驚きや感動だけでなく、そこからいかに自らを変えていけるのか。問われているのはそこだと思います。
岐阜県 高校教諭 40代 男性 K.K
宇城先生のおっしゃる「エネルギー」とはどういうものか、「調和」とはどういうものか、私たちがいかに浮いてしまっているか、改めて身体を通して学ぶことができました。宇城先生が示してくださる世界の「今」は、私たちが何気なく暮らしているなかでは到底気づくことのできない情報ばかりです。そもそも身体が生きていないので、私たちには「今」すらないのかもしれません。そんな私でも、宇城先生が放つエネルギーのなかに身を置くことで、地球とつながる・重心が落ちることを、身をもって感じることができます。
大勢の人を動かそうとするとき、対立がいかに無力か。宇城先生が5人も6人もの大人を顔色一つ変えることなく片手でひっくり返すその様子は、調和がもつエネルギーというものをまざまざと目の当たりにすることができます。そして、つくづく私たちの常識が対立・衝突のなかにあるのかということに気づくことができます。
「不可能を可能にする」。口で言うのはたやすいですが、宇城先生はまさに目の前でそれを実証されます。毎回私の中にある世の中の常識がひっくりかえっています。毎回それを目にしたり感じたりするのがうれしく、そして楽しいのですが、実はそのことへの驚きや感動だけでなく、そこからいかに自らを変えていけるのか。問われているのはそこだと思います。対立・衝突の先に未来も希望もないことを頭では分かっています。そしてそのことを分かっていながら変わろうとしない自分への厳しい自問自答を深めていくべきだと思いました。
エネルギーを放つ。自分の生活のなかにそのような場面はどれくらいあるのだろうかと考えてみると、実はそれについても、これまでの宇城先生の教えの中にたくさんのヒントがあることに気づきます。挨拶、食事、思いやり、ゴミ拾い、人に寄り添う…。 「今」のなかに希望、未来がある。
「今」がないのに、未来のことでくよくよ悩んだり苦しんだりするのは横着でしかありませんし、何よりそこからくるのは「怯え」です。道塾での学びの場だけでなく、日常生活の中で私自身の感性や心を高めながら、私自身に素直に、正直に、自分を信じて進んでいきたいと思いました。
このように考えてくると、毎日の仕事に対して、「あれもやってみたい、これもやってみたい」「こうしたらどうなるだろう」「これに挑戦してみよう」という思いが次から次へと湧いてきます。
先日、日本の子どもの自殺者数についての報道がありました。大人の自殺者数は減っているのに、子どもの自殺者数は増える一方。子どもの数自体は減っているのにもかかわらず、です。このことは、国や社会が、未来の私たちの希望である子どもたちを見捨ててしまっていることの証左だと思います。そんな子どもたちと最前線で接する私たち学校関係者の責任は重いです。
宇城先生は「学校はもう変えられない」とおっしゃいます。確かに大きな流れは私一人では変えられないのかもしれません。それでも宇城先生がいつも目の前で不可能を可能にすることを実証してくださっています。人が多ければ多いほどエネルギーが大きくなっていくようすも実証を通して何度も見て、体験させていただいてきています。私自身が微力なのを承知の上で、少なくとも私の身の回りだけでも明るく、元気な空間にしていきたいです。
何事も実践に使える技術・術でないといけない、全てはエネルギー
岐阜県 理学療法士 40代 男性 S.Y
会場に入った瞬間、場の空気が外側と違うことを感じました。それと同時に、身体が引き締まり重くなる感覚を感じました。ご講義の中で、「地球には重力があり、地球と月の間にも引力がある、みなさんは常に地球の外側に引っ張られていてフワフワと浮いた状態になっている」とお話いただきました。会場の外側から中に入った時の身体の感覚は、フワフワ浮いた身体から地に足が着くような変化に感じ、先生の居られる場の空間は、常に重力と一体であるように思いました。
