215号 (2023冬)


テーマ 「心身の一致こそ原動力」

 

好きだからこそ行動する。
湧き上がる思いがエネルギーとなる。

本当の好き、嘘のない自分の心
その心と身体の一致が、行動の原動力となり
何があっても、あきらめない、負けない心身をつくる。

そんな実践者のお話満載の号となりました。

 

2023年1月24日発売

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読者の声

  巻頭対談(1)

未完成こそ原動力
自分の伸びしろを信じ続けて60年
アフリカでの新たなビジネスへの挑戦

ケニア・ナッツ・カンパニー創業者 佐藤 芳之
VS UK実践塾 宇城 憲治

 

季刊『道』215 巻頭対談 佐藤芳之・宇城憲治 季刊『道』215 巻頭対談 佐藤芳之・宇城憲治 季刊『道』215 巻頭対談 佐藤芳之・宇城憲治

日本の戦後の時代を経て、
1963年に僕はもうひとつ未開の地、アフリカに飛んでいった。
以来いろいろ開発してきましたが、いつも不満足なんです。
ずっと開発途上なんですよ。
私はいつもそういう未完成、
開発途上人間でいたいなと思っているのです。

8年前に本誌に登場いただいた佐藤芳之さんは現在83歳。通常定年とされる年齢をはるかに超えて、世界を舞台に現役で活躍。さらに今後10年を見据えたビジネスプランがあるのだという。23歳の時、単身アフリカに行き、数々の事業に挑戦し、35歳の時に起こしたケニア・ナッツ・カンパニー事業を成功させて以来、利益を目的とせず、常に新しい産業を興しては、アフリカ各地の人の雇用や若い人材の育成にエネルギーを注ぎ続けてきた。その原動力は、「常に発展途上でい続けたい」という思い。同じく「定年とは死ぬ時」を信条に未来の子供たちのために活躍する宇城氏と、日本を元気にするヒントを大いに語り合っていただいた。

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希望のない国になりつつある日本

佐藤 お久しぶりです。何年ぶりでしょうか?

宇城 前回の対談が2014年11月でしたから、8年ぶりですね。

佐藤 私が75歳の時ですね。今私は83歳になりました。先生は大変お元気そうですね。ずっと季刊『道』を拝読させていただいていますが、今まさしく「調和と分断」ですよね。

宇城 そうですね。いつも言うのですが、建物を作るのにいろいろ断片化されたブロックを集めて一個の建物を作りますが、自然に生えている木は、最初から全体ですね。本来人間もそうでないとダメなわけですが、断片化されたブロックの寄せ集めのようになってしまっていますよね。

佐藤 昔は家の真ん中に大黒柱というのがど~んとありましたよね。今は、その大黒柱がいなくなりました。家庭でも男はもっと偉いものかと思っていましたが、最近はダメですね。
実は日本に帰国してびっくりしたのですが、レストランの料理の味が落ちている。値段はほぼ同じなのですが、素材にかけるお金が安いのでしょうか。そういうことを体験すると今、相変わらず日本は豊かな国で海外に援助するなどして、モデル国のようになっていますが、中を見ると全然違う。

宇城 大黒柱、懐かしい言葉ですね。すべてをまとめる芯で真ですよね。今日本は貧しいんです。貧しいはまだいいのですが、心まで貧しくなっていますね。

佐藤 心の貧しさって結局、ストレートに所得が減ることにつながっている。給料が上がらないと言われていますが、数字で見ても、ここ5~6年、所得の増加率が韓国の3分の1くらいですよね。先生、これなぜなのでしょう?

宇城 やはりビジョンがないからではないですか? いろいろ断片的な発想で、その時その時で対応しお金を配る。それをやっても続かないですよね。お金でもただのバラマキになって。瞬間的にはよくても、あとに何も残らない。政治も自分のことだけを考えているから、先が見えなくなっていると思います。このツケはこれから先、たとえば年金の問題など、いろいろなところに出てくると思います。

