季刊『道』214号

読者の声| 季刊『道』 214号(2022年秋)  

特別企画、心に刻んで、実践で進めていきます
東京 専門学校講師 50代 男性


特別企画 宇城憲治先生

調和の中での競争と、対立の中の競争での本質が違う、自分さえ良ければ、今さえ良ければが現状です。先が見えないからことで、崩壊や破滅に繋がる。

人間力の低下、自分さえ良ければという我欲、目先の事ではなく、希望を持つために人間力を取り戻さなくてはいけない。

今の自分に必要な事は守る力、多くの人を守り抜き、寄り添い、先を考えて行動する事です。

今回の特別企画は、今自分が何を行動できるのか、どういう生き方が大切か、わかりました。

特別企画、心に刻んで、実践で進めていきます。ありがとうございました。

『道』を拝読して言葉では表せない感動が心に溢れています
奈良 主婦 女性


今回の『道』を拝読し
全てが繋がっている 地球上に生かされているもの全てで一つという一体感を感じました。
「豊かな森を守り抜く」
室谷悠子さんのお話を読みながら、
クマを守る活動のお話を読んでいるのに気づいたら人間の世界を想いながら読んでいる。
クマに起こっていることは人間に起こること、起こっていることなのだと強く感じながら読み進めました。
今息苦しく苦しんでいる人、子どもたち、そして命を奪われている人、子どもたちのことが心に出てきます。
「壊してしまうのは一瞬なのです」心が締め付けられる恐ろしいことです。森も人も同じこと。壊してしまうのは一瞬である。
森のことだけでなく全てにおいてそうなる前に行動、「自分が変わる」をしなければ取り返しがつかない。危機感を持つ。
希望を与える一瞬を渡すことのできる大人でありたいと強く思いました。
「大地再生へかける思い」
大地のお話を読み始めた瞬間から人間の身体のことに繋がってくる。
大地のこと、これはまた人間のことなのではと強く感じます。
「大地が呼吸不全になっている」「現場は無言に常に問いかけている」
「地球は病んでいることは間違いないですが、まだちゃんと息をしているし循環しているのですから。」
「でも息をしている間に、本当の意味で命を守るとは、守る手だてとは一体どういうことかを考えることは大事ではないかと思います。」
矢野智徳さんがお話してくださる全てのお言葉が
自分の生き方にどう向き合い、今の政治、教育にどう向き合い、真剣にどう向き合うのか、自分に向き合わせてくださいます。
そして「「結」の感覚」。
非常に深い言葉だと感動しました。そして「結」これを日本文化として日本人は持っているのだと思うと日本の本来の強さのようなものを感じます。
人を守る自分を守る、周りを自然を敬い愛する、日本人が本来持っている目に見えない芯のある強さにも通ずるところがあるのかなと感じました。
工藤清敏さんの連載
「手のひらで塩一粒一粒と出会います。」「それには時間がかかりますが、その時間が必要だと感じています。」
時間をかける 日本にはそれがあると思います。 墨を磨る お茶を点てる それには時間が必要です。
工藤さんが塩に向き合っていらっしゃるお姿から、
普段の自分が身の回りで大切にすべきこと、
文化にも人との関わりにも大切な何かを感じました。
工藤さんのお話から時間、手間の大切さを改めて感じもっと大切にしたいと思いました。
野村哲也さんの「虹を求めて」のお写真。
「虹は半円ではなく、本当は円。」
『道』に出てくる全てのことが宇宙の目に見えないエネルギーに繋がっているのだと感じます。
そして『道』でお話くださる実践していらっしゃる方々のお言葉、生き様は
宇城先生が常に私たちに教えてくださっていること、宇城先生が私たちに講義で実践で感じ見せてくださっていることが全て出てくる、繋がっています。
全てが繋がっている、生かされているという壮大なエネルギーの中で時間を捉えていらっしゃる方々の生き様、
これが『道』なんだと強く強く感じました。
全ての方々のお話を読む度に、自分は上辺だけ一部だけで捉える見方、感覚で生きているのだと強く思います。
自分の浅はかすぎる深みのなさ、心の無さ。
自分の寄り添いや心ありなんてレベルが低すぎて話にならないのだと。
真の謙虚、愛とは、自ら自然に溢れ出てくるものを心あり、愛、寄り添いというのではないか。
今までの自分の謙虚さ寄り添いはまた違いました。真の寄り添いでなかった、謙虚でもないのだ。
寄り添うふりだったから実践でも相手に力を与えられなかったのではないか。
出来ない自分ともう一段階深いところで向き合うヒントを与えて頂いたように思います。
ふりで生きている自分が大半を占めているのだとすごく感じました。
ふりということは嘘ということ。
これが自分を弱くし出来ない自分にしているのではないか。
ふりを取り除いて身体を整えていかなければと思う。
ふりだから弱い、愛がない、スピードがない、エネルギーがない、怯える、先に頭で考える、覚悟がない、寄り添いがない。
連載「気づく、気づかせる」の宇城先生のお言葉
「嘘の真反対にある「誠」を示す」この在り方を姿勢を自分の中に創っていくこと向き合ってみよう。
今回の『道』を拝読して言葉では表せない感動が心に溢れています。

