読者の声| 季刊『道』 201号(2019年夏)  

母親と赤ちゃんの関係に衝撃を受けました  神奈川 自営業 30代 男性


『道』最新号 汐見先生との対談について。ウガンダではオムツをしない、戦前の日本でも基本的にはしない方針だったということ、母親と赤ちゃんの関係に衝撃を受けました。

戦後GHQ の策略により、教育、食、文化の退廃が押し進められてきた中で、次々に見つかってくる衝撃の数々。軍産複合体に搾取され続ける仕組みは途方もないように感じていた中で目にした一文でした。

こういった策略に気づいて自分がやめて変えようとしても周囲から変人と思われてしまうように徹底的に仕組まれている戦略。これを跳ね退けるには知識ではどうにもならず、強いエネルギーを持った集団が増えなければ現状は変わっていかないのだと思いました。

汐見先生のお考えは興味をもっていました  岩手 教員 60代 男性


現在、再任用で幼稚園の園長をしています。長年勤めた小学校とは勝手が違って戸惑うことが多いのですが、汐見先生のお考えは宇城先生のお考えと重なることが多く興味をもっていました。(幼児教育の世界では神様のような存在の様です)宇城先生との対談はわが意を得たりと引き込まれるように読みました。

宇城先生のご指導を受けるようになってから少しずつ私の考えは変わってきているので、今回の対談の前に汐見先生の著作に目が行くようになり、この対談で考えがさらに深くなったように思います。(これも何かの導きかなと思います)教育の名のもとに大人が子供を教え導くという学習理論は根本的に間違っていると思います。そこにはそれにふさわしい大人がという前提があると思います。どんなに小さい子であっても師と弟子との関係があり、子どもと接する大人はその責任の重さを自覚しながら導くことが必要だと思います。

宇城先生のように実際に事実を見せて考えさせるか、ともに考え気付かせるかすることが大切で、自分の価値観で納得した知識をただ伝えるのは教育とは言えないと思います。ましてや強制的に押し付けるなどあってはならないことです。

残念なことに、ベテランと言われる方々にその意識が全くない方が多いように思います。あまり結果をもとめられない幼児教育の世界ですらそうです。結果を求められる小・中・高・大ではなおさらでしょう。

宇城先生から教えていただいた一人革命は今の立場でどんなことをするのかわかりません。しかし、じっくり考えて行動していきたいと考えています。

汐見先生と宇城先生の対談もとても興味深かった  宮城 主婦 60代 女性


今回の『道』も大切なことがいっぱい詰まっていました。
子どもの教育に関して、汐見先生と宇城先生の対談もとても興味深かったです。
お二人の先生には共通する点がたくさんあったように思います。
こどもは完成形である。
今の教育が子供を壊している。
知識ばかりに重点を置いて来た結果、いろいろ問題が起きて来てしまった。
などなど、、

また、藤原ひろのぶさんの行動力は素晴らしいですね。
とにかくやってみる。そして考える。
それも人のために動いている。
みんなが少しずつ、人のために動いていけば、争いは起こらないでしょうね。

「経済競争というのは、誰かが金持ちになると誰かが奪われるというゼロサムゲームなんですよ。
そうではない仕組みの上での幸せを探求しなけれべいけない時代です。」
全くその通りと思います。
また、「買い物は投票なんだ」もその通りですね。
消費者が身体に良いもの、自然に優しいものを選んで買うようにしていく。
消費者がかしこくならないといけないですね。

「みんなの学校」の木村泰子先生のお話もとても面白かったです。
こんな素晴らしいことができるのだと。
「自分がされていやなことは、人にしない、言わない。」
私も子どもの頃母から言われ、そしてまた、子育て中、子どもに良く言ってきた言葉です。

一人ひとりがこの言葉のように、人に対して接していけば、争いなんて起こらないはず。
そして、「文句を意見に変える。」これもすてきです。
文句だと対立してしまうけど、意見だったら話し合いにつながっていく。

今の韓国と日本も話し合う前から対立している様子がよくわかります。
何とか良い方向へ、お互いに持って行かれないものなのでしょうか?
お互いにとって不幸な感じがしますね。
そんな中、我が息子は先日、韓国でライブをしてきたそうです。
直接危ない目には合わなかったそうですが、少しは影響があったと言っていました。
早く良い関係になるといいねと。

この頃の日本でも、あおり運転や、アニメーションスタジオの事件など
信じられないようなことが毎日のようにテレビで流れています。
これもやはり社会が壊れているからなのでしょうか?
いろいろな人がいるのは当たり前なのでしょうが、
あまりにも考えられないことをする人が増えているように感じます。

