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人間力がなぜ失われるのか
宇城氏は、これまで多くの著書で、現在の様々な課題は、「人間力」が劣化したことに大きな要因があると繰り返し述べています。「人間力」は、人間が生まれながらに持つ潜在力にあり、すべての答えがそこにあると言います。
「今、世の中には人を幸せにするものと人を不幸にするものとの二つしかないような気がします。その二つとはすなわち「調和か対立か」の構図です。今の人間社会はすべてと言っていいほど対立構図すなわち競争主義をとっています。
競争でも、調和の中での競争と、対立の中での競争はその本質が全く異なり、本来は、競争原理を乗り越えたところにある競争が調和力なのです。
そういうなかで私はすべてが幸せに向かうことが進化であり、成長であると捉えています。なぜならそこにはとてつもない「エネルギーが存在している」からです。まさにそのエネルギーをつくるのが『気』であり、気の元となるのは「心」であり、人間力です」
「今、その人間力がかつてないほどに低下しています。エントロピー増大の法則というものがあります。簡単に言うと、熱い90℃のコーヒーでも放っておくと周りの温度、つまり常温の24℃になる。そして一度冷めたコーヒーは何もしない限り元の温度には戻れないという現象のことです。
これと同じで、人間が人間力のエネルギーの根源である「気」を失い、いきつくところまで人間力を低下させてしまうと、ついには平衡状態となって、もう元には戻れなくなる。まさにそれが今の嘘と虚構を作り上げた国政を司る輩の人間力の劣化です。今そのツケとともに危機が現実的になっています」
たとえば核爆弾といった地球上のあらゆる物を破壊するような力を持つ技術が存在する今、まさにその核爆弾を持つ人間性、道徳観が問われています。
人間力が低下すると人間性も道徳観も関係なくなり、自己都合でそれを使おうとします。それがさらなる対立を生み、負の連鎖を生み不幸になります。だからこそ技術の向上は、それを扱う人間力も同時にアップしていかなければならない。今そのことが非常に求められていると宇城氏は言います。
「しかし現実は私たちはその人間力を急速に失いつつあります。その原因は「自分さえ良ければ」という「我欲」に他ならず、そういうあり方は目先のことしか見えなくしてしまうので、「希望」(ビジョン)が持てなくなってしまうのです。
物欲のある人はいくら社会的地位が高くても目の前のことだけに向き合い、時間が止まり、すべてが後手になります。まさに今の国のリーダーのあり方の課題は誰の目にも明らかです」
このようなすべてが目先となり希望が持てなくなっている大きな要因の一つに、今の日本の教育の仕組みがあると宇城氏は言います。
「赤ちゃんはハイハイしていつの間にか歩けるようになるし、教えなくても勝手に言葉を覚えていきます。そのように自然に学んでいくのが本来のあり方です。
そういう自然のスピードに対して、今の教育は、すべて言葉や理屈で知識を教え込むあり方になっています。暗記や詰め込みが主流になり、試験の点数で子供たちを評価する。英語であれば、中学校、高校、大学と学び、英文法解釈を習って試験で一番の成績をとっても、しゃべることができない。子供は1歳でも話すことができるようになるのに、です。この「学びの違いは何なのか」ということです。
こうした「使えない」英語教育の「仕組み」は、数学でも国語でも社会でも根本は同じであり、すなわち日本の教育が、知識優先の「使えない」あり方になっているということです」
こうした受験勉強や画一的な教育に染まってしまうと、何か問題が起きた時に反射的にひとつの答えに向かおうとすると宇城氏は言います。すなわち多角的にものごとを見る発想が育っていかないのだと。
「子供は生まれながらに自由で器が大きいのです。ひとつの答えを強要するような教育はその器を狭めてしまうことになります。そうではなく、大きな視点からものごとを捉えていく導き方をしてあげれば、自然と想像力や創造力が育まれていくのです」
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●プロフィール
◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。「気」によって体験する不可能が可能となる体験は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手塾、道塾、教師塾、野球塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長
豊かな森を守り抜く
すべての命が輝く世界を子どもたちへ
日本熊森協会会長 室谷 悠子
調べれば調べるほど、環境問題はクマだけの問題ではなく、
自分たちがその後50年、60年と生きるとして、自然環境を壊したり、
野生動物を絶滅させたりしているこの状況は、
すべて最終的に私たち人間に返ってくるということが、
本当によく分かったのです。
中学2年生の時、森が荒廃し食べ物がなく里に出て捕殺され絶滅に瀕しているクマの状況に心を痛めた室谷さんは、友人たちとともに自ら学び、署名活動や知事への直訴など、クマを守る活動を始める。
環境破壊がクマだけではなく、自分たちの将来を揺るがす事態にまでなっていることに危機感を持った室谷さんは、大学生の時に森山初代会長が呼びかける「日本熊森協会」の立ち上げに参加。活動するなかで法律の問題にぶつかると、迷わず社会学から方向転換し、法科大学院で法律を学び弁護士となる。以来森山会長とともに、クマが棲める奥山の保全再生と、クマと人間との棲み分けを提案し、実践自然保護団体としての活動を続けてきた。
