2023年 名古屋 第2回(2023.3.2)

今自分ができないことや分からないことが実は私自身の「希望」となっています

岐阜 教員 43歳 男性 KK

今世界で戦争が起こっている現実に対して、部分体的な「戦争反対」と、統一体的な「平和を望む」との違いがたいへんストレートに腑に落ちました。この両者は全く次元が違うものだと感じました。対立構造のなかで戦争反対をどれだけ叫ぼうと、そこに実体はなく、新たな対立を産むに過ぎません。ますます対立がは深まります。一方統一体的に平和を望むあり方は、戦わずして勝つという、命のやりとりの向こう側に到達した真の武術としてのあり方、考え方だと思います。

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、一歩進みゆけば極楽」。地獄のその向こう側に到達して初めて平和を守ることができるということではないでしょうか。そして、その地獄を潜り抜けてきた叡智が、宇城先生に学ぶ様々な「型」のなかに包摂されているのだと思いました。そしてそれは私たち日本人のDNAのなかにしっかり刻まれているということを今回も様々な実践を通して教えてくださいました。常々世の「戦争反対」の言説を目にするたびに感じてきた違和感が今回すんなり解消された思いです。

学校では修学旅行などを通して平和学習と称し、それこそ戦争の悲惨さや残酷さのみを強調し、子どもに「戦争はいけないと思います」と言わせることが繰り返されています。実際に被曝した方や、沖縄戦を経験された方の真に意味ある言葉を利用して、分かったような気にさせるこのような平和学習は、意識的な善意のもとに行われる無意識的な洗脳です。無意識に頭でっかちな部分体を仕込んでいる。それらは一見すると正しいことを言っているようなので、私自身も違和感を感じながらも、そのようなものかとなかばあきらめていました。

ですが、本当の平和学習は、子どもたちが希望を持って自分自身を守れるようになること、自分の家族を守れるようになること。そのために人と人との絆を大切にし、助け合える身体を作ることです。そうすればいざという時に、本当の意味で争いを避けるために立ち上がれる日本になるのだと感じます。三世代先を見て、私自身を鍛えていきたいと思います。

宇城先生を目の前にして行うサンチンは、もうそれだけでなんとも言えない充実した時間です。身体がピタリと決まり、迷いがなく、力がすーっと抜けていくのに身体の芯からエネルギーが湧いてくる感じです。これが一人でやるときにはなかなかそうはいきません。同じ自分なのに、宇城先生が目の前にいるだけで全く別の人間のようです。だからこそそこを1ミリでも進めていきたいという希望も逆に湧いてきます。

これは毎回感じることですが、今自分ができないことや分からないことが実は私自身の「希望」となっています。しかし宇城先生に学び始めたころからそうだったわけではありません。日本の厳しいが現状や、堕落を聞かされるにつけ、また、自分のいたらなさや横着さを思い知らされるにつけ、その都度暗澹たる気持になっていたこともありました。ですが、今はようやくその現状の自分こそが希望であると感じられるようになってきました。何を今さら…と思う一方で、それこそが私自身だと開き直りつつまた元気をいただいて次のご指導の機会を楽しみに進みたいと思います。

今後ともご指導よろしくお願いいたします。