東京・大阪・仙台・熊本・岡山・名古屋 特別合同合宿 (2023.3.11-12)

北海道 市職員 48歳 男性 TM

今回の合宿で、人間が本来持っている素晴らしい力を、宇城先生の気の力やサンチンの型の力を借りて、自ら体験することができました。この力の発揮を邪魔するものは自分の中にある欲であり、自分が駄目であると否定することは、宇宙や大自然に対する謙虚さの欠如であり、自分の信じる力と真剣さの欠如をはっきり思い知らされた機会となりました。

身体の癖もさることながら、自分の思考の癖にも気付かされました。欲にも色々種類があると思いますが、今まではっきり認識していなかった「自分をよく見せたい」という欲があることを指摘して頂き、自分の欠点として色々と腑に落ちました。

これが言い訳につながり、言い訳は参加的観察者であることから非参加的観察者の態度となり孤立の元となり、更には不安・怯えの原因となるという図式が見えました。

ここからこれまでの自分を振り返ってみると、自分の考え方はまるっきり反対であったように感じます。

端的に言うと、統一体になれば仕事や日常が充実するというような非常に甘い認識であったのですが、そのような単純な因果関係ではなく、統一体というのは一つの現象の側面であって、即行動・即努力・即心であり、そこに時間的にも空間的にも前後関係はないということではないかと感じました。

統一体が教えてくれる状態とそれとは正反対の部分体による不安・怯えは自分の思考・行動が正解か不正解かを教えてくれるものであり、統一体が教えてくれるこのサインを素直にキャッチして余計なことを考えず気持ちよく
行動するように自分を改めていきたいと思います。本当に御指導ありがとうございました。

神奈川 派遣社員 35歳 男性 NS

この度は道塾合宿での貴重なご指導、お時間を私達に与えて頂き誠にありがとうございます。
今回、宇城先生という師匠がいてくださるからこそ私達は「人」から「人間」になっていくことができるのだと合宿の講義と実践を通してはっきりと認識致しました。

師である宇城先生という太陽が常に私達を照らしてくださっているからこそ私達は変化し、変容した生き方が可能になるということを心に深く刻みました。
師匠なくして変化し、変容していく生き方は不可能であること。
なぜなら今回の実技でも自分(人)の力では、相手と対立を生み相手を投げようと思っても投げが掛かることはありません。
しかし、先生が私達を照らしてくださることで瞬時に相手を投げる自分(人間)へと変化しました。
それも今の常識では絶対不可能という状況下、一人対多数に対しても勝ることができるという普通では考えられないような劇的な変化です。

今回、四つん這いとなり、その上から何人もの塾生が覆い被さるように自分の手足、胴を動かせない状況で全員を倒すという体験をさせていただきました。自分の力(人)では相手をひっくり返すのは不可能です。
しかし先生に気を通して頂くことで瞬時に全員をひっくり返すことができました。
これが先生のおっしゃる「人間」になることなのだと思いあらためて感動致しました。

冒頭に先生が書かれた言葉に「客観的には測定できないが、参加的観察者だけが参加することによって、それを観察することができる」とありました。
先生が私達に体験させてくださる今の常識では経験することのできない未知の体験は、まさに観客のように見て自分の考え(頭)では決して理解できるような世界ではなく、自身で参加し、体験し感知の世界でしか観察していくことができない世界であることを教えていただきました。

先生は、自分を卑下することや悩みなども最大な横着であるとも話されました。
私達は人間の凄さ、神秘さを先生に言葉ではなく実体(現実)で常に教えを受けております。
人間の凄さを理論で説明する著名な本や科学者はいますが、先生のように実践ができる人はいません。
「理論と実践とが統一されているのが術」であり、「対象と実践主体の関連性が常に問われるのが術」であること。
「学」としてのあり方は、知識であり実際に日常生活で役に立つとこはなく、「術」としての技術が日常に役に立つ、人を幸せにするあり方であるのだと思いました。

「人」であるとき孤立、不安、怯えが生じます。そう言った雰囲気、孤立した時空、対立の世界は自らが生み出していること。
次元の低い時空に身を置いていれば些細なことやくだらないことに目が行き、表面的な部分に踊らされ、そこに引っ掛かるのは自分自身が次元の低いフォーカスを持っているからだというお話もありました。だからこそすべては自分であること。
物事の本質を捉えられるような目を養い、私達がぶれない肚、身体を培い、統一体になっていくしかないのだと思います。
しかしそれには今の私達はあまりにも「欲」があり、「我」があり、「自分さえ」があり過ぎます。
合宿中に先生が仰られた「やはり病をなおさなくてはいけない」というお言葉。
そのことを先生は常に実証ありきで私達に気づきを与えてくださいます。

