2011年 東京上級 第2回 (2011.4.20〜21)

 

改めて学んだ「現実を素直に認め、真剣に向き合うこと」   千葉 建設業 49歳 K.N
 私は子供のころ悪戯で明るい子でしたが、あまり身体が丈夫でありませんでした。また、低学年のときは大きいほうだった身体もだんだんと小さいほうになり、それに伴い自信をなくしてゆきました。父親は子供の目から見ても強く、たくましく、また怖い存在でした。それに比べ、自分の非力さになんとか強くなりたいという思いから格闘技や武道に興味をもち、高校から空手を始め強い人になりたいと思い続けてきました。しかしいくらたっても臆病で弱い自分でしかありません。それを隠して他の人に知られないようにしている自分がいます。

  今回の道塾で、メリケンサックやナイフでの組手で受ける自信もないのにとりあえずやってしまい、先生が「それは甘えであり横着である」というようなことを言われました。まさに普段の自分であり、怖さや恐れを感じているのに他の人に分らないようにごまかし、本心はいつも逃げている自分がいます。
 また、先生がナイフを持たれて行ったとき本当に恐れを感じました。自分の仕事、空手すべてが現実から逃避した甘いものであるか改めて痛感しました。また、いつも問題を先送りにしてさらに困難な状況になってしまう、ナイフを突き付けられた後では殺されている、「今」しかないを身体で感じました。

 今回改めて学んだことは、今の自分の現実をごまかさずに謙虚に、そして素直に認めること、その現実と真剣に向き合うこと。
「明日命あると思うな、今を生きるのみ」
「常に怠りなく枯らしてはならぬ翌檜の木」
今を真剣にそして謙虚に生きることが進歩、成長すること。

 

自然に感謝し、調和するエネルギーに   埼玉 予備校職員 48歳 T.U
 今回も宇城先生の他の人には比べものにならない時間の速さを勉強させていただきました。相手と対峙したときの先生の外面だけを見ていますと、まるで止まっているようですが、宇城先生と接した相手は、さわるかさわらないかの間合いで、いとも簡単に弾け飛ぶように崩れ、投げられてしまいます。 先生は止まっているように見えても、もの凄い回転がかかっているコマのようです。

 メリケンサックをつけた相手と素手の相手との受講生同士の組手は、お互い本気になれない、ビビりながらの動きでした。しかし、メリケンサックをつけた相手と素手の宇城先生の組手は、メリケンサックの相手が動こうとする前に、すでに宇城先生が相手に入り、 相手を無力化させて倒すという、筋力とかタイミングでさばくというものとは次元の異なる神技です。凶器をもつ相手にもビビらない、逃げない、肚のすわった組手を近くで見ることができ、幸運でした。教育によって、ふぬけにされた日本を変え、昔からあった日本の伝統文化、 本当の武道を取り戻さなければなりません。

 日本の原発の危機管理も、素手対メリケンサックの組手のように、できもしないのに、組手のまねをするようなものだと、宇城先生は諭してくれました。 原発が増えだすと、使用済みの有害な核燃料も多くなります。 福島でおきたような同様の災害が今後もおきると想定すると、原発は完全対応できないことは予想がつきます。有害なものが増え、この地球にもそれの捨て場所がなくなり、今後この地球は、人間が生きていけなくなる星になってしまうことは誰が考えてもわかることです。自然の中に生かされていることに感謝し、自然と調和するエネルギーに変えていくべきだと強く感じました。

 

他にはいない師に継続して師事できる大切さを実感   千葉 会社員 38歳 T.Y
  2月の道塾で先生が、「今さえよければいいというのは駄目。その考えは状況が悪くなったら通用しない」 と仰っていたことが現実になったかのような今回の震災でした。大地震当日は安否を電話等で確認したり、役所と連絡を取ったりしつつそのまま職場に泊まり、翌日になってその被害の大きさに驚かされました。実際に巻き込まれている友人などもいるため、「何でこのタイミングでこんなことが」と思ったりもしたのですが、これは傾きかけている日本人に対して何かを教えてくれているのではないか、と前向きに意味を考えようともしていました。今回は震災復旧対応の仕事や私生活での節電、自粛、あるいは被災ムードなどで、こんなことではいけないと思いつつも自分のエネルギーまでやや下がっているように感じられました。そのためいつも以上に、道塾で先生にお会いしたいという思いもありました。