『道』を読むことで、実践をされている方々のエネルギーをいただきます
大阪 30代 女性


『道』を読むことで、実践をされている方々のエネルギーをいただきます。また、氾濫している何を信じればよいか分からない情報のなかで、心ある方々からの情報をいただけることは、とてもありがたいことです。それは先生の教えと合わせて、道標のように、日常のあらゆる選択をよりよい方に導いていっていただいています。本当にありがとうございます。

宇城先生のお話のなかで、子どもに「寝ている人を立てないようにしてごらん」というとできるのに、「手をぎゅっと押さえて立てないようにしてごらん」というとできなくなる、ということがありました。心で思ったら、本来は身体はどうしたらよいかは分かっているのに、頭を通して言葉を通してしまうことでできないようにしてしまっているのだと思いました。そのように頭と言葉で子どもに接してはならない、そのために頭と言葉でできなくなっている自分を変えなくてはいけない、また無意識に対立になっている状態を、寄り添う心を持って、それに沿って行動できるように、日常を変えていかなくてはいけないと思いました。

日本熊森協会の室谷さんの、子どもたちに希望を与えられる大人にというお話に、自分の子どもの頃のことが思い出されました。環境破壊や絶滅のことをテレビで知り、それが悲しくて泣いていたこと。母には私が泣いても仕方ないと言われ、結局私は目をそらしてしまいました。そのときの私が、室谷さんのような方を知ったら、そして自分にもできることがあると思えたら、それはとても大きな希望と勇気になったと思います。私も親になりました。もっと勉強して、できる行動をしていかなくてはいけない、していきたいと思いました。それが未来の希望になるのだと思いました。

室谷さんのお話と合わせて、矢野さんのお話も拝読し、自然を壊すのが人であれば、それを修復していくのも人なのだと改めて感じました。今の建築土木が大地の呼吸を止めて詰まらせてしまっていること、近年の災害も、異常気象だけでなく、人が大地を傷つけたことによる人災でもあるのだと知りました。地理のお話や特許のお話など、今の自分では分からないところもありました。杜人の映画をみたり、もっと勉強して知っていかなくてはいけないと思いました。