佐藤 でも見ているとみな幸せそうに町をファッショナブルに歩いていますね。生活苦を顔に出さずに(笑)。

宇城 そこが問題だと思うのです。今、日本では高校生をはじめ、若者の自殺が一番多いんですね。この前、教師塾があったので聞いてみたのですが、私の思いと違っていて自殺の原因はいじめではなく、不安からきていると。驚きましたね。ということは希望がないということなんですね。
教師塾では子どもたちは希望を与える。そのための自信づくりが大事だと言っていますが、まさに希望を与えてあげる教育でなければならないのに、受験勉強や競技スポーツの部活など、まさに子どもたちを不安に陥れている教育になっていますよね。

佐藤 統計で見ますと日本で一番多い年齢は49歳なんだそうですが、アフリカでは20歳なのです。20歳がたくさんいる社会と、49~50歳であと10年経ったら定年という人がたくさんいる社会とでは、人生の見方が基本的に違いますよね。
若い子ばかりだったら、どんどん新しいイノベーション(新たな価値を生み出し、社会・経済に変革を起こす活動)をやって、社会に若い人のパワーがあふれます。貧しいですが、貧しさもパワーになり得る。

僕は昭和21(1946)年に小学校に入りましたが、当時の日本人はハングリーでした。お父さんお母さんは必死だったし、僕らも必死にいろんなことをやった。「うまいもの食いたいな」と夢があった。今、見ていると、僕らが走ってきた時代と、今のアフリカの青少年たちの気持ちとちょうど一致するんです。

当時、進駐軍(他国に進駐している軍隊。戦後の日本ではアメリカ軍がそうであった)が来た時は、「ギブミーチョコレート!」と言いながら、彼らの車を追いかけていました。車を持つなんて夢でした。それが今僕らがアフリカの田舎に行くと子供たちが「ギブミーマネー!」と走ってくる。ニコニコしながら。あのパワーがね。この若年社会と老人社会は対比しても、かないっこない。その辺が問題かなと考えるのですが。

宇城 その通りだと思います。

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季刊『道』215 巻頭対談 佐藤芳之・宇城憲治

 

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●プロフィール

◎ さとう よしゆき
1939年宮城県生まれ。南三陸町で幼少期を過ごし、1963年、東京外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。同年ガーナ大学に留学。1966年から5年間、ケニアで日系繊維企業に勤務。31歳で退職し、いったん妻子を連れて日本に帰国するが、32歳で単身ケニアに戻り、鉛筆工場、製材工場などビジネスを立ち上げ、1974年、ケニア・ナッツ・カンパニーを起業し世界五大のマカダミアナッツカンパニーに成長させる。2008年に同社をタダ同然に現地パートナーに譲渡し、微生物を活用した公衆衛生、肥料事業をケニア、ルワンダで展開、現在に至る。

◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。「気」によって体験する不可能が可能となる体験は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手塾、道塾、教師塾、野球塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長

  巻頭対談(2)

子どもたちに伝えたい
嘘のない自然が見せる真実の世界

写真家・ネイチャーガイド 安藤 誠
VS UK実践塾 宇城 憲治

 

季刊『道』215 巻頭対談 安藤誠・宇城憲治 季刊『道』215 巻頭対談 安藤誠・宇城憲治 季刊『道』215 巻頭対談 安藤誠・宇城憲治

人と比べたり、人より上か下かというふうに
育ってきている今の子供たちに、
「今のままでいいんだ」ってことを
肯定させるためにも、自然の世界や森を見せて、
その中に優劣があるかどうかを
見せていくことが大事だと思っています。


私たち人間は宇宙に生かされている存在として、大自然には畏敬の念を持って接していかなければならない。それほど大自然は偉大である。
環境保護が叫ばれて久しいが、今を含め、ますます悪化していく環境。大自然には嘘がない。すべて真実である。一方虚構に満ちた人間社会。
そんな今、大自然の一員である私たちが生き残るためには、本気に大自然に向き合う必要があるのではないか。

それにはまず私たち一人ひとりが自然をよく知ることである。まさにその自然と人間を繋ぐ実践をされているのが安藤さんだ。見た目は強面だが、安藤さんが撮るクマや鳥をはじめとする数々の野生動物や自然の写真や動画、エッセイはユーモアに満ち、私たちに安らぎを与え、大自然の偉大さと共に共存のあり方に気づかせてくれる。