 メリケンサックで躊躇なく突く組手は非常に圧巻でした。先生の「本気でやれ!当てていいから」という気迫がものすごく、痛さや苦しさはあっても 我慢比べだった空手との厳しさの違いを感じました。 空手に限らず、仕事でも人生でもそういう厳しさが必要なのだ、ということを先生は本気の組手で示してくださり、それが言葉や頭ではなく、確かに心に伝わってきました。このようなことをこれだけ真剣に示してくださる師は他にはいないと、先生に感謝しながら拝見させていただきました。
 先生はメリケンサックを着けた相手に対しても、やる前から既に入っています。何故そんなことが出来るのか?それは肚が据わっているから。では、その肚はどこから来るのだろうか?1兆円規模の仕事で逃げなかったからこそ、肚が出来る。それは現代の果たし合い、つまり命懸けの戦いだから、と実証を伴って答えてくださりました。
 以前だったら、それと空手の技とどんな関係が?と考えてしまったかもしれませんが、今は先生のその真意や現実の事象であることがよく分かります。先生の技や気、不思議な力も結局は心から来ているのではないかと。先生の次元の違う組手を見ていると、実演以上にそれをすごく直接的に感じます。メリケンサックでの組手は、自分はどうすればいいのか?何を目標に生きていけばいいのか、どう生きていけば少しでも先生に近付くことが出来るのか、ということについて言葉ではなく心に働きかけるように回答をいただいたような気がしました。

 また全体での実技でふと気付いたのですが、自分も含めて上級クラスの塾生になると数年前と比べて明らかに先生の気が通り易く、また感じ取る力が増しているように思いました。今更ですが、継続して先生に師事させていただくことの大切さを実感しました。

 

平和ボケの現状を思い知らされました   東京 公務員 42歳 K.S
  講義の冒頭から、先生が怖いほどの気迫、そして厳しい姿勢で講義に臨まれていらっしゃることを感じました。そこから、先月の東日本大震災後の日本が、私の想像をはるかに越えて厳しい状況にあることを教えられました。

  受講生により、木の棒を思い切り蹴る→さらに太い木の棒を思い切り蹴る→メリケンサックを装着しての攻防→刃物を持っての攻防が行なわれました。最初から刃物を持たされてやれ、と言われたならば実際におやりになった受講生も、私でも「できません」と答えたかもしれません。しかし、徐々に難易度を上げられると、途中からいや、これはまずいと思いながらもやってしまうという平和ボケの現状を思い知らされました。これはとても大きな衝撃でした。

  蛙がいきなり熱湯に入れられれば跳ねて飛び出すが、水に入れられて徐々に茹でられると緩慢な変化に気付かずに茹でられて死んでしまう、という事が思い浮かびました。我々も、いつのまにかこれくらいなら、これくらいならと何となく大丈夫だろうと横着から流されていくのではなく、常に大きな視点で的確に物事を捕らえていくこと、心の発動をなしていかなければならないと痛感しました。
 しかし同時に、先生の厳しさは道塾への期待の表れではないかと感じました。このような時だからこそ、一人一人が最大限の力を発揮していかなければならないと、決意を新たにしました。

 

迷っている時間などない―横着を捨て、謙虚さとスピードを   神奈川 会社員 50歳 Y.S
  2009年7月に塾長にお目にかかってから、色々な疑問がとけだし、日本、そして日本人に対して誇りを持てるという気持ちになれた自分がいました。しかしながら、第2回を受講させていただいて、自分はまだ何も解っていなかったことに気づかされました。21か月間、知識で学び、頭でそれを理解しようとするのではなく、身体で学ぶことが大切であるということを学び続けてきたはずですが、身体で学ぶ必要があるということそのものを、まだ頭で理解しようとしている自分に気づきました。これまでの道塾内の実践で上手くいかなかったことが無かったので、“自分は居ついていない”とでも勘違いしていたようです。