今回の合宿は、私達が「人間」ではなく「人」に成り下がっていることを痛切に感じた二日間でもありました。
ですが先生から「ファミリー」という言葉を言っていただきました。
全国から塾生が一堂に集う道塾合宿は年二回です。
しかし、年二回しか会っていないとは思えないほど志を同じくする仲間の存在、共に学ぶ塾生の方々との二次会、三次会でお酒を飲みながら交流できる時間はかけがえのないものです。
それは宇城先生のもとで共に学んでいるという、先生が常に私達を照らしてくださり「人」から「人間」にしてくださっているからこそあり得る時空です。

今回も先生が気を通してくださり5次元の世界を創ってくださっているのにも関わらずまだまだ頭で考えてしまっている自分を痛感致しました。
「人」の状態では時空に溶け込むことができず、孤立している状態では何をやってもうまくいくことはありません。なぜなら必ず衝突が生じるからです。
絶対存在としていてくださる偉大な師に学ぶ私達がまず立ち上がり人間にならなくてはならない。
先生は常に私達を照らしてくださっております。だからこそ自分が日常でどれだけ先生を想い、稽古していくかでその太陽の光をキャッチできる度合いが変わってくるのかと思います。

「人間」から「人」に成り下がった私達。
師匠を持たなくして「人」は「人間」になれないことを肝に銘じ、「人」として成り下がっている自分の病を直していくこと。
先生の教えである寄り添う行動を通して本来の人間になっていけるよう日常から精進して参ります。
この度も貴重なご指導をありがとうございました。

東京 会社役員 61歳 男性 TK

道塾合同合宿では、大変お世話になりまして有難うございました。

今回も沢山の貴重な体験をさせて頂きました。一番感じた事は、気のとんでもないエネルギーに包まれて、人間の潜在能力の凄さや宇宙の中に存在するのスケールの桁違いに大きな未知のエネルギーを体感し、自分が今まで悩んできたり不安になっている事がいかに小さな自分本位の閉じた世界であったかを知らされました。

何よりも未来に希望を持って、今を幸せに生きる事が大切だと思いますが、どうしてもそれにブレーキを踏んでいる自分、小さな我の存在を感じてしまいます。先生が未来志向の考え方や行動の仕方について、例えば鯛を釣りたいなと思い、鯛を釣るには船が必要だと思い、船に乗るためには資格が必要だと、未来志向で行動していく事をお話して下さいました。

XXをしなければならない、からXXをしたいな、そのためにはXXをしよう、というような切り替えが自分には必要だと感じています。

サンチン型の稽古では、空手の稽古とは違った観点で沢山のご指導を頂きました。特に印象に残っているのが、呼吸についてで、

自分達は呼吸しているようで本当の呼吸をしていないと、先生が呼吸をして見せて頂いたのですが、その呼吸は空気に溶け込んでいくような繊細さ、透明さ、そして深さを感じました。呼吸の奥深さを改めて感じ、体験した感覚を思い起こしながらこれからも稽古していきたいです。

今の自分を取り巻く環境は、様々な出来事が重なったり人の出入りがあったりして、煩雑さや混乱が生じてしまう事も多々ありますが、合宿で体感したエネルギーを内に懐いて、一つひとつの事、今いまの事に正面から向きあって取り組んでいこうと思います。

どうかこれからもご指導の程、宜しくお願い致します。

神奈川 就業支援講師 50歳 男性 TS

今回の合宿を通じて感じ、気づいたことを言語化すると、それは「気を活用するときは来ていて、それが今だ」と思ったことでございます。

「学」と「術」のお話からも中心軸のお話の中からも学びや気付きが多くございます。
そして、合宿ならでは多くの実践・体験の際にも気づきが多くございます。

しかし、講座の途中から
「学んだり、気づいたりしたことで満足していないか?」
「指摘をしてもらえたり、物事の矛盾の話を聞いて賢くなったと誤解していないか?」
そして、「自分のクセを改め、自分の今の立場に活かさなけれ意味をなさないのでは?」
と内面で考えが変化してまいりました。

思考のクセが身体に現れ、気のおこりと繋がっていること。
できたことや正解を知ることで、成長を止めていた自分がいること。
思いが欲を生み、気を切り、実現していくことを止めていたこと。

