道205号

読者の声| 季刊『道』 205号(2020年夏)  

巻頭対談は引き込まれるような深みを感じた 東京 予備校問題製作スタッフ 40代 男性


野村哲也さんと先生の対談は、これまでと、また少し違う不思議な雰囲気に思えました。世界150か国を回ったという野村さんのお話は、日常のつまらない悩みなど馬鹿馬鹿しくなるようなスケールの大きさと、写真を通じて自然に向き合い続けてきた野村さんの透明な感性は伝わってきました。そのような感覚を研ぎ澄ます経験を積み重ねてきた点は、先生の空手の修業とも共通しているのか、いい写真が取れる時の体験についての先生と対話は引き込まれるような深みを感じました。写真を撮るというだけに思える作業の中に、時間空間と溶け合うような神秘を感じました。

また、1万2千年前の遺跡に、住居跡がなく、祈り場しかないという野村さんの話は初めて聞きました。住居より祈りの方が優先されていたというのは、現代人の感覚とはかけ離れたものだと思い、とても驚きました。科学が発達した現代においては、祈りという営みは特別な時以外にしないものになってしまっています。しかし、住居よりも祈りが優先される感性というのは、きっと〈世界〉をずっと身近に感じていたのではないかと思います。そのような感性は、気というものを現代人よりずっと理解しやすいものだったのではないかと思います。

「意識があってもその奥にある無意識が働くと意識は消えてしまいます。人間というのは大きな自分の我欲を超越した時空の中に入ると、そういう力が出るようにできているのです。」と先生は話されていました。先生は気についていろいろな角度から言葉を尽くして説明されようとしていると思いますが、これも私にとって新しい角度から気について示唆された言葉でした。特に「自分の我欲を超越した時空の中に入る」というのは印象的な表現だと思います。自分も練習の中でこの言葉を念頭において、練習したいと思います。ところで今、「鬼滅の刃」というアニメーションが爆発的な人気を博しています。私は、一部だけ見たのですが、その中で技を繰り出すときに「全集中の呼吸」というのを使います。ネットで観た説明によると「全集中の呼吸によって、体中の血の巡りと心臓の鼓動が早くなり、体温が上昇し、人間のまま鬼のように強くなれる。」のだそうですが、先生の次元と全く異なるものなので、子供たちが気や身体について全く間違えたイメージを作ってしまうのではないかと心配です。できれば、呼吸の重要性や身体の神秘に気づくきっかけになり、子供たちが気の世界に踏み出してくれるといいと思います。

また、「自分の中の変化、生き方で、主観的時間によってそういう現象が起きるようになる。それが「気」なのですよ。そういう法則性が働いているわけですよ。」と先生はおっしゃっています。このようなことを体感できる方がいることが信じられません。先生からは、日々の生活はどのような景色に観えるのだろうと思ってしまいます。そのような次元に、人間が到達可能なのだということが、私には大きな希望になっています。まずは、道塾における先生のお話と先生の著書の学びを通して、そのような次元を目指していきたいと思います。

また、吉田俊道さんのインタビューも、多くのことを学ばせていただきました。「あんたは失敗しても県職員だから給料もらえるからいいけど、俺らは失敗したら、借金しか残らん。」といわれ、県職員を辞めて、農家の道に転職するというのは、よほどの覚悟だと思います。「世界を変える」という吉田さんの言葉に深く共感を覚えます。世界を変えるためなら、口幅ったいかもしれませんが、私も世界を変えるために自分なりの夢を持っています。そのためにいくつかのものを犠牲にしたかもしれませんが、何とも思いません。「虫と菌というのは基本的に…、環境が違うのです。菌が頑張れている環境では虫がいらないんです。」というのは、初めて知りました。普通は、虫が主体となって、自分の子孫を増やすために可能な限りテリトリーを広げていくという観点で見ると思うのですが、吉田さんは命の循環という観点から、菌が分解できないときに、初めて虫が分解するために登場するという説明をされています。このように生物間のバランスがとれていれば、農薬がいらないという説明は、無農薬栽培の可能性をかなり広げるのではないでしょうか?ぜひ、多くの農家の人に知っていただきたいです。

「つまり、そもそもウイルス・菌というは敵じゃないんだ。…みんな殺菌消毒ばかりして、菌が可哀そうだと。そういう感覚を取り戻さないといけないんです。」という吉田さんの発言を読んだとき、金沢翔子さんの「コロ太郎、お空の上の遠くに逃げてね。冥王星に行けば大丈夫だよ。」といったコロナをも悪者にできない、彼女の感性に通じるのではないかと思いました。金沢泰子さんが最後に、「私は天使と暮らした。」とまとめていらっしゃいますが、吉田さんも外見はおじさんですが、きっと内面は天使なのではないかと思います。

