道208号

読者の声| 季刊『道』 208号(2021年春)  

迷いが消えてすっきり   岡山 看護師 60代 女性


はじめて『道』を手にして読みました。本当に素晴らしい内容でした。
迷いがパーっと消えてワクワクし、喜び一杯で嬉しいです。
長い間学んでいた事がありましたが、結果が出なくて苦しい日々でしたが、迷いが消えてすっきりです。感謝です。

宇城先生も名嘉先生も無意識の前に自分に確固たる信念や志を感じます 兵庫 公務員 40代 男性


対談記事を読みまして、宇城先生も名嘉先生も無意識の前に自分に確固たる信念や志を感じます。自分に自信があるからこそ、無意識で動けるのだと思いました。
自分の生き方や仕事に対して志や自信を持つために、日々精進することの大切さを改めて感じました。
エネルギーがあふれている版画ってすごいですね。

廣瀬氏のパンに対する思いや人生観など凄まじく濃い内容 福島 会社員 40代 男性


廣瀬氏の記事を拝見させて頂きました。全ページに渡り、氏の個人の人生やパンに対する思いや人生観など凄まじく濃い内容の文面を思い巡らせる事ができました。
ヤクザの方にリクルートされたという部分では思わず笑ってしまいました。
『パンに嘘はつけません。』や『私の言う事が絶対ではなくパンの言う事が絶対なんですよ』とい御言葉には優柔不断かつ、すぐ、他人に流されそうになる自分自身にはかなり耳の痛い文章でした。
お話しの中での『無添加』の三文字を使った事で妨害、中傷にあったとされる内容の部分、現在、日本の経済での大企業に不利益な発言や表現した場合の反応は同じだなと感じました。この事に関しては日本だけでなく、世界でも同じだとは思いますが。

また、今の日本人が食品添加物を使っていない食品の味の記憶が親の世代から無い事にやっぱりという思いと自分の勉強不足という考えが浮かびました。自分自身の味覚も子供時代からの食品メーカーのお菓子で壊れていると思います。アメリカから製パン法、製パン機械、職人養成の仕方この三つのが添加物の原因になっているというお話しも大変ためになりました。自分達が食べている物が、どういった過程で作られているか知る事。生きていく上でとても大事な事だと思います。食べさせる人間を見づ、お金を見ている。
それに生活している自分達が違和感を感じていない状態になっているのが怖いと思います。
今後は、食に対する勉強をし、本物を少しでも食べたいと思います。

自分を成長させてくれるすごい本 福岡 男性


読むごとに気になる事、知らない言葉が目に入ります。そして、それを一回一回ネットで調べたり、youtubeで映像があれば確認したりしながら読ませて頂いています。
時間がものすごく掛かります。半ページしか進んでいないのに、数時間経っているという具合です。
その分じっくりと読み込むことができる為、理解が深まっていると思います。とても自分を成長させてくれるすごい本です。
また次回もとても楽しみです。ありがとうございます。

■時空を超えた気と木の世界
芸術家として一流の睦稔さんが感じている事が、宇城先生との対談を通じて、今までとは違う言葉、言霊として気づきや解釈が産まれて行く臨場感が伝わってきました。
対談を読ませて頂いた後、睦稔さんが版画を制作される映像を拝見しました。小学生の頃に彫刻刀を使って版画を作成したことはありますが、自分が知っている速さの次元を超えていました。睦稔さんは作品を作るというよりも、「その時のタイミングで『もらった』」という感覚であると語ってらっしゃいましたが、それは何と表現すればよいのかわかりませんが、『名誉欲』や『執着』などといった我欲からではなく、『自然の中の何かから受け取る、授かりもの』という感覚なのではないかと思いました。すでに存在しているものを版画という芸術作品として形にしていく。最初から完成品が見えている。そこに向かって手を動かして形作って行くだけ(「だけ」とは言いますが、それも大変なことですが)。人類は自分の意志で決めた事がすべて思い通りになると思い込む。自然も思い通りになると思い込んでいる。謙虚さが無くなってしまっている。自然の中で生きる一員として、自然からの恵みをキャッチできる心を育み、何か1つでも良い、人生に於いて何か一つでもこの世に表現できるようになりたいと感じました。しかし、この想いもまた「我欲」なのかもしれません。生涯を通じて学ばせて頂きたいです。

