読者の声| 季刊『道』 223号(2025年春)  

そんな現状でもできるだけ、気高い生き方をしようと努めたいと再確認する事ができました。
福島 会社員 40代 男性


吉本隆明氏の書かれた『試行』をぜひとも読んでみたいと思います。吉本隆明氏のお話から始まり、人間、エネルギー、作品の作り方などとても興味深いお話ばかりでした。自分が宇城先生の道塾に入る前に感じていた、自分自身が死んだ様な人生だなという気持ちを思いだす内容でした。吉本さんの飼っていた犬が『もう、死んでいいよ』と言われるまで死なないというお話に命の凄さを考えさせられました。お二方の話の中に出ていた様に、今の人達には元気がない。自分を振り返っても、子供の頃から学校や家庭で危ない事はやってはいけない。と言われながら育ってきているので無難な事を選んでしまっていると思います。そして、学校もつまらない。といつも感じてました。
吉本さんがお話されていた様にAIに色々な事を決めてもらった方が幸せに向かうな。と心より思います。そんな現状でもできるだけ、気高い生き方をしようと努めたいと再確認する事ができました。素晴らしい対談をありがとうございます。

岡山 高校教員 40代 男性


社会の変革が大きく、またAIの進歩も早い。その中で人がどのように生きていくべきなのか、『道』を読みながら自問自答しています。明確な答えがない中で、自分がどうすべきか考えていっています。

神奈川 パイロット 50代 男性


先生と吉本ばななさんの対談は、何かとても展開が早い感じがしました。
それは、そこに含まれる意味が多いということでもあると思います。
先生の「場を描いている」という問いかけに対し、ばななさんの「場のことをテーマと呼んでいます」という会話などは、一瞬、自分がついていけていないと感じました。
より深いところでの会話、あるいは意味のやり取りなので、そこについていくにはそれなりの準備が出来ていなければいけないのだと思いました。
その根本にはエネルギーがあり、そこから出ている言葉なので、意味の深さ、大きさが違うような気がしました。

高い視座で行われる対談からエネルギーをいただき、また、学ばせて頂いたことに感謝しております。

岐阜 理学療法士 30代 男性


宇城先生と吉本ばななさんの対談を拝読いたしました。
自然体な文章、桶職人のように自分の作品に芸術というより「実用性」を求めておられるという、ばななさんのお話から、その心が作品に出ているのだと感じました。実際に作品を手に取って自分の目と身体で感じたいと思います。
また、コーラのお話にあるように、心の余裕や受け入れる力・エネルギーがないとのお話も印象的でした。頭・理論理屈で考える良し悪しを基準にしたものの見方(コーラが体に良いか悪いか)では、視野が狭くなり、自分で気づかないうちに内側に籠るようになっているのだ気づきました。先生方の対談は、より大きな視点、高い視座から見たものの捉え方であり、エネルギーが高まる捉え方をされていると感じました。
自分のものの見方を反省すると同時に、高い視座で行われる対談からエネルギーをいただき、また、学ばせて頂いたことに感謝しております。
ありがとうございました。

潜在意識に働きかける力・エネルギーを共有されている二人の対談は素晴らしく圧巻でした。
宮城 医師 70代 男性


 武術と小説というアプローチの違いはあるけれど、潜在意識に働きかける力・エネルギーを共有されている二人の対談は素晴らしく圧巻でした。吉本ばななさんのお父様の吉本隆明氏は学生時代にのめり込んだ思想家・詩人でした。深い洞察と鋭い分析力を持ち、学生運動華やかなりし時代に積極的に関わろうとされたお父様の著作をたくさん読ませていただきました。そのお嬢様がばななさんだとは存じ上げておりましたが、その作品を読んだことはありませんでした。私は小説はあまり読まないのですが、宇城先生との対談でお話されている内容から、是非とも彼女の作品を味わってみたくなりました。素晴らしい対談ありがとうございました。