2018年に日本熊森協会の会長に就任した室谷さんに、活動への思いを聞いた。
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クマを助けたい! その一心で活動を始める
―― 2007年、森山まり子元会長に本誌巻頭対談(158、159号)に登場いただいた時、日本熊森協会を一緒に立ち上げた元教え子の話をされていましたが、その生徒さんが、室谷さんでいらしたのですね。
室谷 はい。名誉会長の森山が、私が中2の時の理科の先生でした。先生がある日教室で「オラこんな山いやだ――雑木消え腹ペコ眠れぬ 真冬なのに里へ…射殺」と題する新聞記事を配ったのです。それはクマが人里に下りてきて捕獲され殺されて絶滅寸前になっているという内容でした。
森山先生は「今こういうことになっていて、色々と調べたけれど、ツキノワグマの絶滅を止めようという人は日本にいなかった。だから自分一人でもいいからやろうと思う」と言うのです。
もうびっくりしました。自分の住んでいる兵庫県で人間のせいで絶滅寸前になっている動物がいるのに誰も助けてあげる人がいないということ。「あんまりだ」という気持ちで、その話をソフトボール部の友達に話したら、みんなが「クマ、かわいそうや。助けなあかん」という話になり、森山先生のところに行って、クマの絶滅を止められないか、先生と生徒たちでやってみようということになったのです。
それまでも生き物や自然は好きで興味もあったのですが、私が育った尼崎には身近な自然は田んぼや川ぐらいで、森や野生動物には縁遠い環境でした。でもその記事を読み、誰も助ける人がいないなら「自分たちも何かしなくては」という気持ちになったのです。
―― たくさんの生徒さんがその活動に参加したと聞いています。
室谷 はい。その記事にみんな心を打たれたようで、自分たちで自然保護団体を作ってみようとなり、私は「野生動物を増やそう会」を作り、署名活動をしたり勉強したりしていました。
次の社会を作る自分たちが頑張る
―― まさに、生きた学習ですね。
室谷 そうなんです。それこそ猟友会の人に電話をかけたり、署名を持って行政に行ったりしました。でも当時はまだ「クマは害獣だ」という意識が高く、行政の人は「クマは害獣だから捕獲するのはやむを得ない」と言うのです。それなりに勉強してきた私たちが、山の環境がスギとヒノキの人工林ばかりになって食べ物がなく、クマが絶滅寸前になっているという話をしても「スギの人工林も大事なんだ」と言うばかりで、話が全く通じませんでした。「大人ってこんな感じなんだな〜」と。でも、大人がそう言うからといって私たちは納得など決してしませんでした。
記事を見た時に「これは大変なことになっている」という直感があったのです。そしてその直感が「間違ってないはずだ」という確信も。もちろん勉強するうちに確信に変わっていくのですが、そういう強い気持ちがあった上で、調べれば調べるほど環境問題はクマだけの問題ではなく、自分たちがその後50年、60年と生きるとして、自然環境を壊したり、野生動物を絶滅させたりしているこの状況は、すべて最終的に私たち人間に返ってくるということが、本当によく分かったのです。
そして誰も取り組まないのは、それは今の大人たちの問題ではないからだと。でも自分たちにとっては、すごく大事な問題なのだから、自分たちが頑張らないとダメなんだ、という気持ちで、すごく前向きで強かったのです。
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●プロフィール
◎ むろたに ゆうこ
兵庫県尼崎市生まれ。京都大学文学部卒業、京都大学文学研究科修士課程修了、大阪大学高等司法研究科修了。
1992年尼崎市立武庫東中学校在校時、仲間たちとともにクマの保護運動を起こす。森山元会長の呼びかけに応じ、1997年日本熊森協会の設立に参加、以後、森山元会長とともに会の先頭に立って活動をけん引してきた。
2018年に日本熊森会長に就任し、クマの棲む豊かな森を次世代に残すために、熊森を100万人の自然保護団体に成長させるべく、精力的に活動を続けている。
大地再生へかける思い
― いのちの脈を取り戻すために ―
環境再生医・造園家 矢野 智徳
この半世紀以上にわたる近年の人による国土開発が
天然の水脈を損ねる開発になっています。
かつては自然の治癒力だけで再生できた風土が、
そのいとまが与えられないほど傷つけられているのです。
現場は無言で常に問いかけていると思います。
大地が息ができなくなっている。それはすべての生き物、
すべての自然の循環の機能が人の開発によって
損なわれているということなのです。
幼い頃から実家の植物園で草木の手入れをしてきたという矢野智徳さん。
二十歳までの青春時代はひたすら植物園の作業を通して自然に学び、同時に学生時代は一貫して先生方との交流を深めてきた。
決意して挑んだ一年に及ぶ日本一周は、地域とは何か、風土とは何かを自分なりにつかむ旅となった。
そんな矢野さんが辿り着いたのが、人と自然の間を取りもつ造園の世界。そこで見えてきたのが、大地の血管である水脈がコンクリート構造物などで塞がれ、水や空気が循環しなくなり、大地が呼吸不全に陥っているという現実、人による開発が招いた深刻な環境問題だった。
地理を学び自然と向き合いその法則性を実証し、大地を守る実用化に結びつける。矢野さんの大地再生への想いを聞いた。
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都会に染まった自分――
ゼロからやり直すため日本一周の旅へ