何とか「みんなの学校」のような学校が、少しずつでも増えて行ってくれたと願います。

汐見稔幸先生の対談、改めて人間の体の神秘について考えさせられました  東京 40代 男性


汐見稔幸先生という方を私は存じ上げなかったのですが、東大出身の先生でこのように学力よりも子供自身の完成により添おうとする姿勢を持った先生がいるのかと驚かされました。
また、ウガンダでは赤ちゃんがおしめをしていないという話も初めて聞く話で驚きました。また、戦前には日本でもそのような子育てがされていたと聞き、現代においては言葉ではない、身体を通じたコミュニケーションが本当に失われているのだと実感しました。おしっこをしたいというサインは、本当に微かなものだと思うのですが、人間にはそのような微かなサインを感じ取ることができるセンサーが備わっているのかと、改めて人間の体の神秘について考えさせられました。

また、藤原ひろのぶさんという方の社会問題への取り組みも、私をすごく元気づけるものでした。私は以前、地域通貨を利用していた時期があったので、「買い物は投票だ」という考えは、まさに私の考えるところでもありました。私たちが、自分が住んでいる社会をどのようにデザインしたいのかと考えたとき、普段の生活の中でそれを実践しようと思えば、どのような商品を買うかというところから始まると思います。私たちがある商品を買うということは、その商品を生み出す会社、ひいてはその会社を成り立たしめる社会構造を再生産させることになります。したがって、現在の社会構造に変動を起こさせようと思えば、現在主流となっている商品ではなく、いわゆるフェアトレードの商品等を買うことを意識するべきです。
日本人は、普段の自分たちの買い物の影響力、威力というものについて鈍感すぎると思います。できれば、学校教育のカリキュラムの中でそのようなリテラシー教育が行われればいいのにと考えています。しかし、かくいう私も金銭的な問題で、割高なフェアトレード商品をなかなか買うことができていないことを告白しなければなりません。残念な限りです。

木村泰子さんという方の学校教育への取り組みは、私が知っている学校教育とはかけ離れたもので、目玉が飛び出るほど驚かされるものでした。
教師が自分が無理と思ったら、他の教師にバトンパスするなど、今の学校教育では考えられないようなやり方ですが、教師が一人で仕事をする時代ではないという考えは、多くの負担を課されている学校の先生にとって、非常に救いになるのではないかと思えました。
そして、木村さんの「相手を敵にせず、『おかしいこと』を変えていこうとする、それが『行動』だと思います。」という言葉は、非常に響きました。私たちが現状に異議を唱えようとするとき、どうしても敵味方の図式に分かれてしまいがちです。また、そのような図式に陥ること自体を嫌がって、そもそも異議を唱えることをやめてしまいがちです。しかし、相手に愛情をもって、敵ではないのだと伝えながら変えるべきことを変えるように働きかけていく、このような行動をとることができるかどうか。そのためには相手の反応に鈍感すぎてはいけないが、過度に敏感であってもいけない。相手を尊重しつつ、自分らしさを失わない、それが大人といえる振る舞いではないか、自分はこれまでそのように振舞えただろうか、そんなことを考えさせられました。

「心の奥の取材ノート」では、長崎の原爆の被爆者の谷口すみてるさんに触れられていました。私は、生まれは東京なのですが、父親の仕事の関係で長く広島で暮らしていました。そのため、原爆についても多く見聞きする機会がありました。広島の原爆資料館は今年リニューアルされて、より一人一人の被爆者の方の顔が見えるような、具体的な展示に替えられたそうです。しかし世界で唯一の被爆国でありながら、私たちは被爆者一人一人の体験について、まだ充分耳を傾けることができているとはいえません。NHKスペシャルなどで、原爆について扱った番組をいくつか観ましたが、自分が被爆者であることを、終生隠しながら生きてらっしゃった方々もいたそうです。放射能が子孫に遺伝するのではないかという偏見から逃れるため、被爆体験を必死に隠されていたそうです。その人たちだけが、知り得た原爆の体験を、私たちは知ることができないまま、被爆者の方が一人、また一人と亡くなられていきます。それは、人類にとって大きな損失だと思います。
太平洋戦争から多くの歳月が流れ、戦争の持つ悲惨さの記憶が薄れゆく中で、戦争で北方領土を取り戻すべきだと主張する政治家の世代も現れるようになりました。このような頭の中だけで自分の勇ましさに酔っている輩に世の中を牛耳られないためには、戦争が一人一人に人間の人生に、どれほど取り返しのつかない損害を及ぼすのか、身体で感じとる感性が養われることが大事だと思います。そのためにも、身体を通じた学びがもっと広がらなければならないと思います。