それらの気の実証・体験を通じて自らが感じたクセと特徴は
「自分には宇城先生と同じ「術」としての実証はできない」→だから諦めるこの姿勢と態度でした。
そうではなく
「宇城先生から学んだからこそ、自分の環境で「術」として実証をする」→やれることはあるへの姿勢と態度の変化でした。
また、「やれることから始め、やっていかなければやれるようになることは無い」ということです。

これらの気付きとともに、実は必ずしも気が通っていないことばかりでなかった自分を自覚し、同時に全く通っていない状態になっている時の自分がいたことも改めて再自覚いたしました。
だからこそ、気が通った状態を日々保つようにする鍛錬と、気が通った時のあの「あー、できる」とわかる状態で日常の困難や課題に立ち向かっていきたいと思いました。

ついては、気を学ぶ意識の受講姿勢だけでなく、気を実社会で活用していくための意識で、引き続き学び鍛錬していきたいと思いました。

今回もご指導ありがとうございました。
引き続き何卒よろしくお願いいたします。

東京 会社員 60歳 男性 YK

宇城先生、合宿でのご指導ありがとうございました。

先日、先生より「人になるな人間になれ」というお言葉を頂きましたがお恥ずかしいことにその時は正直ピンときておりませんでした。

お陰様でご講義により腑に落とすことができました。

今回の合宿では、ずっと場の雰囲気というかエネルギーに包まれていたような感じがしておりました。

3・11の1分間の黙とうでは涙がにじむほどでした。

今回はサンチンを重点的に取り上げて頂き、先生や実践塾のベテランの方から教えて頂けてありがたかったです。

私は空手は未経験なので、普段、DVD動画などを参考に見よう見まねで行っていましたが、やはり見よう見まねだと、間違ったやり方をしていたようで、特に大事な呼吸法に於いて修正すべき点が多々あって、大変勉強になりました。

実際に行う中でサンチンの構えから両肘が浮いてしまったり両肘で相手を崩すことができなかったりやはり構えや呼吸法が全くなっていないことに気付かされました。

それでも繰り返し丁寧に行う中で、「あっ、この感覚」という感じる瞬間があり、その時は両肘が固定され、肘で相手を崩すことができました。

しかしそれもほんの数回であり、まだまだ身に付いておりません。

合宿も終わりに近い中で、気のエネルギーに包まれた中、グループを組んだ方々と思い思いにそれまで行った様々なワークを試しましたが、特に実践塾の方々とのレベルの違いを痛烈に感じました。

先生が講義の最中に仰った「謙虚さとは引力である」「謙虚になれば吸収できる」というお言葉が非常に印象に残っていて、実践塾の方々とは稽古量が全くお話にならないのは当然ですが、しかしそれ以前に自分自身の横着癖が根強かったり、まだまだ謙虚さが足りないことが根本の原因だと思い知らされました。

せっかく質を教えて頂いているのに自分のレベルの低さは正にそこにあるのだと思いました。

また懇親会の中で「本当は人間は凄いのだ」とのお言葉には響くものがありました。しかし道塾や合宿でその凄さが自分にも宿っていると実感はするものの、その凄さを遮断してしまっています。孤立してしまっています。

合宿が終わり、ホテルの玄関で先生をお見送りをする時に、先生がある方に「昨日と今日のことを忘れないように。横着するとすぐに忘れるからな。」

と仰っていたことも印象に残っています。

「横着を無くして、謙虚さを忘れない」

普段の日常生活からこのことを常に心がけなければと肝に命じ精進して参ります。

今回も本当にありがとうございました。

岡山 スポーツ用品販売業 52歳 男性 IS

宇城先生この度も、お忙しい中エネルギーに満ちたご指導ありがとうございました。
毎回、合宿に参加かせていただくと日常を忘れ、非日常の異次元を体感させて頂き自身の身体、魂に染み込ませていただけます。

身体、魂に染み込んだエネルギーを、身体に調和し、天、地と繋がり、たずさわる人々に、愛、エネルギーとして繋がり、広がるよう、内なるエネルギーを日々燃やし、目にみえる結果として現れるようスピードを上げ行動いて行きます。

奈良 主婦 女性 KM


3年前の合宿で自分も生かされていることに気づかせてもらったあの瞬間 感覚があるから今の自分がいます。
横着な自分から逃げずに学ぶことが次のステップに繋がるのだろうと思います。

これ程に狂った世の中、本物を失った世の中。
人間の原点に戻る。人間を取り戻す。

宇城先生の教え、身体で感じ身体で分かる学びがこの狂った世の中から人間を救う助け船のように感じます。
そして勉強しなければ話にならないことも痛感させて頂きました。

自分のレベルを上げていかなければ取り残される。
生かされているのだから少しでもレベルの高いところで死んでいけるように。
勉強しなければ守るべき愛する子どもたちも守れない。

