読者の声| 季刊『道』 214号(2022年秋)
熊と森の為に一生懸命に、活動されておられる姿に、感動
千葉 技術職 50代 男性
室谷悠子さんの話しを読んで、熊と森の為に一生懸命に、活動されておられる姿に、感動しました。
行動してこそ、先生の教えが生きてくると思います。まずはできることから。
兵庫 会社員 40代 男性
今回の号を読んで、感動したところ、感じたことを書きます。
身体を通した気づき、身体を通して「教える、学ぶ」ではなく、「気づかせる、気づく」こと。「先を取る身体」など、今までにも教えて頂いたことですが、再度取り組んでいきたいです。行動すること。まずは自分が行動していくこと。できることから、しっかりとしたあいさつ、人に寄り添う気持ち、三戦の型など、取り組んでいく。行動してこそ、先生の教えが生きてくると思います。まずはできることから。
「地球を歩く」まさにエネルギーある写真だと感じました。ずっと眺めていたいです
愛知 男性
■特別企画&気づく、気づかせる
今、私は心というものがわからなくなってしまっていると感じています。心を込めることを意識すると、心を込めること自体を目的とした我欲となり、見返りを求める心の濁りが私を自己嫌悪に引きずり込みます。宇城先生の教えは、未来への希望を人間に与えてくれます。今こそ、先生の仰るパラダイムシフトが必要です。その教えに希望を感じ、変わりたいと望みますが、変われない自分がいます。変わることで何か見返りを求めようとする自分が、変われる可能性を妨げているのだと感じています。変わりたいと強く願うことで、過去を悔いて、未来ばかりを考えてしまっている私は、今が存在しない止まった時間軸で生きているのだと思います。おぼろげながらではありますが、今を広げて過去未来を繋ぐには、真心を学ぶしかないという自分の中の答えに近づきつつあります。しかし、真心がわからない。それは、まだ頭で理解をしようとしている証拠であると思います。私は生涯、真心を理解できないかもしれません。ですが、諦めずに真心とは何かを求め続けていく姿勢を崩さずに、今を真剣に生きれるよう頑張っていきたいです。
■豊かな森を守り抜く 室谷悠子さんロングインタビュー
室谷さんのロングインタビューを拝読し、
熊たち自然界の動物たちが人里に出てこざるを得ないほどに荒廃した森の状況があり、動物たちの立場にたって考えると胸が痛いという想いが行動する力になると仰られていて、まさに寄り添うことで発揮される人間本来の力から来る行動なのだと思いました。やはりこれからの日本、地球をより良い世界にしていくためには、相手の立場に立って考え行動するという心からの行動ができる人間を増やしていくことが急務であると感じました。私は、過去に季刊道の対談にて小野田さんが「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、「自分が狙われることになるから、損だろ?」とお答えになった話が強く印象に残っています。相手の立場に立った心ある想いが最も大切ですが、心を感じることが難しい人たちには、またもうひとつの視点である、『熊が安心して生きていくことができる森を守ることが、人間が安心して生きることができる環境を守ることに繋がる。』という頭でも理解できる説明が必要でもあるのだなと思いました。なぜこのように思ったかというと、私自身、まだまだ頭で理屈を考えて答えを出す癖が抜けないもので、なぜ熊を守るのか?という問いに対して、人間が安心していきることができる環境を守ることに繋がるという人間にとって得になることを説明していただき、初めて納得することができたからです。室谷さん達のように心ある方達が行動し、理屈で考えることしかできない私のような人間に諭してくださることによって、少しでも未来の為になる行動を選択できることに感謝だなぁと深く感じると共に、自分の心の未熟さに恥ずかしさを感じました。
■大地再生にかける思い 矢野智徳さんロングインタビュー
どこを受験するかを決めるために、自分の足で十校くらい回ったというエピソードがとても印象的でした。私は進学校に通っていて、その延長で偏差値だけで受験大学を適当に選びました。自分が何をするのか、何ができるのか、何をしたいのかについて考えずに受験に失敗し、辛うじて引っ掛かった大学も勉学に身が入らずに中退しました。矢野さんの受験大学を探す行動からも、自分との行動力の違いに愕然とさせられます。私は季刊『道』で紹介される方達の記事を読む際には、その方達が行動するための力、原動力は一体なんなのか?を考えて読んでいます。現在、大地再生のために忙しく活動されている矢野さんの行動力の素地は、子どもの頃からご実家の植物園で手伝いをされていたという経験からも培われてきたのかなと思いました。学生になられてからの、日本一周に旅立つという行動力にも驚かされました。矢野さんのエネルギーの源泉をもっと知りたいと感じました。ぜひ『杜人』を観てみたいと思いました。
■塩から社会を見てみれば
工藤さんの『目に見えない素粒子のネットワーク』の考え方はとても興味深いものでした。工藤さんが作られる塩も、思いを込めて作り続けると更にエネルギーが増していくのでしょう。
神宝塩をかけた果物の写真を見て、早速試したいと思いました!