■廣瀬満雄さんロングインタビュー
「パンには嘘をつけない」という職人魂を読ませて頂きました。自分には嘘をつけないものがあるのか。嘘をつかないというくらい大切にしているつもりでも、嘘をついてしまっていることがあるのではないか。人生において幸せとは、何なのかを考えますが、嘘をつけないものを見つけることもその1つであると感じます。
ほんの少し前までは、無添加のパンというのは当たり前だったが、人類史のほんのここ最近で無添加というのが珍しくなってしまった。多くの人々が飢えない為に、食を守るために工夫してやらなければならないこともあるが、後に深刻な負の遺産を残してしまうことになる超えてはいけない一線を見極め、ストップすることが大切。廣瀬さんのインタビューから、利益を求める我欲ではなく、自制があり、妥協しない、「心あり」の精神を感じ取らせて頂きました。

■岡田沙織さんロングインタビュー
「自分を癒せていないカウンセラーは、相手を自立させることはできません。」なんと厳しく、重みのある言葉でしょうか。以前、茨城ダルクの岩井さんがお話されていた若いスクールカウンセラーとのお話を思い出しました。乗り越えた者が、同じ苦しみを持つ者に寄り添い、自立へ促すことができる。私はごく普通の両親の下、不自由なく育てられました。岡田さんのお話に出てくるような壮絶な経験を一切してきておりません。そのような方たちに比べると、とても甘っちょろい人生を送っているのかもしれません。しかし、こんな甘く育ってきた私でも『無意識の不安』が心に刻まれてしまっていると感じます。何がそうさせたのかはわかりません。「自分は癒されているのか?」「自分が子を持つ資格があるのか?」「自分なんかが・・・」という不安というよりも、「恐怖」を感じます。この無意識下にある恐怖が、何やら自分が前に進むもうとすると引き止めているような気がしてなりません。そういった心の怯えが社会全体の雰囲気として、子どもたちに伝播してしまっているのかもしれないと思いました。
LINEのメッセージ、痛々しい写真、心情を表現したイラスト。眉を顰め、目を背けたくなってしまうほどの現実。実際の現場はこんなものではないのでしょう。見聞きしたことがあるという程度の世界で、普段の生活では触れることが少ない問題。そういった問題にも目を向けさせてくれる。そして実際に活動し立ち向かっている岡田さんのことを知ることができました。『あなたは何も悪くない』を購入しました。この本も読ませて頂き、岡田さんを通してさらにこれらの問題を自分事として受け止めて行きたいと思います。

■ミツバチが教えてくれること
ハニー艇、作曲、ZOOM会議など、コロナ禍で制限をしいられている世の中であっても、ハニーさんの活動が広がっていっていることが分かります。自分の「好き」なことは何だろうか。

■私たちは銀河の中に生きている
月に地球の光が当たるの?!と、驚きを持って写真を観ました。見たことがない月の姿でした。塵のようにしか見えない星々の中で、いろんな表情を見せてくれるお隣様のお月さま。宇宙の果てしないスケールに畏怖の念を感じると共に、お月さまが愛おしくなりました。

■地球を歩く
阪根大学のお話、講師の方たちがとても豪華で興味が湧きました。
コロナ禍であり、外に出ることができない状況ですが、早く事態が収束し、海外をたくさん回られる野村さんの姿、お話を楽しみにしています。

■きょうも、いい日
「恐怖」は私の行動を縛りつけます。過去の経験から来る恐怖は、時に身を守ってくれますが、失敗を恐れて何もできなくなるというマイナスの側面がとても強いと感じます。翔子さんの幸せの方程式は、人間の100年にも満たない短い人生を幸せに生きてゆく為には必要なものだと思いました。