自分も何もできていないけれど日常のレベルの低いところで楽しいと思わなくなってきました。
レベルの低い者同士が馴れ合いの状態でいることは時間の浪費にすぎないと感じてきました。

だからできない自分であっても怖れず逃げずに謙虚に学ぶ姿勢を貫く生き方を大切にしたいと思います。

勉強することは永遠にあるのだから。 
手を打つこともできない。
勉強しなければ、先を見ることもできない。
勉強しなければ、子どもたちを守ることもできない。
勉強しなければ、自分の成長はない。

変容する。
いくら外面を変えてもそれは見せかけで崩れてしまう。
力んで浮いてしまう。潰される。

今の自分は地に足がついていないようななんとも居心地が悪い状態に感じます。
しかし合宿で実践を通しエネルギーを頂いているから、そのような自分からも逃げずに自分に向き合うことができるのだと思います。

内面から変化して身体、姿勢、表情に変化が滲み出てくるような生き方へ向かっていく
そのような時間にしていきたいと強く思います。

全ての実践で出てくる自分の我欲と向き合わさせてもらいました。
頭で考えるがどれ程に思考、行動、寄り添う心を停止させているのか。
どれ程に自分で心身体を居付く状態にしているのか。
そしてこの状態で自分は普段過ごしているのかと思うと子どもたちへの影響もひどく悪いものを与えてしまっているのだろうと。

この状態では生き残っていけない、子どもたちを守っていけないことをこの度も気づかせて頂きました。

人間の身体は本来とんでもないエネルギーをもっていることを見せて頂いています。
にもかかわらず悩んだり、できない自分を思ったり。

本当に心から人間のエネルギーの凄さを、自分を、信じていたら
悩みや迷いなんて出てこないはず。素直に心開いて身を委ねることができるはず。

それができていないということは自分の範囲で解釈し心を閉じている証拠。

ここから脱出したい。抜け出したい。
サンチンの型から自分の癖と向き合い事理一致していく身体心を整えていきます。

人のために、というのも欲。
そこを超えた姿勢、真剣さに今の自分は全く届いていない。

身体が勝手に動く、細胞、心で自然に動いている。
そんな境地に達するには、今の自分がつくっている世界は本当に話にならないものであります。

浅はかすぎる自分に目を逸らさずにしっかり向き合っていかなければならないと強く感じます。

深さを知る、自分に向き合うこのような学びは
師をもつことでしかできないものなのであろうと感じます。

そう思うと今の世の中、全てが言葉だけで実践がない。
言葉だけだと軽い、信頼がない。

宇城先生が仰る、できないと意味がない、ということの重みが少し分かったように思います。
自分の浅はかさ横着さ、軽さがよく分かりました。

3.11東日本大震災のことも一人では何も分からない、ニュースだけでは本物の学びができない。
こうして宇城先生のもと学びに来られている塾生の方々から気づかせて頂くことができる。
このような時間空間に自分も共に居させて頂いていることの有難さを今回の合宿でも大変感じました。

一人では何もできない。そのためには仲間がいる。孤立していては、調和していないとその空間に入ることができない。

『深さを知る』
今回の合宿で改めて感じたことです。

日常すべてにおいての自分の在り方を問う。
感想文を書きながらパラっとめくったページの言葉、前に思っていたことと違う感覚になった。

次のページを読んだらどのように感じるだろう。
合宿を終え、今この状態でまた宇城先生のご著書を拝読してみよう。

今までとはまた違った発見や自分の間違いに気づけるような気がする。
こうして永遠に学ばせて頂く本物の学び教えを誠に有難うございます。

2日間の合同合宿、ありがとうございました。

神奈川 映像制作 36歳 男性 YT

2日間に渡る合宿での貴重なご指導、ありがとうございます。

普通ではありえないもの凄いエネルギーに包まれた講義・実践の中で、頭脳中心の過去形の世界から脱却できていないことを反省すると同時に、特に「これからは自分が問われる時代」という宇城先生の教えに感じるものがあり、凄く心に残っています。

現在、携わっている映像や写真、デザインといったクリエイティブの世界も、AI技術の進化・浸透が激しく、半年から1年後にはほとんどのクリエイターは仕事がなくなるのでは、と肌で感じるほどAI技術が急成長しています。

