東京・大阪・仙台・熊本・岡山・名古屋 特別合同合宿 (2022.9.3-4)

東京 会社員 59歳 男性 YK

この度も数々の貴重で内容の濃い講義と実証をありがとうございました。

ここ数年のコロナ禍で、坂道を転げ落ちるかのような日本の凋落と、酷過ぎる政府の対応に唖然とし、国民を全く顧みず、平然と嘘をつき、売国行為に勤しむ政治家に絶望感さえ持っておりました。私には高校生になる子供がおりますが、「この子が大人になる数年後は果たして日本はどうなっているのだろう?」以前先生が仰っていた「日本人は絶滅危惧種」という言葉が現実味を帯びている昨今、不安な気持ちを抱いての参加でした。しかし今回の合宿ではお陰様で、多少なりとも希望を持つことができました。今回のテーマは<人間の可能性を体験する>でしたが、普段の道塾とはまた違った体験を驚きと感動の思いで、させていただきました。

空手の未経験者が壁に張り付いた状態で、空手の有段者が突くという実証で、未経験者が有段者の突きを防いで、逆に有段者を突きで吹っ飛ばすというシーンがありましたが、これには度肝を抜かれました。空手の未経験者が黒帯に勝るとは常識では考えられません。途轍もない力が人間には宿っていることを目の当たりにし、感動すら覚えました。またある方がボールを投げる実証で、ちょっとしたアドバイスでまるでボールの威力が全く違ったものになることも衝撃的でした。人間には本当に素晴らしい潜在力があると。

2日目の講義で、音楽の波動によっても人間が反応して、その潜在力を発揮するという実証も新たな驚きでした。秋川雅史さんの「千の風になって」やスーザンボイルの歌声などを人間の体が感じ取って強くなる。また1+1=2の絶対値では体が強くなり、1個+1個=2個が必ずしも真実でなく、逆に弱くなる。真実にこそ体が強くなる。体は真実は何かを知っている。真実の波動に体が反応しているのだと思いました。

他にも人差し指や手の甲に息を吐きながらの呼吸法で、片方の腕を掴んだ人を力を入れずに崩すことが出来たり、サンチンの型の応用の形でも同様のことが出来たり、自分にもこんな力があるのだと、まさに驚きの連続でした。

特に感銘を受けたのが、小柄な女性が四つん這いになって両腕を掴まれ、さらに両腕を掴んだ後ろに数十人が数珠繋ぎになり、女性がその数十人を引きずって前進するという実証でした。こんなことも常識では考えられません。先生は「先頭にたつリーダーはこうでなければならない」と仰ったと記憶しております。

また先生は「これからの日本は、戦いの戦国時代から平和な江戸時代に変わったようにパラダイム・シフトしなければならない」とも仰いました。私はここに希望を感じました。女性が数十人の人間を引きずるなんて常識では不可能です。しかし実証では可能でした。パラダイム・シフトの可能性がここにあると思いました。

しかしながら、私自身は心もとない状態でもありました。いくつかの実証では色々と考えてしまい、意図された結果が出ないケースが多々ありました。恐らく意識が先走って、呼吸が止まったり、居付きが生じていました。先生は「何もしない、ここ居ない」と言いながら数々の技を実証していましたが、私は逆に「何もしない、ここに居ない」という意識を強くしていました。「心なし」の状態でした。執着や思考のクセや横着さがまだまだ抜けていないと痛感しました。

6人にスクラムを、病人役の人に寄り添った後に押すと崩すことが出来ますが、2回3回と繰り返すとだんだん難しくなるということも見せて頂きました。これは単にエクササイズになっているからだと。このことから、いかに普段の日常での行動が大切であるかと肝に命じました。

今回の合宿では数多くの驚きと感動を頂きました。「構えあって構えなし」「剣の極意は真心」というお言葉もとても印象に残っております。またそれ以上に自分自身の問題点にも気づきを頂きました。これからも精進し少しづつでも成長し変容して参ります。

本当にありがとうございました。

静岡 農業 40代 男性 YF

今回の合宿、自分は数年ぶりの参加となりました。合宿でしかお会いする事のできない全国の仲間達と顔を合わせるのを楽しみに、そして道塾合宿でどのような世界がそこで繰り広げられるのか、ワクワクが止まらない中での参加でした。