「人間が生きていくということは、大自然の中で調和し、境界を取り去り、解け込むこと。そこに私たちの未来はある」――そう語る宇城氏との対談は、私たちが今まさに直面している課題と希望への道筋となるものとなった。

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森のスターター 白樺の役割

安藤 本日はよろしくお願いいたします。実は先日の僕の講演をズームで観てくださった宇城先生のお嬢さんから非常に丁寧な感想文をいただいたのです。随所に宇城先生の教えと比較しつつ書いてくださったので驚きました。僕にとってはものすごい情報で、先生に会わずして会えたというか、プレ対談のようになって本当にありがたかったです。

宇城 そうなんですか。それは知りませんでした(笑)。私も講演をズームで拝見させていただきましたが、すべてが勉強になりました。その中でも安藤さんの白樺の話には納得させられました。

安藤 北海道には白樺があり、まさに北の木なんですね。木には何百種類あるなかで、白樺というのは明るいところでしか育たない木なのです。そして森を作るパイオニアというか、スターターなのです。山火事になったり、人間が開発して森を切り開いたりした時に、最初にやってくるのがこの白樺なのです。

ドングリと違って種が指先に乗るか乗らないかくらい小さいので、空を旅することができるのですね。さらに白樺は開けた日当たりのいいところでしか育たないというミッションを神様からもらっているので、そういうところに来ます。ところが白樺は寿命が80年~130年と短い。他には1000年生きるミズナラとかカシワ系の木があるのですが、こういう木たちは陰樹と言って、暗い森の中でしか生きていけないのです。この陰樹のミズナラたちは、日の当たるところを好む陽樹の白樺が来て日陰をつくってからでないと、その場所に来れないのです。

たとえば、森を再生しようとドングリを植林しても、そこに日陰がなければ、芽は出ても育たない。つまり自然というのはあらゆるものごとが時間軸でつながっているので、人間が破壊してしまうと、その時間軸を簡単には再生できないのです。

ですから白樺がスターターだということです。白樺の木肌に模様がありますが、あの模様が一体何かというと、人間の言葉で言えば「譲った」結果なのです。白樺が成長して枝が伸びると、日陰で成長する陰樹の葉っぱが大きく育ってきて、白樺に光が当たらなくなる。そうすると当たらなくなった場所から自動的に白樺の意志で、枝を落とすのです。自らどんどん枝を落としていく。その落としたあとがあの白樺の美しい模様になる。そしてどんどん枝を落としていくと最後は、箒のようにてっぺんだけが残るのです。そうすると低気圧や嵐が来た時にそこに風が当たり、根本からぽっきり折れるように設計されているのです。そして潔くその場を去って、あとから来た陰樹たちに森を引き渡すのです。

真の教育は教え育む心

宇城 素晴らしいですね。これこそ大自然の輪廻転生ですね。人間界はスギやヒノキを自分たちの目的都合のために植えた結果、自然の輪廻を破壊していますが、白樺は自然界を創成しながら、かつそうして役目を終えた後は自然に倒れて譲っていくという。まさに人間が学ばなければならない教訓ですね。

ライオンは人間のように筋トレをしないけれど強い。鷲は大空を気流に乗り羽ばたきもせず、獲物を見つけると時速120キロを超えるスピードで急降下して獲物を仕留めますが、地面に激突しませんよね。あの推進力とブレーキはどこからくるのか。

また深海潜水艇は水圧に耐えるためにものすごく分厚い鋼鉄でできていますが、水深5000メートルに行くと、そこには軟体動物が悠々と泳いでいる。それは深海に調和しているからですね。そういう自然を見た時に人間界では及ばないことがいっぱいある。しかしそういう自然を参考にした時、当然人間にもそういう力が秘められているはずで、そのポイントは自然界と同じく調和・融合にあるのではないかと考えたんですね。そこで人間の本来の能力すなわち潜在力とそれを引き出す方法に気づき、それを実践・実証していく中で、今の常識が全く通用しない世界があることに気づいたんですね。――

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季刊『道』215 巻頭対談 安藤誠・宇城憲治

 