そのような状況の中で、これからますます技術と信用がなければ生き残れない、「人間=人の間」としての心を育んでいく生き様・修行を積み重ねていかなければAIなどのデジタル・ロボット技術に淘汰されていく、という近い将来現実に起こりうる未来を感じ、まさに「自分が問われる時代」になっていることを感じております。

同時に、世界・国内情勢に不安が広がり続け、人と人との信頼関係や繋がりがさらになくなり負の方向へ進んでいる今、宇城先生に学び・ご指導いただけること、共に学び合える仲間がいることは大きな希望・前へ進めるエネルギーとなっています。

いつも真剣に我々塾生をご指導いただいている先生に対してどれだけ覚悟をもって学べているか、その教えを今日どれだけ真剣に実践できたか、常に自分に問いながら技術や信用、そして心を磨いていきます。

改めまして、2日間の合宿でのご指導、誠にありがとうございました。

大阪 歯科衛生士 女性 HN

この度はエネルギーに満ちた濃厚な二日間にわたるご指導をありがとうございました。
何よりも二日間連続で学ばせていただけたことは、身体に記憶させることができたと感じます。

何度も何度も、相手と衝突せずに押したり、倒せたりする感覚は、日常において自分がどれほど力を使った動作をしてるかに気づかせていただきました。
本当に健常者の病気であると思いました。無意識に押そうとする愚かさは、身体が本来持っている調和のエネルギーを自ら封じ込めているのだと思いました。

心理学者のユングの「病とは身体を部分化することである」という言葉にあるように、身体も考え方も小さく分断してしまうと、孤立し、細胞も人も助けてくれないというこを肝に銘じなければなりません。

道塾合宿に参加して、日常とかけ離れた空間に自分を置くことで、自分のうちから出てくる素直な気持ちに気づき、自分が何に囚われていたのか少し分かった気がします。
濃厚でありながら、ゆっくりと時間が過ぎていくと感じました。このような経験は参加し体験しなければ決して味わえない感覚だと思いました。

また印象的な言葉に、「人は人(他人)、自分は自分」と捉えていることは「人」に成り下がっているから殺人などが起きる。「人間」になることが必須と教えていただきました。
他人を自分自身のように思うことができれば、人生は全く違うものになると思いました。
自分目線の考え方を少しでも相手目線で見るようになれれば、今の考え方が大きく変わります。
そのうえで、他人に何かを求めるのではなく、自分が何をし、何をしなかったのかを顧みることが大切だと知りました。
人と人とが繋がると、どれほどのエネルギーが出るかを合宿では検証していただきました。

先生の広げてくださる時空の中では、塾生が皆一体となり、列になった人を前に立った人が指先一つで揺り動かし、大きな波動を起こしうねりとなって走り出しました。
エネルギーが身体を貫いていく感覚は経験しなければ例えようがありません。
孤立から共存へスイッチすると、「幸せ」しかありませんでした。
この身体から来る感覚をかみしめて帰りの新幹線で帰路につきました。
日常生活で、人は人(他人)と思う気持ちがあまりにも多いことに気づき、今の自分が嫌になりました。
こんな自分から変化成長していけるよう、今後も自分を見つめていきたいと思います。

本当に貴重な二日間をありがとうございました。
今から、次の道塾合宿を楽しみにしています。

神奈川 フリークライミングスクール経営 女性 KF

今回は遅れての参加となってしまいました。
2日目のみの受講となりましたが、とても深い学びをありがとうございました。

今回の講義では、1日目のホワイトボードにあった「術」を獲得して行くための具体的な修行として、日々何を実践して行けば良いのかという指針を示して頂いたように思います。

2日目は、最初に「サンチン」の型をすることから始まりました。
「型」をしっかりと練習し自分のものにしていくことで自身のエネルギーを大きくすると、そのエネルギーが周囲に影響を及ぼして行くことを、身をもって学ばせていただきました。
サンチンの型では、正しい形と呼吸、呼吸に合わせて動くことで身体の呼吸が通り、地球とつながるエネルギーを得ることや、腕受けや中割れ、虎口などの各動きの意味や、どのような動きがエネルギーに変換されるのかなど、レベルの高い、濃い内容をたくさん教えて頂きました。

今回だけでは消化しきれず、出来ないままのことも多々ありましたし、加えて練習量が足りていないこともはっきり分かりました。
今回教えて頂いた「質」を日々追求しつつ、常にそこに意識をもって練習を重ねたいと思います。
そして、今回教えて頂いたことの中でも今後、特に注意して行きたいことが「中心」、「軸」を作ることです。
「中心」や「軸」を、まだ自分ではっきり認識出来ていないレベルにありますが、それは心のレベルがまだまだ低いからだと気付かされました。