結果、最初の1時間もしないうちに、数年ぶり、というブランク?のようなものも、一瞬で埋まってしまい、また今まで以上に身体、細胞を通した検証による感度の鋭さ、そして何よりもそのエネルギーを感じ、参加前の自分とは、価値観も、考え方も、全て今までから変化し、気づけば自分自身に途轍もないエネルギーが流れていました。毎回、本当に毎回、先生の御指導は、空手も、講演会でも、そうなのですが、毎回、人生の中で最高の体験、経験をする事が出来ます。それは日常や常識の中にいたら、一生、することの無かったような経験、体験ばかりです。今回の合宿も、本当に参加する前と後では自分の変化、ものの見方がハッキリと変化したのを感じますし、またそのような気づきも本当に多々、感じる事ができました。

今回も様々な検証をさせて頂きましたが、手が壁に見立てて立てた机に、くっ付いて取れなくなり、しかし、相手から身の危険を察知すると瞬時に動く、という検証の時に、自分はフルコンのクセが未だに抜けず、うまく感じる事ができませんでしたが、その立てた机を抑える側になった時に、机の前に立つ人の手がくっついた時、その机を抑える自分の手も机にくっ付いて、動かす事ができなくなっていました。これも、その場、空間が変化している、という事だと思いました。

また、寝た状態で先生に気を入れて頂き、手が固まった状態では、動かそうと身体に、手に力を入れれば入れる程、筋肉がこわばってしまい、まさに自らの意識、力で、自分の身体を雁字搦めにしているのだと。しかし、相手から危険を察知すると、その瞬間だけは、目がカッと開き、腕や足が動かす方向が自然と分かり、動き、相手を投げ飛ばしていました。そしてその相手の処理が終わると、また身体がこわばってしまい、動けなくなり、このような事が有り得るか?と本当に常識を超えた感覚、状況を体感させて頂きました。またその固まった身体も、先生に触れられると、今までの固まり方が嘘のように、柔らかく、力みも全くなく動きました。ガッチガチに固まった状態から、先生に触れて頂いた部分、手、や足、のみが異様に柔らかく、その本当に不思議な身体の変化の感覚は今考えても本当に有り得ない身体の状態だったと思います。

これは筋肉の固まった言わば「硬」の状態の身体(厳密に言えば先生に気を入れて頂き、固まっているので、怪我もしなく、この状態は「剛」と言えるのかもしれませんが、自分では動ける状態ではないので、自分的には「硬」なのではという事にして)この状態に「柔」が入ってきた状態なのではと思いました。武術では「剛」と「柔」はある言葉ですが、それを他人に、その状態にする事などは、昔の達人と呼ばれている先人達の逸話やそれこそ物語でも、聞いた事がありません。強いて言うならば金縛りの術などがそのような事であったのではないかというくらいで、恐らく史実でも史上初めての体験ができたのではと思い、その事に驚きと感動が止まりません。

また机の上に置いたiPadを回すと、遠く離れた机を手で持って浮かせている数人の塊りが、そのiPadを回す動きに呼応して回りだす、という検証では、自分がそのiPadを動かす、その動作と、遠くの数人と机が動くその動きが、明らかに連動している事を感じる事ができました。これも、本当に例えば、車の運転でハンドルを右に回せばタイヤが右に回り、車も曲がる、というくらいのレベルでの手ごたえというか、そのくらい確かな感覚を感じました。またそれと同時に、空間が繋がっている、切れていない、その空間が途切れてしまっていない、という感覚も実際にその場にいる事で感じる事ができ、これも本当に常識では絶対に、このような事を感じる事など無いだろうなと思いました。そしてその空間も何だか心地が良いというか、包まれているような安心感のような、実際には温度が上がった、というような事は無いのだとは思いますが、何だかあったかいような感覚がありました。これも先生の気=心がその場で働いたからなのでは思いました。

このような事実からも、言葉では心があったかい、というものがあるにも関わらず、それが一体どういう事なのかを追及する、しようとする人間が一切、近代の日本にはいなかったのだと思います。そしてそのような日本人の持つ文化を、現代において宇城先生が初めて、真に科学的な検証で実証して見せられたのだと思います。心があったかい、という事も相手に寄り添う、で自分にも、相手にも数人のスクラムを押してしまうくらいのエネルギーが生まれていて、それにより細胞が活性化するので、それが「あったかい」の現象の原理だと思いました。