前島由美さんの活動は、相変わらず素晴らしいと感じさせられます。ナノちゃんの「ナノは何のために生まれてきたの?何のために生きているのかわからない。」という言葉には、胸が押しつぶされそうな思いがしました。小さい子がこのような思いをしなければならないというのは、本当に悲しいことです。でも、夢の森こども園で居場所が見つけられたのは本当に良かったです。前島さんの活動はこのような過敏な子が心を回復するための止まり木のような場所であるとともに、ゆっくりと成長を促す暖かな陽だまりのような場所なのだと思います。少数者であっても、敏感な人がいること、そしてそのような人にはこのような場所が世の中に必要なことをもっと多くの人に知ってほしいです。また、コロナの関係でリモートの授業も行われるようになったようですが、このような過敏なお子さんにはもしかすると、リモートの授業だと少しゆとりができるかもしれないなどと考えました。

ダルクの岩井代表の手記の法人化できない悩みも、痛しかゆしのものを感じました。行政としては、補助金だけを受け取ってまともに運営しない悪質な団体を認めないために法整備を整えているのだと思いますが、そのことによって、ダルクのような幅広い活動をしている団体が法人化できなくなってしまうのは、やはり本末転倒だと思います。認可要件を柔軟にするように法改正をして、認可する行政機関に幅広い裁量を認めるべきではないかと思います。

先生が創心館創設に当たり塾生に当てたメッセージの中で、「『身の危険の感知』に素直に身をあずければ、自ずとそこに生きる術を得るであろう。」という一文に魅かれました。「身の危険の感知」をより敷衍していけば、危険をかなり早くから感知でき、人を助ける、守るという行動を日常化できるのではないかと考えました。「身の危険の感知」という観点から生活を捉えていなかったので、この文章を反芻しながら、普段の生活の指針にしていきたいと思います。

「『人を助けたい』、『守りたい』と思っても、そこに怖れる心があれば、行動にはつながりません。だからこそ、「事理一致」の稽古を通じて、技と心が一致する修行に向かうことこそがその第一歩となるのです。」と先生は書かれています。自分の行動を制約するのは、自分の怖れる心なのだと先生の言葉は示していらっしゃると思います。事実と真理のずれが生じるところに怖れる心が生じるのだと思いますが、事実と真理のずれについておそらくまだ自分では気づくことができていない点がたくさんあると思います。これから道塾での学びを通じて、自分の問題に気づいていきたいと思います。

調和と対立についてとても考えさせていただきました 静岡 理学療法士 50代 男性


今回の『道』は、調和と対立についてとても考えさせていただきました。
「コロナ」を敵とみなすことは対立であり、予防に神経質になればなるほど、自らの身体は弱くなっていく。コロナを意識するのではなく、自らの身体に目を向けて、調和の身心にすることが真のコロナ対策であることがわかりました。

自然や出会った人を敬える謙虚な心でありたい  熊本 女性


野村氏と宇城先生の対談の中で、奇跡は偶然起きているのではなく、自分と宇宙との境界がなくなった結果として起きる、自分の心次第なのだということに感銘しました。自然や出会った人を敬える謙虚な心でありたいと思いました。

自然に感謝し謙虚になり、調和することの大切さ  千葉 自営業 50代 男性


巻頭対談を読んで改めて、自然に感謝し謙虚になり、調和することの大切さをお教え頂きました。トレス湖において、どんどんさざ波が静まり鏡のような湖面にフィッツロイ山が溶け込む写真が取れたのは、たまたまではなく野村氏の思いがピタッと合って一瞬波がパッとやんだということに感動し、そして写真をみさせていただいて息をのみました。

またインカの城壁や日本の歴史的建造物は今の重機ような技術もない時代にできたのは、実は力を使わず気というエネルギーで自由自在にできたのではというお話で、当時の人の凄さ、そしてその光景が浮かんできました。

現代の何でも便利な環境の中で生きている自分はすぐに意識によって何かをしようという欲が出てきてしまいますが、そういう我欲を戒めていかなければと痛感、自分の心と自然の境界線をなくす努力を続けていこうと思いました。

野村さんの自然に対する敬意と信頼感を感じた  仙台 男性


野村哲也さんと宇城先生の対談を読み、とても勉強になりました。
野村さんの「僕にとって最良の状態、必要なものを見せてくれるのが『自然』なのだと教わりました」という言葉に野村さんの自然に対する敬意と信頼感を感じました。宇城先生の仰る心を開くという事を理解するヒントであると思いました。この言葉を聞いて、私はまだ自然をコントロールしようとしているんだと思い知らされたのと、宇城先生の中から自分の見たいものを選んでみようとしている面がある事に気づかされました。ありがとうございました。

対談記事に引き込まれるように読ませていただきました  福岡 自営業 40代 女性


野村哲也さんと宇城先生の対談引き込まれるように読ませていただきました。先生が気の法則性をもって、野村さんの人生の不思議が紐解かれていく感じがとても爽快でした。私の場合は宇城先生に出会えて、私の日常では気付かなかったであろうことが最初は少しずつが心に拡がって、膨れ上がっています。
『道』を通じて分野を問わず、真の豊かさに向かっている方を知ることができ、生きる励みになっています。

吉田さんの言葉の端々に優しさがあふれている  兵庫 会社員 40代 女性


吉田俊道さんの記事が特に印象に残りました。吉田さんは野菜の気持ちにも菌ちゃんの気持ちにもなれる、「ウイルス・菌は敵じゃない、殺菌消毒ばかりしてかわいそう」人間は勝手に邪魔者扱いするけど、自然に不要なものなどなくちゃんと役割がある、吉田さんの言葉の端々に優しさがあふれていて心ほぐれましたし、感動しました。