先生がおっしゃられたように、「中心」は一字では「忠」となります。
「忠」とは「真心」ですから、心を磨き欲を捨てて、人に対して「真心」をもって接することで、「人は人、自分は自分」という孤立状態の「人」から、お互いの絆を深め、良い「間合い」を作れる「人間」へと成長したいと思います。

それが自分のエネルギーを大きくする人間修養でもありますから、「型」の練習と両輪で、今は出来なくとも、二進法で励んで行きたいと思います。

そして今回も、「気」を入れて頂いたことでとても元気になりました。
先生のお話の中で、この「気」の入った状態は細胞が覚えていて、重大な交通事故などの危機状態の時に、無意識に自分を守る行動が出来て事なきを得た塾生の方のお話がありましたが、私もそれに似たようなことがつい先日ありました。

2月4日、クライミングジムでの練習で、気を抜いて取り付いた最後のルートで手がすっぽ抜け、部屋の天井ほどの高さから、背中から床に落ちました。
落ちた距離は3メートル弱くらいかと思われ、薄い緩衝材が敷いてあったとは言え、まともに腰から落ちていたら、ただでは済まなかったと思います。

でも自分では無意識だったのですが、友達のクライマーの話だと、地面に着いた瞬間に、実に見事に受け身を取っていたそうで、腰も守れ、頭も打たず、首も何ともなくて事なきを得ました。

ただ、受け身を取った左手は、打撲のためにかなりのダメージを受けましたが、骨折も靱帯の損傷なく、今はほとんど影響がないほどにまで治って来ました。

先生に体験させて頂いている、気の入った統一体の状態を私の細胞たちもきちんと覚えていてくれて、いざという時に、無意識下で身を守る動きをしてくれたのだと思います。

先生の日頃のご指導の賜物です。ありがとうございます。
本当に有難いことだと思うと同時に、自分自身の身体についての自信が深まりました。
これを機に、細胞さんたちにはさらにしっかり目覚めて頂いて、身体脳が開発されて行くよう、頑張って行きたいと思います。

今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします

福島 公務員 54歳 男性 HO

熱く、激しく、楽しい合宿をありがとうございました。

2日間、様々な検証を体験させていただき、心身にエネルギーがみなぎり、本当に元気になりました。

目に見えない波動、筋力ではないエネルギー、身体の調和力、人の真の力を幾度も幾度も体験させていただき、その素晴らしさ、次元の高さに心から感動いたしました。また、我々が、その真の力を封印する思考の刷り込みをずっとされてきたことも改めて強く認識いたしました。

「学」ではなく「術」
言葉だけの理論だけではなく、社会に意味を持つ実践こそ、我々が学び生きる目的なのだと思いました。それは経済という狭い意味にとどまらない、人の幸せの生産性に繋がるものなのだと思います。

デジタル化、コロナ禍により、リアルコミュニケーションが激減し、人と人との分断は一気に加速しました。昨今の悲惨な事件事故は、人と人との関係性が断ち切られ、孤立し、己も他者も尊重できない、自分さえ良ければなんでもいいという「ヒト」が増加したことが原因ではないかと感じます。

この世に生まれたことは奇跡。
この命を幸せに生き切り、次代に繋いでいくことが生命の本質だと思います。

しかし、無知と横着、「アタマ」だけの思考は、孤独や不安という虚構を生み出し、人という生命体を変質させてしまうのかもしれません。

私は幸運にも師と仲間たちに巡り会うことができました。

道を違えそうな時には、言葉ではなく実践でご指導いただける師と、寄り添い共に歩んでくれる仲間たち。ピンチの時には無条件で駆けつけてくれる。こんな素晴らしい師と仲間たちが、私の「希望」となっております。私は、これからも師に学び続け、仲間と共に歩み、助け合いたいと思います。

人間とは「個々の人」ではなく「人の間」である。この宇城先生のご指導を心に刻み 、今この時を変化成長のグラデーションの瞬間として留まることなく変容し、己の幸せの生産性を高めてまいりたいと思います。

ありがとうございました。

福島 建設会社勤務 61歳 男性 MO

宇城先生、合同合宿でのご指導ありがとうございました。

今回の合宿では頭で考えてからの行動は部分体になり、人間本来の力を出せない事。逆に全く考えない、手を動かす事さえ考えない、身体が先の行動、困っている人に寄り添う心からの行動で人間は部分体から統一体で本来の力を出せます。