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●プロフィール

◎ あんどう まこと
写真家 北海道アウトドアマスターガイド
1964年札幌市生まれ。東北福祉大学卒業後、塾、予備校社会科講師として12年間教壇に立ち、大工見習いなどをしながら1999年ウィルダネスロッジ ヒッコリーウィンドを開業。2004年よりアラスカにてガイド開始。2006年から「安藤誠の世界」と題して全国で講演活動を開始。大学や専門学校、小学校、保育園などでも講義を行ないながら現在に至る。
写真家として2014年、2016年、2018年、 2019年、2020年、2021年に世界的写真コンテスト『Nature’s Best Photography ASIA』入賞・部門グランプリ受賞。 2020年、イギリスロンドン自然史博物館・イギリス公共放送局BBC主催野生生物写真コンテスト『Wildlife Photographer of the Year 56th』にて哺乳類部門受賞。日本人として受賞3人目となる歴史的快挙。
また、 プロガイド養成や研修生制度を立ち上げ、人材育成に力を入れている。2021年4月よりオンライン私塾「至誠塾?Life As Guide?」も動きはじめ講演や交流会も開催。

◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。「気」によって体験する不可能が可能となる体験は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手塾、道塾、教師塾、野球塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長

  ロングインタビュー

精米技術で健康と環境を守りたい
88歳現役社長が見据える、日本の未来

東洋ライス社長 雜賀 慶二

季刊『道』215 雑賀慶二 季刊『道』215 雑賀慶二 季刊『道』215 雑賀慶二

私は昔から金を稼ごうとか、
そういう意図で何かをやったことは
一度もないのです。

誰もやらないものをうちがやる。
社会が必要としていること。
それをやれば社会が安心すること。
誰も手をつけていないことをやるのが目的でやってきたのです。

今では石が入っているご飯などあり得ない。
最近では洗わなくていい無洗米など、私たちにとってそれが「当たり前」となりつつある米事情だが、その「当たり前」の裏には、東洋ライス 雜賀慶二社長の70年以上にわたる研究開発と「少しでも問題を解決したい」「困っている誰かのために」という熱い思いがあったのだ。
雜賀社長は現在88歳。
「誰もやらないことを自分がやる」
これまでの研究開発の歩みや今後の日本の将来を見据えた100億円の事業展開など、想いを語っていただいた。

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戦後の何もない時代に15歳で社会に出る

―― 本日はよろしくお願いいたします。雜賀さんはこれまで石抜き機や無洗米、金芽米など私たちの暮らしに欠かせないお米に関して様々な発明、開発をしてこられましたが、是非今日は、雜賀社長のそうした活動の原動力についてお話を伺いたいとお邪魔いたしました。
雜賀さんが社会に出たのは戦後の混乱期のまだ15歳だったそうですね。

雜賀 はい。私が小学校6年生の時に終戦になりました。あなた方には想像がつかないだろうけれど、食べるものも着るものも住むところもない。見渡す限り焼け野原で、焼夷弾で焼けているから土が赤茶色なんです。そこに煙突がぽーんぽーんと立っていて、たまにある人家はトタンを組み合わせた犬小屋みたいなものでした。

しかも唯一の食糧である米が、昭和20年9月に来た枕崎台風が日本列島に沿ってものすごくゆっくり通ったことでもう全滅だったのです。それで昭和21年は餓死者が大勢出ました。有名な裁判官が餓死したくらいのひどい時代でした。

そんな状態だったので、教育など全くなくて、学校へ行ってもノートも鉛筆もない。どうするのかといったら小学校の運動場を耕していました。私が小学校を卒業したのがそんな時代の昭和21年3月でした。

私は新制中学の第一期生なのですが、当時私と同年代の人で大学に行っている人がけっこういました。私が新制中学3年生で卒業した時も、それで学業を終えた人は、男性では私を含め2人しかいなかった。一応みな夜学などに行ったりしていたのですね。それだけ雜賀家は貧しかったのだと思います。

そんな時に社会に出たものだから大変でした。働く場所も何もないので、仕方なしに父親がやっていた家業を手伝いました。父の仕事はお米屋さん相手に精米機を売ったり修理をする仕事でした。