■ありのままの私たち
ペストやエイズのお話、人類は個々人ではなく一つの集合体でありすべて繋がっている地球上の生き物であるのだと感じました。今回のコロナ禍は、人類に対しての地球からの警告であり、今回命を落とす方たちが出てきますが、人類の歴史の一部として免疫を伝えてゆくことになる。また命を落とすのが自分自身であったとしても、それは地球の意思であると思えるくらいの心を持ちたいと思いました。実際にはとても難しいと思いますが。。。

■愛の関りと連携で、輝きを取り戻す子どもたち
子どもたちの回復事例を示して下さり、私の頭に「これを知ったら希望を持てるようになるかもしれない」という方がふと浮かぶことがあります。
今回浮かんだ、支援学級で働かれている方に季刊道を通して前島さんのことを伝えようと思います。

■今日一日を生きる
「ネット情報ではなく、一か所でじっくりと相談することが大切である。」インスタントではなく、じっくりと時間を掛ける。武術の修行も経過した年数ではなく、稽古した年数が大切であると師は教えてくれています。今、救われたい人は、今すぐに答えを求めて、インスタントに走ってしまう。それでは解決しないという経験をされている岩井さん、そして岡山家族会の松浦さんをはじめ、多くの家族会の皆様が、命がけでその「場所」を提供されている。薬物依存は社会にとっても、そして当事者、そのご家族にとっても長い年月を要し蝕んできた問題であり、それを解決するためにはもっとじっくりと時間を掛ける必要がある。この問題に立ち向かい、寄り添う命がけの活動に、頭が下がります。

■気づく、気づかせる
気は顕在意識に働きかける。潜在意識では辿り着かない答えがある。先生が教えて下さる気の世界ですが、答えを求めようとして頭を使ってしまう癖が抜けません。感じることが大切であるという先生の教えを、日々の稽古に於いて注意していきます。
いつの間にか「相手の事の起こりを制す」ことで上の勝ちを得ると思いこんでいました。しかしこの段階であっても「中の勝ち」であると。不覚でした。
「進歩、成長とは変化することである。変化するとは、深さを知ることである。深さを知るとは、謙虚になることである。」という先生のお言葉。また一段階深く教えて下さった今回の「気づく、気づかせる」の内容を、次の「道」発刊までに想い続け、また新たな気づきを頂けるよう精進したいと思います。

■日常の奇跡
エゾモモンガの事を、アツカムイ「群棲する神」、アッカムイ「子守の神、優しさを与える神」と呼び、熊と同様に「神様」としている。アイヌの方たちは、自然に生きる動物に敬意と畏怖の念を持って接してきたことがとてもよく分かります。「正しく自然を捉え、理解して共に生きる」という言葉、忘れずに心に刻みたいと思います。

岡田沙織さんの寄り添う姿勢に、まさに愛を見た 千葉 40代 医療従事者 男性


岡田沙織さんの記事はこの現代にとても重大なメッセージであるように感じました。理不尽な被害に遭う若者に、彼ら彼女らの希望を聞いて静かに寄り添う姿には感銘を覚えました。

このコロナ禍において、自粛警察やマスク警察など自分勝手な正義が散見されました。それが虐待問題についても「通報したから大丈夫。良いことをした」というような短絡的な行動と、何ら違いがないことが良くわかりました。

単に自分の正義感を満足させるだけで、問題の表面の奥にあるものを全く考えていないのですね。
こうしたことが浅い考えでしかないことを悟らされ、自分自身が薄っぺらなキレイごとをいう正義感しかもっていないのではないかと自問することができました。

聖書に「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」という一節がありますが、岡田沙織さんの寄り添う姿勢に、まさに愛を見たように思いました。

おふた方の到達地点の高さが響き合って素晴らしい対談  宮城 医師 70代 男性


木をこよなく愛し作品を生み出す名嘉睦稔さんと気を自在にする宇城先生の対談はおふた方の到達地点の高さが響き合って素晴らしい対談でした。名嘉さんの作品が生み出される時の名嘉さんの身体と心から来るエネルギーが作品に入り込み鑑賞する者に感動を与えることが良くわかります。遅まきながら睦稔さんの版画集を購入して感動を味わっています。またお二人の対談から「思考の深さ」「守破離の連関」「入る」「気は細胞との会話」など多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。