そして、宇城先生の連載についても書かせていただきます。先生は、気は「技術である」という捉え方をすべきだという考えに至ったと書かれていました。これは、私には驚きでした。これまでの私のイメージでは、気というのは、過去・今・未来をつなぐものであり、また相手との調和により生まれるものというものだったので、ある意味、全人格的ものであると考えていたからです。しかし、先生の今回の記事では、「技術」という概念をもっと広く捉えているように読めます。「客観性、再現性、普遍性を持った実証性に裏付けられた事実があり、まさに『気』は目に見えない事象を目に見える形にするという意味で技術であるわけです。人を幸福にするものは、個々の学問そのものではなく、具体的な形としての技術であり、さらに言えば、それらを包括し、網羅できる『気』というエネルギーに裏付けられた身体と心であります。」と先生は書かれています。ここでは、人を幸福にするための方法、手段という意味で「技術」という概念を用いられていると思います。かつては、自然‐科学技術という対立で捉えられ、科学技術=悪という構図で描かれていました。しかし、近代以降では、手つかずの純然素朴たる「自然」ということはあり得ず、自然というのはあくまで人間の判断・意思決定にもとづく配慮により再帰的に捉えられた自然でしかありえないと思います。そのような再帰的な自然であっても、私たちの生に欠かすことのできない自然であることは間違いないのであり、いかに私たちの社会と両立するかを考えたとき、「気」という身体を通して技術をとらえていくという観点が重要なのではないかと考えました。

子供が本来持っている潜在能力を引き出すのが教育  福岡 72歳 男性


夏号の宇城憲治氏・汐見稔幸氏との対談 — 豊かな身体の学びを幼児教育へ — を読んで、また、ワイルドライフNHK 7/15放送の“猿の赤ちゃんが平和を築く”を拝聴して思ったこと感じたことを送ります。

人間が持って生まれた身体能力、衝突しない、調和・融合する身体、これらが平和をもたらす力を、最も力が弱い猿の赤ちゃんが持っている。
その神秘性を見ることができた。
これが、言葉ではなく、気を感じ気を発することで、和を築きあげているのかと思った。
子供力をそのまま伸ばすのは言葉や知識ではなく、子供が本来持っている潜在能力を引き出すのが教育だとの見解を感じた。

現在の世界を見れば衝突だれけではないか。その象徴がハート無いトランプ大統領ではないかと思う。
猿でもできるのに恥を知れと言いたい。
琉球が国を治めるのに、武器を捨て国を守るために取り入れた武術 — ティー 現在の空手 —、琉球の平和外交の歴史を見ればその真髄が見えてくるように思う。

木村泰子さんのお話から学校とは何かを考えさせられた  青森 会社員 40代 男性


木村泰子さんのお話から学校とは何かを考えさせられました。
木村さんは子供達が社会でよりよく生きていくことができることを願い取り組んだことで、誰もが共感する素晴らしい学校になったのだと思います。
このような学校があるということを『道』で知ることができ、私の周りにも知らせたいと思いました。

『道』を鏡に、今の自分の在り方を常に検証していきたい  滋賀 教員 50代 男性


汐見さんと宇城先生との対談、木村泰子さんのロングインタビューを拝読して、いかに現在の教育が本来人間が持っているすばらしいものを壊して、都合のよい「しくみ」の中に組み込むために行われているかを学び、できるだけ早期の子どもへの教育がいかに大切かを思い知りました。
そこに気づいた大人が責任を持ってやっていかなければならないということを強く学ばせていただきました。

藤原さんは、その「しくみ」を自分流で伸びやかに、すばらしい行動力とスピードで壊し、未来を切り開こうとされている。
その生き方に感銘を受けました。教育現場にいる私にとって、今号は特に強烈な問題意識を投げかけられる『道』でした。 
『道』を鏡に、今の自分の在り方を常に検証していきたいと思います。

子を持つ親としてお二人のお言葉に考えさせられ、気付かされた  福岡 メンテナンス業 30代 男性


汐見先生と宇城先生との巻頭対談を拝読させていただきました。
子を持つ親としてお二人のお言葉に考えさせられ、気付かされる所が多くありました。

私自身が汚染された環境の下、今の教育や常識で学び育ったという自覚や危機感が欠けていたこと、その私たち親世代の価値観や現代教育、汚染された環境にさらされていることで、子どもが生まれながらに持つ能力や可能性が失われているということに気付かされました。

いつも道塾で宇城先生が仰られている「子どもの邪魔をするな」という言葉の真意をはき違えて捉えていた浅薄な考えを大いに反省しております。

娘の赤ちゃんの頃の記憶や、日々感じている子どもの成長の速さと学習能力の高さ、道塾で実証を通じて気付かされる「調和と対立」の違いについて思い返しつつ、赤ちゃんの持つ力についてや、「身体で分かる」、子どもだと「対立」がないというお話を読ませていただき、我が事として得心が行きました。

また近代教育を受け赤ちゃんからのサインを受け止める能力を失った親が増えてしまった結果、昔は7ヶ月でおむつがとれる子もいたのが、今は3歳になっても取れないという「おむつなし育児」のお話を読み、我が子の現状と親の無自覚について考えさせられました。

