいと感じています。
■気づく、気づかせる
「先を取る」という武術の極意について、非常に詳しく解説されており、理解が深まりました。まだまだ頭の中で理解している段階ではありますが、「細胞に働きかけるには、細胞以上のスピードが必要である」という内容が、すっと腑に落ちた気がしています。
現段階では、私はただ『気』がしているだけかもしれません。先生のご著書を何度も読み返し、理解をさらに深めていきたいと思います。
■日常の奇跡
『寒明け』の写真──これは、数々の偶然が重なって奇跡が起きることでしか撮れない一枚だと思います。この写真が撮影された時空には、「偶然の集中(フォーカス)」があったと感じます。だからこそ、この写真を見ると、自分の集中力が増すように感じられるのだと思います。
私も微力ながら、何かをつなげていけたらと強く思いました
東京 会社員 60代 男性
いつも素晴らしい内容の『道』をありがとうございます。
今回もマーカーを引き引き、繰り返し拝読させていただきました。
今号も衝撃に近い感銘を受け、心が揺さぶられ、深く考えさせられ、そして少し癒される──そんな一冊となりました。
巻頭対談の工藤さんの記事は、連載の頃から興味深く拝読しており、ご著書『生活習慣病を塩で治す』も読みました。そのおかげで、塩と医療に関する「洗脳」が、私自身も多少は解けたのではないかと感じています。
私は尿酸値が高く、過去に痛風の発作を何度か経験し、尿酸値を下げる薬を数十年にわたって飲み続けていました。医師からは「腎臓に負担がかかるから塩分を控えるように」と指導されていましたが、今では塩分を気にせず、自宅でも神宝塩を食卓に常備し、毎日使っています。
ある時、「もう薬をやめても大丈夫だ」と体が語りかけてくるような感覚があり、思い切って薬をやめたところ、それから一度も痛風の発作は起きていません。
また、90歳を超えた母が加齢黄斑変性という目の病を患っていましたが、工藤さんのソルトウォーターを用いたところ症状が改善し、医師も驚いていました。
「良い塩を摂れば、内部環境が整い、細胞や臓器はちゃんと動く」──その実感を、自身の体験を通して得ることができました。
対談では榎本師範との会話の中で、「塩作りには“気持ち”を込めることが大切であり、“手塩にかける”という言葉の意味」「誰かの幸せを思って作ると、微量ミネラルが残る」というお話が非常に印象に残りました。
村上優さんの記事は、まさに衝撃的でした。中村哲氏が不幸な死を遂げられたことは知っていましたが、その活動内容については断片的にしか知らず、今回の記事でその行動の原点と背後の知性に触れることができ、深く感銘を受けました。
「現場を見ていれば本質がわかる」とありましたが、まさに中村氏は本質を掴んでいたからこそ、問題の根を見抜き、解決へ向けて周囲を巻き込んで動かしていかれたのだと思います。
子どもが栄養失調や赤痢で亡くなるのは、清潔な水が不足しているから──だから1,600本の井戸を掘り、旱魃に苦しむ土地に日本の山田堰の工法を応用して灌漑用の用水路を築く。本質を突き詰めていくことで、何をすれば良いのかが明らかになり、『思索と行動』という本の題名そのままに、言葉が形となって現実に実現されていく。
写真には、大勢の現地の人々が土木作業に励む姿、中村氏が井戸にロープを伝って自ら降りていく姿が写っており、現場で先頭に立つからこそ人々がついてきて、職人集団となっていったことが伝わってきました。
村上氏がかつては「怒り」を原動力にしていたが、やがて「和解」へと向かい、人と人との、人と自然との「調和」へと意識が変化していったという言葉も深く心に響きました。
中村氏の死後、その遺志が確実に受け継がれていることも、今回初めて知りました。
村上優さんの「我々が付け足したものは何もない」「出発点も到達点も中村哲の中にしかない」という言葉は、まるで武術の師と弟子の関係のようにも思えました。
加納佳代子さんの記事にも、強く心を揺さぶられました。
父・加納莞蕾氏が戦後、フィリピンの戦犯釈放を求めて何百通もの手紙を書き続けたこと、キリノ大統領が「妻や子供や兄弟を日本軍に殺された」にもかかわらず、「憎悪の念を残さぬため」として赦しを与えたこと──それ自体も並大抵ではありません。
