『合気ニュース』編集長 スタンレー・プラニンとの
 取材の思い出

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『合気ニュース』編集長 スタンレー・プラニンとの取材の思い出
 ~ はじめに ~

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 初めてプラニン編集長と会った時の印象は、とにかく「変な外人さん」でした。

 日本語が堪能なだけでなく、フランス語、スペイン語、イタリア語をこなし、当時はこの3か国語から英語への技術翻訳という仕事を日々こなしていたプラニン編集長。そんなすごい仕事をしていながら、語ることといえば、合気道開祖・植芝盛平翁のことばかり。
しかも明治、大正、昭和初期といった、戦前の盛平翁の足跡や、関わった人たちや資料に尋常でない興味を持っていました。

 興味だけでなく、「盛平翁について深く理解し、真実を後世に残していく」ことが自分の使命と、最初から決めていたのではないかと思います。プラニン編集長のお父さんは、刑事だったそうですが、何かを徹底的に調べたりするのは、血筋なのかもしれません。

 そのプラニン編集長が今年3月に亡くなってしまいました。昨年2016年11月にラスベガスの自宅に電話をした時は、ものすごくエネルギッシュで、新しいウェブシステム機能やアプリを使って、自分がこれまで収集した資料や情報を、新しい形で Aikido Journal の読者に提供していくのだ、と張り切っていました。

 いつもいつも勉強を怠らず、新しいことに挑戦し、数えきれないほどの失敗もありましたが、それでもめげることなく、いつだって前に進んでいました。

 まだまだやること、やりたいことがたくさんあったはずだと思うと、本当に本当に残念でなりません。

 私たちは、プラニン編集長を親しみを込めて「スタンさん」と呼んでいました。スタンさんは、当時、どう出版の前身、合気ニュース社の社長であり、季刊誌『合気ニュース』の編集長でありましたが、とにかく気さくで驕(おご)ることなく、いつだって共に働く私たちを包み込むように大事にしてくれました。

 スタンさんは、亡くなるまでに、実にたくさんの盛平翁、そして合気道、大東流の先生方や関係者に会見をしてきました。その会見録資料は時間にしたら、おそらく700時間以上になると思います。私は、スタンさんと共に『合気ニュース』で仕事をした数十年間、その取材時間のほとんどを共にしたと思います。

 数えきれない思い出がありますが、スタンさんを偲びながら、そのいくつかを時折、ここでご紹介していきたいと思います。

2017年7月21日  季刊『道』編集長 木村郁子