サンチンの中割れや腕受けも、「どうぞ」の動きで、それはまさしく、「心」という事だと思います。それは相手、ではなく、全て自分次第、自分の心であり、心ある身体になるのが「宇城空手のサンチン」なのだという事だと思います。

それが如何に他の相手を殺傷するだけの武道と違うかは一目瞭然だと思います。

これまでもそのように御指導を頂いていたにも関わらず、それは頭で分かった、情報が頭に入っただけで、それが出来たのではない、という事で、今回、本当に恥ずかしながら初めて、型は心、という事を身体を通して、感じる事ができたのだと。そのように思います。

ナイフを使った検証で、先生に刃物を使った組手を見せて頂いた時に、今までとはまた違った感覚で身体の動きが止まりました。カバーをしているナイフにも関わらず、その危険性を身体が感じ取ったのだと思います。先生が「気づいたら腕が落ちている」と仰っていましたが、少し受けをさせて頂いただけでも、そのような事はあり得るな、と納得しました。今回は小さなナイフでしたが、日本刀ならば、その威力は言うまでもないと思います。

本当に思い返しただけでも、色々な可能性が今回の合宿により、自分の肚の奥底に詰まっている、入っていると感じます。それだけで、人間の可能性、自分のこれからの可能性、それを引き出す手掛かりとなるもの、そしてエネルギーを頂く事ができたと。そのように思います。

まだ、日常の中においても、この合宿の内容がパッと浮かぶことが多々ある事かと思います。そのような瞬間も逃さずに、先生から肚の奥底に頂いた、人間の潜在能力の、その種を、自らが育てていかなければと思います。武術は自得の世界というお話がありましたが、今の自分達は頭に情報が入っただけで、分かった、という気になってしまいます。教育や、時代のせいであるかとは思いますが、そのような時代に、真に実力をつける、という事を学べる、学べる場所がある、そしてそこに導いてくれる師がいる事、そしてそこでは人間の無限の可能性を引き出す事を学ぶ事が出来る事。本当に感謝しなければならないと思います。その世界を身体で感じれば感じるほどに、感謝しか、それ以外ありません。

今回も本当にこれまでで一番の合宿になったと思います。この合宿で身体で感じた事、その感覚をもとに、日常でも修行して参ります。

本当に素晴らしい時間を過ごさせて頂き、そして何より、未来へのエネルギー、人生の希望を頂きました。このような今の時代、今の日本において、本当に有難い事だと思っています。

事務局、スタッフの皆様も本当にありがとうございました。またお疲れ様でした。

そして本当に毎回のように自分の眠った目、頭、身体、細胞を、これでもかと目覚めさせて下さる、宇城先生、ありがとうございました。また大変お疲れ様でした。

真に開眼した人間になり、正義の為に自分自身と戦い、人に寄り添う事のできる人間になれるよう、精進して参ります。

静岡 オーダーメイドインソール職人 31歳 男性 DM

合宿では、本来の武術とは何か、師とはなにか、勉強とはなにか、その本質を講義・実践を通して多くの学びを得ることができました。合宿の良い所は、同じ技術の深さや向上を目指す塾生様との交流ができる所です。塾生の皆様と講義を受け、実践をし、同じ飯を食べ、お酒を飲んで交流を図る。このような調和の心・寄り添いの心・共創の心で交流を図ることで自分が強くなり、自分が変化していくのを体感致しました。先輩塾生様との交流の中でも、沢山の気づきがあり、先輩塾生様の宇城先生の講義や実技を受ける姿勢、他の塾生が指導されている時も自分が指導させて頂いていると思い塾を受けなければいけない。

コロナ禍の厳しい時代において、ぶれずに逃げずに、自分の人生に自信を持って堂々と生きるには、先生の教えを自分自身に厳しく謙虚で学ぶ姿勢が、今を生き抜く原動力となり、技術・人間力の手ほどきを受けることが、日常生活や仕事の見方、考え方の奥の深さが見えるようになると確信しております。

実技では、型からいかに技をだすのか。型も力を入れると技ができない。自然の力でやることが大事で、そうすると変化に応じた動きが自然と出てきて、大人数で襲い掛かっても威力が増し負けない人間になる。これは体感した人にしかわからないすごい経験です。これに気付いた私は幸せ者だと感じました。