宇城先生が板書して言われた、学から術へ移行する事。医学から医術のように。学は頭、術は身体である事。その事を実践検証を通して徹底的やった合宿でした。

それと自分たちの病気である自分さえ良ければの心、自分と人、人と人、孤立している事。人と人との間、人間になる事。自分たちは人間にもなれてないと宇城先生は言われました。人間でないから最近の強盗殺人事件や、若年者による死傷事件が多くなって来た事。
そのような社会風潮を作ってしまう自分たち庶民の責任でもあります。

それらからの脱却する事を、宇城先生は手を替え品を替えて、出来ない自分たちに根気強く指導して下さいます。その宇城先生の指導に応えるには心を創り、寄り添う心を取り戻す事だと思います。戦前それ以前の侍の時代の日本人には誰にもその心があったはずです。宇城先生は自分たちはもう変われないから次世代の子供たちに託すとおっしゃっいます。でも子供の親が駄目ではなんにもならない。だから少しでも変化変容し、次世代につないでいかなければなりません。まず心です。

この合宿の初日3月11日は東日本大震災の日です。その当時宇城先生はあすなろ支援の会を立ち上げて、東北の被災地を支援して下さいました。まさに寄り添う心で。当時支援に加わった塾生は、身をもって寄り添う心を学びました。自分はその時の心が薄れている。まず、いまだに被災者感の強い年老いた母親に寄り添う事が、今自分が第一に取り組む事です。

あと頭で考えない事です。実践検証で連なった多人数を手のひらで押し動かす検証。動かそうと考えただけで出来なくなってしまいます。宇城先生は言われます。何も考えないと。腕を動かす事すら考えない。この考えないで身体を動かす事を、自分は仕事でやってるのです。自転車に乗るのは身体が先といっしょで、仕事で使う重機や道具使いは、頭でやってないのです。頭で考えたら出来なくなってしまいます。右のレバーを左に引きながら左のレバーを右下へ引くと、重機のバケットで土を掘れるとかです。実際身体で覚えているので、考えて動かした事がありません。少し違うのもしれませんが、頭で考えないで身体を動かすという点では同じかなと思います。

その辺を取っ掛かりにして、少しはできるように稽古しようと思いました。合宿の最後には、宇城先生から手を出してと言われて手を出すと宇城先生から瞬発で倒されました。身体が重くなり、気のエネルギーが充填されました。そのエネルギーを、消さないように持ち帰り明日からの日常に生かします。ありがとうございました。

静岡 理学療法士 59歳 男性 TO

素直な感想は、とても楽しかった!に尽きます。
最近は頭で考えることは止めて、身体で素直に感じることに集中しているため身体の変化が楽しくて仕方ありません。

11月に孫が生まれ抱っこする様になってから、人間の成長の素晴らしさを再認識する様になり、孫から伝わる生命力や純真さ、環境への適応力等感動する事ばかりです。孫から身体の変化を感じる力をよりいただいていると実感します。

今日の研修会も、宇城先生からの電波を以前より受信できている感じがしました。言葉ではうまく表現できませんが。でも、このことが先生のおっしゃられる「術」なのだと思います。

先生から発信する気が電波となって、私の皮膚が感知して細胞に届き、その細胞が共振して作動する。何かミラーニューロンのように、先生の細胞と協調して私の身体があたかも先生の身体のようになるので、できなかったことができるようになれるのではないでしょうか。この現象が、転移感情の同一化現象というのではないのでしょうか。間違いであれば、すみません。理屈は解りませんが、私の身体はとても喜んでいたと感じました。エネルギーが充満した状態でした。

また、人と人間は違うことも勉強になりました。人と人との間(空間)があるから人間である。この間を如何に制することができるかが大事である。そのためには、先を取って相手の喜ぶ行動を取ることがいい人間関係を築く、いわゆる間を制することであると学びました。

一人でいるのが楽で孤立することは、間無しの状態なので人間ではありません。人と人との関係は楽しいばかりではなく、煩わしいことや嫌なことや辛いことも多いです。が、これから逃げていては人間として失格です。如何に先を取って良好な間を築くことが修行だと捉えていくことが人間として生きていくことであり、戦争にならない第一歩なのでしょう。このことを、日本国民が全員で行って行かないと、日本の将来は悲惨になると予感しています。そうならないために宇城先生は、私達にご指導していただいているので何とかして宇城塾の仲間で広めて行かなければと思っております。