廣瀬さんのパンに対するこだわり、無添加パン職人のありようは食の本質に根ざしたプロだとひしひしと感じられます。こういう食が本来の形ではないでしょうか。

岡田さんのインタビューは重いテーマで自分とはほど遠い世界のように思っていましたが、コロナ下の現状では誰でも直面することだと改めて感じました。インタビューの最後で「自分が何かをしても無駄だと思わずに手をさしのべて欲しい」とのこと、日頃からまず行動することの大切さを肝に銘じたいと思います。

安藤さんの「エゾモモンガ」慈愛に満ちた素晴らしい1枚です。正しく自然をとらえ理解してともに生きるアイヌの人たちの心情こそ大切だという安藤さんの言葉は胸に響きました。

最後に、金澤翔子さんの満面の笑顔と書・・・心が癒やされるフォトです。
素晴らしい笑顔に感謝、素晴らしい季刊『道』に感謝です。

大事な時、心の切り替えの時、『道』の必要性を一段と感じています  東京 50代 男性


「宇城先生と名嘉氏との対談 時空を超えた気と木の世界」について

人は生きていく為に酸素が必要、酸素は木が必要。
人は行動するのに気が必要。
無意識とは体験、知恵から生まれる。
「祈る」から人は調和融合し行動できる。
「打って勝つのは下の勝ちなり、勝って打つのは中の勝ちなり、戦わずに勝つのは上の勝ちなり」
今の自分の状態、何をこれから出来るのか、何をするのか、何をしなくてはいけないか。
対談を通して気づきました。
大事な時、心の切り替えの時、道(DOU)の必要性を一段と感じています。

大人が変わらなければいけないを痛感  東京 造園業 50代 男性


名嘉睦稔さんと宇城先生の対談は睦稔さんが沖縄出身であることから、小さい頃空手が当たり前の中で培われた何かが版画家としての形となり、技となっていることから、宇城先生が絵が時空に飛びだしていることを観ておられることを、また絵の前に立たれて後ろから押すと強い事など、実証されていることと、睦稔さんの宇城先生への質問など奥の深いお話しを聞かせていただきました。

岡田沙織さんのお話から、昨今のコロナ禍で大人が子供を苦しめていることを知りました。そうした子供達を支援し行動する事は、けっして安易に出来る事ではないと感銘を受けました。宇城先生が常日頃仰られている、大人が変わらなければいけないを痛感しました。

金澤泰子さんのお話で翔子さんが地震がきたら一緒に揺れるなど、コロナに対してもポジティブなところは、今の混沌とした世の中に全ての人がこうあったら良いのにと考えさせられました。

「絶対に目を背けてはならない真実」として、一言一句を肝に銘じるかのように読ませて頂きました  愛知 教員 40代 男性


岡田様は、年齢が私(1972年生まれ)に近いことから、同世代という、こともあり、どのような活動をされてみえるのかと『道』を読む前から大変関心を抱いておりました。

しかし、話の内容は、次第に重いものとなり、軽い気持ちだった関心から一転、「絶対に目を背けてはならない真実」として、一言一句を肝に銘じるかのように読ませて頂きました。

まず、岡田様の自分の壮絶な人生をさらけ出す勇気に頭が下がります。
そして、文中の「虐待を受けている子も、何かの意味があってその役割をやっている……それを乗り越えた先に、その経験を生かす本当のお役目が待っている。」のの言葉に、常に広い視野を持たれ、ご自身のご経験から周囲に振り回されない強い信念(中心軸)を感じました。