宇城先生の教えを改めて噛み締め、自分自身を見つめる機会とエネルギーをいただいた
福島 団体職員 男性


『道』214号届き、拝見させていただきました。

宇城先生の特別企画ありがとうございます。宇城先生の教えを改めて噛み締め、自分自身を見つめる機会とエネルギーをいただいたかと思います。宇城先生の教えを受ける身として改めて先生がどれだけ凄いエネルギーとメッセージを発しておられるのか、自分自身がその教えを受ける覚悟があるのかを感じる『道』でした。また、同時に先生の教え、エネルギーが体に入ってくるようで、中心に向かいながら外に広がるような、文章を読みながらそのような気持ちが沸き起こってくる感じがいたしました。理屈ではなく先生の教えは、本、パソコンやテレビの画面、あらゆる媒体を超え人の心に直接働きかけることができるのだと改めて思います。エネルギーは空間や時間を超えることを実感しております。今号の『道』も時代を超え、読むべき人にきっと読まれていくような気がしております。競争ではなく調和が生み出すエネルギーというパラダイムシフトは、必死になって取り組んでいる人たちを勇気づけ、エネルギーを与える教えかと思います。最近仕事で児童養護施設や子供食堂を運営されている方たちと知り合うことができました。ぜひ道を見てもらいたいと思います。宇城先生の教えに初めて触れる方でも、人間が持つ潜在能力とその発揮を阻害している知識偏重の社会。守るという行動が生み出すエネルギーなど先生の教えについて写真と文章で自然に心に入ってくると思います。
今号では熊森協会様や造園家の矢野智徳様の取組についても読むことができました。自然と共生する生き方こそ、今求められている生き方だと感じました。本来人間は自然の中に生き、自然と共に生きてきたはずです。人間の自分勝手な我欲による開発は結局人間に返ってきて、子供達に不幸な世界を作り出してしまうことになると思いました。自然、地球の声を聴ける人がリーダーとなる社会でなければ行き詰るだけであることを今号を読み感じました。ありがとうございました。