『気は科学の先を行く「実証を伴う技術」である』、「訓練によって時空に溶け込む、境界線を取り除く、それを邪魔しているのが意識」、「頭で「学ぶ」のではなく、身体で分かる「映る」ことが大事」等、道塾において実証を通じ体験させていただいていることが、日々の生活や現代社会の問題にどうつながるのか、今回の『道』を拝読させていただき、大変勉強になりました。心より感謝申し上げます。

どの記事にも感銘を受けました  大分 教員 40代 女性


一気に読ませていただきました。宇城先生と汐見教授とのご対談、木村元校長先生へのインタビューはじめどの記事にも感銘を受けました。
 
本来みんなの学校であるべき学びの場が、競争、規則、管理、分断の場になっている今の状態を、目の前の子どもといっしょに変えていかれ、大きな渦を作ってこられている先輩方の思いや信念に、そして子どもたちの未来を支え変えていくのは、「今」このときを変えることからという宇城先生からの教えに、エネルギーをいただいています。

自分を変化させ、後に続く力を自らの内から湧き出させていけるよう精進せよと背中を押していただいたような思いになりました。
いつもありがとうございます。

先生方の教えを胸に、日々研鑽してまいります  東京 教員 50代 男性


宇城先生と汐見先生の対談を拝読している最中には、子供や赤ちゃんが生き生きと動き回っている様子が頭に浮かんできました。

今こそ、身体を通した学びを取り戻す必要があると切に思いました。
今の教育現場では、子供の人間力を引き出す手助けをしているつもりでも、才能の芽を摘んでしまっていることが往々にして見られます。

先生方の教えを胸に、日々研鑽してまいります。
ありがとうございました。

子供が生まれながらに持っているものを引き出せるように  千葉 自営業 50代 男性


宇城先生と汐見先生との対談を読ませていただき、知性や理性を聖地にしてしまっている世の中にいて、いつもそちらに流されてしまいそうになる自分自身を、戒めることができました。

理屈で正しいことを言っても、自分が違う行動をとれば、子供はそれを映すということを肝に銘じて、子供が生まれながらに持っているものを引き出せるように、自分を律して生活していこうと思いました。

本当の学力とはだれもが社会の中で幸せに生きることにつながる力  秋田 教員 50代 男性


「すべての人がともに生きる」の記事で、「見えない学力」をつけたら、「見える学力」は勝手につきますという言葉がありました。
見えないものが見えるものの土台になることは他のことにもいえるのではないかと思いました。
「見えない学力」は人を大切にする力と木村先生はおっしゃっています。

暴れている子を見て、その子は困って暴れている、どうしたら困らないようになるのかと考えることが出来る、そして行動する。そうすると周りもその子も安心して暴れなくてすむようになり、安心した空気の中で育っていく。

また、義務教育で獲得する学力は、「おかしなことはおかしいという自分の考えを相手を傷つけないでアウトプットする」力だとおっしゃっています。
だから大空小学校のたった一つの約束が「自分がされていやなことは人にしない、言わない」なのだと思いました。

本当の学力とはだれもが社会の中で幸せに生きることにつながる力だと思います。
先生は特別に支援が必要な子に24時間そばにいることも、一生そばにいることも出来ません。だからその子が社会で生きていくためには、自立する力とともに適切に助けや協力をを求める力と、周りがその子を知って適切に援助できることが必要だと思います。

特別支援学級と通常学級を分けることは、障害のある子が困るということが、周りの子どもたちや地域社会が想像すら出来なくさせていることに気づかされました。そうして育った子が大人になれば、そうした社会が出来てしまうのは当然で、それは映画「みんなの学校」を観た高校生の感想を読むと、この映画を観た高校生は気づくことが出来たが、映画を観ていなければ、そのまま大人になって、「おまえのせいで俺は困っている」という大人になるかもしれないと思いました。

「みんながひとりの人として子どもと対等に学び合っていたら、勝手に子どもは安心して自ら学力を伸ばすんです」とおっしゃっています。このような空気を作れるように行動したいと思いました。

子供の可能性を封じ込めてしまう教育には心底残念  埼玉 宅地建物取引業 50代 男性


真の教育とはどうあるべきか? 今、行われている詰め込む事に重点が置かれ、子供の可能性を封じ込めてしまう教育には心底残念に思いました。
これから、日本を支え動かすエネルギーを持つ人間が益々必要とされるはずです。未来の希望である子供達を大切に育てて行かねばなりません。未来(これからの日本を動かす大人)を見据えた時、今(その大人となる子供の環境)がいかに大切かがわかります。日本がこのまま衰退していって欲しくはありません。
食事も含め子供を育て上げる環境は変える必要があり、その為には我々がしっかり勉強し真実を知る事が大切だと思いました。