幼少のころを過ごされた1970年代、青年期であった1980年代は、日本では各家庭にカラーテレビ、クーラーなど家電製品やマイカーがひろまり、大きく経済成長をして豊かな時代への転換期であったと思います。
それに伴って、暴走族や集団リンチ事件などの少年が関わる犯罪も多発し、さらに、「積み木くずし」「金八先生」などで不良が扱われるドラマが流行した時代でもありました。

この経済成長の裏の暗闇(負)の部分を、岡田様は全てと言っていいほど一身に背負われていたような気がします。

そして、「自分でお母さんを選んで、お役目に必要なことが今起きている……私自身がそうだったから」「今は私に寄りかかりなさい」と言いきれるお心のレベルまで達することができたと思います。

ゆえに、リーダーの器によって、若者メンタルサポート協会は、「目的と手段が入れ替わって、助成金を取るための活動になってしまう団体」とは一線を画していることがよく分かりました。

次に、「死にたい」メッセージを書いてきた子へ、「どんだけ死にたいんだよぉ(笑)」と返信され、その子たちを腫れ物に触る扱いをしない姿勢が大切であると勉強させて頂きました。
「こんなに普通に接してくれる大人はいない」、これはメッセージを書いた子の本心だと思います。
人間が心と心の会話をすることで、それによって人を動かし、人を助ける救えるのだと強く感じたところです。
よく大人や先生 からすぐ口から出る「病院へ行こうか」「心療内科に行こう」という言葉は、結局、自分の立場や世間体からで、心から発したものではなく、その態度は、子供には嘘つきの大人にみえるのだろうと思いました。

今は、1970年代、1980年代のころの暗闇(負)部分とは違ってきています。発散する場所もなく、もがき苦しむ若者に対して心で向き合い、彼らの「居場所」を日向にすることができるのは大人しかいません。
「まず動いて手を差し伸べる」「絶対返ってくることがあるから動く」……最後のメッセージを受け取りました。ありがとうございました。

現状をこの記事で読んで、怒りがこみ上げてきました  静岡 農業 40代 男性


名嘉睦念さんと宇城先生の対談では名嘉さんも昔、空手を学んでいたこともあり、途中から場が一つになり芸術や空手、という事を超えた所でのお話になっている、と感じました。勿論お二人の想像を絶する次元のお話をすべて理解できることはできませんが、それでもとてつもなく深いお話だという事は感じる事ができました。

パン職人の廣瀬さんのお話は気概のある人、という印象がありました。
パンの無添加、に対する想い、度胸も、技術力が無ければ、良い材料が使いこなせない、というお言葉に、自分自身も本当に良い刺激を頂きました。添加物を巧妙に隠す、今の企業や、アメリカのパンの機械しか見ていない、利益しか見ていない、そのやり方に、本当に人間の欲とは酷いものだと思いました。
またその気概の元にはアメリカで韓国の女性にお世話になった事や、右翼の人物の方など、沢山の方の世話になっているという想いがあったからだと思いました。
医療費、サプリメントのお話なども、本当にその通りだ!と頷きながら読んでしまいました。サプリメント代や薬剤、なんかよりも本物の味、を身体で感じて、心も体も健康になるほうが、どれ程良い事か。食、から医療へのこの負の循環に今の日本人は巻き込まれていることに大多数が気づいていないと思います。それは廣瀬さんの仰る、「味の記憶」が無く、味覚がおかしくなっている人が増えているという事がまさに原因であると思います。
自分も無肥料・無農薬で野菜を育てていますが、その野菜の味が濃すぎる、と言って食べれない子供が今はいたりするそうです。「偽物」や「体に悪いもの」で育ってしまうとどのようになってしまうのでしょうか。そうでない人間よりも明らかに、健康ではなくなると思います。
そのうち、AIに育てられた子供が人間の愛情を感じる事ができなくなる、そのような人間が生まれてくるような気がして、恐ろしく思います。