言い換えれば、常にフワフワと浮いた身体であることに自分では全く気づいていないということであり、先生の居られる空間に入らせていただかなければ、その差に気づくことも自分ではできません。そのこと自体に危機感を感じました。
今回、大勢で先生の腕を押さえ腕相撲を組む検証を身体で経験させていただきました。これまで間近で、繰り返し拝見しておりましたが、見るのではなく実際に先生と腕組みをして触れさせて頂いたことで、力で倒そうとされる時と気を通しエネルギーで動かされる時の明らかな感覚の違いを身体で感じました。特に、実際に先生が腕を動かされる前から、押さえている側の自分や周りの方々の力が消えていく感覚が明らかで、動く前から倒されることが分かりました。今でもその差の感覚が強く残っており、これまでとも違う気づきを頂いたように感じています。
また、他の塾生の方が手で机を強く叩きつけるのと同じ強さで自分の手を叩こうとする時には、身体が怖さを感じ自然に手と身体を引いてしまいましたが、先生に気を通していただくと相手が手を振り上げても怖さを感じることがなく、実際に手を叩かれても痛みがありませんでした。
このような、今の常識ではあり得ない実証の数々を身体で経験させて頂けること自体が次元の違うことであり、実践事実として本質をお示し頂いているのだと思います。何事も実践に使える技術・術でないといけない、全てはエネルギーだ、とのお言葉も特に心に残っております。
エネルギーが低く、混沌としている今の日本において、自分を守ること、家族を守ること、仲間を守ること、そのために自分に何ができて、何をしなければいけないのか。今回、実践による経験の中で先生に気づかせていただいた身体感覚を頼りに、日常での実践・使える技術とは何かを繰り返し自問自答し、日々を過ごしたいと思っております。
昨年、サンチンの型を道塾の場でご指導いただいたのは何故か、呼吸法をご指導いただいたのは何故か、寄り添うことを繰り返しご指導いただいたのは何故か。そのことをしっかりと見なければいけないと感じております。
意識よりさらに深いところにある無意識領域に働きかけるもの
静岡県 農業 40代 男性 Y.F
名古屋道塾、本年最初の回であり、心して参加させて頂きました。御講義では「細胞が動く」ということを何度も身体で感じさせて頂きました。
腕相撲でも、もう先生の腕が動く前に、フッと身体の力が抜けてしまう。今まで自分が意識していた方向と逆に行く気になってしまっていました。お話で、「心臓を止める事は意識では出来ない」とありましたが、ようはそのようなこと、意識よりさらに深いところにある無意識領域に働きかけるものなんだと。お恥ずかしながら、ようやく先生が毎回のように言われてきたことと自分の身体に起こっていることが、自分の中で合致したように思います。
また「地球にしっかりと立っていない、皆は浮いている、前後左右いずれかに傾いている状態なのだ」というお話がありました。これは科学的に見てもその通りであって、しかし、それを普段は、というかほとんどの人間は感じることが出来ていないのだと思います。しかし、地球は時速1700キロで動いていて、更に太陽系、銀河系も天文学的なスピードで動いています。そこには大きな、今の人間には感じることも存在を認識することも出来ないような大きなエネルギーがあるのだと思います。
その宇宙のエネルギーから自ら離れた状態である人間は、自由のようでいて、自由ではないのだと思います。エネルギーと繋がっていなければ、自分のやる事、為す事、全てが一か八かであり、いわば宇宙の法則から外れた、その道を進む過程の出来事でしかないと思います。それはいずれ行き着く先は、宇宙からの消滅だと思います。
しかし先生は、その宇宙のエネルギー、宇宙誕生時の一番強い、統合された力の部分を身体で感じられる、捉えることが出来るのだと思います。それに沿って生きるということは、何事も自分にエネルギーが入り、前に進む、物事が前進する、ということだと思います。逆にそうでない場合は、どこかにしわ寄せがいったり、無理が生じて何かしらの問題が発生するのだと思います。誰か、どこかのエネルギーを、ただ自分が奪っているだけだと思います。