木村泰子さんの実践されている姿勢に頭が下がりました  宮城 会社員 60代 男性


木村泰子さんのインタビュー記事「すべての人がともに生きる」を興味深く読みました。

まさに教育とはこうあるべきということを実践されている姿勢に頭が下がりました。
義務教育の9年間は幼児から中学生という人間形成に一番大切な時期であることを改めて認識させられます。
そして今の知識偏重、文科省や教育委員会主導の教育の在りかたが如何にその9年間を無駄とは言わないまでも、木村さんの言う「文句を意見に変える力をつける」のような本当に必要な「見えない学力」をつける機会を失ってしまっていることか。
大人たちは言い訳ばかりで、「その言い訳の空気を子供たちは学校で吸っているんです」と。
「自分がされていやなことはひとにしない、言わない」という学校の約束は実にシンプルでしかも説得力があり、それはまた人生のすべてのことにおいて通用します。
そういう土台が子供の中に育てば、あるいは育てようとすれば「『見える学力』は勝手につきます」と。

木村先生の実践は、一人の責任者の心の持ち方一つで教育の場を子供たちにとって真に必要な場に変えられるのだということを示しています。
現場を預かる先生方にこのことをしっかりと認識し行動してもらいですし、また子供を通して学校に関わる親や地域の大人も、この見えない学力をどのように皆で育てていくのかの共同作業に他人事でない自分事として向き合うことが必要なのだと思いました。そしてこれらの行動や作業は、先生にっても、親や地域の大人にとっても「正解のない問いを問い続ける時間」としての「全校道徳」ならぬ社会にとっての大切な道徳の時間にもなるのではないかと思いました。

一つ一つの記事にガツンとやられました  山形 教員 50代 男性


『道』の最新号、教育関係の記事が多かったですが、一つ一つの記事にガツンとやられました。今まで自分は何をしていたんだろうと思いました。痛いところを突かれました。教育の根本は、教員は生徒の成長をじゃましないことにあるのですね。もう一度やり直しです。まだまだ学びが足りません。

『道』は、人と人を繋ぐプラットフォームのような存在  滋賀 学生 20代 男性


立場も国籍も分野も違う人が、同じような熱量で世のため人のために今に行動を起こしている。その事実を伝えてくれる『道』は、人と人を繋ぐプラットフォームのような存在だと感じます。
社会が余りにも混乱に満ちて、その大きさ強さに対して「自分は無力なんじゃないか」と思って負けてしまうことが、ともすればあり得るでしょうが、『道』に触れてさまざまなことを知るとすぐに「自分もやらなければ」というエネルギーで満ちてきます。

教育の現場から、あるいは大学名誉教授という立場から、そして世界を飛び回る方からの様々な角度からの発信と行動の根底に、同じものが流れているように感じます。
苦しい状況にある人たちを放って置けないという愛情と、人間の潜在力を信じ形にしていく強さに希望を感じます。

「道が広まれば日本は変わる」と宇城先生がかつて仰ったことの意味が、次第に強く感じられるようになってきました。
日々の自分自身の24時間修行の中で体現し、『道』が伝えてくれるような情熱と希望を周囲に広げられるような存在を目指します。

汐見稔幸さん、藤原ひろのぶさん、木村泰子さんの体験談に感動  福島 会社員 40代 男性


汐見稔幸さん、藤原ひろのぶさん、木村泰子さんの体験談に感動し、現在、これだけの行動をしている方々でも今まで様々な失敗と反省を繰り返し、模索をして進んで来られたという事を教えて頂きました。
読ませて頂いた後に自分自身の中で幾つかの気づきがありました。

今まで生きていた中で、自分が「これだ」と思った衝動の時、後の失敗や変化を恐れて何もできていなかった事、表面上 の変化はあっても中身が変わらない、変化していない。

また、自分の中で他人と距離をとったり、冷めている部分があるのは自分自身の個人的な問題なのか? と思っていたのが、世の中の教育のシステムの中にも、問題があると実感ができました。

永遠の記憶は身体であるという言葉は胸に突き刺さりました  群馬 自営業 50代 男性


汐見先生との対談で、産まれ持った気が、幼児教育の時に失われる事。赤ちゃんが持つ、汚染されていない本来の強さ。
お二人が仰っている『身体』の重要性。そして、永遠の記憶は身体であるという言葉は胸に突き刺さりました。
また、古来から伝わる『気』のつく言葉の多さにもいかに古来の人が、気を大事にしていたかが、分かりました。

大空小学校の初代校長の木村さんの話に感銘  兵庫 教員 40代 男性


宇城先生から教育に携わる人にぜひ読んでほしいということだったので、楽しみにしていました。
中でも大空小学校の初代校長の木村さんの話に感銘を受けました。「見えない学力をつける」、「文句を意見に変える」、「教えるのではなく、子どもから学ぶ」など、実践されてきたからこその説得力がありました。