今号もたくさんのエネルギーを頂けました  奈良 教員 50代 男性


今号で、一番最初に読んだのは、裏表紙の安藤誠氏の「日常の奇跡」でした。母キツネの遠くを見つめる澄んだ力強い目(いつも、安藤氏の連載で写る野生の動物達の目は力強く、こちらが引き込まれます)。その澄んだ目の先には、何が見えているのでしょうか?
そして、文中、あっと思ったのが「コロナウィルスと共に、などと世間では言うが、自然界のトップであるクマたちを、危険、人を襲うという理由で箱罠にかけたり、無差別に撃ち殺す。(中略)目に見えるクマたちと共存、共生できない人間がコロナと共に?」の箇所です。口先ではいくらでも何でも言う事は出来ますが、行動する事が出来ているのか?
……この視点。「ウィズ コロナ」と巷では言われていて、私も安易にそう思っていましたが、それをどう実行に移すのか…。これが大切だと気付かせて頂きました。

そして、巻頭対談。以前からの『道』の連載から、野村哲也さんは,感性の豊かな方だと御見受けしていました。まさしく、今回の宇城先生との対談でも…。
“今、宇城先生が「気を通す」と言われた時何か宇城先生の大きな手が、僕の手にふわっと乗る感じがしました。(p.11)”と、おっしゃられています。やはり、感性の豊かな方なんだなぁ…と、納得しました。

また、野村さんの別の一面は、「寄り添う事が自然に出来る方」だと思っています。以前、山元加津子さん(かっこちゃん)の記事で、野村さんのツアーに参加された事が載っていました。そのツアーでの野村さんの心遣いが温かい…、そのような「心」で雄大な自然に寄り添う野村さんだからこそ、あのような奇跡の写真を撮ることが出来るのだ…と、思います。

今号で、野村さんの次に多くの誌面が費やされていた吉田俊道氏。
季刊『道』に登場する他の方々と同様に、「実践ありき」で「無私」の方ですね。

清々しい!!

今号もたくさんのエネルギーを頂けました。

「心の奥の取材ノート」で触れられています菅原文太さんのエピソードも、温かい気持ちにさせて頂きました。"

必要なことがたくさん詰まっていました  宮城 主婦 60代 女性


いつも季刊『道』は素晴らしいと思っていますが、今回の205号はまた今、必要なことがたくさん詰まっていました。

これまで友人と会っておしゃべりしたり、食事をしたり、みんなで一緒に太極拳のお稽古をしたり、家族みんなで集まって楽しく過ごすことも、普通にしていたことがストップしてしまい、とても苦しい生活になっています。

自分がコロナにかかってしまうのではということよりも、自分で気が付かないうちに親しい人たちへウイルスを運んでしまうのではと思うと、さっぱり動けなくなってしまいました。とても苦しく、さみしく、何か変な生活が続いています。

そんな時、『道』205号の皆さんからたくさんのヒントとエネルギーをいただきました。野村さん、安藤さんの写真はすごいエネルギーが伝わってきます。

真実や真理を中心に置いた生活をすることが大切と感じた  岐阜 理学療法士 30代 男性


宇城先生と野村氏との巻頭対談を拝読し、改めて自然への畏敬の念をもつとともに、今の自分の心の在り方を見つめ直しました。

真実・真理に基づくエネルギーは、写真を通してでもその違いが感じられることや、写真家でなくとも、エネルギーを土台とした人間は何をやっても現実として現れるのだと学ばせていただきました。

「コロナ禍」というこれまでの日常と違うように感じられる昨今でも、宇宙や地球はこれまでと変わらず、そして自然も変わらずそこにあるのであり、そこにある真実や真理を中心に置いた生活をすることが大切なのではないかと感じました。いつも学ばせて頂きありがとうございます。

心の在り方を教えられた  福島 会社員 40代 男性


写真家野村哲也氏と宇城先生の巻頭対談で、心の在り方を教えられた様にかんじました。野村さんのインカの時代の人が作った石組の話から世界には数千年、経ても衰えないエネルギーを持つ遺跡やフィッツロイ山の写真、様々な体験のお話を楽しく読ませて頂きました。

野村さんの素晴らしい写真が撮れた時は無意識に撮影していて、記憶がない。というお話から宇城先生の広沢の池の歌のお話などまだまだ、自分自身の勉強が浅く、狭い事を感じさせられました。自分の心と自然の境界がなくなる。偶然の必然。今まで自然と写真というものに向き合ってこられた野村さんだから撮れる写真だと思います

人として大切な指針を、対談から学ばせて頂きました  三重 介護士 30代 男性


野村哲也さんと宇城先生の対談より
調和すること、対立しないことの大切さを改めて感じました。
欲という意識が働くと人は対立心を生む。
自分より強そうな人には「恐怖心」を感じ、弱そうな人には「見下す心」が生まれる。
それが当たり前になってしまうと、動物としての本能である「守る心」が失われ、ますます対立心が増していく。

