2021年 東京初級(前期)第6回(2021.6.15)

いつか、はっきり体感出来る自分になりたい

東京 大学非常勤講師 54歳 女性 KM

宇城先生、ご指導をどうもありがとうございました。
心ということが大事と、改めて教えていただいたと思います。
「心は見えない。だから見える行動にして」とおっしゃられました。漢字にしても、心偏が付くと想、悲、忍など、人の心情を言い表わす文字になる。頭で、理屈で考えて出た行動でなく、普段からの心持ちが自然と出た行動が良い。つまりは、人に寄り添うと言うことでした。

大変な時こそ社員を家族として守り抜き、それを意気に感じて、全社員、またその家族が頑張って、世界に冠たる大企業に育てた先人と比較して、竹中平蔵氏を重用する現今の日本の指導者層の心持ちの低さには身震いがします。

道塾メルマガ(6/15)塾長コラムで示された、激流を鎮めるには、まず大きな石を、次に中くらい、それから小石をという。しかし今は小石の投入ばかりで、将来を見据えた大石がありません。激流で流されそうになっている人が助かるには、手を繋いで自分たちの繋がりを、連帯をするということが示されました。
ああ、やっぱり人なんだなと思いました。

講義の最後にありましたように、相手と仲良く、とお互いに思って組んでいれば、横から押されてもびくともしません。
宇城先生の教えを学び実践する仲間がもっともっと広がって、奴隷でない庶民、気を使い合う国民になっていきたいです。私も家族、友人には謙虚に接し、調和して生きることを目指して少しずつでも進んで行こうと思います。

「人は1ミリの細胞から始まり、脳は発生の最後だ」 
「細胞が感じる。気は細胞に働きかける」
相手の腕を関節を挟んで掴んでいると、先生の気によって腕が伸び縮みするのが分かりました。その時、あ、これが細胞の感覚かなと思いました。

何人かで棒を持っているのを一人が押し下げようとしますがもちろん下がりません。それを、先生がタオルをかけて気を通すと、じわじわと棒が下がっていきます。どうしたんだろうと怪訝な顔をしつつ支えている人がいる中で、必死の形相で頑張っている人もいます。多分、このかたのほうが力は強いでしょうに。

宇城先生の気を感じるというのは、塾生として長く深く先生の元で研鑽したかたが、より敏感に感じるのだなと思いました。

前回、繰り返し繰り返し練習するという事が必要で大切だと分かりました。宇城先生の気に関しても、私を含め一般人はそうなんじゃないかと、今頃ですが気づきました。

気を通されると、体が強くなる、重くなる。両手両足を押さえられていても、出来た人を前に見ながらなら前進出来る。けれども、体を触っていて、気が伝わってくる(?)というのは分かりません。あ、そもそも、そう考えるのが脳を通してだし、だめなのでした。それでも、いつか、はっきり体感出来る自分になりたいです。

前期のご指導、ありがとうございました。後期も引き続きどうぞよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。
ありがとうございました。

たちどころの変化を自分の身体で実感できる実証の数々

東京 大学非常勤講師 54歳 女性 KM

宇城先生、昨日、そして前期も自粛中にもかかわらず、道塾でのご指導を頂きありがとうございました。そして、開催の難しい時期に、労を取って下さった事務局のみなさまにも感謝申し上げます。

昨日も、たちどころの変化を自分の身体で実感できる実証の数々をありがとうございました。帯を使った実証では、正座と体育座り、礼とおっしゃ!のはっきりした違いを楽しませて頂きました。

空手の際に、技をかけるのは後処理、その前に勝負はすでに決まっている、とうかがいます。おそらくそれと同じであろうという経験を、その帯の実証ではすることができました。自分たちの側がお辞儀をすると、帯を引っ張るまでもなく、帯に手を触れようとした瞬間に手に伝わってくる感覚が異なっていることが感じられました。言葉では表現しにくいですが、身体の底から確かさのようなものが伝わってくる、そんな感じだったと思います。

先生の教えの根本は、長年まったくブレることがないので、つい理解したつもり、やったつもりになる、という危険があると感じます。ですが、その一見ごく普通に見える動作を丁寧にやると、その違いは歴然としています。それを体験し、自分たちが日々、どれだけ多くのエネルギーを失ってきたのか、その結果、自分たちの幸せから遠ざかってきたのか、それを思うと恐ろしくなります。

謙虚さ、ということも常に教えて頂きますが、思えば、自分のやっていることは謙虚のつもり、であって、横着でそれこそ謙虚さに欠けた態度であったことにも、やっと理解が深まったように思います。

これからは何事も、理解したつもり、やっているつもり、というのをなくし、もっと高いレベルを目指してやっていこうと思います。

先生の今おられる場所、そしてさらにその先に目指されているところは、私にはまったく想像のつかない次元ですが、そういう場所がある、ということを身近で見せて感じさせて下さる師を与えられているというのは、これに勝る幸せはないと思います。偉大な師に巡り会え、ご指導を受けられる幸運をいつも忘れることなく、日々を過ごしたいと思っております。
先生、この半年間も楽しく貴重なご指導を頂き、本当にありがとうございました。