道205号

読者の声| 季刊『道』 205号(2020年夏)  

宇城先生との対談、話が壮大で大変すごかったです  兵庫 40代 会社員 男性


写真家の野村哲也さんのフィッツロイ山の無意識の写真の話が、プロの技術ではなく、ただ知らない間に撮ったすごい写真であることに、ただただ感動しました。こういう写真を撮れるのは、普段からの野村さんの心の持ち方や行動にあると思います。
宇城先生との対談、話が壮大で大変すごかったです。ありがとうございました。

フィッツロイ山の写真に
胸がつまるような、こみ上げるような感じがきて感動
   香川 50代 女性


昨年秋に、山元かっこちゃんのモナの森の会に参加させていただき、はじめて野村てっちゃんにお会いしました。
その時に質問させてもらった事がありました。「私は今のところ、てっちゃんのツアーに参加予定がないのですが、てっちゃんのお写真を見て、そこに行かなくても同じ状態になれますか?」
現地に行ったほうがよいですが、行かなくても体感できると思います、と言ってもらいました。今回初めて「どう」購入で野村さんのお写真を拝見し、特にフィッツロイ山の写真を見ていたら、胸がつまるような、こみ上げるような感じがきて感動しています。
宇城さんとの対談はかなり興味深かったです。
吉田さんの菌ちゃん講座も参加した事がありご縁を感じました。

ぐいぐいと引き込まれて一気に読んでしまいました   千葉 医療従事者 40代 男性


菌ちゃんファームの記事は、納得尽くしでぐいぐいと引き込まれて一気に読んでしまいました。私自身も今、「道」186号で知った「野口のタネ」に直接伺い、そこで購入した固定種を家庭菜園にて栽培しています。

吉田俊道理事長のお話は、子供たちにどうやってこの自然のサイクルを伝えていくのか大変参考になりました。

私自身は、食物連鎖という言葉を知っていれば、自然のサイクルを知ったかのような錯覚を起こしていました。そんな頭だけの知識ではなく、子供たちには、目の前で野菜の種をまき、育て、収穫して、食べて、身体を通して命の循環を伝えたいと思いました。

「野口のタネ」の野口勲さん、204号の比嘉照夫教授、今号の吉田俊道理事長と、学ばせていただいた話をできるかぎり取り込ませていただいて、次世代に繋いでいきたいと思います。

巻頭対談は終始ワクワクする内容   東京 不動産業 20代 男性


私たちは時間場所を超えて、間違いなく心で宇宙とつながっているということを感じる号でした。

野村哲也さんと宇城先生の巻頭対談
野村さんが世界中を自らの足で巡ってご経験された多様で不思議なエピソード、そしてご紹介されている数々の素敵な写真に引き込まれました。そして宇城先生がその不思議を「気」の世界で切り込んでいかれ、読んでいて終始ワクワクする内容でした。
写真の中に事実があり、その中に真実、そして真実のその先に真理があり、心の働きによってそこに導かれているというところが特に印象的でした。心の働きが宇宙と人間をつなぐことを当時の人も直感的に知っており何よりも大事にしていたからこそ、ギョベクリ・テペ遺跡には、「祈りの場」しかなかったのかなと思いました。
冒頭のフィッツロイ山の、まるで昼と夜が同居したような超然たる景色、鏡面のように静かな水面を見ていると不思議と心が落ち着くように感じます。また、マチュピチュの写真にもひきつけられました。風が吹き、雲が動いているような壮大な躍動感、大きな流れの中に生きていることを感じる爽やかな1枚でした。

菌ちゃんふぁーむ園主・吉田俊道さんの「土づくりは人づくり」の記事
吉田さんが、野菜を「家族」「生きているもの」として生き生きとしたストーリーで描き語っていらっしゃることで、子どもたちが心をオープンにして感性豊かに学んでいく様子が印象的でした。「ホウレンソウ家族」が命をつないでいる、という表現は私自身とても新鮮に感じました。無機質な記述ではなく物語を持つことでこそ、「いのち」を感じることができるのだと思います。お父さん、お母さんというタテのつながりを紐解いてゆけば必ず地球、宇宙につながっていきます。菌の働きも含めて、世界には無駄なものが何一つなく、すべてがうまくいくようになっているのだと直感的に感じることができました。