私も二児の父親ですが、今回学んだことを子育てにも活かし、まずは「大人か変わる」。

調和の心、寄り添いの心を子供に行動で示せる人間にならなければいけません。

今回も合同合宿に参加させて頂き感謝致します。
今後とも引き続きご指導の程よろしくお願い致します。

神奈川 会社員 56歳 男性 TK

片方の腕をつかまれた状態で、もう一方の手でダンベルを持ち上げる。その時、「持ち上げよう」と意識しないで、ただ触れる、そして、そのまま持ち上げる。
そうすると、対立が解け、掴まれた手が自由になります。
これを、ダンベルを持たずに、持ったつもりで行っても自由にはなりません。
実際の感覚の助けがなければ、また意識による行動に戻ってしまいます。

私達が日常の中で「何かをしよう」とするとき、常に頭の命令で動いていることがよく分かりました。

それ以外の方法を知らず、あまりにも当たり前に感じているため、その事実に気づくことすらありませんでした。

常に頭の命令によって行動しているため、いつも対立や摩擦が生じています。そして、このことに気づけたとしても、そこから脱却することは容易ではありません。

日常の中には、無意識による行為も多くあるとは思います。
しかし、それを自分自身で確認し、フィードバックすることは不可能です。

意識が働く前に心で行動する意味がここにあるのだと感じました。
真心からの行動は、意識が働く前に行われ、そこには対立が生まれないのだと思います。

そして、意識による行動よりも、ずっと素早いものになるのだと思います。

外見は同じような行動であっても、実際は全然違うものになるはずです。そのような行動をとれるかどうかは、日頃の生き方に左右されるのだと思います。

日常が修行、24時間修行という意味は、ここにあるのだと感じました。ありがとうございました。​

東京 会社役員 60歳 男性 TK

道塾合同合宿でのご指導有難うございました。また懇親会にも参加させて頂き、美味しい料理とワインをご馳走になりました事、大変恐縮です。本当に有難うございました。

自分達が常識と思っている事は、実は常識ではないという事を改めて学ぶ事が出来ました。何かをやろうと意識した頭からの命令による身体の動きは部分体の動きで弱く時間が止まってしまいます。先生から気を送って頂いたり、誰かと接触しながら「何もしない」と意識を消した検証の時は、信じられない様な力が生まれました。自分達にはこの部分体で身体を動かす事が常識になっており、なかなかその癖を取り去る事ができません。サンチンの型で腕を掴まれた人を投げるという検証でも、まず頭で色々考えてしまい投げる事が出来ません。また困っている人に寄り添う心でスクラムした人達を倒す検証でも1回目、2回目。。と段々出来なくなります。心から身体への命令が、徐々に頭からの命令に切り替わってしまうのだと思います。その後に先生から気を送って頂いた時は一番簡単に投げられましたが、その後に再び寄り添う心でやろうとしても全く動く気がしませんでした。先生の気によって、あまりにも違う次元を体験し、その差を身体が知ったからだと思います。

合宿での二日間、先生の大いなる気によるエネルギーを何度も体験するうちに、自分がいかに小さな殻に閉じこもっていたという事、常識や拘りやメンツなどが自分の心と身体にブレーキをかけてきたんだと感じるようになりました。いつまで自分は同じ所に止まっているのかと。この小さな我を捨て切って、先生の気のエネルギーに全てさらけ出していかないと自分を変えられないと感じました。「そこに私はいません。」という千の風になってという歌を聞かせて頂きましたが、同じ所に止まってのではなく、先に、先に動いていくという気持ちで、この自分の癖や拘りから抜け出して行き、誰もが備わっている潜在能力に向かって成長して行きたいです。先生は潜在能力が引き出されていくと、将来に対するビジョンが見えてくると仰いました。先生からの学びや体験を重ねていく事で、自分がどのように動いていけば良いのか、どう生きていくのかが見えていき、最終的には自分の本来の姿、「真の自己」というものが見えて来るとしたら、それは素晴らしい事だと感じています。