岡田沙織さんの事は今回の『道』で初めて知りました。本当に壮絶な体験をご自身もされていて、それでも子供たちの為に活動されている。子供たちの死にたい、は生きたい、なのだという事。そしてこの国の大人が如何に子供達を守る事ができていないのか。現状をこの記事で読んで、怒りがこみ上げてきました。
活動の中で、自分で自分を馬鹿にしていた、蔑ろにしていたことに気づかれ、前を向かれた話や、誰かを助ける事で自分を満たそうとするのは違うという事に、やはり我欲が信念を持って生きる事でその過程でそぎ落とされて、魂が磨かれていくのだと感じました。そのような信念、子供達と寄り添い、救うという心を持った方が、リーダーとならなければ、この国は滅んでしまうのではと思います。
NPOの活動をする中で、助成金を得るためのものになってしまったり、ヒエラルキーをなぜか作ったりと、そこにはそこに携わる人間の欲、まさに自分の承認欲求などを満たそうとしている人間がそのような事を無意識でしてしまうのだと。
そして共依存になり、本末転倒な事になってしまうのだと。真に向き合っている人間は一緒にやりましょう、になるのだと。本当にそのように思いました。
そのような事も、本当に学ばなければならないと。それには岡田さんのような信念が無ければ、世の中を逆に複雑化させてしまうのだと。自分が満たされなければ、真に人を助ける事などできないのだと。今の日本人の様々な活動のうまくいかない原因が、全て、岡田さんのお話で分かると、そのように感じました。

今号一番印象に残り、衝撃的だった岡田沙織氏の記事  東京 会社員 50代 男性


巻頭対談で、見開きの作品を見た瞬間「これはゴッホだ」と直感しました。

「真南風の向日葵」はゴッホの「向日葵」そのもの「赤瓦の家」は「オーベルの教会」「妹の祈り」の背景が「ローヌ川の星月夜」を思い起こさせました。

名嘉睦稔氏は存じ上げてなかったのですが、自分なりに調べてみると、本文にもありました棟方志功さんに大きな影響を受けたとのこと。

私は中学生の頃、その棟方志功さんの記録映画を見たことがあります。
棟方志功さんが、青森弁で
「わだば(私は)ゴッホになる」
と言いながら、版木に向かって彫刻刀を走らせていました。
棟方志功さんはゴッホを目指していたようです。

名嘉氏は、
「描いている切先から絵が生まれてくる」

「絵は自分で描いたのではなく、絵がもともと
既にあって、たまたまそのタイミングでその絵
を自分で取ったという感じ」

などと仰っていました。

私も名嘉氏の作画プロセスを動画で見ましたが、制作前に祈りを捧げ、いざ作業に掛かると、何かに取り憑かれたかのような、もの凄いスピードで一気に彫り上げる姿に驚きました。

これはただ単に、棟方志功さんやゴッホの影響を受けたというのではなく、制作中、無意識のうちに、時空を超えて棟方さんやゴッホと一体になり、沖縄の自然とか、郷土愛などの思いが渾然となって調和して版木に浮かび上がらせているのだなと感じました。

そしてそれが作品からエネルギーとなってほとばしり、見る者に感動と元気を与えるのだと。
特に作品「節気慈風」にそれを感じ、実際に実物を見てみたいと思いました。

お二人が芸術と武術という全く違う分野でありながら、非常に高い次元で共通点を見出し意気投合する様は圧巻でした。

「守破離の円環」とは新しい気づきでした。
「稽古照今」とはこのことかと思いました。

無添加パン職人の廣瀬満雄氏の記事では、廣瀬氏の
「パンは無添加で当たり前」
という信念の徹底振りには驚きました。

東日本大震災で放射能汚染の疑いがある為、それが災害であり、廣瀬氏に落ち度が全くないのに東京の店舗7店を閉鎖するという決断。

従業員の雇用など考えると、並大抵の決意では出来ない決断だと思いました。

また、「パンには嘘はつけない」という言葉。
原材料の一つ一つが本物志向で、それが”ヴァニラ”に象徴されていると感じました。

素人は抽出物の”バニラ”と本物の”ヴァニラ”の区別は知らないし、パンに混ぜ込んでしまえば全く分からないと思います。

それにも関わらず、コスト志向に陥らず、本物を使う姿勢は素晴らしいなと。

しかし、これらの事は廣瀬氏にとっては「当たり前」のことであって、「素晴らしい」と思う私は、逆に”妥協”や”フェイク”の世界にどっぷり浸かっているのだと改めて気付かされました。

