2023年 仙台 第1回(2023.1.21)

「型」を稽古していくことは、冒頭先生が言われた気の目盛りの役割として、自分にとっての気の世界への道標となってくれるのではないかと思いました

宮城 会社員 66歳 男性 HK

本年最初の道塾は、よりパワーアップしたのでは、という印象を受けました。様々な興味深い話題が取り上げられ、それぞれの内容に沿いながらも一つの道に通じていくという中身の濃い講義から始まります。そして武術空手の原点であるサンチンの型の実践指導に続き、塾生を次々に巻き込むようにして実技が進んでいきます。身体で体験、体感しながら、かつ気の不思議な在り方に心を奪われつつ、全員が参加する実技の中で、全体のエネルギーの流れから溢れるようなパワーを感じていきました。そのパワーに負けないよう、時折文字通り弾き飛ばされそうになる身体で、しがみつくように付いていく時間となりました。講義冒頭、気のレベルには、たくさんの目盛りが用意されている、と。その目盛りを示す矢印の位置が、今回の指導では一段上がったように感じたのは私だけだったでしょうか。森は根と細菌のネットワークでつながっているという超進化論の話、今の視点から見ても驚異の万年時計を生み出した幕末の技術者の話、病気とは人間の部分化が本質と看破したユング心理学の話等、多くの示唆をこれからの時代に与えてくれる、そしてすべては繋がっているのだ、と。

二人一組。一人が四つん這いになり、一人がその横に立って手で相手の背中を押さえてつぶそうとします。両手で力を籠めて押してもつぶれませんが、気を通してもらうと、片手で軽く掌を当てるだけで簡単につぶせます。この実技と絡めた実技が続きます。机の下に一人は四つん這い、一人はさらにその下に交差するようにあおむけに寝て入ります。その寝て居る人は他の二人で簡単に机の下から引きずり出すことができますが、先生が机の上から気をかけると、重くなって引き釣り出せなくなります。今度は少し離れた別の場所で前項の二人一組での実技をします。そのとき机の下の四つん這いの人は、寝ている人に覆いかぶさるように乗ります。前項実技で背中を押してつぶせない状況では、二人を同時に引き釣り出せますが、片手で簡単につぶせるようになると、机の下の二人は引き釣り出せなくなります。これは離れた場所から気の時空が映ったのだと。そしてさらなる実技では、他の4人でこの机を持ちます。前項実技で、つぶせる状態においては、寝て居る人が机を好きなように動かそうと思うだけで、その思っているとおりに4人が机を持ったまま、机に誘導されるかのように動きだします。

これらは、空間を超えて連動している事象、あるいは思考が物質を動かすという事象ともいえます。何が起こっているのでしょうか。道塾実技では、参加した人は自身の身体で、それを観ている人は、身体という実体の変化の形で分かるようにしてくれています。今回、寝ている人が思った通りに、机を持つ数人を動かすということは、接触する点を持って行う実技と違い、目に見えない思いという心の働きが、直接机と人を動かすということで、常識的理解の範囲を超えた世界です。そういう世界を塾生自身に可能とさせる気の力の奥深さを感じました。その奥にはやはりそれを可能にする何らかの仕組みがあるのか、そしてそれはどのようなものなのか。頭を巡らせても、今の科学では到底太刀打ちできない実証の風景がただそこに立ちはだかるだけです。先生は以前、「『気』については、『気』による実証事実を基にストーリーを作っていくのがいい」「科学で考えるから理屈的になってかえってわかりにくくなる」と述べられています。今後相応しいストーリーが語られていこうとするとき、少なくともそれを語るための何らかの舞台としての枠組みが必要になるのではないだろうか・・。そんなことが心に浮かんだ実技となりました。そしてその舞台の素材となるようなものを探し求めていくことは、科学を「もの(物)」だけの領域から、心を含めた領域において、さらに前にそして奥深くへと進めることにもつながるかもしれない、そう思う自分がいました。