こらからもご指導の程、どうか宜しくお願い致します。

神奈川 不動産サービス業 58歳 男性 MW

宇城先生、
素晴らしい合宿に参加させていただきありがとうございました。
「そこに私はいません」という「千の風になって」のワンフレーズが、ずっと頭の中で繰り返流れています。
合宿を通して、3月に空手の合宿で「病気だから治らない」といわれた自分の「我の強さ、自分勝手さ」を修正するためのヒントをいただけたように感じています。簡単には治らないと自覚しているのですが、いつまでも過去を引きずっていてはいけません。
「そこに私はいません」それが頭ではなく、身体を通しての実体験ではじめて理解できるとわかりました。
自分を無くすと頭で思っていても、力んでしまいます。
しかし、人に手を触ってもらったり、自分が人や物を触っていると、無くす感覚、消える感覚になったときに自由に動ける瞬間があることがわかりました。先生が気を通して、ゼロ化の感覚をわかりやすく教えてくださっているのだと思います。
また、音楽のもつ波動の不思議さ、その波動を認識して使い分ける先生の凄さは感動的な驚きでした。
見えないエネルギーを見えるように、わかるように伝えていただいている先生のお気持ち、常に少しでも、私たちに理解、体感できるように工夫を重ねていただけるのは本当にあり得ない、有難さでした。
まじめと真剣、間を締めるという本来の意味でまじめに人生に取り組まなければならないと強く感じました。

二つの机を立てて並べて、壁代わりにした実証ではあらためて人間の潜在能力の凄さを見せつけていただきました。
先生の気で、貼り付けの刑を受けているように、背中を壁につけて片手を上にあげたまま、手の甲側が壁にくっついて離れない状態の方が、前方から攻撃をされると動けないはずなのに、無意識に突きを払いのけることができる。
気を通されている身体は、身の危険を感じると本来の力を発揮する。
今までも、ただ不思議だと思っていたことでしたが、気で動けない状態でも、他の人につかまれると投げることが出来ること。
これも、気を通されると細胞が本来の力を能力して、身体を守ってくれているから力を発揮できることなのだと納得しました。

我々の身体は、自分の身を守る能力を持っている。しかし、危機感を感じないと普段はその能力を封印したままになっている。
一方で、現代日本は危機感を感じないで、平和ボケしている。国際社会で自立できずに経済的にもどんどん地盤沈下していく。
まずは、時代認識、プロパガンダやマスコミの偏った報道だけでなく、自分でも情報を見極めるように勉強しなければならない。
そのうえで、賛成、反対ではなく調和をすることで、本来のエネルギーを発揮しなくてはならない。
宇城先生が、ずっとおっしゃっている「調和と融合」の必要性も社会生活の上でも感じ始めています。
調子が悪くてうずくまっている人に、「大丈夫ですか?」と寄り添うとエネルギーが湧く。
複数の男性のスクラムを押し倒せる力が湧く。俺が俺がと我が強いとまったくスクラムは微動だにしない、というかかえって強固になっていく。
仕事もその程度、型をみればわかる、という意味を僅かながら理解し始めました。最近も、我を通し自分の考えを主張して、仲間とうまくいかないことがあった経験を思い出したからです。

また、個人個人が力を発揮することが出来るようになるためにも、真剣に日々を過ごさなければなりません。
宇城先生が毎日布団の中でも寝たままで型をやり、基本稽古をやり、さらに起き上がってからも再び型をやる。絶えまない自己研鑽の継続の結果を私たちにご提供いただいているとわかりました。
無意識のうちにも技が身についているから、いつかない動き、さらには動かなくても思うだけで、異次元にエネルギーを生み出してその時空までを操ってしまう。本当に凄すぎます。凄い凄いと喜んでいるだけでは勿体ないので、今朝から、というか昨夜から、布団の中の型と基本の稽古も開始しました。寝たままで、型をやると、「あれ?次はどういう動きだったっけ?」と思い、いかに惰性で型をやっていたのかにも気づかされました。