これからも、仲間を増やし日本を再生するために努力致します。
ありがとうございました。

神奈川 自営業 59歳 男性 RK

13:00から始まった講義の中で、14:46に黙祷を行って3.11の震災に寄り添い続けるという想いが改めて心に刺さりました。

自分を卑下することや悩んでいることが一番の横着で、「人間は凄いのだ。」、「素晴らしいのだ。」という事を様々な実証で体験させて頂きました。

常識ではありえない体験を通して目に見えないエレルギーの存在に圧倒され、謙虚にならざる得ないという気持ちに変わっていきました。
本当に参加出来て良かったと今回も思いました。

宇城先生のスピードの速さを自覚することは出来ませんが、身体には沢山の記憶がエネルギーとして残りました。言葉にすれば、心、謙虚から全てが始まりその深さが現実を変えていくと分かりました。ありがとうございました。

東京 会社員 49歳 男性 TT

宇城先生、合宿でのご指導の程、誠にありがとうございました。今回も沢山のエネルギーと希望を頂きました。感謝申し上げます。

人間は皆、可能性を持っている。可能性を自分の才能や能力とできるかできないかは自分次第。塾生でなければ、「皆が可能性を持っている」と言われても本当ですか?となりますが、我々塾生はいつも宇城先生にその可能性を体験させて頂いております。出来る自分と出来ない自分がいる訳ですが、自分には出来ないとか能力が無いとか言うのは横着だとのお話にはっとさせられました。

消極的になるのは、自信が無く、エネルギーが無い証拠ですが、エネルギーを生み出すには心が大切で、心がなければ、確かに横着になると思いました。忙しい毎日ではありますが心を亡くさず、忠、念、忍と常に心のある行動を取りたいと思います。

また、宇城先生には常に本物、本質を示して頂いております。あとは良くない頭でどうのこうのと考えるのは辞めて、毎日の稽古と宇城先生の教えを日常で実践するしかないと思います。やればやるほど幸せになりますので、縁あって一緒に過ごす人達と共に幸せになるように、人間力を高めて精進しなければいけないと改めて感じました。
引き続き、ご指導の程、よろしくお願い申し上げます。

神奈川 パイロット 57歳 男性 TK

合宿を通じ、エネルギーの存在を自分達の理解できる形にして見せていただき、また体験させていただいたと感じています。自分達の知っている世界では、力の優劣や相対的な力の概念しかありません。
そこには全体として幸福に向かう道は示されることがありません。

勝ち負けにこだわり、ひいては勝つために不正を生むような歪な形の(幸福を装った)自我が存在するだけです。そこから脱却する道筋を示していただいたと思っています。

しかし、実践を通じた体験の中でも、日頃の癖が出てくることがあります。
力を入れなくてもいいのに、無意識に力を入れてしまう。
また、そのまま動かせばいいのに勢いをつけてしまう。

エネルギーの満ちた空間にいるので、それでも結果はついてきますが、ぎこちなさが残ったり、不自然さが出たりします。自分達の癖が如何に強固であるかを理解できた気がします。
その様な癖は、無意識に出てくるので、意識では直すことが出来ないのだと思います。

日常の行動、そして自分の心の働きを直していかないといけないのだと感じました。
ありがとうございました。

大阪 介護福祉士 63歳 男性 HN

宇城先生ご指導有難うございました。
全国の塾生にお会い出来て本当に楽しいとても実のある合宿でした。
震災から12年3.11を体験させて頂き仙台道塾の塾生の挨拶を聞いているうちに何か胸から込み上げてくる思いを感じました。

実践では、知識「学」では無く「術」心の態度で瞬時に変化を起こさせる。それを感じとれるのは自分で体感し出来る自分があることを実感すること。

本当に今の自分は、人は人、自分は自分に成り下がっていることも分かっていない状態だと思います。孤立して一日をぼーと過ごしている毎日です。

少しでもそこから脱客出来る様、電波を感じれるまた電波の出せる人間(じんかん)に近づいていけたらと思います。今回も沢山の実証を、体験をさせて頂き自分の身体で体験することでそれを観察出来る。本当に自分も出来る身体になれる身体が有るのに直ぐに頭で考えてしまう。型(サンチン)うまい下手では無くどれだけ自分が型を信じているか、どれだけ真剣に取り組んでいるか、一つ一つ丁寧にすることで身体が熱く感じました。

それがエネルギーか!先生から沢山のエネルギーを頂きまた地球からと宇宙からも沢山のエネルギーを頂いている事に感謝をすることで、自分自身謙虚になる事と寄り添う思いをとっさに行動に移せるか、少しずつ前に進んでいきます。

宇城ファミリーとこの二日間過ごさせて頂き本当に有難うございました。
これからもご指導よろしくお願い致します。