外界と自分の境目がなくなった時、強いエネルギーが生まれる。そのエネルギーさえ生み出せれば、どんな仕事に就いても良き仕事ができる。

最近、自分を正当化しすぎて視界が狭くなっていたと思います。
現状を改善する為、今の職場に残るのか。
もしくは、新しい環境へ移るのか。
どちらを選択するにせよ、人として大切な指針を、対談から学ばせて頂きました。

行動力に圧倒されと同時に励まされました  東京 教員 50代 男性


野村さん佐々木さんの自然と調和した写真、吉田さんや船橋さん前島さんたちが、子供たちのため、食を守るため、人のためにご尽力されている行動力に圧倒されと同時に励まされました。
そして、宇城先生は、コロナ禍の中、正のエネルギーを満たす方向性を示していただき力が湧いてきました。
「病は気から」と言いますので、先生や皆さんのように気が満ちて周りを照らすことができるように精進していきたいと思います。

対談の内容のスケールの大きさが読んでいてとても気持ちいいです  福岡 男性


■「宇城先生vs野村哲也さん対談 時空を越える人間のエネルギー」
フィッツロイ山、ホワイトライオン、インカの石組みなどの最初の写真を見ると、当たり前ですが、この世界に本当にこのような場所があるんだなぁと物思いに耽ってしまいます。そこに行って何をしたいわけではなく、ただその場に行ってみたくなります。写真や映像には行ってみたいと思わせてくれるものと、思わせないものがありますが、もちろん野村さんの写真は、前者です。何か行動を起こさせる、人を動かすエネルギーが内包されているのだと思います。

お話の中であった、古代インカでは、闇の中に星座を見ているという箇所で、これは点と点を別々に見るのではなく、夜空全体を捉えて見ているからこその見方なのではないかと思いました。世界には自分がまだ知らない考え方や見方などが無数にあるのだと思い、ワクワクしました。

フィッツロイ山撮影の話では、偶然の必然が起こり、奇跡的な写真を撮ることができたとのだという、自分の頭にはない気の観点からの先生の説明に一瞬「?」となり、うーんと考えてしまいましたが、考えてもわからない。考えるのではなく、素直にそのまま「そうなのかぁ」と読み進めると、すっと文章が入ってきました。

対談の内容のスケールの大きさが読んでいてとても気持ちいいです。僕も、中学生の頃には世界中を回ってみたいなという想いを持ちましたが、月日が流れ、お金も時間も無いなと思いながらここまできてしまいましたが、野村さんは実現してこられたというエネルギーが半端なく、底抜けの明るさが文面からも伝わってきます。とにかく、読んでいて気持ちが良く元気になります。先生が世界を巡られての気のドキュメンタリー映画、実現を心待ちにしております。

■「土づくりは人づくり 吉田俊道さんインタビュー」
吉田さんが野菜作りを始めたきっかけである幼い頃の嬉しかった経験や、親からしっかりと愛されて培われた安心感が大人になった時にエネルギー溢れる活動を支える力になるのだなと思いました。これは、季刊どうの中で子どもたちの為に命を掛けている方たちからも教えて頂いている通りだなと感じます。

菌ちゃんで野菜作り。プランターでもできる。これはやってみたいと思いました。日当たりの悪いベランダではありますが、自宅で野菜作りを始めようと思います。まずは土づくりです。紹介されていた吉田さんのご著書を購入して始めたいと思います。

■「ミツバチが教えてくれること」
コロナ禍後に目指すのは再生ではなく、新生だという一文に「なるほど!」と思わされました。元に戻りたいのか?と問われると、そうは思わないので、今こそ新しく、調和を基礎とした世界を目指すべきなのだなと。ハニーさんは、身近にできること、考え方を教えてくれます。ハニーさんのご著書、しっかり読みます。

■「愛と関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち」
ナノちゃんのイラストがうまくてビックリしました。中学生でこんなにうまいのかと・・。美術的な才能のない自分には考えられません・・。子どもたちはそれぞれ光る素晴らしいモノを秘めている。それを引き出してあげることが親、教師たちの仕事であるのだなとつくづく思いました。

恵まれて育ってきたと思っていた自分ですが、現在問題とされている育児、そして教育のツケが顕在化してきていますが、私はその環境の中で育ってきたのだという理不尽との葛藤とも闘って乗り越えなければならないのだと思います。前島さんの文章を読むと、頑張ったのに結果が出ずに怒られたりしていた子どもの頃の自分を抱き締めにいってあげている気持ちになります。子供のいない独身男性が読ませていただいている感想です。

■「きょうも、いい日」
蜘蛛の糸のエピソード、コロ太郎のエピソードなど、翔子さんの捉え方は、こんなにも私とは捉え方が違うのかと思ってしまいます。36歳の私と同年代、同じくらいの年月を生きてきたとしてもこんなにも違うものなのかと感じます。心が違うのでしょう。人間が幸せに共生できる心のヒントがこの金澤泰子さんの「きょうも、いい日」に詰まっているのだと感じます。躍起になって頭で読みとくのではなく、自然にすっと心でとらえることができる人間になりたいと思いました。

