2021年 仙台 第2回(2021.4.11)

自我の固い殻を破り心を開いて、先生のおっしゃる調和・共創が実践できるよう努めます

宮城 医師 73歳 男性 TU

福島原発の汚染冷却水の海への放出を政府が決定しました。
処理に困ったあげくの苦肉の策です。
放射能汚染水を薄めて流せば安全だという事らしいですが詭弁もいいとこです。
太平洋沿岸の漁業は大きな痛手をこうむり、生活が成り立たなくなります。
住民の声を無視した政治にはうんざりです。

このような国民の思い、福島の思いの届かない現状に対して宇城先生の気のエネルギーによる実践は私達が進むべき方向をしめしておられます。
頭の顕在意識では平面しか見えない。
でも視覚障害の方は立体に見えるらしい。

宇城先生が頭で考えた瞬間出来なくなってしまうと言われた事、その通りでした。
その上を行くのが潜在意識、潜在意識は身体・細胞の意識。
身体・細胞に働きかける宇城先生の気のエネルギーによる様々な実践検証で調和の力こそが最強であることを体験してきました。
相手の立場になって初めて調和がはかれ潜在力が発揮され、行動することによって心が作られ強い身となる。

思いやりであったり、感謝の念であったり、人に喜んでもらえるような「調和する」心のありようがこれから先の未来をかえるベースになるのだと思います。

できない自分とできる自分が存在する事を実践検証でいつも実感させていただいていますがあとはできる身体に自分が変化する事。

先生の到達された五次元の世界という高みがあるからこそその頂点に向かって進んで行けます。
目標に向かって、できた事を少しずつ繋いでいき、変化する事が大事だと思います。

自我の固い殻を破り心を開いて、先生のおっしゃる調和・共創が実践できるよう努めます。

充実した時間を楽しく過ごさせていただきました。
お忙しい中、熱心な温かみのあるご指導、本当にありがとうございました。

変化を感じる、できる自分を目指す、深さを目指す方向へ進みたいと思います

新潟 教員 38歳 男性 KS

宇城先生は、ペットボトルをひっくり返して、渦が引き込んでゆく映像を示してくださいました。私は、道塾の初っ端に、スキがあり宇城先生にご指摘いただきました。普段の自分では気づかないことでした。深さを目指す方向へ進むこと、そのための態度、あり方を見直したいと思います。
 
今回の道塾で、一番心に残ったのは、正座した人を後ろから抑える検証の中で、先生が気をかけてくださったときに、私たちは安易に相手を投げに行って、喜んでいることを宇城先生が指摘してくださったことです。「自分の内の変化に気づけばよい」と先生は仰いました。特に私は、その変化へ謙虚に向き合おうとせず、気の変化を喜んでいたようなところがあり猛省いたしました。『稽古照今』を読み返しています。戦わずして勝つの項目がありますが、できる自分が嬉しくて、それを安易に使おうとするのは、下の勝ちだなと感じました。変化を感じる、できる自分を目指す、深さを目指す方向へ進みたいと思います。

また、宇城先生は学校教育に強い警鐘を鳴らしておられました。体育座りを例に示してくださいましたが、学校の教師は、一生懸命に体育座りをさせるような状態にあります。一事が万事だと思います。それが不自然で、体育座りができない生徒、本来の身体に従い自然な生徒を多動だといって、問題児扱いすることや、薬を飲ませてコントロールしさえします。国の将来を作る子どもたちを導くのが教師の仕事で、謙虚に学び続けなければいけないことを日々痛感しております。一生懸命にやっているのに。というのは実は怖いことで、横に並んだ列は、力めば力むほど戻らなくなったり、けがをします。

強さを求めるのは心の弱さ、謙虚さや思いやりの気持ちを大事に、今後とも精進してまいります。ご指導よろしくお願いいたします。

大切な教えをいただき、またとても素晴らしい幸せな時間を過ごさせていただきました

宮城 会社員 45歳 男性 AS

国政によるビジョンのない場当たり的な施策により、街の灯りは消え、経済活動は風前の灯、人々の不安は益々深まるばかり… しかし、国政を司る議員を選んだのは我々国民であり、我々が変わらなくてはいけないという事をとても強く感じております。

