読者の声| 季刊『道』 224号(2025年春)  

知識ではなく「心で受け止める」 それによって、『道』に登場される方々の行動・実践のエネルギーが自分にも入ってくるのだと感じています

静岡県 農業 40代 男性


巻頭対談の工藤さんの神宝塩は、うちでも買わせていただいております。榎本師範も塩辛い手羽先にあえてつけて食べられたお話をされていますが、うちの家族も「しょっぱいというより旨味」といった感想を言っており、宇城先生の江戸時代の剣聖のお話にあった「今、この状態が心地いい」という感覚に通じるように、神宝塩の味が身体には心地良く感じられ、精製塩とは違う感想が出てくるのだと思いました。

塩や気といった人間を活性化させる要素に対して、それを良しとしない、自分のことしか考えない狭量な人間たちによる情報や常識によって、私たちは洗脳されてきたのだと思います。その洗脳から自分を解放するには、当然ですが、今の常識以上のことを知ることが必要であり、それは知識としてではなく、塩や気による身体の変化などを体験・経験を通して学ぶことだと思いました。そしてそれこそが、本来の意味での「成長につながる勉強」なのだと感じました。

病原菌をフランスの化学者が発見したこと自体は功績であったとしても、それを部分的にしか見ない人間たちが、自らの利益のために利用してきたのではないかと思います。本来は、工藤さんの言われるように、身体全体の菌を整えていくことが大切なのだと感じました。そのためには、人体を海に近い状態、生命の誕生した原始の状態に近づけていくことなのだと思いました。

今の医学や科学も先に進んでいるように見えて、実際は細分化されて、本来の姿からは遠のいているように感じます。そしてそのような間違った知識や常識は、いつの時代にも存在してきました。良い例が天動説と地動説であり、当時の宗教や権力の都合により、正しい理が否定されていたのです。

塩や気もまさにそれと同じことなのだと思います。江戸時代、日本では塩を人が手作りしており、ヨーロッパ諸国のような岩塩ではなく、ミネラルが壊されずに残っていた。その塩は命の源であり、日本人は本能的にそれを理解していた。だからこそ「敵に塩を送る」や「塩梅がいい」といった言葉が生まれたのだと思います。

このような日本人の文化は、戦争に敗れたことで壊されてしまいました。それが「戦争」であり、まさに「破壊」でしかなく、そのようなことは絶対に再び起こしてはならないと感じています。そしてそれを個人の修行として突き詰めたのが、日本武術の究極である「無刀取り」や「活人剣」なのだと思います。

村上さんのお話では、中村哲さんの生き様が語られました。その行動ありきの人生にこそ、人を幸せにし、問題の解決へと導く力があるのだと感じました。また、発言の撤回をしないという一貫した信念を持ち、それに沿って行動するという姿勢に、「一隅を照らす」という言葉の本質があると思いました。

最大化するのではなく、最小の世界にこそ答えがある。それが量子学であり、物質がすべて素粒子で構成され、そこには目に見えない「心」も含まれてくるのだと思います。

現場や現実を見て、本質を感じ、自分の信念が正しいのかを確かめていく。その積み重ねこそが揺るぎない信念をつくり、それをもとに行動していくことになる。それが「中心」なのだと強く感じました。

村上さんの活動も、「何かを足す」のではなく、「中村哲そのものをいかに引き継ぐか」に徹しており、それこそが中心を求め続ける姿勢であり、それが活動の成功の要因だと言われています。その姿勢が、中村哲さんでなくとも周囲を引きつけているのだと思います。

加納莞蕾氏のお話では、父の梅左衛門氏も「この地に生きるものは敵も味方もない世の中を使命として背負わなければならない」という信念を持ち、公平さを重んじる人だったようです。その信念は莞蕾氏にも受け継がれ、元海軍少将の古瀬氏との出会いにおいても、その人間性を深く理解する感性があったのだと思います。

従軍画家として戦場に赴き、数々の体験を経た莞蕾氏には、「何をすべきか」を感じ取る力が育まれていたのでしょう。日本人捕虜の助命嘆願を、日本人に家族を殺されたキリノ大統領に行ったという行動は、まさに不可能を可能にした例です。両者ともに「平和を求める者同士」であったからこそ通じ合ったのだと思います。

結局のところ、「平和を築く種子」とは人の心であり、「許す」とは「愛」なのだと感じます。

「気づく、気付かせる」では、さまざまな資料をもとに、事実・実証・現実を基準として分析されており、それこそが本来の科学だと感じました。事実があるのに、それを見ようとせず、知ろうともせず、勉強しなければ、取り残されていくのは当然だと思います。

宇城先生の実践は、量子学にあるエネルギーをさらに自在に扱えることを人間が可能にしているという実証であり、こうした学びによって、今の常識にはないことが起こり、可能になるのだと実感しました。人間にはそれだけのエネルギーがあるということ、それこそが「希望」なのだと思います。

また、今回の連載で自分のことを取り上げていただき、ありがとうございました。まさか『道』に自分が載るとは、夢にも思っていませんでした。これも、過去に『道』で紹介された方々のエネルギーを受けて、自分が学んできたからだと思います。

知識ではなく「心で受け止める」。それによって、『道』に登場される方々の行動・実践のエネルギーが自分にも入ってくるのだと感じています。その『道』を通して受け継いだ心とエネルギーを、必ず後世へと伝えてまいります。そのためには、まず自分自身が変化・進化・深化・成長することが必要なのだと思います。

季刊『道』で紹介される実践者の方々の言葉は、自分も行動しなければという、身が奮い立つような大きなエネルギーを受け取ることができます
福島県 公務員 50代 男性


今号もエネルギーにあふれた素晴らしい一冊でした。

読み終えて、「本質」と「全体」という言葉が強く心に残りました。

季刊『道』には毎号、ジャンルの異なる実践者の方々が数多く登場されますが、共通してこの世界の理に則った行動をされています。既存常識に「なぜ?」という疑問を持ち、本質を追求し、全体にとっての最適解を導き出し、その身をもって実践しておられます。

季刊『道』に紹介される実践者の方々を知らなければ、私は既存常識にとらわれ、己自身が不自由であることさえも自覚できず、目先の些末な我欲に囚われ、怯え、対立・衝突し、その命が存在する意味の5%さえも発揮できなかったと思います。

実践者の方々にも師や学びがあったように、我々も宇宙の連綿とした歴史の中で培われてきた生命の本質を体現する師や書籍に学ばなければならないのだと思います。しかし、人々の無関心が拡大し、分断と破壊が急速に進む現代において、その希望の灯は失われつつあると感じます。

このまま、滅びゆく世界を傍観するのか。「今この時、自分が生きている時間だけ良ければいい」と諦めるのか。そうではなく、せめて子や孫の世代が生きる未来までも全体として捉え、人の生きる本質を追求し、可能な限り誰もが幸せに生きることができる世界を今つくらなければならないのだと思います。

それを成し遂げられるのは、武力でも政治力でもない。目に見えない、人の心のエネルギーなのだと思います。

季刊『道』で紹介される実践者の方々の言葉は、紙の上のテキストと写真ではありますが、自分も行動しなければという、身が奮い立つような大きなエネルギーを受け取ることができます。

知識や娯楽を与えてくれる本は星の数ほどありますが、「人にエネルギーを与えることのできる本」は、きわめて稀有だと思います。

毎号、本当に素晴らしい内容をありがとうございます。次号も楽しみにしております。