■「私たちは銀河のなかに生きている」
ニュージーランドは勝手に常夏の暖かい国だと思い込んでいました。すぐにGoogleマップを見ると、すぐ南に南極がありました。
氷河、水は宇宙の一部、地球も宇宙の一部でありすべて繋がっている。美しい銀河が見える夜空を見上げてみたいです。

■「地球を歩く」
野村さんの師である星野道夫さんとの邂逅の旅。現在過去未来、時空はすべて繋がって、野村さんのいうように、生きるもの、死するもの、有機物、無機物の境そのものがないのだろいうという感覚は、スピリチュアルではなく、リアルに存在するものなのだと思います。うまく文章にできませんが、普通ならば、スピリチュアルで曖昧な感覚として終わらせてしまうことを、野村さんは確かなものとして感じとり、撮影し、そして写真と文章を通じて、この季刊どうで僕たちに伝えてくれていると感じています。野村さんのコーナーを読むときには、Googlemapで場所を確認しながら読み、ワクワクさせてもらっています。Mapの中のこの点の場所には、こんなに美しい場所があるのか・・・行ってみたい・・・見てみたい・・・・と。

■「ありのままの私たち」
できないと思っていたことも、工夫をしたらできたという文を見て、家の中でちょっとした後回しにしていたことや、これがあれば便利なのになぁと思っていたことに対しての重い腰を上げて取りかかりました(笑)
星の王子さまの話が好きなので、キルトの写真をじーっと見つめて星の王子さまを探しました。そして、見つけました。

■「今日一日を生きる」
変わりゆく時代の中で、自分のスタイルを貫きながら茨城ダルクを運営されている岩井さんの今の想いを読ませていただきました。渡慶次さんの手記は短い文章ですが、人ひとりの数年間は軽いものではなく、相当な葛藤などと闘ってこられたのだと思います。

私は薬物依存とは病気であるということを頭では理解している反面、実際に普段薬物依存の方たちと接してきていないため、病からの回復の辛さをリアルに共感して感じとることができません。あくまでも想像の域を出ません。岩井さんのご著書にもあるように、実際に回復へ向かっているという後ろ姿を見せられる人にしか、同じように悩んでいる人に寄り添い、救うことはできないのだと思います。しかし、直接ではなくても、私たちにもできることは沢山あります。

薬物依存を始め、様々な病的な依存症があり、今悩んでいる方たちは、少しずつ回復し、そして新たな依存症の人を作らせず将来的に根絶させることができるのが最も良いことであるとは思いますが、そう簡単なことではないのだということは想像に難くありません。まだ、自分自身の身近に、この問題を感じきれていない自分がいるというのが正直な感覚ですが、他人事ではないのだということを忘れずに、岩井さんを通して常に感じさせてもらっています。

■「気づく、気づかせる」
宇城先生の正と負のエネルギーの共存方法の解説は、今の世界の進むべき道、知るべき答えを示してくださっています。心があり、エネルギーが高まる方法も先生は教えて下さっています。先生は何も隠すことなく、出し惜しみせず、全てを伝えて下さっていますが、それを受けとる側の私に心がないと、変に解釈したりして道を誤ってしまいます。先生に学び、先生の教えを素直に受け取り、自分に嘘をつかずに素直に身の危険に心を預け、行動していきたいと思います。そのまま先生が仰っていることをそのまま行動に移したいです。

■「日常の奇跡」
『目に見えるクマたちとの共存、共生ができない人間がコロナと共に?』という一文に考えさせられました。今、地球上の生き物で、人間として安心なことなのか悲しいことなのか、生命を滅亡に追い込むのか、共存繁栄の道へ近づく方へ進むのか、人間は選択することができます。安藤さんや自然の中で生きている方たちと違い、私や多くの都会でしか生活したことのない人間からすると、自然は恐怖の対象であり、クマやキツネたちとの共存とはどういうことなのかピンと来ないという感想があります。勉強不足です。問題を解決する案というものはこの世に存在しているのでしょうか。興味が湧きました。
キツネの親子の写真ですが、親キツネの目。まっすぐな目です。嘘がない澄んだ目だと感じます。このような目をすることができる人間はいるのでしょうか。

テーマ:真理は命のなかに 感謝して生きる
今号は、新型コロナウィルスに怯え、混乱している世界に対して、答えを示してくれていると感じました。未来への具体的な展望のない、その凌ぎの「三密を避ける」「マスクをつける」「外出を自粛する」という政府から発せられる情報が蔓延し、少しでも体調をくずした人がいたりすると、攻撃の対象になるというおかしな状況にあります。
大自然である地球は人間の思い通りにはなりませんが、エネルギーある調和した人間に対してはそんなに悪くはしないと思います。地球は僕らのお母さんなのですから。お母さんは、僕たちに「あんた、悪いことだ。やりすぎよ!アカンよ!」と目に見える警告を何度も送ってくれているのに、無視し続けてきた結果が今回の警告に繋がっているのだなと思います。
この季刊『道』を通して、自分の生き方を今一度見つめ直し、地球母ちゃんに愛してもらえる人間になって行きたいなと思いました。季刊『道』がないと、このメッセージを見落としてしまいそうになります。感謝です。