■愛と関わりと連携で輝きを取り戻す子どもたち
興味関心の向くままに活動するナツキ君の姿を保育園の先生方がおおらかに見守られていたというお話を読み、自分が小学1年生になりたての頃のことを思い出しました。クラス全員で校庭の木の絵を描くという授業があり、私は夢中になって描いているとすぐに時間が来てしまいました。納得いく描き方を考案し、これからだ!という時に時間が来てしまい、焦っていると担任の先生が「時間が過ぎても、納得行くまで描いてていいよ。描き終わったら教室に戻ってきてね。」と言ってくれました。この時に感じた『自分は認められている』『頑張って完成させよう』『先生ありがとう!』という気持ちは今でも心に刻まれており、小学生の頃の一番の思い出になっています。毎号、前島さんの記事を読ませていただき、見守るということが子どもの人生にとってどれだけ影響するのかということを学ばせていただいています。
■ミツバチが教えてくれること
苦手をやっていないから苦しくならない。それを「自分がやらなきゃ!」と頑張るのは執着と拘りであり、我なのだという言葉にハッとさせられました。人生においては自分がやらなきゃいけないことは多々あるかと思いますが、何もかも背負い込んで自分が自分が!となることは真面目や責任感があるというプラスの感覚ではなく、我欲になってしまうことがあるのだということを気がつかせてもらいました。自分ができないことは、人ができるかもしれない。反対に人ができないことが、自分ができるかもしれない。そこを補いながら助け合いながら共生していくとうい心持ちが、穏やかな調和融合した世界を創っていくのですね。
■私たちは銀河のなかに生きている
深い青色の夜空と、十三重塔の落ち着いた朱色、それを縁取る金色がとても美しく見えます。写真を見ながら「1、2、3、4、5・・・・・13。あ、本当に13重だ。」と確かめてしまうのは私だけではないかと思います。佐々木さんの銀河浴の写真は不思議です。夜空の写真だけでは感じられない、地球と宇宙との繋がりをイメージさせてくれます。
■地球を歩く
虹が半円なのは、私たちが大地に立っているからであり、虹は半円ではなく本当は円なのだということに何故か心が動きました。「ああ、そうか。そうだよなぁ。地球で見ることができる美しく素晴らしい現象について、自分は気にせずに生きているんだな。」と感情を揺さぶられました。虹の輪の写真には、空、雲、大地、川、海、光、そして円の虹というなんだかこの地球の美しいものがこれでもかというくらい詰め込まれたように感じ、見ていると写真から放たれる太陽の光を眩しく感じて思わず目を細めてしまいました。まさにエネルギーある写真だと感じました。ずっと眺めていたいです。
■ありのままの私たち
山元さんが、エルサレムの嘆きの壁で祈られた際に「一番いいふうになりますように」と祈られたという文章を読み、涙が出ました。
■今日も、いい日
「アンコールはどこへ行くのか」・・・考えたこともありませんでした。私には考え付くことのない疑問です。翔子さんにとって、人が喜んで発した拍手や声援というあたたかい心は、その場で消えて終わるものではなく、どこかに流れていくエネルギーのようなものとして捉えられているのでしょうか。考えれば考えるほど、とても不思議です。
■今日一日を生きる ダルくで生きる 加藤隆さん手記
八王子ダルク施設長加藤さんの手記を読ませていただきました。学生時代の居場所を求めていた気持ちから、薬物に手を染めてしまったというお話を読み、薬物依存で苦しんでいる方達には社会からの拒絶や隔離ではなく、居場所を作ることが大切であり、またこれから薬物に出会ってしまうかもしれない子ども達を守る方法としても、家庭だけではなく学校、そして地域全体で居場所を作ってあげることが多くの人たちを未然に守ることに繋がっていくのだということがわかりました。現状に対処しながら、次の事態を未然に防ぐという今を生きながら先を取る行動が、薬物で苦しむことのない世の中を作るために必要な考え、そして行動原理であると感じました。実際に行動されている加藤さんを、影ながらではありますが、応援しております。
■日常の奇跡『紅のカヌー』