人の見方ひとつで調和に結びつくことを教わりました  静岡 理学療法士 56歳 男性


今回も大変勉強になる内容にあふれていました。
特に、木村泰子先生のお話で、「暴れている子、怒っている子は何かに困っている人達と見ることが大事。何に困っているのかを解決すれば、落ち着く」。
この姿勢は、人間関係を築く上でとても大切だと感動しました。障害は対立です。人の見方ひとつで、調和に結びつくことを教わりました。

藤原さんの行動力と言葉に元気を頂きました  東京 会社員 男性


藤原ひろのぶさんの記事について
藤原さんの行動力とそこからにじみ出る言葉に元気を頂きました。
特に「本来「問題」に身近も遠いもない…」の部分には、自分が日ごろ見ているニュースに対して如何に他人事として受け止めているかハッとさせられました。
また、ふるさと納税の話で「返報性がないと動けない」ことが問題だというのも、全く同感で、自分も嘗てはその様に思える人間だった筈が、利益が出ないことはしないのが基本である企業に勤めている中で、そういう感覚が失われていったような気がしました。
会社員である前に一人の人間として「お前、大丈夫か?」と自問自答してしまいました。

自分よりも10歳も若い方がこのようにして人生経験では何倍も厚みをもって活躍されていると思うと、自分も負けていられないと元気が出ました。
さっそく、「買い物は投票なんだ」を買って読んでいます。

木村泰子さんの記事について
「おかしいことはおかしいと言える子を育てる」という見出しが心に響いて一気に読みました。
この記事もまた、藤原さんの記事同様に、自分が人間としてのまともな感覚、感受性をいろいろと失っている事を気づかせてくれました。

授業中に大声を出している子を「迷惑」だと切り捨てるのではなく、「困っている」から何かできないか?という、発想の転換に共感しました。
社会に出るとそう簡単ではありませんが、少なくとも学校ではそうあって欲しいと思いますし、今は大学生と高校生になった我が子たちにも伝えたいと思います。
私は嘗て中学生だったころ、授業が理解できずにつまらなそうにしている「不良」といわれるクラスメートに勉強を教えていた事がありました。
彼の理解したときの嬉しそうな表情が原動力だったこと、自分にもこのような一面があったことを思い出させてくれました。

ありがとうございました。

「身体」を土台にした人間の在り方についてお話
大変興味深く読ませていただいた
        三重 不動産業 20代 男性


汐見稔幸さんと宇城先生の巻頭対談は、さまざまな事例を引き合いに出しながら、「身体」を土台にした人間の在り方についてお話が展開され、大変興味深く読ませていただきました。

ウガンダの国や戦後の日本の赤ちゃんはおむつをしておらず、赤ちゃんがおしっこをもよおしたらお母さんが当たり前のようにそれを感じ取る、というお話は印象的でした。
自分と他者が別だ、と分けてしまうのは意識が作り出した世界で、本来はすべてが大きな一つの世界であることを感じるとともに、一瞬にしてバラバラの身体を一つにし、溶け合う状態にできる「気」は計り知れない存在だと思いました。

身体を置き去りにした「知性」や「理性」は人間の真の幸せにはつながらず、時空の中で生きている私たちにとっては「調和」できる身体になっていくことが、人間としてあるべき姿なのだと感じました。

藤原ひろのぶさんの記事は、大変エネルギッシュではつらつとしたエネルギーを感じました。行動によって気づきを得て、自らどんどん変化をしていくような人生を、自分自身も歩んでいきたいと感じます。
世の中のさまざまな問題は一面的でなく、悪の中にも善があり、決めつけや思い込みが必ずつきまとうので、実際に経験して知ること、そのうえで自ら何ができるかを考えることが大切なことだと思いました。

木村泰子さんの記事は、関西弁の大変明るい語り口で臨場感にあふれ、大人の都合ではなく「こどもたち」が主語となる教育に尽力していらっしゃる様子が紙面から伝わってきました。
言葉でそれらしいことを並べても、子どもたちはそこにある空気を吸って育っていくという内容が印象に残りました。

果たして自分は一人の人間として、胸を張って子どもたちに恥じない生き方ができているか。失敗はしてもいい、嘘をついたり、自分や他人をごまかすような不誠実はするな、というメッセージを頂戴した気がします。
今号もありがとうございます。

私たちに何ができるのか、何をすべきなのか   千葉 事務員 40代 男性


子育て真っ最中の身には、震えがくるような記事ばかりでした。教育とは何なのか考えさせられました。

先日、子供を有名私立中学校に行かせようとして、勉強の強要が行きすぎて子供を刺殺してしまった痛ましい事件がニュースで話題になっていました。受験とは誰のために、何のためなのか、悲しい気分で見ていました。