今回の『道』はまさに今、自分がどのような考えを持って、生きていくべきなのかを明確にハッキリと指示してくれるものでした
静岡 農業 40代 男性


今回の『道』は特別企画が宇城先生という事で非常に楽しみにしておりました。
まず、最初のパッサイの型の写真から凛とした、こちらの心の曇りが晴れてしまうようなエネルギーを感じました。
本文にあるように、今現在の日本は本当に急速に没落し始めていて、それが経済や日々起こる事件、事故、そして政治と如実に表れていて、それに対するメディアの反応はただの状況分析や、コメンテーター自身のポジショントークでしかなく、ではどうすればよいのか、というものがありません。あったとしても、本質を変えるものではなく、対処療法やその場しのぎの答えしかありません。
それに対し、宇城先生の言葉はシンプルに、誰にでも分かり易く、「世の中には人を幸せにするものと人を不幸にするものとの2つしかない、調和か対立か」とはっきりと仰っていて、まさにその概念で、全てが説明がつく、と思いました。
自分の発言、仕事、存在が、人を幸せにするものなのか、それとも不幸にするものなのか、またそれが調和の上、なのか、それとも対立しているのか、人を幸せにしようとしていても、対立をしていたら、それは周りを不幸にしている、と言えると思います。
また「すべてが幸せに向かうことが進化であり、成長である」というお言葉も、全ての森羅万象、宗教や哲学、主義などを含めて、この言葉が土台になくてはならぬものだと感じます。
「気」とは「心」であり、そこにエネルギーがある。この真理を今の日本人は、その概念も、存在も、まさに失っている、忘れ去っていると感じます。優しく、心ある人の周りには人が集まり、そのような会社の上司、同僚、トップがいれば、その人の元で働く人達は、真摯に、真面目に、真剣に、やりがい、エネルギーを持って、動き、その結果、企業ならば業績があがり、学校ならばいじめや隠ぺいが無くなり、子供たちも元気いっぱいに育つと思います。
そのエネルギーが今、無くなり、「平衡状態になり、もう元には戻れなくなる」。まさに今の政治のでたらめに対し、何もしない国民がそのような状態であり、また「今のツケとともに危機が現実的になっています」というお言葉その通りの状況です。
そしてなぜ、そのようになってしまったのか。それは我々一人一人の中にある「我欲」でありそれは今の日本の教育にあるのだと、明確に、ハッキリと答えを説明されています。
知識偏重教育とスポーツの勝利至上主義。それが如何に人間のぜんざい能力、秘められた可能性を奪い、使えない人間、自己中心的で欲に流されやすい、肚の据わっていない、器の小さな人間を生み出しているのか。
これも今の日本人はその弊害に気づき始めている人もいますが、その仕組みは変えられず、またではどうすれば良いのか?が観えていないと思います。
それに対する、ハッキリとした明確な答え。それを誰もが感じられる検証や、科学的根拠、人間の本来持って生まれた、誰もが持っている可能性、その引き出し方を様々な形で我々に見せて下さっています。そしてそこに気づくには知識偏重教育により詰め込まれた今までの常識を捨てる事、それにはその常識を超える体験、経験をする事であると。これはこのような事に限らず、人智を超える、常識を超えるような奇跡ともいうべき事を体感、経験した人は誰もがそこから変化する事は様々なところで聞く事です。
そして人間が知識偏重教育である現代の義務教育を受けその人間本来の潜在能力が大人のように完全に失われ、悪い意味で出来上がってしまっている大人、ではなく、まだその可能性が失われていない子供を通して、その大人が失ってしまった潜在能力をこれも様々な検証で我々に見せて下さっています。
そしてそのように潜在能力を失った大人が更にその子供を知識、言葉で教え、更に悪いレベルが加速していってしまっていると。「今の偏差値教育や勝利至上主義のスポーツはこうした子供が持つ調和の身体と心をわざわざ壊す傾向にあり、そのことに大人が気づき、子供たちが、生まれながらに持つ力を失わないように守ってあげなければなりません」というお言葉がまさにその通りでしかないと。
「今のままの教育、スポーツのあり方では、今の自分の状態、すなわち部分体の大人を作り出す方向にしかないこと、そのことを今、一人ひとりが自覚する必要があるのです」というお言葉も、これもまたその通りでしかなく、我々知識偏重教育と勝利至上主義により、部分体になってしまった大人、自分の我欲に、負けてしまった、我々大人たちが、それを自覚し、金澤翔子さんや前島さんの連載にあるナツキくんなど、素晴らしい可能性を持って生まれてくる子供たちを守らなければならないと思います。
それが、この我欲と衝突の世界、今でも飢餓や戦争で苦しむ人たちに対して、今までどうする事も出来なかった(これも自分さえ良ければいい、という我欲、自己中心的な事の一つ)、我々大人たちが今すぐにでも変わらなければいけない事だと思います。
そしてかつての日本人にはそのような気概、生き方、精神、心があったのだと。
それはそれを持った当時の日本人が文明的に遅れているにも関わらず世界に認められたという事実があり、それには侍、武士という生き方と刀があったとのだと。そこからくる、生と死の隣り合わせの日常、それが「身体は死でも心は公」という人間性、生き方に繋がったのだと。今の政治家にはそのような言葉を語る人間は多くいますが、それは全くの嘘である事は今の日本の状況を見れば誰でも分かります。