今回の検証において、先生から気を入れていただいた時、いつもは投げたりするところを、今回は投げずに自分に起こっている変化に気づく、投げる事は気が通っている事を分かりやすくする為に行っており、本質は自分の内面の変化を身体を通して感じ気付く事だと教えていただきました。

ついつい気が通って投げれる、技がかかるといった事に一喜一憂してしまいがちになりますが、それではいつまで経ってもそこから成長出来ないという事に気付きなさいという先生の導きなのだと感じました。

私達が進歩成長する為には変化が必要なのは皆、顕在意識では理解しているつもりですが、潜在意識では出来ていないという事を改めて気付かせていただきました事、感謝申し上げます。

これからより謙虚に素直に自分の身体、特に内面の変化に意識を向け、自分に起こる変化を捉え、自分を信じ、周りの人々を少しでも明るく笑顔になっていただけるよう日々精進して参ります。

今回も本当に大切な教えをいただき、またとても素晴らしい幸せな時間を過ごさせていただきました事、心より感謝申し上げます。
これからもご指導よろしくお願い申し上げます。

道塾で繰り広げられる“常識”を超えた気の世界を創りだしている先生の心は、どれほどの広さ、奥の深さを持っているのだろうか

宮城 会社員 64歳 男性 HK

心の在り方が気の出発点。このことに改めて思いいたった道塾でした。二人一組で一人が正座しその肩をもう一人が上から押さえつける実技。

気が通ると難なく立ち上がれるのですが、正座でも前にうなだれるように背中を丸くした状態、それは気持ちが俯いて元気のない状態をつくった時には立ち上がれる気がしなくなります。それでも気が通されると、「あ、これは大丈夫立ち上がれる」という心の状態になります。そしてその状態では押さえられた肩を使って相手を投げることもできます。しかし先生は、その大丈夫という心の状態、投げる前に分かっているという心の在り方そのものを身に付けることが大事なのだと。すぐに投げたりしようとするのは、せっかく身体に気が通ったことを心が感受しているのに、結果を頭で求めてしまっていることになるのだと。自分の中でしっかりと気を受け止めていない横着があるということにハッとしました。

気の作用としての強さの検証を頭で先に求めてしまうことで、逆に心の在り方を身に付けるための機会に余計な上書きをしてしまうということなのでしょうか。具合の悪い人がいたらすっと駆け寄っていくことが心の表れとしての身体の動きであり、結果的に検証されていたことにあとから気付く、それが本来の気の通った姿なのだということだと思います。

ついつい気の力の作用に関心が行ってしまいますが、先生の御著書『稽古照今』にあるように心のあり方そのものが大切であることを改めて気づかされたところがあります。そして道塾で繰り広げられる“常識”を超えた気の世界を創りだしている先生の心は、どれほどの広さ、奥の深さを持っているのだろうか、と改めて思ったことでした。

心というものは目に見えません。しかし科学者を含めてそれが有ることはすべての人が感じています。気も目には見えませんが、すくなくとも道塾で学ぶものにとってはその存在は“常識”となっています。そして気の付く言葉を知らず、知らず日常で使いこなしている日本人も無意識にはわかっているのだと思います。心を研究対象とする心理学という分類がありますが、気にはまだその世界を語りうる“学”がありません。

いつか例えば“気理学”のようなものができたとしても、心理学で人間が語り尽せないように、“気理学”だけで気の実践の世界を語り得るわけではないでしょう。心を出発点として、目に見えるモノでもある身体とを繋いでいる気の世界は「~学」のような一分野ではなくそれを超えたより網羅的な世界観をその理解に必要としているのかもしれません。

今回の道塾は、すでにその世界観をまさに身体に刻むように身に付けておられる先生が、自らのエピソードも含めわかりやすく、親しみやすい様々なあの手この手を使って、塾生になんとか気の世界を伝えようと、ご苦労なされていることが改めて感じられた時間でもありました。今回もご指導ありがとうございました。