宇城先生との対談、話が壮大で大変すごかったです  兵庫 40代 会社員 男性


写真家の野村哲也さんのフィッツロイ山の無意識の写真の話が、プロの技術ではなく、ただ知らない間に撮ったすごい写真であることに、ただただ感動しました。こういう写真を撮れるのは、普段からの野村さんの心の持ち方や行動にあると思います。
宇城先生との対談、話が壮大で大変すごかったです。ありがとうございました。

フィッツロイ山の写真に
胸がつまるような、こみ上げるような感じがきて感動
   香川 50代 女性


昨年秋に、山元かっこちゃんのモナの森の会に参加させていただき、はじめて野村てっちゃんにお会いしました。
その時に質問させてもらった事がありました。「私は今のところ、てっちゃんのツアーに参加予定がないのですが、てっちゃんのお写真を見て、そこに行かなくても同じ状態になれますか?」
現地に行ったほうがよいですが、行かなくても体感できると思います、と言ってもらいました。今回初めて「どう」購入で野村さんのお写真を拝見し、特にフィッツロイ山の写真を見ていたら、胸がつまるような、こみ上げるような感じがきて感動しています。
宇城さんとの対談はかなり興味深かったです。
吉田さんの菌ちゃん講座も参加した事がありご縁を感じました。

ぐいぐいと引き込まれて一気に読んでしまいました   千葉 医療従事者 40代 男性


菌ちゃんファームの記事は、納得尽くしでぐいぐいと引き込まれて一気に読んでしまいました。私自身も今、「道」186号で知った「野口のタネ」に直接伺い、そこで購入した固定種を家庭菜園にて栽培しています。

吉田俊道理事長のお話は、子供たちにどうやってこの自然のサイクルを伝えていくのか大変参考になりました。

私自身は、食物連鎖という言葉を知っていれば、自然のサイクルを知ったかのような錯覚を起こしていました。そんな頭だけの知識ではなく、子供たちには、目の前で野菜の種をまき、育て、収穫して、食べて、身体を通して命の循環を伝えたいと思いました。

「野口のタネ」の野口勲さん、204号の比嘉照夫教授、今号の吉田俊道理事長と、学ばせていただいた話をできるかぎり取り込ませていただいて、次世代に繋いでいきたいと思います。

巻頭対談は終始ワクワクする内容   東京 不動産業 20代 男性


私たちは時間場所を超えて、間違いなく心で宇宙とつながっているということを感じる号でした。

野村哲也さんと宇城先生の巻頭対談
野村さんが世界中を自らの足で巡ってご経験された多様で不思議なエピソード、そしてご紹介されている数々の素敵な写真に引き込まれました。そして宇城先生がその不思議を「気」の世界で切り込んでいかれ、読んでいて終始ワクワクする内容でした。
写真の中に事実があり、その中に真実、そして真実のその先に真理があり、心の働きによってそこに導かれているというところが特に印象的でした。心の働きが宇宙と人間をつなぐことを当時の人も直感的に知っており何よりも大事にしていたからこそ、ギョベクリ・テペ遺跡には、「祈りの場」しかなかったのかなと思いました。
冒頭のフィッツロイ山の、まるで昼と夜が同居したような超然たる景色、鏡面のように静かな水面を見ていると不思議と心が落ち着くように感じます。また、マチュピチュの写真にもひきつけられました。風が吹き、雲が動いているような壮大な躍動感、大きな流れの中に生きていることを感じる爽やかな1枚でした。

菌ちゃんふぁーむ園主・吉田俊道さんの「土づくりは人づくり」の記事
吉田さんが、野菜を「家族」「生きているもの」として生き生きとしたストーリーで描き語っていらっしゃることで、子どもたちが心をオープンにして感性豊かに学んでいく様子が印象的でした。「ホウレンソウ家族」が命をつないでいる、という表現は私自身とても新鮮に感じました。無機質な記述ではなく物語を持つことでこそ、「いのち」を感じることができるのだと思います。お父さん、お母さんというタテのつながりを紐解いてゆけば必ず地球、宇宙につながっていきます。菌の働きも含めて、世界には無駄なものが何一つなく、すべてがうまくいくようになっているのだと直感的に感じることができました。

金澤泰子さん、翔子さんの「きょうも、いい日」の記事
翔子さんの「コロ太郎、お空の上の遠くに逃げてね。冥王星に行けば大丈夫だよ」という言葉にとても心が和みました。コロナウイルス=「消滅させるべき敵」という見方に囚われることは、問題を自らの外に置き、自分ごとではなくしてしまう危険があると感じました。自分は悪くない、すべてはコロナが悪い、という無責任な姿勢こそが事態を悪くしてしまう1つの原因かもしれません。

安藤誠さんの「日常の奇跡」の記事
キツネの美しい姿、特に母キツネの曇りなき瞳にひきつけられました。無垢な子キツネを背で受け止める優しさと、周囲の警戒を切らさずに常に臨戦態勢にある峻厳さから、「護る」強さ、生きる逞しさを感じました。素晴らしい写真を見せていただきました。ありがとうございます。