今回の『道』ではさらにその奥にある「教育の真髄とは何か?」という問いを突きつけられました。
知識を詰め込むことが教育ではないならば、何を子供に教えていかなければならないのか? この問いから逃げるのか、短絡的に答えを出すのか、答えのない問いに挑み続けるのか。喉元に真剣を突きつけられるような思いがしました。

その一方で、GOOD EARTHの藤原ひろのぶさんの記事からは、今自分がこの日本で子育てできていることに感謝を覚えました。
作家 曾野綾子も語る貧困の極地、これと同じものを垣間見させていただきました。

時給17円の生活や子供がわずかな米と玉ねぎだけの食事という世界の反対側に、私たちの安穏とした生活がある。そんな安全なところにいる私たちに何ができるのか、何をすべきなのか。

安全なところに生まれた僥倖に感謝し、まずは我が子への教育を追求する。
他方、生まれ落ちた座標が少し違うだけで最貧困の生活を強いられる人のために、わずかでも行動する。

「内を充実させつつ外に開け」そんなメッセージを受け取った本号でした。

他人を批判している間は弱者は守れないとのお言葉は
その通りと思います
                        大阪 50代 男性


大空小学校木村校長先生の記事を読んで、かつて教科書会社の営業で学校にお伺いした頃を思い出しました。
当時の大空小学校の音楽の先生と懇意にしており、夏休みの研修のご案内をしたところわざわざ木村校長先生も参加して下さいました。

その日の夜、懇親会まで参加して頂き、熱い思いを語って下さったのを今でも覚えています。その後の音楽発表会に毎年ご招待頂きました。

大阪市の教育界をよく知ってるだけに、木村校長先生のような活動は、お偉い先生方からは相当煙たがられたと容易に想像でき、それを跳ね返し活動されたことに敬意を表したいと思います。
他人を批判している間は弱者は守れないとのお言葉はその通りと思います。仕事柄、先生がお客様だけに自分が困難な状況に追い込まれたら何ができるだろうか? 毅然とした態度できちんと意見できるかと聞かれたら自信を持ってこうすると言える人間でありたいと思いました。

『道』は人生の指針であり、
行動のエネルギーを与えてくれます
  福島 公務員 男性


仕事から帰宅したら、季刊「道」最新号が届いていました。
そのまま着替えもせず、一気に読み切ってしまいました。
まさに、引き込まれるという言葉がぴったりな感覚でした。

誌面から伝わってくるエネルギーに仕事の疲れも忘れ、読み進めるうちにエネルギーが身体の中に満ちて行くのを感じました。

紹介されている多くの実践者の方々の行動や言葉が、知識としてバラバラに頭に入って来るのではなく、一点にリンクしたひとつのものとして境界なく身体に入ってくる感覚。これは、大空小学校の木村先生の「頭で覚えたことは出ていく。身体で吸ったものは貯まる。」といった事なのではないかと思いました。

汐見先生の巻頭対談でも、宇城先生の連載でも、知識ではなく、身体で分かる(学ぶ)ことが大切であり、人間は生まれながらにして善悪を知っているという記述がありましたが、正しき行いを成し、己も他人も幸せにすること、これこそが人の生きるべき道であること、そしてその道を成すためには、一人の知識や思いだけではなく、周囲を引き込む雰囲気と仲間が大切なのだと切に思いました。

信じられないような悲惨な事故や凄惨な事件、政治家の不祥事が頻発しておりますが、政府はその後追い処理だけで、その本質を追究することはしません。それどころか、老後2千万円問題など国民をバカにしたような政治バラエティーを繰り広げ、国民は政治に対する信頼や期待を完全に失い、選挙では投票率が50%を割り込むなど、民主主義は完全に機能していません。

この状況を変えるには、気付いたひとりひとりが、この今という時間に行動し、手をつなぐしかないと思います。
ひとりではないという心強さが互いを支え、その行動が更に周囲を変える。
周囲を変えることは世界を変えることに繋がると思います。
スローガンや組織方針でやらされるのではない、気づいた者が自ら行動する。
ただ流されて辿り着いた未来と、自ら行動して到達した未来は異なると思います。

その気付きを与え続けていただける『道』は人生の指針であり、行動のエネルギーを与えてくれます。
素晴らしいエネルギーに満ちた一冊をありがとうございました。本当に元気になりました。
また次号も楽しみにしております。

気は目に見えない、けれども確実に存在する人間の持つ「心」を
具体的に表す事ができる技術である
  静岡 農業 男性


巻頭対談の汐見さんのお話で、ウガンダのお母さんは自分の子供のトイレがする前に分かるという事、そしてその赤ちゃんのサインを受け止める能力のある人間を母親というのだという事。汐見さんが宇城先生の「気」に対し、興味を持たれていた事。