金澤泰子さん、翔子さんの「きょうも、いい日」の記事
翔子さんの「コロ太郎、お空の上の遠くに逃げてね。冥王星に行けば大丈夫だよ」という言葉にとても心が和みました。コロナウイルス=「消滅させるべき敵」という見方に囚われることは、問題を自らの外に置き、自分ごとではなくしてしまう危険があると感じました。自分は悪くない、すべてはコロナが悪い、という無責任な姿勢こそが事態を悪くしてしまう1つの原因かもしれません。

安藤誠さんの「日常の奇跡」の記事
キツネの美しい姿、特に母キツネの曇りなき瞳にひきつけられました。無垢な子キツネを背で受け止める優しさと、周囲の警戒を切らさずに常に臨戦態勢にある峻厳さから、「護る」強さ、生きる逞しさを感じました。素晴らしい写真を見せていただきました。ありがとうございます。

様々な気づきが次から次へと   静岡 農業 男性


巻頭対談、野村さんの屈託のない人柄が伝わってくるようでした。野村さんの「気というのは世界の共通語ではないか」というお言葉に、やはり世界中を回り、自然の神秘をその肌で感じている人の感性ではそのように感じられるのだなと思いました。

また野村さんの良い写真は「その場そのものがそのまま写っている、その他の写真は自分という媒介者がいて少し濁っている」というお言葉に対し、宇城先生が「月は池に映るともなく、池は月を映そうとも思わぬ広沢の池」という武術の教えの言葉があることを言われ、野村さんが世界を回り、良い写真はどのような時に撮れたかを自らに問いかける事で、武術の教えにある事を感じられていた事に、何事にも通じる武術の奥深さを感じると共に、真摯に写真に向き合う野村さんだからこそ、そのような世界を感じる事ができたのだなと思いました。そしてその後の、宇城先生の「真理とは宇宙の理でそこに導いているのは自分の心」というお言葉にまさに野村さんの心がそこへ導いたのだと感じました。

野村さんの「この10年間ずっと探し続けていた答えを体感させて頂いた」との言葉に、この経験を通して、野村さんがこれからどのような作品を生み出していくのか、非常に楽しみです。

吉田俊道さんの記事では自分も農業をしていることもあり、本当に共感しながら読ませていただきました。
野菜達を自分達人間と同じ、一生懸命生きている仲間、だと子供に感じさせる本などが無かったという事、それを大人が気づかなければならないと思いました。キュウリの力を信じてなかったとご自身が感じられたとの事、そのようにまず、大人がそれを感じなければ子供たちに伝えることなどできないと思いました。そしてその感性、地球との一体感を幼児期に身につける事が本当に愛のある教育ではと思いました。

「いいクラス、いい土をつくる」というお言葉にも、本当にその通りだと。
まず、決まりや規則、を作るのではなく、その場の空気、雰囲気を作る、という事がまず最初になければならないと本当に思いました。このような地球との一体感からくる感性が、今の人類、日本政府には圧倒的に足りていないと思います。
自分も保育園で野菜の栽培指導をしていますが、今回の吉田さんのお話は本当に普段の自分とも通じる事が多く、保育士さん達とも共有しようと思います。

「気づく、気づかせる」の荒れ狂う川の流れを止める大きな石には、世のため人の為という心が絶対である、私利私欲では大きな石にならないという一文に今の日本のコロナ対応の右往左往する状況に納得してしまいました。