全員での実技。前に一列で数人が並んで座り互いに腕を組み、その後ろからそれぞれ前列の人の背中を手で支えるようにして立膝ついて一列になって並びます。さらに続いてその列を同様に支えるようにして後ろにまた列を作っていき全員が参加します。最前列の人同士が協力して後ろに倒れようとしても、そのすぐ後ろの列で止められてしまいます。気が通されると全体が倒れるようになります。その倒れていく姿勢のまま全体が動かない調和した状態にしたところで、最前列の一人が力に頼る気持ちで動こうとするとその調和のバランスが乱れ、全体が崩れていきます。調和の世界が一人の自分勝手な気持ちとそれに伴う動き一つで壊れてしまう、そういうある意味、敏感で繊細に見える面も気の世界は持っているように見えます。今、ウクライナ侵攻や環境破壊等、地球上では、さまざまな”自分勝手”な動きが、人類をして調和とは反対方向に歩みを進めさせてしまっているのかもしれません。だからこそ一人ひとりが確実に気の世界にコミットしていくこと、すなわちまずは一人ひとりの心が大事であることを、実技では自らの身体に感じる力を通して示してくれているように思いました。

「人は変容する必要がある。」と先生は言われました。それは部分体のまま、生きるのではなく、統一体を常に身体に纏うようにしていくことなのだと。おそらくそのための一つの道として、今回サンチンの型を改めて指導して下さったのかとも感じました。「型」を稽古していくことは、冒頭先生が言われた気の目盛りの役割として、自分にとっての気の世界への道標となってくれるのではないかと思いました。

気による実証の世界が示す、「すべては繋がっている」。そのことから思うことは、気は生命に並び立ちうるエネルギー的な存在だということです。その存在をストーリーとして語ることは、何か普遍的な本来の人間の在り方に至る道を示し、さまざまな世の中の問題を解決する道にも繋がっていくのだと思います。そしてたとえ小さいレベルでも、語るための舞台造りの作業はそのための一助に成るのではないか、そんな思いがしています。

今回も熱いご指導ありがとうございました。今期もよろしくお願いいたします。

言葉で美しいことを並べるだけでなく、変わる、変容する。その変化量を求めて今年一年、取り組んでまいります

東京 不動産業 32歳 男性 SM

今回も仙台道塾での貴重なご指導ありがとうございました。冒頭でサンチンの型のご指導をくださり、とても身体が心地よく、エネルギーを身体に充電いただきました。同時に、日常でいかに自分が閉じてしまって孤立しているかを実感しました。気によって周囲との相関が生まれる。目の前にいる相手だけでなくすべてのものが自分と無関係なものでなくなり、全体性が生まれる。ご紹介くださったユングの「病とは部分化すること」とは非常にシンプルな定義ですが、全体性をもつ健康とは反対に、部分と部分が上手く交流出来なくなることによって失うもの、出来なくなっていることがどれほど多いのだろうと感じました。「みかん箱は箱、人間は間である」の言葉の通り、人と人との間はもちろんですが、自分の身体の中の間にも、とてつもない情報量が詰まっているのだと思いました。部分の総和では全体性には遠く及ばず、全体ありきでの部分でないと、見当違いの分析・研究になってしまう。ところが世の中の常識では、ひとつの分野の専門家が切り取った情報があたかも唯一の正確な情報のように喧伝され、それに盲目的に踊らされ、全体に目が向かなくなっているのが自分を含む一般的な市民の現状だと思います。だからこそ、常に謙虚さをもち、未知の世界への畏敬を忘れてはならないのだと、先生が常日頃おっしゃる言葉が改めて思い起こされました。それを自身の身体の中にもあてはめ、意識ではとらえきれない無意識の領域にこそ謙虚になり、そこに向かっていかなくてはならないと感じます。