85歳の現役の実業家、今もなお夢を追い続けている生き様にとても感動しています。このような生き方ができるというお手本、私も頑張ってみようという勇気を与えていただきました。
大石芳野さん、戦争そのものだけでなく戦後の中にも残る悲惨さを丁寧に取材され私達に伝えていただきました。戦争だけでなく、災害や犯罪も同じ。悲惨さを被害者・加害者ともに事後に抱えて生きるのは本当に痛ましい。この悲惨さを味わうことのない世界をつくりたいものです。
私の大好きな安藤誠さんの闇に浮かぶタンチョウは本当に美しく感動的です。神々しい! 宇宙のメッセージを届け続けてくださる佐々木さんの銀河の写真、癒やされ心が和みオープンになります。野村哲也さんの宮古島での絶景の数々、自然がこんなにも美しいのかと心揺さぶられる写真でした。三人の方々の切り口の違う写真を楽しくまた感動させていただいてありがとうございました。

毎号たくさんの気付きと学びを提供してくださる季刊道。
スタッフの方々の並々ならぬご尽力に感謝いたします。
ありがとうございます。

この世界の理と繋がった実践者に学び、真理真実を知る必要があるのだと思います。
福島 公務員 50代 男性


今号も多くの実践者の皆様のエネルギーに満ち溢れた一冊でした。素晴らしいエネルギーを受け取り本当に元気になりました。

読み終えて強く印象に残ったのは「人の思い」です。

バーチャルな社会構造の中で意識から生み出される表層的な欲にまみれた悪しき人の思いではなく、人の深層意識から生み出された正しき人の思い。それは、この世界の理と繋がった人が受け取った、この世界をあるべき姿に導くためのメッセージなのかもしれません。しかし、社会では場を支配する常識や科学でジャッジされ、悪しき人の思いが現実となり、正しき人の思いは非科学的やスピリチュアルとして切り捨てられてしまいます。今、我々が目の当たりにしている、分断と対立、戦争、誰でもよかったというおぞましい犯罪、青少年の自殺など希望を持てない閉塞的な社会は、悪しき雰囲気に支配されてきた我々の過去の時間の結果なのだと思います。そのカルマを断ち切るパラダイムシフトが今こそ求められていると感じます。

小説で人の潜在意識の奥に語りかけて人を幸せな方向に導こうとしている吉本ばななさん。小説をバーチャルなものではなく実用性を求めていると明言されていることに、この方も世界の理に繋がっている実践者なのだと、正しき思いを持った方なのだと感じました。季刊「道」で連載していただけたら、他の実践者の方々の記事と化学反応を起こして、きっと凄いことになりそうだなと思いました。

85歳を過ぎても、この世界や人間、地球の可能性に希望を持ち、自分にもっと何かできるのではないかという強い思いを失わない佐藤芳之さん。その根源がご両親にあり親の生き様が子に写るというお話しに、やはりまずは親が、大人が変わらなければならないのだと痛感いたしました。

大石芳野さんの「写真は自分にとって芸術ではなく、自分が知りたいと思ったことがあって、その先に伝えたいという思いがあって、そのためのカメラがある」という言葉に真実を伝えることによって戦争をなくさなければならないという強い思いと、吉本ばななさんと同じく本質を伝えるための手段としてカメラを手にされていることを感じ、では自分にとっての思いとは、手段とは何かを考えました。卓越したスキルがなくとも、自身の生活や仕事、地域で関わる人々と正しき思いをもって接し、実践者の方々と同じく、言葉や知識ではなく、行動の生み出すエネルギーによって相手の潜在意識に働きかけ、場を誰にとっても心地よいものにしていくことが自分自身にもできる日常での実践ではないかと思いました。

前島由美さんのルイくんとのドライブ中に話したエピソード。人の生きる本質という根源的な話に耳を傾け受け取れる力をルイくんは持っている。今、学校において、人の生きる本質を教えることはできるのか。大学で教えることを知識として学んできた先生たちにその力はあるのかと考えさせられました。

工藤清敏さんのマッチポンプのお話し。社会の構造はまさにこの通りなのだと思います。情報が氾濫する現代社会、常識や科学で説明できない情報はカルトやスピリチュアルと分類され、本当に不都合な情報は抹殺されるという、複雑で危険な世界になっていると感じます。その中で、行動している自分を尊重し己の信じる道を進む工藤さんを応援しております。