私は子どもの頃から自然に囲まれた場所で生活をしたことはありませんが、小さい頃に沢山遊び、夕焼けに包まれた記憶が強烈に残っています。大人になった今、なぜか夕焼けに包まれるということが無いなと思いました。夕焼けという一瞬の時間の時に、屋内で仕事をしているからではないかと思うのですが、こんなにも夕焼けに包まれないものなのか?たぶん、大人になってからも夕焼けに包まれることはあったのだと思いますが、認識していないのだと思います。昔は子ども心ながらに、いや、子どもだったからこそ身体いっぱいに不思議な赤い空間に包まれる時間を楽しんでいたのではないかと。安藤さんの紅のカヌーの写真を拝見すると、上空や身体の回りの空間だけではなく、湖面にも赤が写ることで、身体すべてを赤に包まれる経験をすることができるのだなと想像できます。大人になり、夕焼けに気が付かない今、カヌーに乗り美しい赤の中に身を置き、赤を全身で感じることで、私は何を感じるのでしょうか。包まれてみたいです。
特別企画、心に刻んで、実践で進めていきます
東京 専門学校講師 50代 男性
特別企画 宇城憲治先生
調和の中での競争と、対立の中の競争での本質が違う、自分さえ良ければ、今さえ良ければが現状です。先が見えないからことで、崩壊や破滅に繋がる。
人間力の低下、自分さえ良ければという我欲、目先の事ではなく、希望を持つために人間力を取り戻さなくてはいけない。
今の自分に必要な事は守る力、多くの人を守り抜き、寄り添い、先を考えて行動する事です。
今回の特別企画は、今自分が何を行動できるのか、どういう生き方が大切か、わかりました。
特別企画、心に刻んで、実践で進めていきます。ありがとうございました。
『道』を拝読して言葉では表せない感動が心に溢れています
奈良 主婦 女性
『道』を読むことで、実践をされている方々のエネルギーをいただきます
大阪 30代 女性
『道』を読むことで、実践をされている方々のエネルギーをいただきます。また、氾濫している何を信じればよいか分からない情報のなかで、心ある方々からの情報をいただけることは、とてもありがたいことです。それは先生の教えと合わせて、道標のように、日常のあらゆる選択をよりよい方に導いていっていただいています。本当にありがとうございます。
日本熊森協会の室谷さんの、子どもたちに希望を与えられる大人にというお話に、自分の子どもの頃のことが思い出されました。環境破壊や絶滅のことをテレビで知り、それが悲しくて泣いていたこと。母には私が泣いても仕方ないと言われ、結局私は目をそらしてしまいました。そのときの私が、室谷さんのような方を知ったら、そして自分にもできることがあると思えたら、それはとても大きな希望と勇気になったと思います。私も親になりました。もっと勉強して、できる行動をしていかなくてはいけない、していきたいと思いました。それが未来の希望になるのだと思いました。
宇城先生の教えを改めて噛み締め、自分自身を見つめる機会とエネルギーをいただいた
福島 団体職員 男性
『道』214号届き、拝見させていただきました。
今回の『道』はまさに今、自分がどのような考えを持って、生きていくべきなのかを明確にハッキリと指示してくれるものでした
静岡 農業 40代 男性
今回の『道』は特別企画が宇城先生という事で非常に楽しみにしておりました。
まず、最初のパッサイの型の写真から凛とした、こちらの心の曇りが晴れてしまうようなエネルギーを感じました。
本文にあるように、今現在の日本は本当に急速に没落し始めていて、それが経済や日々起こる事件、事故、そして政治と如実に表れていて、それに対するメディアの反応はただの状況分析や、コメンテーター自身のポジショントークでしかなく、ではどうすればよいのか、というものがありません。あったとしても、本質を変えるものではなく、対処療法やその場しのぎの答えしかありません。
それに対し、宇城先生の言葉はシンプルに、誰にでも分かり易く、「世の中には人を幸せにするものと人を不幸にするものとの2つしかない、調和か対立か」とはっきりと仰っていて、まさにその概念で、全てが説明がつく、と思いました。
自分の発言、仕事、存在が、人を幸せにするものなのか、それとも不幸にするものなのか、またそれが調和の上、なのか、それとも対立しているのか、人を幸せにしようとしていても、対立をしていたら、それは周りを不幸にしている、と言えると思います。
また「すべてが幸せに向かうことが進化であり、成長である」というお言葉も、全ての森羅万象、宗教や哲学、主義などを含めて、この言葉が土台になくてはならぬものだと感じます。
「気」とは「心」であり、そこにエネルギーがある。この真理を今の日本人は、その概念も、存在も、まさに失っている、忘れ去っていると感じます。優しく、心ある人の周りには人が集まり、そのような会社の上司、同僚、トップがいれば、その人の元で働く人達は、真摯に、真面目に、真剣に、やりがい、エネルギーを持って、動き、その結果、企業ならば業績があがり、学校ならばいじめや隠ぺいが無くなり、子供たちも元気いっぱいに育つと思います。