そしてその刀の究極が「戦わずして勝つ」であり、そのような境地まで次元を高めたのは世界に類がないと言われていますが、まさに、殺傷、という事から自らも相手をも活かす、という次元は世界のどのような文化でも無いのではと思います。思想や理想、考え方、という事ではなく、実際に自分を殺しに来た相手を無力化する、れっきとした技術であり、それを究極としている、人類の「業」である「闘争」をまさに「相手との調和」へと昇華させているという事なのではと思います。
この「戦わずして勝つ」「活人剣」の境地に、殺し合いの戦国時代からまさにパラダイムシフトした徳川家康もまた生死を懸けた戦を何度も経験していて、だからこそ殺し合い、から平和、へのパラダイムシフトが可能だったのではという事と、今のいざとなったら自分だけが逃げ出す政治家たちとはまさに雲泥の差、人間としての器の差があると感じます。
またその活人剣の中にあったのが「気」でありそれは「心」であるという事。
これは江戸時代の剣聖、伊藤一刀斎の「武術の究極は真心である」という言葉が示していますが、それは日常でも、仕事でも活きてくるという事を宇城先生のお仕事の際のエピソードを持って語られおり、この交渉や、仕事における「先を取る」もまさに一番大事な事ではないかと思います。この生き方をすれば調和し、事業としても、一人の人間の人生としてもうまくいくのではと思います。
しかし、それには「心」、「人を幸せにする」というものがなければならないと思います。
そして誰もが、日常で行う事の出来る事として「寄り添う」という事が検証で語られています。「普段から人を思いやり、寄り添う事ができていれば、それがその人の自然体になり、その人自身だけでなく周りの人を守り、守られるようになります。言い換えれば、守る人、愛する人が多くいればいるほど、強くなるということです。」というお言葉の一文がありますが、これこそ、どんなハウツー本、自己啓発本を何百と読むよりも一番、人間として幸せになる方法ではないでしょうか。このような人間が増えれば、世の中は確実に良い方向へと向かうのではと確信します。
そしてそれには自分自身が変わる事。パラダイムシフトをしなければならないと思います。謙虚に知識偏重教育と勝利至上主義に染まった自分を受け止めなければならないと思います。それは無意識領域まで浸食されています。自分では知識としてでしか、自分は染まっている、と自覚しているだけで、本当に無意識領域まで、変化すれば、考え方も、行動も、生き方も変わってくるはずです。そこをまず謙虚に受け止める事が、この我欲の生み出した、無間地獄のような世界を変える事に繋がるのだと思います。我欲に捉われた人類が地球環境を歪め、他の生き物を自分達の都合の良い様に時にはその遺伝子さえも作り変え、またその人類同士でも更に殺し合う。その大罪により世界が無間地獄に変容してしまうのはそれもまた道理だと思います。そうなってしまって当然だと思います。しかし、愛洲移香斎の「剣は人を殺すものだ。きれいごとではない。根源はすべて我欲。
しかし我欲の生んだ殺人刀を封じることができるのもまた剣である」という言葉にあるように、そのような世界を作り出した人間(殺人刀)を変えられる、封じられるのもまた人間(活人剣)であると思います。
そしてその結果、そのような無間地獄のような世界を極楽浄土のような世界へと変えられるのだと。
その為には自分の守る人、愛する人を増やす事。そして守るにはまず間違った我欲に無意識領域まで汚染された自分を謙虚に受け止め、そして相手に寄り添う、そのような生き方をしていく、実践していく事なのだと思います。
巻末の「きづく、気づかせる」でもイスラエルや台湾の事が語られていて、その2つの国は「先を取って」いて、独自の強み、技術を持つ事で、世界から必要とされる国になる事で国、国民をその国に住む人々を「守って」います。
今の日本は国民を全く守っていません。まさに今の政治家は自分さえ良ければいい、「我欲」であり、またそれを許す国民にそのツケがまさにまわってきています。
今は自分さえ良くても国が滅べば結局は自分も滅ぶのにそのような事も今の政治家は分からなくなるくらい人間が劣化しているのだと思います。自分が生きている間だけで良いのでしょうか。子や孫の世代にどうなるのか。子や孫がかわいくないのでしょうか。肉親さえも愛せない人間が政治のトップになるという事はまさに亡国への一途を辿るのはそれまた当然だと思います。時間のスケールが小さい、人間の器が小さいのだと思います。

今回の『道』はまさに今、自分がどのような考えを持って、生きていくべきなのかを明確にハッキリと指示してくれるものでした。巻頭の宇城先生の記事では内容の、今の日本の現状、問題に対するその指摘の的確さ、正確さ、そしてそれを解決するにはどうすればよいのかの、そのハッキリとした明確な答え。その正確さに鳥肌を立てながら読んでしまいました。
他の記事も非常に楽しみでこれからじっくりと読ませて頂きます。
本当、に巻頭の宇城先生の記事などが大手メディアの新聞などで掲載されれば世の中の日本人にとてつもない気づきと希望を与えるのではと思ってしまいました。
自分自身もこれからどのように生きていくのか。そのように仕事に向き合っていけばいいのかの大きな答えを頂いたのと同時に自分自身の持つ、課題、甘さ、も観えてきました。

素晴らしい記事でした。ありがとうございます。このような沢山のものを与えてくれる本は他にはありません。
これからも引き続きよろしくお願いいたします。