私もこの記事を読んですぐパンセットを注文しました。
どんなパンなのか届くのが楽しみです。

今号で一番印象に残り、衝撃的だったのが岡田沙織氏の記事でした。

「日本はこんなに壊れているのか」
とショックを受けました。

最近、北海道で凄惨ないじめを受けていた女子中学生が自殺した事件がありました。
その中学生やご両親のことを思うとやるせなく、また、学校や教育委員会の隠蔽体質に憤りを感じていましたが、この記事はそれに追い討ちをかけられたようでした。

子供に対する虐待の実態に戦慄さえ覚えました。
私も思春期の娘がおりますが、我が子を手にかけるなど鬼畜の所業としか思えません。

相変わらず、学校や児童保護施設のお役所体質や教条主義、補助金目当てのNPO法人にも唖然とします。どこもかしこも腐っています。闇は限りなく深いと思わざるを得ません。

記事によると、コロナの影響で、岡田氏の主催するNPO法人には昨年12月で4万通の相談が寄せられたと。

おそらく、これは氷山の一角で、相談できないでいる児童生徒は数十倍になるのではないかと思われます。

挿入された絵と
「傷つけられるとわかっていても嫌いになれないよ。
だって世界で一人の母だもん。」
の添え書きや
「子供の『死にたい』は『生きたい』の叫び」
には胸が塞がります。

子供は親に依存せざるを得ず、本来、安らぎの場であるはずの家庭に居場所がないとは、なんて残酷なことでしょう。

岡田氏については、サイトを拝見し、著書『あなたは何も悪くない』も読みました。

最初、FM放送スタジオの様子では微塵にも感じられませんでしたが、岡田氏も壮絶で波乱万丈に人生を歩まれた事を知り、「ああ、そうなのか」と納得させられる思いでした。

ご自身も壮絶な経験があり、身を持って痛みを知っている。
そしてそれを乗り越えて浄化しているからこそ、苦しんでいる子供たちに寄り添うことができるのだと。

著書の中で岡田氏は、
「お釈迦様みたいになりたい」
と述べられていましたが、私は、岡田氏が菩薩様に思えました。
苦海から生まれ、同じように苦海で苦しむ子供たちに寄り添う菩薩様。

記事にもありましたが、これらの問題の原因は100%大人にあると思いました。大人が、経済的に精神的に余裕がなく、弱い子供たちがそのストレスの捌け口にされる。大人が、良い学校、良い会社に入れば安泰という間違った価値観に洗脳されている。
そもそも大人自体が癒やされていないし、大人にその自覚すらない。
先ず、大人から変わらなければならないと強く思いました。

そして大人が余裕を失っているのは、「今だけ、金だけ、自分だけ」の社会風潮にもあると。

今号も読み応えがあり、それ以上に色々考えさせられ、気づきも多い号でした。
ありがとうございました!

読み返し読み返し日々の学びに繋げていきます  奈良 主婦 50代 女性


宇城憲治先生 巻頭対談 版画家 名嘉睦稔さんとの対談を拝読して

「一点に集中していて、全体が見えている」
「考えて彫っているのではないな」との宇城先生のお言葉、空手や気、本来持っている身体のエネルギーのお話から道塾で私たちが身体で感じさせて頂いているようなとんでもない力で名嘉睦稔さんは彫っていらっしゃるのだと、版画の作品から凄いエネルギーが出ているのだと、対談を拝読して感じました。
同時に普段の宇城先生のお姿が浮かびます。

自分自身もどんな時でも普段の生活の中で頭で考えて行動に移すのではなく、
「一点に集中していて、全体が見えている」
そんな身体に少しずつ近づいていけるよう日々が修行だと感じます。
これは頭ではできない 身体で感じ鍛えていくしかない。
それができたときどんなふうに感じられるのか、どんな力が出てくるのか楽しみでもあります。