それ以上に、戦犯たちの解放をただ喜ぶのではなく、「大統領は復讐したんだよ」と莞蕾氏が言い放った、その深い思索と覚悟に圧倒されました。
今号では、特に「繋がり」や「継承」ということを強く感じました。
工藤さんは塩の大切さを伝える仲間を育て、中村氏は祖父母から受け継いだ志を村上優さんに引き継ぎ、加納莞蕾氏もまた、祖父から「敵も味方もない世の中をつくる」という思想を受け継ぎ、佳代子さんに引き継がれていく。そして、佳代子さんはそれを平和学習という形で子どもたちに伝えている。
ダルクの記事も、次世代の担い手を育てることがテーマにありました。
巻頭対談でも榎本師範が「私の世代は“つなぐ世代”だと思っています」と仰っていたように、私も微力ながら、何かをつなげていけたらと強く思いました。
重い記事が続いた後に、佐々木さん、野村さん、安藤さんの写真と文章を眺めると、心が洗われるような気持ちになります。
特に野村さんの「きゃああ、可愛い」ウォンバットやカモノハシに癒されました。
ウォンバットの後ろ足をちょこんと出した後ろ姿には、私も完全にノックアウトされました。
福島 福祉 70代 女性
「素晴らしい!」の一言です。
初めて「ヒッコリー・ウィンド」さんで手にして読んだ時…「本当に良い本だな~」としみじみ思いました。私は『致知』も読んでおりますが、これからはこの『道』も一緒に学びのバイブルとして読ませていただこうと思っております。
そしていつか、この『道』を発行なさった素晴らしい感性の持ち主の編集者さんにお会いしたいと楽しみに思っております。
普段は物静かでも、大事なものを守る時の迫力の源が「大和魂」なのだということにも、深く感動しました
秋田 教員 50代 男性
村上優先生の「彼が残した言葉というのは、あらゆる面で人を動かす力がある。行動があっての言葉。その言葉が出てくる背後の知性」という言葉が、まさに中村哲先生を表わしていると思いました。普段は物静かでも、大事なものを守る時の迫力の源が「大和魂」なのだということにも、深く感動しました。
そのような方に、あこがれと尊敬の念を抱きますが、それは「義を見てせざるは勇なきなり」という父・加納莞蕾の教えが自分の中にもあると語っておられる、加納佳世子さんにも共通するものだと思いました。
加納莞蕾さんの存在を知らせてくださった『道』誌に感謝いたします。恥ずかしながら、これまで莞蕾さんのことを存じ上げずにいましたが、前号の佐々木先生の連載でお名前が出てきたことをきっかけに関心を抱き、今回の『道』誌で詳しく知ることができました。
キリノ大統領との面会時のエピソードには感動いたしました。一度は面会を断られたにもかかわらず、名刺を渡すとすぐに秘書が走ってきて、「この人には会わなければならない」と大統領がおっしゃったということ。それだけ、莞蕾さんの手紙がキリノ大統領の心に深く響いていたのだと、強く感銘を受けました。
また、上皇后陛下がキリノ大統領のことをご存じで、その孫のルビーさんにお会いになり、感謝の言葉をかけられたうえ、歌を詠まれているというお話にも、大きな感動を覚えました。
現実に立ち向かうために、凄まじいエネルギーを発揮する。本来の医療のあり方を実践されていたのだと思います
宮城 医師 70代 男性
アフガニスタンとパキスタンのペシャワールで人々の生活を支え、幸福をもたらし続けた中村哲医師と、それを支えたペシャワール会の活動のレポートは、素晴らしいものでした。
同じ世代の医師として、彼我の医療への取り組み方の違いに今さらながら驚愕し、己の小ささを痛感するばかりです。
「誰とでも協力し、世界がどうなろうと、他所に逃れようのない人々が、人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います。」
このような信念を、困難にあっても常にブレることなく貫き通した中村医師の活動には、本当に頭が下がります。
状況の必要に応じて一つ一つ丁寧に対処していく──そうした現場の要請に応えることこそが、中村医師の診療のあり方だったと思います。それはやがて医者という枠を超えて、ライ患者の足底潰瘍のためのサンダルワークショップ、飲料水確保のための井戸掘り、大旱魃に対して筑後川の山田堰をヒントにした灌漑用用水路の建設へと発展していきました。