佐々木隆さんの宇宙にあるものの元は一つ、赦し、つながり、共存することが生命の本質というお話は、大石芳野さんの「殺す、殺されるだけではない、戦争のおぞましさ」とリンクして深く考えさせられました。

野村哲也さんの「自分と友達、自分と自然、そして自分と地球、自分と宇宙。すべては分離していると思って生きるのか?それとも溶け合って生きるのか?それはあなた自身が決めること。僕は写真家なので、それを写真でお見せしますね。」という言葉。すべてのものに境界はないと言われても、誰もが???となると思います。しかし、季刊「道」に登場する実践者の皆様の記事や実践を拝見すると、そうであるとしか考えられない、これ以上は自分自身の狭い頭の理解だけに留まらないよう、自ら体験するしかないのだと思いました。

金澤翔子ちゃんのお母さんの心を救いたいという強い思いが、難しい楷書の基本を身につけさせたというエピソードに心打たれました。勉強や仕事を押し付けられ、なんの思いもなく嫌々処理している低次元の世界とはかけ離れた高次元の世界です。しかし、それが本当の世界なのだと、金澤泰子さんがおっしゃっているように「この世は全て肯定されている」のだと思います。しかし、競争や欲望、利己心が人を世界の理から乖離させ、自ら不幸に陥っているのだと感じました。

山元加津子さん姉妹とご両親とのエピソードには、家族という最も身近な人間関係への温かく慈しみのある思いを感じました。家族という関係性が壊れ、悲惨な事件が多発しているこの社会において、他者になにができるのか考えさせられました。戦争や国家の分断も同じですが、直接かかわれなくとも、ひとりひとりが強い思いを持って場に存在すること、できることをしっかり行うことしかないのだと思いました。

岩井喜代仁さんの「親が変われば子どもが変わる」という話は、今号の季刊「道」で各所に出てきた重大なテーマでした。自分ではなにもできないことを知ること、手放すことから始まる実践があること。ひとりではなく、繋がり広がることで気付き、成長できることがあること。全て、岩井喜代仁さんの強い思いが、薬物依存者と家族たちに伝わって実現されている、素晴らしい再生の取り組みだと感じました。

安藤誠さんの湿原に眠るタンチョウの写真。文章と相まってその場の空気が伝わってきました。いつかヒッコリーウィンドを訪ねて実際にその場に身を置いてみたいと、写真ではなくこの目で見てみたいと思いました。

宇城憲治先生の「心は見えないが行動や実践で見える」という言葉にハッとさせられました。行動や実践が、表層的な欲にまみれた悪しき思いから来ているものなのか、世界の理と繋がった深層意識から生み出された正しき思いから来ているものなのか、まっとうな人間としてのセンサーを持っていれば雰囲気や肌感として感じとれるはずです。しかし、現代に生きる我々は、情報の濁流に呑み込まれ、流され、なにが正しく、なにが誤っているのかを判断する力を失っています。だからこそ、正しき方向性を示してくれる、この世界の理と繋がった実践者に学び、真理真実を知る必要があるのだと思います。そして、濁流に流されない推進力を、そのエネルギーを持たなければならないと思います。それを我々に与えてくれるのが季刊「道」だと思います。

本当に素晴らしい一冊をありがとうございました。次号も楽しみにしております。

福島 会社員 50代 男性


アフリカでの会社経営のお話でお金は自分で管理しないと盗まれてしまう。というお話にやはり、日本はキレイ事の世界だというのを思わされました。日本という国は動物園になってしまった。という厳しいお言葉、一日本人として不甲斐ないという思いがあります。動物園というよりは家畜かなとも思います。
マサイ族のお嫁さんになった日本人がいるというお話をされていましたが、当たりさわりない人間になる教育を受けてる中で、自分の感性に従って相手を選ぶ。素晴らしいと思います。
ご家族、事業、動物などエネルギーのあるお話を読ませて頂きました。厳しいお言葉もありましたが、叱咤激励を受けていると思います。