そのエネルギーが今、無くなり、「平衡状態になり、もう元には戻れなくなる」。まさに今の政治のでたらめに対し、何もしない国民がそのような状態であり、また「今のツケとともに危機が現実的になっています」というお言葉その通りの状況です。
そしてなぜ、そのようになってしまったのか。それは我々一人一人の中にある「我欲」でありそれは今の日本の教育にあるのだと、明確に、ハッキリと答えを説明されています。
知識偏重教育とスポーツの勝利至上主義。それが如何に人間のぜんざい能力、秘められた可能性を奪い、使えない人間、自己中心的で欲に流されやすい、肚の据わっていない、器の小さな人間を生み出しているのか。
これも今の日本人はその弊害に気づき始めている人もいますが、その仕組みは変えられず、またではどうすれば良いのか?が観えていないと思います。
それに対する、ハッキリとした明確な答え。それを誰もが感じられる検証や、科学的根拠、人間の本来持って生まれた、誰もが持っている可能性、その引き出し方を様々な形で我々に見せて下さっています。そしてそこに気づくには知識偏重教育により詰め込まれた今までの常識を捨てる事、それにはその常識を超える体験、経験をする事であると。これはこのような事に限らず、人智を超える、常識を超えるような奇跡ともいうべき事を体感、経験した人は誰もがそこから変化する事は様々なところで聞く事です。
そして人間が知識偏重教育である現代の義務教育を受けその人間本来の潜在能力が大人のように完全に失われ、悪い意味で出来上がってしまっている大人、ではなく、まだその可能性が失われていない子供を通して、その大人が失ってしまった潜在能力をこれも様々な検証で我々に見せて下さっています。
そしてそのように潜在能力を失った大人が更にその子供を知識、言葉で教え、更に悪いレベルが加速していってしまっていると。「今の偏差値教育や勝利至上主義のスポーツはこうした子供が持つ調和の身体と心をわざわざ壊す傾向にあり、そのことに大人が気づき、子供たちが、生まれながらに持つ力を失わないように守ってあげなければなりません」というお言葉がまさにその通りでしかないと。
「今のままの教育、スポーツのあり方では、今の自分の状態、すなわち部分体の大人を作り出す方向にしかないこと、そのことを今、一人ひとりが自覚する必要があるのです」というお言葉も、これもまたその通りでしかなく、我々知識偏重教育と勝利至上主義により、部分体になってしまった大人、自分の我欲に、負けてしまった、我々大人たちが、それを自覚し、金澤翔子さんや前島さんの連載にあるナツキくんなど、素晴らしい可能性を持って生まれてくる子供たちを守らなければならないと思います。
それが、この我欲と衝突の世界、今でも飢餓や戦争で苦しむ人たちに対して、今までどうする事も出来なかった(これも自分さえ良ければいい、という我欲、自己中心的な事の一つ)、我々大人たちが今すぐにでも変わらなければいけない事だと思います。
そしてかつての日本人にはそのような気概、生き方、精神、心があったのだと。
それはそれを持った当時の日本人が文明的に遅れているにも関わらず世界に認められたという事実があり、それには侍、武士という生き方と刀があったとのだと。そこからくる、生と死の隣り合わせの日常、それが「身体は死でも心は公」という人間性、生き方に繋がったのだと。今の政治家にはそのような言葉を語る人間は多くいますが、それは全くの嘘である事は今の日本の状況を見れば誰でも分かります。
そしてその刀の究極が「戦わずして勝つ」であり、そのような境地まで次元を高めたのは世界に類がないと言われていますが、まさに、殺傷、という事から自らも相手をも活かす、という次元は世界のどのような文化でも無いのではと思います。思想や理想、考え方、という事ではなく、実際に自分を殺しに来た相手を無力化する、れっきとした技術であり、それを究極としている、人類の「業」である「闘争」をまさに「相手との調和」へと昇華させているという事なのではと思います。
この「戦わずして勝つ」「活人剣」の境地に、殺し合いの戦国時代からまさにパラダイムシフトした徳川家康もまた生死を懸けた戦を何度も経験していて、だからこそ殺し合い、から平和、へのパラダイムシフトが可能だったのではという事と、今のいざとなったら自分だけが逃げ出す政治家たちとはまさに雲泥の差、人間としての器の差があると感じます。
またその活人剣の中にあったのが「気」でありそれは「心」であるという事。