現実に立ち向かうために、凄まじいエネルギーを発揮する。ただ単に医療を施し治すだけでなく、予防や教育のみならず、それに必要な「物」まで提供する。本来の医療のあり方を実践されていたのだと思います。物凄いことです。
医師でありながら、医療だけでなく井戸を掘り、灌漑用用水路を作り、アフガニスタンの人々の生活を支えて、飢餓と病気から守る──中村哲医師とペシャワール会の活動には、表現すべき言葉も見つかりません。ただただ頭が下がる思いです。
素晴らしい記事を、ありがとうございました。
「行動する」とはこういうことだと、肝に銘じて、これからを生きていきたいと思います。
中村哲先生に、合掌。
知識ではなく「心で受け止める」 それによって、『道』に登場される方々の行動・実践のエネルギーが自分にも入ってくるのだと感じています
静岡県 農業 40代 男性
巻頭対談の工藤さんの神宝塩は、うちでも買わせていただいております。榎本師範も塩辛い手羽先にあえてつけて食べられたお話をされていますが、うちの家族も「しょっぱいというより旨味」といった感想を言っており、宇城先生の江戸時代の剣聖のお話にあった「今、この状態が心地いい」という感覚に通じるように、神宝塩の味が身体には心地良く感じられ、精製塩とは違う感想が出てくるのだと思いました。
塩や気といった人間を活性化させる要素に対して、それを良しとしない、自分のことしか考えない狭量な人間たちによる情報や常識によって、私たちは洗脳されてきたのだと思います。その洗脳から自分を解放するには、当然ですが、今の常識以上のことを知ることが必要であり、それは知識としてではなく、塩や気による身体の変化などを体験・経験を通して学ぶことだと思いました。そしてそれこそが、本来の意味での「成長につながる勉強」なのだと感じました。
病原菌をフランスの化学者が発見したこと自体は功績であったとしても、それを部分的にしか見ない人間たちが、自らの利益のために利用してきたのではないかと思います。本来は、工藤さんの言われるように、身体全体の菌を整えていくことが大切なのだと感じました。そのためには、人体を海に近い状態、生命の誕生した原始の状態に近づけていくことなのだと思いました。
今の医学や科学も先に進んでいるように見えて、実際は細分化されて、本来の姿からは遠のいているように感じます。そしてそのような間違った知識や常識は、いつの時代にも存在してきました。良い例が天動説と地動説であり、当時の宗教や権力の都合により、正しい理が否定されていたのです。
塩や気もまさにそれと同じことなのだと思います。江戸時代、日本では塩を人が手作りしており、ヨーロッパ諸国のような岩塩ではなく、ミネラルが壊されずに残っていた。その塩は命の源であり、日本人は本能的にそれを理解していた。だからこそ「敵に塩を送る」や「塩梅がいい」といった言葉が生まれたのだと思います。
このような日本人の文化は、戦争に敗れたことで壊されてしまいました。それが「戦争」であり、まさに「破壊」でしかなく、そのようなことは絶対に再び起こしてはならないと感じています。そしてそれを個人の修行として突き詰めたのが、日本武術の究極である「無刀取り」や「活人剣」なのだと思います。
村上さんのお話では、中村哲さんの生き様が語られました。その行動ありきの人生にこそ、人を幸せにし、問題の解決へと導く力があるのだと感じました。また、発言の撤回をしないという一貫した信念を持ち、それに沿って行動するという姿勢に、「一隅を照らす」という言葉の本質があると思いました。
最大化するのではなく、最小の世界にこそ答えがある。それが量子学であり、物質がすべて素粒子で構成され、そこには目に見えない「心」も含まれてくるのだと思います。
現場や現実を見て、本質を感じ、自分の信念が正しいのかを確かめていく。その積み重ねこそが揺るぎない信念をつくり、それをもとに行動していくことになる。それが「中心」なのだと強く感じました。