大豆のお話 「生き切る」というお言葉が心に残ります。
途中で命を絶ってはいけない人間も生ききり次世代に繋げていかないと
循環を自ら切ってはいけない今の世の中、環境、それぞれに息苦しさがある
大豆のように「生き切る」それを感じさせて頂けたのは
宇城先生に身体でできる自分を生かされている自分を感じさせてもらえたから、気づかせて頂けたからです。言葉では無理。
世の中の様々なものに、情報に振り回されてしまうどうしてもぶれてしまう、横着さが勝ってしまう、癖が抜けきらず欲が出る、頭が先になるそこをぶれずにしっかりと軸を立て直そうとできるのは師の存在があるから。

「タコ糸」
師を持ち、師を心し、その大切さ有難さ、それがいかに偉大なものか
そう感じさせて頂けた自分はどう在るべきか
答えのない日々を身体に聞きながら感じながら行動していきます。

『道』(167号)の名嘉睦稔さんのお話、お言葉から「はっ」と、
また頭で考え世の中の考え方に合わせてしまっている自分がいる
自分の枠にはめ込んで子どもに押し付けている自分が勝りかけている
横着な自分がでてきてしまっている目を覚まさせて頂きました。

無添加パン職人 廣瀬満雄さん
ひと手間をかけることは相手を想うこと
美味しいものを食べて怒ってる人はいない
美味しいものを食べたら皆が笑顔になる
身体が感じる美味しいものを食べて心も身体も元気になるこんなに嬉しいことはないそんな力を持つ食を大切にしたいと改めて感じました。

そんなひと手間を毎日家族に人に渡していけることは嬉しいこと。
改めて無添加、味を身体で感じる、身体は覚えている「味の記憶」の重要性を感じました。
それを担っているのが毎日食卓を守るお母さん、給食。
今日から変えれることを取り入れて子どもたちの味の記憶を守る、修正します。
それが子どもたちの身体、心を守ることに繋がる
部分体から統一体になるということにも繋がる
そう思うと、毎日の一口一口の重みを感じる
そして子どもたちの身体に入っていくと思うと、毎日忙しい中でも食材選び、料理をするときのひと手間が嬉しく愛おしいと思えるものです。
次世代の子どもたちがまた次に繋げていけるように「味の記憶」を修正していきます。
岡田沙織さんのお話から、大人が変わることの重要性、そして親も同時に犠牲者であるので大人にも救いの手、気付きのきっかけとなる居場所が必要だと改めて感じます。
前島由美先生、国光美佳先生のご活動、大人も子どもも身体、心から元気になる。
本来持っている人間の素晴らしさを取り戻す時間を与えてくださっている。

「道」でのお話、全てが次世代に人を生かす、次世代に繋がっていく活動である。
こうして「道」でお話してくださる人々からたくさんの気付きを頂き、
癖や横着さが増し、軌道から外れかけている自分を修正してまた軌道に乗せて頂ける。

たくさんの学びを有難うございます。
実践行動、日々自分が変わるを続けます。
ふとした時、頭で考え居付きの身体になってしまう時がある、固まってしまう。
宇城先生のお言葉「ゼロ化」 身体で感じさせて頂いている「ゼロ化」
また自分の浅いところでの自分なりの解釈だったと感じる。
頭で考える居付く身体になっていきそうなとき、そっちに引っ張っていかれそうなときストンと自分の中に何かを落とし込む、矢印を自分に向ける、そんな瞬間瞬間の連続です。
直ぐに気が緩んでしまう
また姿勢を正す
自分の中心へ気持ちを呼吸を整える

こうして日々日常の中で自分でも修行、鍛えることができるのだと感じる。それを大切にする。こうして途切れずに自分と戦い続けられるのは師を持ち、師を心するからこれがなければ今の世の中どうしてもぶれていってしまうのではないかと思う。

「道」今が未来をつくる
読み返し読み返し日々の学びに繋げていきます。