これは江戸時代の剣聖、伊藤一刀斎の「武術の究極は真心である」という言葉が示していますが、それは日常でも、仕事でも活きてくるという事を宇城先生のお仕事の際のエピソードを持って語られおり、この交渉や、仕事における「先を取る」もまさに一番大事な事ではないかと思います。この生き方をすれば調和し、事業としても、一人の人間の人生としてもうまくいくのではと思います。
しかし、それには「心」、「人を幸せにする」というものがなければならないと思います。
そして誰もが、日常で行う事の出来る事として「寄り添う」という事が検証で語られています。「普段から人を思いやり、寄り添う事ができていれば、それがその人の自然体になり、その人自身だけでなく周りの人を守り、守られるようになります。言い換えれば、守る人、愛する人が多くいればいるほど、強くなるということです。」というお言葉の一文がありますが、これこそ、どんなハウツー本、自己啓発本を何百と読むよりも一番、人間として幸せになる方法ではないでしょうか。このような人間が増えれば、世の中は確実に良い方向へと向かうのではと確信します。
そしてそれには自分自身が変わる事。パラダイムシフトをしなければならないと思います。謙虚に知識偏重教育と勝利至上主義に染まった自分を受け止めなければならないと思います。それは無意識領域まで浸食されています。自分では知識としてでしか、自分は染まっている、と自覚しているだけで、本当に無意識領域まで、変化すれば、考え方も、行動も、生き方も変わってくるはずです。そこをまず謙虚に受け止める事が、この我欲の生み出した、無間地獄のような世界を変える事に繋がるのだと思います。我欲に捉われた人類が地球環境を歪め、他の生き物を自分達の都合の良い様に時にはその遺伝子さえも作り変え、またその人類同士でも更に殺し合う。その大罪により世界が無間地獄に変容してしまうのはそれもまた道理だと思います。そうなってしまって当然だと思います。しかし、愛洲移香斎の「剣は人を殺すものだ。きれいごとではない。根源はすべて我欲。
しかし我欲の生んだ殺人刀を封じることができるのもまた剣である」という言葉にあるように、そのような世界を作り出した人間(殺人刀)を変えられる、封じられるのもまた人間(活人剣)であると思います。
そしてその結果、そのような無間地獄のような世界を極楽浄土のような世界へと変えられるのだと。
その為には自分の守る人、愛する人を増やす事。そして守るにはまず間違った我欲に無意識領域まで汚染された自分を謙虚に受け止め、そして相手に寄り添う、そのような生き方をしていく、実践していく事なのだと思います。
巻末の「きづく、気づかせる」でもイスラエルや台湾の事が語られていて、その2つの国は「先を取って」いて、独自の強み、技術を持つ事で、世界から必要とされる国になる事で国、国民をその国に住む人々を「守って」います。
今の日本は国民を全く守っていません。まさに今の政治家は自分さえ良ければいい、「我欲」であり、またそれを許す国民にそのツケがまさにまわってきています。
今は自分さえ良くても国が滅べば結局は自分も滅ぶのにそのような事も今の政治家は分からなくなるくらい人間が劣化しているのだと思います。自分が生きている間だけで良いのでしょうか。子や孫の世代にどうなるのか。子や孫がかわいくないのでしょうか。肉親さえも愛せない人間が政治のトップになるという事はまさに亡国への一途を辿るのはそれまた当然だと思います。時間のスケールが小さい、人間の器が小さいのだと思います。
今回の『道』はまさに今、自分がどのような考えを持って、生きていくべきなのかを明確にハッキリと指示してくれるものでした。巻頭の宇城先生の記事では内容の、今の日本の現状、問題に対するその指摘の的確さ、正確さ、そしてそれを解決するにはどうすればよいのかの、そのハッキリとした明確な答え。その正確さに鳥肌を立てながら読んでしまいました。
他の記事も非常に楽しみでこれからじっくりと読ませて頂きます。
本当、に巻頭の宇城先生の記事などが大手メディアの新聞などで掲載されれば世の中の日本人にとてつもない気づきと希望を与えるのではと思ってしまいました。
自分自身もこれからどのように生きていくのか。そのように仕事に向き合っていけばいいのかの大きな答えを頂いたのと同時に自分自身の持つ、課題、甘さ、も観えてきました。
素晴らしい記事でした。ありがとうございます。このような沢山のものを与えてくれる本は他にはありません。
これからも引き続きよろしくお願いいたします。