2012年 特別企画 東京親子塾 (2012.7.29)

 


子どもは大事なところをちゃんと見ている   千葉 会社員 39歳 T.Y

●大人が赤ちゃんを抱いただけで、列になった人たちを押すことができる、また子どもに手を触れてもらうだけで押せる、横向きに押し倒したりもできる。そのような実技で子どもの持つ力を目の当たりにし、子どもが今備えているこの素晴らしい力を、どうしたら潰さずに残していけるか、あるいは伸ばしてあげられるのか、考えさせられました。まずは自分が横着さを捨て、先生が教えてくださった正しい挨拶や礼儀作法、スピードのある行動を実践して、子どもに示していかなくてはいけないと思いました。 「ちゃんとした挨拶をしないと、できるようにはならないぞ」と真剣に子どもに接する先生を見て、先生は一般の大人が相手でも、プロスポーツ選手が相手でも、また子どもが相手であっても、常に同じ態度と熱意で接してくださるのだなと、改めて尊敬の念を持ちました。

  息子が礼をして私の並ぶ列を押して動かしたときは、一人で参加する道塾とはまた違った感動がありました。実際に本物の先生のすごさを家族に直に体験してもらいたかったため、数年前から親子塾に参加させていただきたいと思っていたのですが、息子が小学校に入るのを待って満を持して、今回参加させていただいた次第です。
 帰り際に息子が「パパ、面白かった」と自分から言ってきたので、私も親子で参加させていただいてよかったと思いました。家に帰ると、息子が妻に嬉しそうに今日の内容を細かく報告をするのを見て、先生の仰るとおり、子どもは大事なところをちゃんと見ているのだなと驚かされました。
(父親 39歳)

●楽しかったです。手でおさえただけで大人が起き上がれなくなったのが、一番すごかったです。
あいさつをすると、大人の人をいっぱい押せたのもすごかったです。
また行きたいです。
(小1 男子)

 

親子だけでなく夫婦の絆も深く   千葉 自営業 38歳 C.N

●今回は、子供のしつけに対しての勘違いをしないようにしなければならないと感じました。のびのび育つ、自由に、ということと放任は違います。豊かな教育を受けさせたい、ということ、大学受験のための勉強は違うと思います。
 「挨拶をする」ということ一つにしても、それが「世間体」であったり「損得」であったりすると、その挨拶の根底というか出どころが違ってしまいます。下手をすれば、私たち親は子供に「損得勘定からのしつけ」をしてしまう可能性があります。 この人に良く思われれば得だから、内申書のためだから、などいろんな場面で心からでなくいやらしい思いからの行動があるかもしれません。それは知らぬ間に子供に映っていくはずです。何のために挨拶をするのかということを知識や頭でやっていけば、必ず裏表が出てくると思います。もしそれで得することがあれば、「やっぱりこういう風に振舞っておけば自分にとって有利だ」などという一種のハウツーのようなものになってしまいますし、常に顔色を窺う自己中心的なものになっていってしまうのではないでしょうか。しかし、先生から教わる挨拶の根底にはそんな余分な不純物は入りません。どんな時でも、どんな相手でも堂々としっかり自分ができるか。その積み重ねの結果、得することはあるかもしれません。しかしその時は、「きちんとしつけてもらって良かった」などの感謝が生まれます。

 近所にあまり挨拶をしない家庭があります。しかし、その家の子供たちを見かければ必ず「おはよう、こんにちは!」とこちらから声をかけるようにしていたら、ある日からこっちが気がつかない時でも大きな声で「こんにちは」などと挨拶をしてくるようになり、声をかけてくることも増えました。
 また、こんなこともあったのですが、娘を抱っこしながら外に出ていた時に近所の方が出てきた様子だったのですが、こちらに気がついていなかったのと、急いでいたので挨拶をしないで家に戻ろうとした時に、娘に「なんでおはようございますしないの」と言われ、横着な自分が恥ずかしくなり、娘に謝りました。やはり子供は早く素直だな、と実感させられたのと同時に、先生のおっしゃるとおり子供は見ていないようで見ているし、聞いていないようで聞いているのだなと実感しました。

 そう考えると親子塾に参加するにあたって夫婦で反省すべきこともありました。今回も娘は始まる直前は凄く元気だったのですが、段々集中できなくなり前回の様な体験はあまりできず、遊んでばかりいました。しかし、帰る時に「おねがいします出来なかったな」とぼそっと言い、とても残念そうな顔をしていたのを見て、最初はだからやりなさいと言ったのに、と思っていたのですが、妻が「前日寝させるの遅くしてしまったからかもしれないね」と言い、近所のお祭りに連れていったのを思い出しました。娘が喜ぶだろうと思い連れて行ったのですが、結局リズムを崩してしまったのかもしれません。気遣いが足りない、先が読めないということをこんな場面でも痛感させられた思いです。