   先日、あるアメリカ人の知人と日本の電車に乗ることがありました。彼も長旅と仕事で疲れていて、席に座るや否や居眠りを始めたように見えましたが、次の停車駅で老人が乗ってくるや否や瞬間に立ちあがりました。塾長のおっしゃる通り、心を起点にした行動には瞬発力がありました。彼は何億円という収入がある事業家で、若く収入が低いときからずっと収入の10%を寄付し続けてきた人間でもあります。一方、私は大震災の後、色々な事に忙殺されて、まるで頭にピストルを突きつけられて早くするように脅されているような錯覚にとらわれていました。しかし、今回の塾長が持っていらっしゃった空気感から、自分がまるで静止しているかのように感じました。結局は早さが足りなかっただけだとわかりました。迷いがあるからだとわかりました。まだ、今の自分を捨て切れていないとわかりました。

 2009年8月25日の東京初級第2回の時に、塾長より日常の意識を変える大きな気づきをいただきました。“努力を惜しまず、必要な事は全て徹底して正しいと思う行動をすれば必ず地球が見ていてくれる” ということでした。そして、今回はそれには加速度がなければ、スピードがなければ何もならない事に気づかされました。横着を捨てて、謙虚に謙虚になります。もう、迷っている時間などありません。ありがとうございます。

 

「真剣に生きる」とは、命を賭ける生き方をすること   静岡 47歳 T.O

  今回の講座ほど、感想を書くには重すぎる2時間はありませんでした。なかなか気持ちを整理して文章にすることができませんでした。内容は「真剣に生きる」とはどのような生き方なのかを宇城先生から叩き込まれたと考えています。いかに真剣に生きていたつもりが見せかけのフリであったのか、その甘さをえぐり出された気持ちが致します。実技で「棒を足で折ってみろ!」「ナイフで相手を刺してみろ!」と先生がおっしゃられたとき、私はできもしないのにとりあえずやろうとしたフリをしたり、ビビッているのに無茶をしようとしていました。できもしないのに、ビビッているのに、カッコつけてやろうとしている浅はかな行為は、全て自分の生き方を示しています。中途半端な生き方をしているから、何とかなるだろう、誰かが助けてくれるだろうという非常に横着な心が私の心にまだまだ染み付いています。
 宇城先生自身の生き様の一端を、講義中にお話して下さいました。理屈抜きに命のやり取りをする程の勝負を、仕事でしてきたことがよくわかりました。自分は本当に命をかけるほどの情熱を仕事にかけているだろうか? 宇城先生のお話を聞きながら自分の生き様と比較したとき、いかに自分の生き方が甘すぎたのかがはっきりわかりました。気を発動させるには、命のやり取りをする程の勝負をしたか、またその勝負した数で決まるのではないかとつくづく感じました。
 冒頭の「真剣に生きる」とは、命を賭ける生き方をすること、そして逃げたら全てが終わるの精神でやるしかない。身体に刻み込まれる程、今回の講座で宇城先生からご教示いただきました。汗をびっしょりかいて、お話に実技に真剣に私達塾生にご教示していただいている宇城先生の姿に、涙が出てしまいました。なんとか先生の期待に応えねばとあせるばかりですが、頑張ります。

 

日本の将来のために必要な「一人革命」   東京 会社員 48歳 S.Y

  3月11日の東北大震災を経た最初の道塾であり、世の中の様子もそれ以前とは一変し、私も今までとは全く異なる心境で臨むことになりました。自分にできる東北支援の実践と、小川棟梁のご本を読み、震災後約1カ月の間、師の教えを毎日思い出し、乗り切ってきました。

  今回は、とにかく頭で考えず師の指導を体で受け止め、自分に移していただこうとの強い思いで参加致しました。先生と道塾の皆さまと過ごせて、本当に元気になりました。言葉ではうまく言えませんが、クラス全体の気のレベルが高く、細胞にエネルギーをいただいているのではないかと思います。
上級はレベルが高く、目に見えない多次元で重層のことが一度に体や心に入ってきて、捉えたことを言葉にするのはとても難しく思いますが、とにかく今心感じたことを言葉にしてみます。