宇城道塾のサンチンは開手で行おうという先生のお言葉もとても嬉しく感じました。
その理由も2つあります。
ひとつは合宿で、ご指導いただき、拳を握って行うサンチンよりも、気持ちが良く感じたこと。
さあ、どうぞ、仲良くしましょうという動きが現れているように感じることです。
空手で行う拳を握るサンチンと道塾で行う開手のサンチン、陰陽のサンチンを教わったような、二刀流の武器をいただいたような嬉しさがあります。
もうひとつは、今回から着用させていただいている新しいポロシャツのシンボルマークが、宇城先生のサンチンをイメージしたものだと伺ったことです。同じ部屋のSさんからこのシンボルマークをデザインしたエピソードなどを伺い、その真剣な取り組みにも感銘を受けました。
このマークのイメージにもピッタリくるのが開手のサンチンだと勝手に思っているからです。

今回、道塾の合宿は久しぶりだったのですが、全国のお仲間と語り合い交流できる機会というのは、やっぱり何物にもかえがたい経験だと実感しました。同じ部屋の皆さんとのお話、懇親会で20年以上前から宇城先生に学ばれているY先生にお話を伺えたことなど、合宿でなければ味わえない経験をいたしました。帰りの電車でも同じ方面の方々と合宿での学びなどについて話しながら帰宅したので、乗車していた時間がとても短く感じました。

本当に素晴らしい合宿を経験させていただき、感謝申し上げます。
今後ともご指導のほど宜しくお願い申し上げます。

福島 会社員 60歳 男性 MO

今回の合宿も宇城先生から、たいへんなエネルギーをいただき元気になりました。

初日の講義実践では何もしない事の実践検証でした。相手に腕をつかまれてその腕を下げる。通常では相手と衝突し下げられません。しかしつかまれていないほうの腕を動かすと、つかまれている腕を下げれます。つかまれた腕から意識が消えるからです。だから、何もしないで下げる。これができません。何もしない、何もしないと考えてしまいます。この頭で考える癖。日頃損得を考えて動いているからです。身体が先の行動を日常で実践しないといけません。

2日目は、呼吸の稽古から入りました、片腕を相手につかまれて動かせませんが、人差し指を前に出し息を吹きかけるように吐くと、つかまれて動かせない腕を簡単に動かせました。次は片腕を2人の相手につかまれて、人差し指に息を吹きかけても2人につかまれた腕は動かせません。しかしつかまれていない腕を伸ばし、手のひらを開き手のひらに向けて息を吐きますが、息は前に吐かず下に落とす。この宇城式呼吸法だと2人につかまれた腕を下げれます。宇城先生からは、皆さんは呼吸が止まっている。だから脳への酸素供給量も減るから、正しい思考もできない、考えることができなくなっていると言われました。
 正しい考える力がないから、マスコミの報道を鵜呑みにし、本質を見ることができなく、奴隷化させられてしまっている庶民になっている。もう1つの実践検証は腹が痛くうずくまった人に大丈夫ですかと寄り添う事で 、数人で組んだスクラムを崩せてしまう。寄り添われた人もスクラムを崩せるエネルギーの伝播、しかし、これも3回でエネルギーが切れてしまいます。だから日常での実践が大事であると、寄り添う心の実践、そして愛であると宇城先生は言われました。

昔の侍は、呼吸も心も出来ていたと宇城先生は言われます。 現代はどうでしょうか。荒んだ心無い事件がなんと多い事か。子供は親の背中を見て育つと言います。親とは大人です。自分達大人がしっかりしないと、本当にこの日本はダメになってしまう。今回の合宿で、強く思ったのは自分達の日常での実践、心から弱者に寄り添う事の日々実践です。 ダメになっている日本でも、正しい美しい心の灯火は、灯し続けたいと思います。 ありがとうございました。

福島 公務員 53歳 男性 HO

宇城先生
全国から集った大勢の塾生の皆様

熱く、激しく、楽しい合宿をありがとうございました!
心の底から、身体の中心から元気になりました。

今回の合宿では、人の本質「調和」と実生活での実践の重要性を強く感じました。
調和の生み出す場の雰囲気が人をいかに強くするか、常識では推し量れない潜在能力を発揮する検証をいくつも体験させていただきました。

これらの検証が指し示す、人の本質が調和であるという事実を素直に受け止め、実生活において、人に寄り添う心を持つこと、調和の場を作ることを実践することが何よりも重要なのだと感じました。

長年、常識という名の非常識にどっぷり浸って生きてきたため、己の思考の癖を修正することは難しいですが、宇城先生のご指導を常に己の中心に置き、日々心がけて精進いたします。