子供という人間の中でも自然に最も近い時に接するとやはり目に見えない力というものを感じるのだと思います。そしてこの力が日本は母親に限らず、誰もが低下しているのではと思いました。その目では見えない、心を捉える、感じる事ができない状態だと思いました。

藤原さんのお話では、「問題とは自分の目に見えているか、見えていないかで本質的には同じ」というお言葉に、全ての問題の根源は繋がっていて、それをそのバイタリティ溢れる行動により、感じ取り、実際に行動を起こしている藤原さんの鋭い洞察力が垣間見れました。

「意識」がどこに向いているか。この意識という目に見えない部分、ここが正に今の日本には無い、全く欠けている所だと思いました。
そして、「大人が事業で社会の問題を解決する土台をつくっていない」というお言葉。本当にその通りだと。過去の日本人の功績に乗っかり、その過去の遺産を食いつぶしている。そしてそれも最早無くなり、待ったなしの状況になっている現状。その現状が変わらないといけないと、自分もそのように感じ、大いに共感致しました。

そしてこの仕事で食べていける事を証明し、若い人の土台になろうとしている。
経済競争で誰かが金持ちになると誰かが奪われる、そうでない仕組みの上で幸せを追及しなければならない時代、の為に。
藤原さんのような、新しい時代の礎になる事。同年代の自分もそのような人間になりたいと、本当にそう思いました。

木村泰子さんの『みんなの学校』。昔の学校は今よりも人数が多くとも、障がいをもった子供も一緒だったはずです。それがいつの間にか大人が都合のいい理由をつけて差別をしていて、その空気が子供達にうつってしまっているという事。

まさに子供達は何を信じればいいのか。それを自らも失敗から、現場で子供達から謙虚に学ぶ事で、子供達から信頼され、信頼関係を築き、その「空気」を子供達が身に付けていく。そこには人の事を悪く言ったり、文句を言うような雰囲気、まさに空気が無い。そして学力、仰る所の「見えない学力」が「見える学力」をも上げていく。これが本当に今の日本の子供達に、必要な学校の姿ではないでしょうか。

お話からも、そして子供達と天を指さしている写真からも、本当に子供達が活き活きとして、とても良い雰囲気、空気で学び、育っているのだと。このような学校が今の日本に増えれば、未来は決して暗くはない、その希望の学校の姿だと思いました。

進学校の生徒は映画を見た後に学力が低い、とほとんどが思っていた事。彼らはまさにそのような空気にいたからだと。しかしその空気を作った先生たちもそれを望んでいる訳ではない、なのにそのようになってしまっている。それを変化させていくには文句ではなく意見。そして子供の事実から大人が学ぶ事。子供達の現状に真摯に大人が向き合う事。それがこの現状を変えていく方法なのだと思いました。

ハニーさんのミツバチマーク、お話を読んでいて自分もこのマークを使いたい、そう思ってしまうようなハニーさんの説明。聞いていて楽しくなる、まさにJOY!の言葉通りになってしまいました。これもハニーさんご自身も楽しんで活動していこうと思われている、それが伝わってくるのだと思いました。

そして『気づく、気づかせる』ではまさに汐見さんや木村さんのお話を読んできて自分が感じている事、「これまでの教育システムが押し付けでそこに個性を引き出す、人間として思いやりのある心を育てる、が完全に抜け落ちていた」というお言葉が、まさに今回の号を読んできて最後にズバリと言葉にして頂いたと感じました。

そして「トップ、リーダーは本来、気により相手を包み、引っ張り上げる程のエネルギーを有しなければならない」というお言葉で今号のみんなの学校の木村さんがまさにそのような存在なのかなと思いました。

命を頂いた以上、全ての人間は幸せにならなければならない、そこに今の科学や宗教、哲学、医学が向かっているのか。まさに。まさに。これらのものがむしろ争い、や混乱、そして悲劇さえも招いている現状もあると思います。

「『気』は技術である」。「目に見えない事象を目に見える形にできる」まさにその通りだと。
気は目に見えない、けれども確実に存在する人間の持つ「心」を具体的に表す事ができる技術であると。

この日本人が生み出した概念、技術はこの世界、そして人間個々を革新的に変える可能性を秘めていると今号を読み、改めて思い、そして無限の可能性のようなものを感じる事ができました。

もっと謙虚に精進しないと  福島 歯科医師 男性


201号の裏表紙、「安藤誠 日常の奇跡」を読ませていただきました。
「多重露光」という手法での作品と知り、こういったものがあることを知りました。
なかなかいいものですネ。
こういった物語性のあるストーリーを作るのは大変かと思いますが、
面白いというだけでなく、その御苦労を知ると感動してしまいます。
運が良いというより、やはり奇跡を感じます。