 震災に係る情報統制や、誤った対応等、我が国のトップと言われている人達がどうもおかしいということを、今度こそ国民全体が思うようになってきたと思います。高い水準のリーダーを作るためには、国民のレベルがあがらなければならない、そのためにはまず自分たち一人ひとりがレベルを上げなければならない。師の言葉は正論ですが、実現には自分への厳しい戒めが必要です。

 震災以降、何が正しい情報かわからず、誰もが漠とした不安な気持ちで過ごしています。この国の悲劇をチャンスとして捉えている他国の動きもあって、これからどのようにすべきかと思わない日はありません。回答は、身体から心へ、心から脳へという方向で物事をとらえ、行動することだと教えていただきました。

 真実を体でとらえて心を発動し、日々を「生活」ではなく、迷いのない「人生」にレベルアップしていく。 宇城塾長の指導を通じ自分を高め、家庭を守り、気が通った時間の先を取って、一度に沢山のことをこなし、世の中のために行動することで、日本の将来のために必要な一人革命ができるよう、精進いたします。

 

メリケンサックの組手が教えてくれたこと   神奈川 公務員 30歳 H.T

  「平和ボケ」。私はそんなに平和ボケしていないと思いたい心がありましたが、全くの平和ボケ状態にあることがわかりました。仕事の場で難局にさしかかった時、怖くなり逃げ出す人を嫌悪し情けないと思いますし、私はそうはしない、ならないという願いのような気持ちがありました。しかしながら、今回、代表して実演された方のように、私も木を蹴れと言われれば恐る恐る蹴り、木が鉄になったら身体が硬直して立ち尽くしていただろうと思います。また、メリケンサックや刃物を用いた真剣な稽古もとりあえずやってしまい、本当にけがをするか、萎縮して逃げ出していたと思います。仕事の場で逃げ出す人や、とりあえず原子炉の炉心に水をかける人と同じ状態でした。

 生死に向き合わざるを得ない状況での稽古が、本来の武術で最初にやるべき稽古であると教えて頂き、武術に対しては憧れの気持ちが大きくありましたが、武術は厳しく凄まじいものであるということを体感しました。本で真剣を使った稽古と書かれていてもさらりと読んでしまいますが、メリケンサック・刃物・壁という状況を目の前にして空気の緊張感に手に汗を握りました。

 空手でも仕事でもこのような生死に直面するような状況に一切自らを置こうとしていない私は、ぬるま湯に浸かって心のスイッチが切れたままの平和ボケ状態です。本来なら武術の稽古で最初にやるべきことを教えるまでに、道塾で3年以上もの時間を宇城先生に費やして頂いていることに対して、申し訳ないと思うとともにありがたく思いました。また、最後に先生に演じて頂いた、人の集団の中を西郷隆盛一人に向かっていく山岡鉄舟の姿に、何とも言えない凄さ、かっこよさを感じました。今回教えて頂いたことを日常で少しでも実践して、次回の道塾に参加させて頂きます。御指導ありがとうございました。

 

「賞賛を浴びながら正道を歩く」ために   東京 会社員 39歳 K.M

 東日本大震災発生後は私の中で使命感や安堵の気持ちが奇妙に入り混じっておりました。被災地の方とは比較になりませんが、今まで経験した事のない地震を経験し、命の尊さを感じ死ぬまでに果たさねばならぬ事を思い出しました。しかし、自分の中の横着な気持ちが天災の来ない平穏な生活がこれからも続くという考え方、 行動を取ってしまう時があります。

 そんな気持ちで道塾に参加させて頂いているのが、道塾に携わる全ての方に申し訳なく思います。 恥を恥と思わないから私はいつもでも変われず、横着で自分に甘く弱い人間なのだと毎回、思います。
 今回の講義で教わりました事で 「愚かな指導者は敵よりも怖い」と「想定外を想定しておく」が心に残りました。先生の意味する次元には遠く及びませんが、私が道塾を最初に受講を希望した理由が、この事に関係が有りました。

 愚かな指導者の愚かさを証明した時には物事が終わってしまいますので、補助者の立場から物事を裏方で支え指導者を立てる事が多かった私は想定外を想定し処理してきましたが、そのバランスが限界に達したときに組織が崩壊しました。