  親子塾というのは、本当に家族で参加させていただけることにより、親子だけでなく夫婦の絆も深くなるような気がします。子供の凄さ、可能性を体感し夫婦で喜びを共有し、同時にその子供を育ててくれている妻にも敬意を感じ、自分はこの家族の笑顔を守らなければいけないと気が引き締まります。 もし、この先妻が「親子塾はもういかない」などと言うような事があれば、自分が変わっていないからだと完全に思えます。そのような事が無いように自分を変化させながら、家族で今後も親子塾という特別な雰囲気の中指導をいただきたいと思いますので、宜しくお願いいたします。
(父親 38歳)

 

瞬間的な身体知の形成、その教育法の威力に感動   茨城 団体職員 45歳 S.Y

●大人の列を子供が押す検証で、幸いな事に一番前に立たせていただいたのですが、驚いたのは強く押される時には子供が礼をした瞬間に分かるという事です。礼をした瞬間にものすごい威圧感を感じて、すでに押されている感じがする時には、後ろの人のつっかえた手の感触もなくなるほど簡単に押されてしまいました。また、礼の仕方や声の大きさでも力の強さが変わるのを見て、押せた押せないの次に押せた中にもレベルがあるのを実感しました。やはり何回も継続して学んで身につけていく事が大切であると思いました。礼の仕方が悪くて押せなかった子に宇城先生が指導すると、たちまち押せるようになりました。先生がもう一度悪い礼をしてみろと言うと、もう元には戻れずに正しい礼になってしまいました。押せたという事実が自信になり、身体知ができあがったと先生が仰いました。瞬間的な身体知の形成。その教育法の威力に感動いたしました。

 親子塾は今回二回目だったのですが、親子塾に来るようになって何となく子供の雰囲気が変わりました。子供が母親に対して何か余裕のようなエネルギーを持てるようになった気がします。母親に怒られても以前のようにはげしく切れる事がなくなりました。それと驚いたのは、何も言わないのに靴を揃えてあがるようになった事です。子供に「何で靴を揃えてるの」と聞いたら「何となく」という返事でした。私は「時間の先取りだ」と思いながら揃えるのですが、子供は私のように頭で考えているのではないらしいです。今回の検証にあった事ですが、座った姿勢で宇城先生に手を押さえられると大人は立てませんが子供は立てます。しかし大人も立つことをあらかじめ意識してから座ると立つ事ができました。この大人と子供の差が日常にもあらわれているのだと思いました。宇城先生の仰った「子供から学ぶ事がたくさんある。親を教育しなければならない」という言葉が心に残りました。
(父親 45歳)

●宇城先生が手の動きだけで、人を動かしているのが不思議でした。そんな風にできたらいいなと思いました。座った姿勢で宇城先生に手を押さえられると大人は立てなくて僕は普通に立てました。何で大人は立てないのか不思議でしたが、先生が大人は遅いと仰ったのを聞いて、確かに遅いと感じました。お父さんが僕の手を引っ張ると衝突して反発してしまいますが、先生が僕の手をにぎって入って来ると笑ってしまって簡単に引きよせられてしまいました。大人のたくさんつながった列を宇城先生が引っ張った時、僕は後ろのほうでつながっていたのですが、自分の意思とは関係なくものすごい勢いで動かされてしまいました。それなのにとても楽しかったです。みんな一つになって統一体のリーダーがみんなを引っ張って行くとすごいエネルギーになる。学校も世界もみんなそうなれば楽しいと思いました。惑星がお互いの重力でバランスを保っている。人と人の間も重力のようなもので調和を保っていく。その勉強をさせてもらっていると思いました。僕もみんなと調和できるようになりたいです。
(中2 男子)

●このまえよりつよくおせてうれしかったです。れいのやりかたもまえよりわかりました。
またきたらもっとつよくなるかもしれないからたのしみです。
なんでおとなはできないのかふしぎでした。うしろ先生はつよかったです。
(小2 男子)

 

 

ひとりのこどもが8にんのおとなをおせました   長野 小1 M.M

●にちようび、かながわけん、よこはましにいってきました。
おやこじゅくにいきました。すごかったです。
おとな8にん こども1にんでした。
ふつうにおすとうごかないけど、おねがいしますと、まえにいるひとにそれをいうと
8にんもいるのに、ひとりのこどもが8にんのおとなをおせました。
(小1 女子)

●今回初めて親子塾に参加させていただきました。7歳の長女は「凄いね」の連発でした。妻も背負った人が重くなったり軽くなったりする現象に、信じられない様子でした。私 自身は1歳の息子に振り回されておりましたが、講義中に先生の話を聞かずふざけている子供に対し、一人の子供の影響で周りの空気(雰囲気)が崩されるとの意味合いのことをおっしゃり、良い悪いではなく親が躾で直していかなくていけないと指摘されました。人様の子供は叱りづらいですが、一昔前では近所のおじちゃんやおばちゃんがちゃんと叱ってくれていた気がします。他人の子供と括らず、いけないことは注 意するべきだと思いました。現在は他人に関わらない風潮が蔓延していて、更に日本の将来を悪くする要因になっていると感じました。
 また、親子塾参加の数日後ですが、次女4歳が食事中にお茶をこぼした際に謝らずに泣いていました。次女は過失でない場合は謝る必要がないと思っているようで、お茶をこぼしても謝りません。そのときに今を変えていく先生の教えを思い出し、時間をかけて「今、ちゃんと謝らないと次に行けないよ」といったこと諭して謝るようにさせました。次女は人前で挨拶をするのが苦手ですが、それを機に保育園に行っても自分から挨拶ができるように変わっていきました。親がちゃんとしていかないといけな い、変えなくてはいけない時に変える大切さを実感しました。
 それと講義後私が感じたことは、育児に大変体力(エネルギー)が必要ですが、そのエネルギーは大人が出しているのではなく子供たちから得て、返しているのだと思いました。書家の金澤翔子さんの母、泰子さんが講演会でおっしゃっていましたが、翔子はなに一つ悪いことしない。悪いのは母親の方だと。私たち大人が子供たちのメッセージ、エネルギーをしっかり受け取れる受信機を持たないと子供に悪い影響を与えると考えさせられました。これから私共大人も、子供達と共に成長していかなくていけません。ありがとうございました。
(父親 44歳)