時間が止まった3次元と時間が入った4次元、さらにその上の5次元の世界を、理屈でなく実証として示してくださり、その場の全員、空気全体が一瞬にして変わりました。そしてそれは連鎖し、勝ち負けの相対を超えて誰もが潜在能力を発揮し本来持っている力を感じることができます。思うだけで机が動く、連鎖してすべてが変わっていく。言葉、理屈では絶対に経験できないこの一瞬、濃密な時間を身体で受け取ることのできる場。宇城空手以外の他では有り得ない、唯一無二の機会だと思います。目指す姿として示してくださった「言い訳をしない。二進法で考える、行動する」ということの深さ、意味を、より自身で実感できる人間になります。無意識、ゼロを分母にする。意識へのこだわり、とらわれを捨て、変化につながる行動を重ねるしかないと感じます。言葉で美しいことを並べるだけでなく、変わる、変容する。その変化量を求めて今年一年、取り組んでまいります。

今年もまた、ともに学ぶ塾生ファミリーの皆様とご一緒出来ることを改めて嬉しく感じています。先生、本年もご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。いつもありがとうございます。

先生が見せていただく気の世界は「守る、つながる」を気づかせてくださいます

千葉 映画製作 50歳 男性 HS

先生からサンチンを軸に「守る、つながる」を見せていただきました。

先生のサンチンは本当に力強く、先生がサンチンの構えをされると両腕の間あたり、胸のあたりを中心に何か見えない高密度なもやもやとしたものが本当に見えるほどでした。一瞬目の錯覚かと思いましたが何かをハッキリ感じました。

間近で拝見しましたが「何もない」はずなのに先生の前に明らかに「何かがある」雰囲気でした。腕をつかませていただいても、突きの体勢で踏ん張っていてもその見えない存在に先に圧倒されます。

リンゴの木やテントウムシの話も合わせて、見えていないだけで地面の下ではつながっている、どこかでつながっている、感じ合っているということを聞かせていただき、また検証を通して身体を通して改めて感じさせていただきました。

先生の気は、そして先生のサンチンはどこまでも広がり、つながり、たとえ目に見えずとも何かを発し、そして残してくれます。うまく言葉で書き記せませんが、本当にそう感じました。

圧倒され、倒されているのに、それなのになぜか安心感を感じるのです。

以下は個人的な話で失礼します。

今回の仙台道塾の帰りに仙台駅内で意識が朦朧として倒れこんでる人とその傍で対応に苦労している女性駅員の場面に出会いました。

その瞬間、以前道塾でご指導いただいた「片膝をつき両手を添えて、どうしました?と寄り添う」を私自身がその場で考える前に勝手にやっていました。

握っていた紙幣小銭が手からボロボロと落ちるほど朦朧としたその人がこちらを見つめる目と見合った時何とも言えない気持ちになりました。

そののち駅員さんに車いすを持って来てもらい、一緒にいた仙台塾生と2人で車いすに乗せ、駅構内の救護室に向かうのを見送りましたが、周囲の空気に惑わされず、人の目が気にならず、そのままスッと引っかからずに自然にやっていた自分に後から気づき驚きました。

この日、仙台道塾で先生から気をいただきお力を貸していただいたおかげですが、以前に道塾で教わったことを考えずそのままやっていたことが自分には糧になりました。大きな意味意義を感じました。

実は1週間ほど前も、飲食店にいた際に突然、厨房にいた20代の若いスタッフが奇声とうめき声をあげながらその場で失神し倒れた現場を目の当たりにしました。

先生がよく話された「まさか」はいつでもどこでも起きることを実感しています。

海外のニュースを見ていると、ここ1~2年の間で飛行機やバスの運転手が突然気を失い事故につながる実例が増えていると聞きました。

日本でもこれからいろんな形で「まさか」が増えていく気がしています。

先生が見せていただく気の世界は「守る、つながる」を気づかせてくださいます。

そしてその世界を広く深く身体に感じさせてくれるサンチンがあります。

「僧侶、神父は自分が悟るだけで人には入っていけない。しかし武術は実践で入っていける」以前、先生が話していただいたことが今回のことで自分のこととして感じることができました。気づかせていただきました。

調和の心による行動こそが身体細胞にエネルギーを与え、自分の潜在意識の中のブレない核となるのだとはっきり理解ができました

宮城 医師 75歳 男性 TU

今年最初の道塾はサンチンの指導からのスタートでした。サンチン型の足の位置、脚の構え、守る腕の構え、呼吸法など、もう一度基本から学びなおすことができて大変有意義でした。サンチンの稽古で培われてきた自分の中の気が御指導の後では大きくなったように感じられました。