私どもの兄弟は3人で、兄は3歳上、弟は8歳下でしたが、兄は身体が弱く、私が一番頑張らなくてはならなかった。というのは父親が和歌山市のような小さな町は絶対戦災にはあわないと思っていて、母の郷は田舎だから大事なものを疎開しようと言っていたのに、「そんなもん一切いらん!」と頑張っていたのです。ところが戦災にあった途端にガクッとなってしまった。「家も蔵も何もかもみんな焼けてしまった……」と、土間にペタンとへたり込んでね。「もう、あかん」と。

家族を支えるために考えた
少量配給精米

雜賀 そんな状態で、生活は無茶苦茶になり、私が社会に出たわけです。それでうちの店にお金になるものがいくらあるかと調べてみると結局、今でいう債務超過。それもメーカーから委託販売で預かった商品を売ったお金で生活していた。商品を売ったらお金を返さなければならないのに、「これはえらいこっちゃ」と。

―― それが15歳の頃ですか?

雜賀 はい。新制中学を卒業した年だから15歳です。これではいかんなと思ってどうしたらいいかと考えたわけです。

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季刊『道』215 雑賀慶二

 

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●プロフィール

◎ さいか けいじ
東洋ライス 代表取締役社長
1934年  和歌山県に生まれる。中学卒業後、家業の精米機販売・修理に従事。
1961年  東洋精米機製作所を立ち上げる。
1963年  雜賀技術研究所を設立し会長に就任。
1985年  東洋精米機製作所社長に就任。
2005年  トーヨーライス社長に就任。「金芽米」を発表。
2013年 両社を合併し東洋ライスを設立し社長に就任。
2015年 白米感覚で食べる玄米「金芽ロウカット玄米」を発表。
2020年 「金芽米エキス」を発表。

  連 載

季刊『道』215 工藤清敏

◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』

「手づくり海塩が日本人をつくってきた」

怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。
(写真: 神宝塩での農薬中和)

◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。

季刊『道』215 前島由美

◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』

「生活習慣を身に付け、家族との暮らしを立て直す」

療育支援施設「ゆめの森こども園」で、生き辛さを抱えている子どもたちに向き合う前島由美さん。愛情いっぱいの関わりと、親御さんや学校・地域と丁寧に連携によって本来の輝きを取り戻していく子どもたちの実例を紹介していきます。

◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。

季刊『道』215 安藤誠

 

◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』

「雲海幻想」

ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。

◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。

季刊『道』215 船橋康貴

 

◆一般社団法人ハニーファーム代表 船橋康貴
連載『ミツバチが教えてくれること』

「自分を解放し、輝かせていこう!」

ミツバチ絶滅の危機は人類滅亡の危機
私たちが生きていくための環境維持に欠かせないミツバチの存在を伝え、守ろうと東奔西走する船橋氏。
その活動の「今」を伝える。

◎ ふなはし やすき
養蜂家・環境活動家。
世界中で激減しているミツバチを守るために、環境のプロとして、ミツバチを使った「ハチ育」や町おこしなどを行なっている。

季刊『道』215 佐々木隆

 

◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』

「銀河の中の地球を感じよう」

生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。

◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。

季刊『道』215 野村哲也

 

◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』

「伊勢神宮物語(1)」

世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。

◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。

季刊『道』215 山元加津子

 

◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』

「みんな100点大作戦!」

人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。

◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。古民家を中心とした「モナの森」で、生きる力を強くするための活動を行なう。

季刊『道』215 金澤泰子

 

◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』

「翔子の周りから生まれる平和」

ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。

◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。

季刊『道』215号 岩井喜代仁

 

◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』

「近藤恒夫と歩いた52年」

薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設責任者を育てる岩井喜代仁さん。
今回は、2022年2月に亡くなった、日本の薬物依存回復施設ダルク創設者・近藤恒夫さんと歩んできた日々を、岩井さんに振り返っていただいた。

◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。

季刊『道』215 気づく気づかせる

 

◆UK実践塾代表  宇城憲治
連載『気づく気づかせる』

「閉じている潜在力の蓋を開ける」

最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。

◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長

 

 

◆編集部コラム 『心の奥の取材ノート』

「杖道範士八段 松井健二先生のこと」

交わした言葉、ちょっとした仕草、振る舞い ――
今もありありと思い出す、取材で出会った人たちの思い出を綴ります。

  編集後記

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