―― そして納得できる大学を探して訪ね歩いたと。
矢野 はい。東京にすでに出ていた兄に最低資金を出してもらって、どこを受験するかを決めるために自分で十校くらい大学を回りました。「自然のことを浅く広く学びたい。この大学が自分に合っているかどうか、話を聞かせてほしい」と回ったのですが、「君のやりたい勉強はここではやってないよ」とことごとく門前ばらいでした。
一番最後になんとなく気になっていた夜間の理学部地理学科のある都立大学を訪ね、学生室に入ると、話を聞いてくれた先輩の学生がいて、「ここは君にぴったりだ、間違いない」と(笑)。その先輩にその後いろいろ面倒をみてもらって、やるだけやるといいよ、ということで受験し、前日に勉強した化学の問題が出るなどの幸運もあり、滑り込むことができました(笑)。
東京に出てきてからは、アルバイトも含めて種々雑多な仕事をやりました。僕はどんな仕事をしていてもあまり苦ではありませんでした。それはそれまで植物園で家族とやってきたことが生きていたのかもしれません。それぞれの職場の人たちの考え方やそこでうごめいている動きに自分なりに社会を見るというのがあって、それが僕の社会に対応することへの学びになっていました。
ただ次第に、自然を学びにきたはずなのに、社会に苛まれていくような感覚を持つようになりました。
そんな頃に僕のアパートが二度放火されるという事件が起こったのです。二回目の火事の時、二階にいたので窓から隣の人に「どこが火事?」と聞くと、「真下だよ!」と(笑)。その時にすぐに飛び下りればいいのに、一瞬お金とか「持っていったほうがいいものがあるのでは」と考えたのです。その時に、「あれ? 俺は、いつの間に、こんなに物に執着するようになったのかな」と思ったのです。
―― 一瞬のその時に、命よりも他のことを考えてしまった自分に気づいたと。
矢野 はい。アパートはプロパンではなく都市ガスだったので、たまたま命拾いしました。そして、その二度の放火事件で、勉強をしにきたはずなのに、いつの間にか都会に染まってしまった自分に気づかされたのです。それで「出直しだ!」と。儲けものの命だからと思い、ゼロからやり直すために、日本一周をすることにしました。
目が覚めたというより、目を覚まさせられた感じでした。
今までのあり方、考え方、理屈は違うという思いがありましたので、便利ではなく不便の中に身を置いて、歩いて日本を見てみようと思いました。「物」ではなく「生」の世界に身を置いて、「自然と共にある学び」とは、「地域を知る学び」とはどういうことなのかを、歩きながらただ体感したいという気持ちがありました。
ただ最初は思いだけが先行して十分な準備もせずに出発したために、数日後に辿り着いた秦野の先輩宅であえなく寝込んでしまい、先輩の忠告でまた東京に戻って出直すことにしました。甘く見ていたことを反省し、次は20キロのリュックを背負って毎日歩くなどのトレーニングをして、半月後に旅を再開させました。
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●プロフィール
◎ やの とものり
大地の再生技術研究所所長
1956年福岡県北九州市生まれ。実家が花木植物園で、物心ついた時から草花の手入れをして育つ。東京都立大学で理学部地理学科・自然地理を専攻。全国を放浪して各地の自然環境を見聞し、1984年、矢野園芸を始める。事業が繁忙を極め、最終学年で大学を中退。1995年の阪神淡路大震災によって被害を受けた庭園の樹勢回復作業を行なう中で、大量の瓦礫がゴミにされるのを見て、自然に倣った環境改善施工の新たな手法に取り組む。1999年、元日本地理学会会長中村和郎教授らと共に環境NPO杜の会を設立。現代土木建築工法の裏に潜む環境問題にメスを入れ、その改善予防を提案。在住する山梨県を中心に、足元の住環境から下流の里海から上流の奥山までの流域環境の改善を、作業を通して学ぶ「大地の再生」講座を開催中。
◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』
「健康回復の塩 神宝塩の始まり」
怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。
◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。
◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』
「愛ある見守りで、子どもは育つ」
療育支援施設「ゆめの森こども園」で、生き辛さを抱えている子どもたちに向き合う前島由美さん。愛情いっぱいの関わりと、親御さんや学校・地域と丁寧に連携によって本来の輝きを取り戻していく子どもたちの実例を紹介していきます。
◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。
◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』
「紅のカヌー」
ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。
◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。
◆一般社団法人ハニーファーム代表 船橋康貴
連載『ミツバチが教えてくれること』
「自分の命を真っすぐに、ぶれずに生きる」
ミツバチ絶滅の危機は人類滅亡の危機
私たちが生きていくための環境維持に欠かせないミツバチの存在を伝え、守ろうと東奔西走する船橋氏。
その活動の「今」を伝える。
◎ ふなはし やすき