コロナの感染はいまだ収束せず、毎日報道される痛ましい事件の数々、日常茶飯事になった異常気象、政府の進める軍備増強と増税など、現実の社会が荒廃していくのは腹立たしいやら悲しいやら目を覆いたくなるものがあります。そんな状況を変えていくことが喫緊の課題ですが、それに対処する人材の育成が急務です。先生からご指導いただいている思いやりや感謝の心を持った「心ある行動」。それこそが身体細胞にエネルギーを与えるだけでなく世の中を変えていく原動力だという事を常々教えていただいています。私達塾生の進歩が遅々としている事態に対して「のんびりしていられないぞ!もっと素早い行動と深さのある思考を身につけて前に進む」という先生の思いが、サンチンからスタートすることになったのではないかと強く思いました。

私達の生かされている自然は調和が本質だと思います。先生が説明された、木と木の間の共生関係、植物と害虫との関係、植物を愛情を持って世話するかしないかの違いなど自然はお互いに助け合って調和している。それなのに人間は自然の調和を乱し破壊さえしている。人間が自然の中で孤立し対立しバラバラになっている。それが私達の置かれた現状、身体が部分体になり、時間が止まり、周囲との絆が失われている。この三次元の世界と「時間が流れ、周囲との繋がりができて調和が生まれる」先生の気による次元の違う世界をたくさんの実践で体験させていただき、調和した統一体の身体が持つ大きなエネルギーの素晴らしさをより一層理解できました。思いやりや感謝、寄り添う、見守るなどの心のありよう・・・調和の心による行動こそが身体細胞にエネルギーを与え、自分の潜在意識の中のブレない核となるのだとはっきり理解ができました。相手の立場になって行動することで、初めて調和がはかれ、潜在力が発揮され、心が作られ強い身体=統一体となる。それが「肚をつくる」ブレない自分になる道であり、周囲を変えていく原動力であることも実感できました。

最後の御指導で「言い訳をしない」「素早く行動する」ことを強調されされました。実践しきるのは難しいかもしれませんが努力していきたい思います。そして、サンチンからスタートする道塾の先生の指導の意味を考えながら学ばせていただければとも思います。

たくさんの学びとエネルギーに溢れるご指導ありがとうございました

神奈川 映像制作 36歳 男性 YT

たくさんの学びとエネルギーに溢れるご指導ありがとうございました。

冒頭からサンチンのご指導をいただき、会場全体・参加者一人一人のエネルギーの高まりや一体感のような熱をすごい感じ、私自身も前日までの疲れが吹き飛ぶくらい身体が元気になり、集中力が高まっていくのを感じました。

サンチンの型を通じて人が本来持っている潜在力を引き出すことができること、人が本来持つエネルギーを引き出すことによって相手を簡単に倒したり複数人を投げ飛ばしたりと、今までの常識や今の自分では絶対にできないことが一瞬でできるようになったり、全体や周囲との調和を生み、平和や共存・共生といった生命の本来あるべき方向性に向かうことができることを理屈ではなく実体験の中で学ばせていただきました。

また一方で、本来備わる力を自分の欲や意識、心の在り方、頭で考えることが、自分自身や本来の力を殻に閉じ込め、孤立や周囲との断絶、争いを引き起こしていること、これまでの考え方や行動が自分自身の呼吸を止め・時間を止め、自らの可能性を閉ざしているかといったことを、現在の戦争をはじめ様々な時事問題などを交えながら学ばせていただき、サンチンの型の稽古や日常での心の在り方、行動の中で今までの自分を変えて成長しなければならないこと、今を変えなければ情勢不安に飲み込まれ、流されて未来や希望が生まれないことを改めて感じました。

常に身体を通じた実践の中でご指導いただき、嘘やごまかし、言い訳は一切通用しないこと、やるかやらないか、自分を正当化したり言い訳をせずに常に稽古し行動し成長すること。
このことを忘れず、怠らず、自分の今を変えていきたいと思います。

今回もご指導いただきありがとうございました。