村上さんの活動も、「何かを足す」のではなく、「中村哲そのものをいかに引き継ぐか」に徹しており、それこそが中心を求め続ける姿勢であり、それが活動の成功の要因だと言われています。その姿勢が、中村哲さんでなくとも周囲を引きつけているのだと思います。
加納莞蕾氏のお話では、父の梅左衛門氏も「この地に生きるものは敵も味方もない世の中を使命として背負わなければならない」という信念を持ち、公平さを重んじる人だったようです。その信念は莞蕾氏にも受け継がれ、元海軍少将の古瀬氏との出会いにおいても、その人間性を深く理解する感性があったのだと思います。
従軍画家として戦場に赴き、数々の体験を経た莞蕾氏には、「何をすべきか」を感じ取る力が育まれていたのでしょう。日本人捕虜の助命嘆願を、日本人に家族を殺されたキリノ大統領に行ったという行動は、まさに不可能を可能にした例です。両者ともに「平和を求める者同士」であったからこそ通じ合ったのだと思います。
結局のところ、「平和を築く種子」とは人の心であり、「許す」とは「愛」なのだと感じます。
「気づく、気付かせる」では、さまざまな資料をもとに、事実・実証・現実を基準として分析されており、それこそが本来の科学だと感じました。事実があるのに、それを見ようとせず、知ろうともせず、勉強しなければ、取り残されていくのは当然だと思います。
宇城先生の実践は、量子学にあるエネルギーをさらに自在に扱えることを人間が可能にしているという実証であり、こうした学びによって、今の常識にはないことが起こり、可能になるのだと実感しました。人間にはそれだけのエネルギーがあるということ、それこそが「希望」なのだと思います。
また、今回の連載で自分のことを取り上げていただき、ありがとうございました。まさか『道』に自分が載るとは、夢にも思っていませんでした。これも、過去に『道』で紹介された方々のエネルギーを受けて、自分が学んできたからだと思います。
知識ではなく「心で受け止める」。それによって、『道』に登場される方々の行動・実践のエネルギーが自分にも入ってくるのだと感じています。その『道』を通して受け継いだ心とエネルギーを、必ず後世へと伝えてまいります。そのためには、まず自分自身が変化・進化・深化・成長することが必要なのだと思います。
季刊『道』で紹介される実践者の方々の言葉は、自分も行動しなければという、身が奮い立つような大きなエネルギーを受け取ることができます
福島県 公務員 50代 男性
今号もエネルギーにあふれた素晴らしい一冊でした。
読み終えて、「本質」と「全体」という言葉が強く心に残りました。
季刊『道』には毎号、ジャンルの異なる実践者の方々が数多く登場されますが、共通してこの世界の理に則った行動をされています。既存常識に「なぜ?」という疑問を持ち、本質を追求し、全体にとっての最適解を導き出し、その身をもって実践しておられます。
季刊『道』に紹介される実践者の方々を知らなければ、私は既存常識にとらわれ、己自身が不自由であることさえも自覚できず、目先の些末な我欲に囚われ、怯え、対立・衝突し、その命が存在する意味の5%さえも発揮できなかったと思います。
実践者の方々にも師や学びがあったように、我々も宇宙の連綿とした歴史の中で培われてきた生命の本質を体現する師や書籍に学ばなければならないのだと思います。しかし、人々の無関心が拡大し、分断と破壊が急速に進む現代において、その希望の灯は失われつつあると感じます。
このまま、滅びゆく世界を傍観するのか。「今この時、自分が生きている時間だけ良ければいい」と諦めるのか。そうではなく、せめて子や孫の世代が生きる未来までも全体として捉え、人の生きる本質を追求し、可能な限り誰もが幸せに生きることができる世界を今つくらなければならないのだと思います。
それを成し遂げられるのは、武力でも政治力でもない。目に見えない、人の心のエネルギーなのだと思います。
季刊『道』で紹介される実践者の方々の言葉は、紙の上のテキストと写真ではありますが、自分も行動しなければという、身が奮い立つような大きなエネルギーを受け取ることができます。
知識や娯楽を与えてくれる本は星の数ほどありますが、「人にエネルギーを与えることのできる本」は、きわめて稀有だと思います。
毎号、本当に素晴らしい内容をありがとうございます。次号も楽しみにしております。