 想定外をここまで想定しなければ成らないのかという事が有り、その被害を受けた私が愚かにも心に刻んだ事は、以前に聞いたユダヤの諺で「同情されて死ぬよりも非難されても生き延びる道を選ぶ」でした。 愚かであったと今、心より思います。それが、今回の受講中に「賞賛を浴びながら正道を歩く」と言う気持ちに変わりました。 賞賛とは大げさかも知れませんが、日常の小さな一言が仕事をする時に私には大事な要素を占めます。
  「有難う」「御苦労さま」では解決しない事があるのは当然ですが、大きな問題も小さな芽の内に摘み除く機会があった事を思えば当たり前の事を当たり前に進めておけば正道を歩けたと平穏な日常の大切さに思い至ります。心の居付きが取れたのだと思います。普段の私は真心が大事と思いながら動けず、発動しない心を心の発動と思いながら、また、意識しながら行動している事が多いようです。

 今回の実践で相手と手のひらを合わせられず、調和出来なかった自分は人に入れない自我の強い人間なのだと改めて思いました。

 今の私は自分の進む道で一人前と看做されず、スタートラインにも立っておりませんが、早くスタートラインに立ち、人生を軌道に乗せねばと今回、改めて思いました。

 

出来ない自分を捨てる努力をしていきます   神奈川 契約社員 24歳 N.S

 今回、2回目の道塾で自分の横着さがまた見えました。
メリケンサックを付けた相手と組み手をする。やろうとするこの横着さが自分にもあると思いました。相手が本気で打ってくる状況だったら出来るわけがない。殺されている。ナイフならなおさらです。それなのにやろうとする。今までいかに甘い世界で生きていたのかを感じました。
  「出来る」が先にこなくてはいけない。すでにビビっているのにやろうとする。出来ないとわかっているのにやろうとする。なめているということ。こういった横着をしていると必ず、いざという時に裏切る。逃げるんだと。逃げたくない、逃げたくないと思っても逃げる。
 最後に先生から「我が人生、常に怠りなく、枯らしてはならぬ翌檜の木」という言葉をいただきました。 横着を捨て、謙虚に真剣に生きる。
「過去を捨てた時、初めて過去が活きてくる」と、先生がおっしゃってくださった言葉にハッとしました。 自分は過去を捨てきれていない。今までの人生とは全く次元が違う生き方を学んでいるのだから過去を捨て「今」を生きます。先生がおっしゃる「出来ない自分を捨てる努力」をしていきます。

 

ノウハウではなく、必要なのは純粋な心とまっすぐな志   千葉 接客業 40歳 N.S

 今回の道塾では、さらに先生と塾生の絆を感じ、温かいファミリーを感じ温かい気持ちになれました。
本当の家族が、学校が会社がこんな温かい集まりだと幸せだろうな・・・ と思いました。

 武器を使った講義では、肩書きという武器と自分個人との関係が学べました。肩書きの必要な時もあるけれど、肩書きに頼ると、本当の事が見えなくなり、自身を弱める、そんな気がしました。それに頼らない事で真実が見え、頼るのは自分という強さが産まれるように感じました。

 どんなに周りに非難されても、一人になっても逃げないで真実を貫く小さな経験をして、貫き通した後、それが間違いではなかったこの経験は、気持ちが清清しくなり、自身を信じる力がつく事がわかりました。宇城先生の教えのおかげです。ありがとうございます。

 見ている方向をまず見て、そこに心があれば人の心も動かせる・・・ 何でもやり方、ノウハウではないんだ。と感じました。先ずは、純粋な心と真っ直ぐな志が必要だと感じました。どこかに小さくても邪心があると、途切れるし、本当の意味で人を動かす事は出来ない・・・ と、感じました。

 私は、何かわからない臆病な自分がまだいて右往左往しすぎて、先生がジョークでおっしゃっていた「右往左往しすぎて人生がそのまま終わってしまう」になってしまう危険性を感じ、早急に性格の軌道修正をしなければ・・・ と、思いました。

 今季の「道」を読ませていただき、ずっと自身のテーマである「何かがしたい」をまた見つけていきます。

 もっと先生の身近で学びたい・・・ と、多くの塾生と同じ気持ちになりながら、また次の道塾まで日常で学んでいきます。

 

 

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