 

ドキッとした「親の姿がそのまま映っている」   神奈川 教諭 42歳 H.N

●妻と3歳の娘と、初めて参加させていただきました。とても暑い中にもかかわらず、動き続けられる子供たちの持つエネルギーは、あらためてすごいものだと思いました。
また、参加している小学生の女の子で、お母さんにおんぶされている時に、自分で重くしたり軽くしたりと、コントロールしている女の子がいたのには驚きました。また、正座で横並びになっている大人を先生が倒したところを、子供がお父さんの所に行って自然に支えようとする姿は、大人が逆に子供からエネルギーをもらっているという、先生のお話そのままで、大変感動しました。

 「ここに来ている子供たちの中でもすでに差が出ているのです。今の状態が良いとか悪いとかではなく、親の姿がそのまま映っているのです」という先生の言葉には、ドキッとさせられました。娘は家ではトイレに行くことができるのですが、外出先では中々思うようにできないところがあります。特に初めての場所では顕著です。親子塾の始まる前に、妻が会場のトイレに連れて行ったのですが、「このトイレいやだ」と言って、結局しないまま開始時間となりました。途中で行きたくなるかと思っていたので
すが、最後までトイレに行くとは言いませんでした。やはり、初めての場所、初めての親子塾ということで緊張していたところもあったのだと思います。私自身は、実践塾の稽古に参加させていただいておりますが、親子塾は初めてでしたので、始まる前は少し緊張していました。それが娘にも伝わったのかもしれません。参加者の中に、以前一緒に遊んでもらったお姉さん達がいたので、そばにいてもらったりして、途中からは走り回ったりして、自分を出して参加できたようです。

 実践の中では、列の先頭の方を押すのはできませんでしたが、私が押せないところを、娘が後ろから補助して押すことができたのは楽しかったようです。家に帰ってから、「お父さんを押すの手伝ったのね〜」と話していました。
 また今まで実践塾から帰った後、稽古の話を家ですることは特にしていませんでした。
妻は映像などでは見ていて何となくは知っていたことが、実際にはどうなのかという気持ちで参加したのだと思いますが、自分なりに感じたことがあったようです。帰宅して子供が寝てから、親子塾で実践した内容について一緒にやってみたりしました。その中で私ができないことが、妻のほうが上手にできたりして逆に大きな気付きをもらうことができました。一緒に参加してくれた妻と娘には感謝したいと思います。
(父親 42歳)

●今回の親子塾に参加して、感じたことが二つあります。まず一つには、人間は生来、他者を含め自分を取り巻く環境と調和するための能力を備えており、それが一番発揮できるのは体軸が一本通っている姿勢である時だということです。こどもが大人の隊列に向かい正しい姿勢で礼をしたとき、そこで軸が一本通ったように感じました。芯が通っていることで一番強い身体の状態が作られたのでしょう。 第二には、声に出して言葉を発した時の言霊の力とでもいうべき力です。やはり同じ場面で礼と同時に「おねがいします」とこどもが発した時に、本人もそういう謙虚な気持ちになったでしょうし、それを聞いた大人もその言葉の意味を受け止めていたと思われます。また、誰かを背負って揺さぶる場面では、先生の「一つになって」という言葉一つで揺れがほとんど感じなく楽に背負えました。それは一つになるとはどうすることか具体的に言われなくても、この一言を聞いた身体が勝手にそれを探って行ったのでしょう。
 いま、ロンドン五輪が開催され注目されていますが、柔道の試合はgameではなくmatchです。matchには「匹敵する」や「調和」という意味もあり、武道の試合は対立ではなく人と人の良好なコミュニケーションの場であるということを表していると私は考えます。
 ところで私は現在三歳の娘を育てていますが、「これをさせよう」という目先のことに執着し、力いっぱい掴んだ彼女の手首から返ってきたものは、ものすごい抵抗でしかないという経験がよくあります。親子塾での示唆は、武道のみならず日常生活でこそ実践すべきことで、しかしながら私にはまだどのようにすれば身につけられるのか分かりません。それでも答えを性急に周囲に求めることはしないで、試行錯誤でも自分で変えていこうと探ることに意味があると感じています。
(母親 41歳)

 

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