「何故?何故そのような事が起こるのか?」という探究心、真実に迫る心が必要なのだと思います。

静岡 農業 40代 男性


吉本ばななさんは読んでいても、その自然体が伝わってくる感じがして、文章なども、校正が入ると本来の会話のものではなくなってしまう、その位、自然な文章を心掛けておられたのだと思います。
また「実用性」を求めていると言われており、その実用性が無いのにお金を出してもらったり、人に悪影響を与えるものを書く事が出来てもそれをしたくない、という所も『夜と霧』にあるアウシュヴィッツでパンを与える人、殺した人という人間の品格なのだと思います。文章を書く仕事で、お金の為に平気で人を傷付けるような文章を書く人間、周りの迷惑を考えずに書く人間、他人の知識の切り貼りだけのような文章を書く人間などが溢れかえっており、吉本ばななさんのように人にエネルギーのある文章を書く事の出来る人間はほとんどいないのではないかと思います。

「究極は何も書いていなくても人を救っている状態が一番良い」と言われていますが、それこそ場の空気を変えるエネルギーを持った人間なのではないかと思います。そのようなエネルギーを書を通して発揮しているのが金澤翔子さんではないかと思います。

金澤泰子さんの記事では、翔子さんには「丁寧に教えてはいない」とあり「書の基本を理論的に教えることで習得させる事はできなかったでしょう」とあります。しかし千五百回以上の揮毫で一度も失敗がありません。それはやはり般若心経の六千字以上の楷書で身体に基本が出来上がっていた事、理論的な頭からではなく、身体で書を覚えていったからだと思います。それは生き死にのかかる、失敗は即死に繋がる武士、武術の世界の修業、まさにそれだと思います。だからこそお二人の人生に希望が生まれたのだと思います。「上手く出来なくて不安などと思うのは健常者や親が見る幻想です。」との言葉がありますが、そのように他と比べる、競争意識や、理論的思考が、そのような「この世はすべて肯定されている」という世界の真の姿に気づく事が出来なくなっている要因だと思います。その事を我々は金澤さんから学ばなければならないと思います。

岩井さんの記事では親である自分自身が変わらなければならない事、それが薬物に染まってしまった我が子を救う唯一の手段なのだと。その中でも今回の小村さんのように、自分自身と向き合い、人の話も聞き、全国のフォーラムにも参加してと、行動して真摯に向き合う事が出来なければ、ならないのだと。宇城先生の「気づく気づかせる」の最後の一言、「心は見えないが、行動や実践で見える」との言葉がありますが、まさにそれであると思います。また「私の手ではどうにもできないんだ」と勉強しないかぎり、自分も子供も変われないんだよ」とあり、これも自分を知るという事であり、またその事実を認める、素直さ、謙虚さ、人間的としての勉強をしなければ、乗り越える事など出来ないという事を理解しなければ、薬物依存というものから抜け出す事は出来ないのだと思いました。「親が変わること」と「寂しい、辛い思いをさせなければいけないんだ」という言葉で以前、登山家の野口健さんの記事で「最後には家族の愛情を切らなければならない」と語っておられた、その言葉を思い出し、その位、切羽詰まった状態なのが、もっと言えばまさに「生き死に」のかかる状況なのが薬物依存なのだと。このような事、真理まで辿り着く事が出来るのは、今の世の中では本当に難しく、だからこそ、その解決方法のあるダルクという存在は貴重なものなんだと思いました。

「気づく、気づかせる」では『思考の整理学』という本の中で「全く新しい世界に挑戦する」という事のような読者が自分の想像力、直観力、知識などを限界まで総動員するような本はなくなった、とありますが、まさにそうだと思います。結局は頭に入る「情報」でしかなく、それを得たところで読者はまだ何も生み出してもおらず、行動もしていません。しかし、それで何か自分が変わったかのような錯覚を起こさせるような本がほとんどだと思います。
そこから更に宇城先生は、常識、世界には無い、全く新しい事をすでに実践、実証をされています。全く新しい事だからこそ、地動説のように、それが世間に理解されるには時間が掛かるのだと思います。地動説も科学技術の発展により今は常識でしかありませんが、先生も書かれているように、量子学やAI等の科学技術の発展が宇城先生の教えを後追いで証明していく事になるのではないかと思います。それにもまず「何故?何故そのような事が起こるのか?」という探究心、真実に迫る心が必要なのだと思います。それが科学は無論、人類を発展させてきたのだと思います。