様々な気づきが次から次へと   静岡 農業 男性


巻頭対談、野村さんの屈託のない人柄が伝わってくるようでした。野村さんの「気というのは世界の共通語ではないか」というお言葉に、やはり世界中を回り、自然の神秘をその肌で感じている人の感性ではそのように感じられるのだなと思いました。

また野村さんの良い写真は「その場そのものがそのまま写っている、その他の写真は自分という媒介者がいて少し濁っている」というお言葉に対し、宇城先生が「月は池に映るともなく、池は月を映そうとも思わぬ広沢の池」という武術の教えの言葉があることを言われ、野村さんが世界を回り、良い写真はどのような時に撮れたかを自らに問いかける事で、武術の教えにある事を感じられていた事に、何事にも通じる武術の奥深さを感じると共に、真摯に写真に向き合う野村さんだからこそ、そのような世界を感じる事ができたのだなと思いました。そしてその後の、宇城先生の「真理とは宇宙の理でそこに導いているのは自分の心」というお言葉にまさに野村さんの心がそこへ導いたのだと感じました。

野村さんの「この10年間ずっと探し続けていた答えを体感させて頂いた」との言葉に、この経験を通して、野村さんがこれからどのような作品を生み出していくのか、非常に楽しみです。

吉田俊道さんの記事では自分も農業をしていることもあり、本当に共感しながら読ませていただきました。
野菜達を自分達人間と同じ、一生懸命生きている仲間、だと子供に感じさせる本などが無かったという事、それを大人が気づかなければならないと思いました。キュウリの力を信じてなかったとご自身が感じられたとの事、そのようにまず、大人がそれを感じなければ子供たちに伝えることなどできないと思いました。そしてその感性、地球との一体感を幼児期に身につける事が本当に愛のある教育ではと思いました。

「いいクラス、いい土をつくる」というお言葉にも、本当にその通りだと。
まず、決まりや規則、を作るのではなく、その場の空気、雰囲気を作る、という事がまず最初になければならないと本当に思いました。このような地球との一体感からくる感性が、今の人類、日本政府には圧倒的に足りていないと思います。
自分も保育園で野菜の栽培指導をしていますが、今回の吉田さんのお話は本当に普段の自分とも通じる事が多く、保育士さん達とも共有しようと思います。

「気づく、気づかせる」の荒れ狂う川の流れを止める大きな石には、世のため人の為という心が絶対である、私利私欲では大きな石にならないという一文に今の日本のコロナ対応の右往左往する状況に納得してしまいました。

また「心がなければ真理もない」というお言葉に野村さんの巻頭対談が浮かびました。そして本当にこのお言葉自体が「真理」だなと思いました。
最後にある、メッセージもまさに今回のような困難が来ることを予知していたかのような内容で、やはり武術の「先をとる」とは相手の動きは勿論、このような未来を読む、読み取ることもできるのだと、そこに驚愕とその中に見出す事の出来る希望に、心が揺さぶられます。

心の取材ノート、菅原文太さん、本当に良いお歳を召されたなと思った数少ない俳優でした。このような誌面では語られないお話に本当にお人柄が表されます。文章からエレベーターでの菅原さんの笑顔がこちらも浮かびました。

裏表紙の安藤さんの写真、文章の中で今こそ考えたり振り返る機会を与えられている、というお言葉、本当その通りだと感じます。
そして過去最多のクマが殺処分されていることに衝撃を受けました。
クマは人間と森の境界線、里山が無くなったり、元々彼らの領域を人間が犯したのが原因で、出てきただけです。まさにクマとも共生できない人間が目に見えないコロナとできるのかと。吉田さんの記事にあった、循環を体感していない、知識でしか知らない先生が子供たちに教えている限り、それはできません。

このコロナ禍でもやはりこの『道』に登場される方々は信念を持って、前に進まれていて、そしてやはり対立や、怯えではなく、調和を語られていると感じました。まさに共生、そして人間だけの地球ではないという事を訴えているように感じられました。
『道』は毎号毎号、様々な真理、平和、希望へのピースが絡み合い、共鳴し合い、構成されているように感じます。そこには自分の人生を、この困難な時代を自らの手で切り開くための大きなヒント、指針があると感じています。
感想も、本当にメールに打ち込めないほどに、様々な気づきが次から次へと一つ一つの記事との相乗効果で出てきます。本当に書き切れません。
しかし、間違いなく、自分の中に『道』を読む事で確かなものが積み重なっていくのを感じています。

今、気づくべき大切な事実と真理が満載の一冊   福島 公務員 40代 男性


コロナ禍でこの世界に急激な変化が訪れている今、気づくべき大切な事実と真理が満載の一冊でした。

ここ数十年間、様々な社会的危機が訪れても、「まあ、なんとかなるだろう」と誰もが思っていたと思います。
しかし、東日本大震災と福島第一原発事故以降、箍(たが)が外れかのように、大規模災害が頻発するようになりました。それに対応する政府や行政のスピードの遅さ、本質を捉えない「的外れ」の対応、さらには「常識外れ」の政治家の言動に、多くの国民は失望したと思います。それが政治不信に繋がり、物言わぬ国民を作り上げ、今、政治はやりたい放題の状況になっています。人々は分散され、孤立化し、心を失って、無差別殺人や育児放棄致死、凶悪詐欺など、まさに「自分さえよければいい」という考え方が蔓延しています。