また「心がなければ真理もない」というお言葉に野村さんの巻頭対談が浮かびました。そして本当にこのお言葉自体が「真理」だなと思いました。
最後にある、メッセージもまさに今回のような困難が来ることを予知していたかのような内容で、やはり武術の「先をとる」とは相手の動きは勿論、このような未来を読む、読み取ることもできるのだと、そこに驚愕とその中に見出す事の出来る希望に、心が揺さぶられます。

心の取材ノート、菅原文太さん、本当に良いお歳を召されたなと思った数少ない俳優でした。このような誌面では語られないお話に本当にお人柄が表されます。文章からエレベーターでの菅原さんの笑顔がこちらも浮かびました。

裏表紙の安藤さんの写真、文章の中で今こそ考えたり振り返る機会を与えられている、というお言葉、本当その通りだと感じます。
そして過去最多のクマが殺処分されていることに衝撃を受けました。
クマは人間と森の境界線、里山が無くなったり、元々彼らの領域を人間が犯したのが原因で、出てきただけです。まさにクマとも共生できない人間が目に見えないコロナとできるのかと。吉田さんの記事にあった、循環を体感していない、知識でしか知らない先生が子供たちに教えている限り、それはできません。

このコロナ禍でもやはりこの『道』に登場される方々は信念を持って、前に進まれていて、そしてやはり対立や、怯えではなく、調和を語られていると感じました。まさに共生、そして人間だけの地球ではないという事を訴えているように感じられました。
『道』は毎号毎号、様々な真理、平和、希望へのピースが絡み合い、共鳴し合い、構成されているように感じます。そこには自分の人生を、この困難な時代を自らの手で切り開くための大きなヒント、指針があると感じています。
感想も、本当にメールに打ち込めないほどに、様々な気づきが次から次へと一つ一つの記事との相乗効果で出てきます。本当に書き切れません。
しかし、間違いなく、自分の中に『道』を読む事で確かなものが積み重なっていくのを感じています。

今、気づくべき大切な事実と真理が満載の一冊   福島 公務員 40代 男性


コロナ禍でこの世界に急激な変化が訪れている今、気づくべき大切な事実と真理が満載の一冊でした。

ここ数十年間、様々な社会的危機が訪れても、「まあ、なんとかなるだろう」と誰もが思っていたと思います。
しかし、東日本大震災と福島第一原発事故以降、箍(たが)が外れかのように、大規模災害が頻発するようになりました。それに対応する政府や行政のスピードの遅さ、本質を捉えない「的外れ」の対応、さらには「常識外れ」の政治家の言動に、多くの国民は失望したと思います。それが政治不信に繋がり、物言わぬ国民を作り上げ、今、政治はやりたい放題の状況になっています。人々は分散され、孤立化し、心を失って、無差別殺人や育児放棄致死、凶悪詐欺など、まさに「自分さえよければいい」という考え方が蔓延しています。

もはやこの世界は「なんともならない」状況に陥っているのだと思います。
そしてコロナ禍により、その崩壊スピードは倍になりました。
だからこそ、今、人が生きている意味を見つめなおし、謙虚になり、その生き方を変えていかなければならないと思います。

宇城先生と野村哲也さんの対談では、人が意識で行う行動と、心(無意識)で行う行動との次元の違いを強く感じました。
同じ通りにあるペルーの現代の石組(石垣)が劣化しているのに対して、反対側のインカ時代の石組が劣化していないのには驚きました。人の住まなくなった原発避難地域の家屋が急速に劣化し森にのみ込まれているのに対し、世界各地の古代遺跡はいまだに存在しています。これは、その場に人の心のエネルギーが存在しているかによるのだと思います。避難地域の住居は人がいなくなった途端に野生動物の住みかとなり、森にのみ込まれました。しかし、祈りや感謝が込められた遺跡にはそのエネルギーが残っているのだと思いました。

野村さんが長年撮影することを願い叶わなかった、湖面に映るフィッツツロイ山の写真が、ある時、奇跡的な凪が訪れて撮影できた事実と、その時の野村さんの意識がなかったという状況を、宇城先生は「偶然の必然」と解説され「いくら待っていても、そうは(希望した状況)にはならない」とおっしゃっておりました。