養蜂家・環境活動家。
世界中で激減しているミツバチを守るために、環境のプロとして、ミツバチを使った「ハチ育」や町おこしなどを行なっている。
◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』
「十三重塔とアンドロメダ銀河」
生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。
◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。
◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』
「虹を求めて」
世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。
◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。
◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』
「宮ぷーは、空にも海にも花にもなって」
人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。
◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。古民家を中心とした「モナの森」で、生きる力を強くするための活動を行なう。
◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』
「翔子に送られるアンコールの行方」
ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。
◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。
◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』
「地域に開かれた施設 八王子ダルク」
薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設責任者を育てる岩井喜代仁さん。
仲間に励まされ、支えられ、許され、受け止められながら、施設長として独り立ちしていく姿は毎回感動です。
ともに苦しむ仲間の絆があるからこそ、人は前に進むことができるのだと教えてくれます。
◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。
◆UK実践塾代表 宇城憲治
連載『気づく気づかせる』
「対立構図を解き、調和融合へ ― 嘘から誠へ ―」
最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。
◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長
宇城憲治先生の特集を組ませていただきました。社会不安が続く今の日本。未来が見えぬ現状のなかで、希望が確かにあることを伝えたい。それは子供たちが持つ本来の力。その力に大人が気づき失わせなければ、今から10年後20年後、彼等が心ある社会をつくるために行動してくれる。対立から調和へのパラダイムシフトは夢ではない。宇城先生が展開する気による実証が多くの人の気づきや希望につながっている事実をぜひ知ってほしいと願いました。
森山まりこ先生が中学教師の時に行なった実践教育。それが数十年後の室谷さんの生き方につながり、まさに「本来ある力」を発揮されながら、思いを継いで活動に力を注がれている。「子供に希望を与えられるのは、きちんと行動する大人がいること」。お子さんを抱きながら活動するお姿は、まさに後に続く子供たちのエネルギーとなっていると確信します。
映画『杜人』を拝見し、是非お話を伺いたいと取材を申し込みましたが、日々待ったなしの現場で大地再生に力を注がれる矢野さんにお時間を捻出して頂くことは簡単ではありませんでした。思いが届き、移動の合間にやっとお時間を頂きお話を伺った後は、校正のために絞り出すように時間を作ってくださいました。感謝しかありません。本号のエネルギーある実践者の心、想いがたくさんの方に届きますように。
(木村郁子)
室谷悠子さんに会うため、うだる暑さのなか、十数年ぶりに日本熊森協会本部を訪ねました。「かの中学生が!」という高揚感とともに室谷さんのお話を伺いました。子育て真っ最中、そして環境を大切にする法律事務所に所属してさらに熊森会長。気負うことなく自然体で語ってくださる様子は本当に頼もしく、日本の自然は熊森があるからなんとかなる!と思うとともに、熊森を応援していこうという気持ちを新たにしました。
超多忙にもかかわらず、取材依頼を受けてくださった矢野智徳さん。映画『杜人』で観た印象そのままに、ふわっと現われて静かにお話しくださいました。草木ばかりか土・水・空気の気持ちが分かって森やお庭を手がけ、詰まった水脈を復活させておられることがよく分かり、さらにその技術を「特許」という仕組みを使って確固たるものにしようとされている。今の日本そして地球の自然の危機は待ったなしの状況ですが、人工の水路・水脈が自然なものに代われば大地はよみがえるのだと、希望が湧きました。
巻頭特集や連載で宇城憲治先生は、私たちにある力やエネルギーについて、ていねいに詳しく語ってくださいました。人も自然体を損ねずにいれば、もともと持っている力を発揮できる――。次世代のためにできることは何かということに、しっかりと向き合う一冊になりました。
(千葉由利枝)