もはやこの世界は「なんともならない」状況に陥っているのだと思います。
そしてコロナ禍により、その崩壊スピードは倍になりました。
だからこそ、今、人が生きている意味を見つめなおし、謙虚になり、その生き方を変えていかなければならないと思います。

宇城先生と野村哲也さんの対談では、人が意識で行う行動と、心(無意識)で行う行動との次元の違いを強く感じました。
同じ通りにあるペルーの現代の石組(石垣)が劣化しているのに対して、反対側のインカ時代の石組が劣化していないのには驚きました。人の住まなくなった原発避難地域の家屋が急速に劣化し森にのみ込まれているのに対し、世界各地の古代遺跡はいまだに存在しています。これは、その場に人の心のエネルギーが存在しているかによるのだと思います。避難地域の住居は人がいなくなった途端に野生動物の住みかとなり、森にのみ込まれました。しかし、祈りや感謝が込められた遺跡にはそのエネルギーが残っているのだと思いました。

野村さんが長年撮影することを願い叶わなかった、湖面に映るフィッツツロイ山の写真が、ある時、奇跡的な凪が訪れて撮影できた事実と、その時の野村さんの意識がなかったという状況を、宇城先生は「偶然の必然」と解説され「いくら待っていても、そうは(希望した状況)にはならない」とおっしゃっておりました。

これはこの現代社会においても同じことだと思いました。
もはや「なんとかなるだろう、誰かがやってくれるだろう」という受動的思考、希望的観測では何もできない。
今、気付き、変化し、次元を超えた心からの行動をすることが、この世界を変えるエネルギーになるのだと思いました。

有機農業に取り組む吉田俊道さんの「間違った道さえ選ばなければ、誰か見えない人が応援してくれる」「黙って支援を待っているわけじゃなくて、やることをやっていれば、いいってことがわかった」という言葉も、高次元のエネルギーや繋がりに気づいておられる実践者の声なのだと思いました。

今号を読み終えて痛感したのは「すべては自分なのだ」ということです。
自分が変わらなければ何も変わらない。
そのチャンスはいつでもどこにでも存在する。
あとは、そのチャンスにアクセスできる次元に自分が立っているか否か。
もしくは、その次元に繋げてくれる師や仲間がいてくれるか。
人と人との分断が進む世の中で、チャンスに巡り合える機会は激減していると思います。
しかし、宇城先生がおっしゃるように「危機」はピンチ(危)とチャンス(機)が一緒になっている状況。
今、この状況だからこそ、良い方向へも悪い方向へも大きく動く可能性があると思います。
まさに、変化の時が来ているのだと思いました。

エネルギーに満ちた一冊をありがとうございました。
次号も楽しみにしております。

読ませていただいて、沸々とやる気がわいてくる内容     山形 教員 男性


届いたばかりの季刊『道』No.205を熟読しました。宇城先生の言葉がいつも以上に入ってきました。吉田俊道さんの実践にも驚きました。

まず、写真家野村哲也さんとの対談を読ませていただき、大変驚きました。特に、吸い込まれたのは、P15の『「偶然の必然」を呼び寄せる気の法則性』という小見出しのある部分です。朝日が当たるフィツロイ山が湖面に映っている写真がなぜ撮れたのかということに関してです。

『…私からしたら「あ、写った」という時は、こちらが波を立たなくさせている、つまり、そこに境界をなくしているということなのです。』
(中略)
『だから、たまたま風がなくて、さざ波が立たなかったということではないのです。山にそこに映ってほしいという野村君の思いが、そこに行った時にピタッと合って、一瞬波がパッと止む。自然界には実はそういう現象がすごくあると思います。』

この宇城先生の言葉にすごく納得がいきました。

「こんなことがホントにあるんだ」「こんなふうなとらえ方が本当にあるんだ」そう思いました。
気というエネルギーがもたらす「自然界と人間との調和の可能性が証明された」と思いました。自然と人間が対立しない世界があって、そこでは自然が人間の思いに答えて自らを変化させることがある。人間と自然とは通じ合うことができる。

さらに言えば、自然はそういう人間の思いの背後にある、その人自身の人としての生き方のレベルをしっかり見ている。そういう確信をもって生きてこられた宇城先生の世界の、次元の高さに驚かされました。

ますます、自分が生きてる世界のせこさ、狭さ、情けなさ、つまらなさを思い知りました。宇城先生が再三再四、常におっしゃっていることですが、目に見えるもの、意識で捉えることができるものだけに頼って生きることのなんと危ういことかと思いました。

また、自然界と人間の調和を、教育の視点でずっと追っかけているのが季刊『道』だいうことも実に明快でした。

吉田先生の実践は、農業や教育の可能性を大きく開くものです。農業も教育も「生き物を育てる」ということは共通しています。そこに必要なのは対立ではなく調和ですね。吉田先生は、その調和をどのように生み出していくのか、目には見えにくいものごとのつながりをどのように見て感じ取っていくのか、深い配慮と確実な行動力をお持ちの方ですね。読ませていただいて、沸々とやる気がわいてくる内容でした。