これはこの現代社会においても同じことだと思いました。
もはや「なんとかなるだろう、誰かがやってくれるだろう」という受動的思考、希望的観測では何もできない。
今、気付き、変化し、次元を超えた心からの行動をすることが、この世界を変えるエネルギーになるのだと思いました。

有機農業に取り組む吉田俊道さんの「間違った道さえ選ばなければ、誰か見えない人が応援してくれる」「黙って支援を待っているわけじゃなくて、やることをやっていれば、いいってことがわかった」という言葉も、高次元のエネルギーや繋がりに気づいておられる実践者の声なのだと思いました。

今号を読み終えて痛感したのは「すべては自分なのだ」ということです。
自分が変わらなければ何も変わらない。
そのチャンスはいつでもどこにでも存在する。
あとは、そのチャンスにアクセスできる次元に自分が立っているか否か。
もしくは、その次元に繋げてくれる師や仲間がいてくれるか。
人と人との分断が進む世の中で、チャンスに巡り合える機会は激減していると思います。
しかし、宇城先生がおっしゃるように「危機」はピンチ(危)とチャンス(機)が一緒になっている状況。
今、この状況だからこそ、良い方向へも悪い方向へも大きく動く可能性があると思います。
まさに、変化の時が来ているのだと思いました。

エネルギーに満ちた一冊をありがとうございました。
次号も楽しみにしております。

読ませていただいて、沸々とやる気がわいてくる内容     山形 教員 男性


届いたばかりの季刊『道』No.205を熟読しました。宇城先生の言葉がいつも以上に入ってきました。吉田俊道さんの実践にも驚きました。

まず、写真家野村哲也さんとの対談を読ませていただき、大変驚きました。特に、吸い込まれたのは、P15の『「偶然の必然」を呼び寄せる気の法則性』という小見出しのある部分です。朝日が当たるフィツロイ山が湖面に映っている写真がなぜ撮れたのかということに関してです。

『…私からしたら「あ、写った」という時は、こちらが波を立たなくさせている、つまり、そこに境界をなくしているということなのです。』
(中略)
『だから、たまたま風がなくて、さざ波が立たなかったということではないのです。山にそこに映ってほしいという野村君の思いが、そこに行った時にピタッと合って、一瞬波がパッと止む。自然界には実はそういう現象がすごくあると思います。』

この宇城先生の言葉にすごく納得がいきました。

「こんなことがホントにあるんだ」「こんなふうなとらえ方が本当にあるんだ」そう思いました。
気というエネルギーがもたらす「自然界と人間との調和の可能性が証明された」と思いました。自然と人間が対立しない世界があって、そこでは自然が人間の思いに答えて自らを変化させることがある。人間と自然とは通じ合うことができる。

さらに言えば、自然はそういう人間の思いの背後にある、その人自身の人としての生き方のレベルをしっかり見ている。そういう確信をもって生きてこられた宇城先生の世界の、次元の高さに驚かされました。

ますます、自分が生きてる世界のせこさ、狭さ、情けなさ、つまらなさを思い知りました。宇城先生が再三再四、常におっしゃっていることですが、目に見えるもの、意識で捉えることができるものだけに頼って生きることのなんと危ういことかと思いました。

また、自然界と人間の調和を、教育の視点でずっと追っかけているのが季刊『道』だいうことも実に明快でした。

吉田先生の実践は、農業や教育の可能性を大きく開くものです。農業も教育も「生き物を育てる」ということは共通しています。そこに必要なのは対立ではなく調和ですね。吉田先生は、その調和をどのように生み出していくのか、目には見えにくいものごとのつながりをどのように見て感じ取っていくのか、深い配慮と確実な行動力をお持ちの方ですね。読ませていただいて、沸々とやる気がわいてくる内容でした。