2024年 熊本 第1回(2024.2.9)

自らが少しでもエネルギーを持つ実践者になることをめざし、日常を変えていきたい

大分 教員 女性 TM


本年も道塾での御指導をいただき、本当にありがとうございました。
宇城先生が示される一つ一つの術技は、第六感という不確かで曖昧なものではなく、不思議でたまらない、すごいとしか言いようのない、いつでも誰に対しても、何人であっても、そして何度でも実証してくださる計り知れないエネルギーそのものの姿でした。「高次元」とはこういうことなんだと、1つ1つの検証で感じ入りました。

医者や科学者、そして子どもたちの未来に携わっている教員たちが、それを素直に謙虚に受け入れることができないのは、それが、従来「教わったこと」「現在の常識」と違い、それらが崩れ去ってしまうことへの怯えからであること、「不都合な真実だから見て見ぬふりをするのだ」と宇城先生は教えてくださいました。
1+1は2 ではないことはいくらでもある。習ったことに留まって大人が思考を停止すれば、子どもたちの思考の枠も小さいまま。大人が子どもの考える力、生み出す力を箱に閉じ込め、削り取ってしまっていることに改めて気づかされました。
「思考し、自ら学ばなければ、いいように為政者に騙される」とのお話をお聴きし、このままでは、日本は没落の一途、頭を使わずただ使われる人、いわば奴隷を育ててしまうに違いない、その一端を担ってはいけないと、強く感じました。
政治の質の劣化や世界情勢を知らせず、国の存亡への危機感もなく、次から次に芸能ネタを振りまいているメディアや報道の有様のおかしさ、太古の昔から続く調和ありき・心ありきの国柄に向けてリーダー性を発揮するエネルギーある指導者不在の残念さを、宇城先生の御話や「火の玉のボール・針だらけのボール」の検証の1つ1つから感じさせていただきました。危機感を感じれば、何人もの人を跳ね飛ばすほどのエネルギーを発するのが人間なのに、まるでぬるま湯につかっているのが、今の日本なのだと痛感しました。


先生の検証で、エネルギーがあれば人は何人で押さえても動く様を見せていただき、その中に参加させていただくと、ずっしりと自分の身体も重くなりました。しかし、翻って自分の日常生活を見ると、心ありの行動を広げる満々としたエネルギーは発揮されない自分がいます。目の前の子どもたち、それに連なる後の世代をこのままにはできない、子どもの未来を希望あるものにするんだという宇城先生の深くて大きく温かい愛に触れさせていただき、身近な教師たる自分が変わらずしてどうするという思いに、道塾に来るたびに立ち返らせていただきます。
教師が、親が、支援者が変化すること、日本人だからこそできる調和力を発揮すること、それには、①もっともっと世界の動き、社会の動きを大局からも学びキャッチすること、②もっと受け入れる自分、他者と調和する自分つくり、瞬発で動ける自分になること、③先生の教えをできるだけ多く直接学ばせていただき、自らが少しでもエネルギーを持つ実践者になることをめざし、日常を変えていきたいと、今回、本当にようやく参加させていただけた道塾で改めて強く感じさせていただきました。

御指導に心より感謝申し上げます。本年も御指導くださいますよう宜しくお願い申し上げます。