素晴らしい合宿をありがとうございました。

大阪 教員 女性 YS

久しぶりの参加でしたが、楽しくて楽しくてあっという間に2日が経ってしまいました。

今回一番心に残ったのが、何度も先生の言われた
「私はここにはいない」
という言葉でした。

先生は、ユーモアを交え、歌も聞かせて下さりながら、今ここに身体はあるけれど、心は先にあり、ここにずっと居着くことで、本当に持っている潜在的な力を発揮する事ができなくなっていると、繰り返し繰り返し色々な体験をさせて下さりながら教えて下さいました。

例えば握手ひとつとっても、先に出した心の入った握手の力の強さ等、明日からでもすぐに実践できる事も沢山教えて下さいました。

自分が体験させて頂き、自分の身体の変化に自分で気付く事ができるのは、本当に大きな学びでした。
又新しい自分の力に気付いて、子どものようにまっすぐな笑顔になられる塾生の方々からもたくさんのエネルギーを頂きました。共に学ぶ仲間の中にいられる事を幸せに感じました。

昨今の円安、未来をみない政治等、日本はどうなってしまうのだろうと、漠然とした不安を持っていた私でしたが、その不安、怖れがより力を失う元となっている事を教えて頂き、悩んで縮こまることなく、宇城塾に学ばせて頂いている者として、堂々と前に前に進んで行きたいと思いました。

合宿に参加させて頂き、たくさんの教えと喜びを頂きました。
ありがとうございました。

愛知 教員 49歳 男性 TU

この度の合宿では、2日目の午後に宇城先生が仰った「生きる力」と「助ける力」が大切だとの言葉がすごく胸に突き刺さりました。

まさに、この2つの言葉は両輪の如くであり、先生に教えていただいた戦国の世から江戸時代へのパラダイムシフトと重なります。

そして、お話の中から、戦国の殺人の世から活人の世へなっていったことや、士農工商のなかでの武士・農民の役割、物を破壊せず大切にするという生活ぶりの約270年間を築き上げた先人らの知恵をうかがい知ることができ、日本の精神文化の崇高さ学ばせていただきました。

しかし、昨今の日本の現状はどうでしょうか。

先生が仰る、「リーダらの嘘や金儲け、忖度」、そして、この下での「間抜けや居着き」が常態化し、資源自給率11%、食料自給率38%に「先」を掛けた手をうてず、そのしわ寄せはすべて弱い立場の者へくることに怒りさえ覚えます。

この状態に、「待ったなしではなく、待ったを過ぎている」とのお言葉もありました。

そして、今回の合宿では、先生から「日本の存在までも含む」というかなり強いメッセージを受けとらせていただきました。

これからは、数々の実証から人間の潜在的にある可能性を経験した自信から、今までの常識を常識とせず、視野を大きくして、今回の「2022年伊豆夏合宿が始まり」と決心し教育活動にあたっていきたいと思います。

最後に、初日には「寄り添うには度合いがある」ことも教えていただきました。
私自身、この度合いの深さはまだまだと痛感しております。
生きる力の中心に真心、そして、助ける力の中心にも真心をもって行動して参りたいと思います。

日頃の宇城先生のご指導に感謝するとともに、引き続きご指導の程よろしくお願い致します。

東京 会社員 48歳 男性 TT

宇城先生の教えは今の常識では全く理解できるものではなく、また頭で理解するべきものではありませんが、間違いなく宇宙の真理であり、この混沌とした世の中を救う事ができるのは、宇城先生の教えだと思いますし、そうだと信じております。信じるものがある事で、情報過多、人間味が無くなってきている社会で、迷いなく生きる事ができておりますが、とても幸せな事だと思います。

世の中の変化のスピードもどんどん上がってきており、現状維持は退歩であり、いつまでも同じところにいては駄目で、常に先に先にすすんでいかなければなりません。そのために実践する事は非常にシンプルで他者に寄り添い、自他共に幸せになるように判断していけば良い。あとは、自分がどれだけ実践していけるかどうかです。

道塾はとても居心地がいいです。宇城先生を中心に情熱ある人が集まっているからだと思います。寄り添う仲間を大切にし、輪を広げていかなければならないと最近つくづく思います。今までは輪を積極的に広げていくことに多少躊躇している自分がありました。そこには、誘うことで、宗教の勧誘と間違えられるのではないかとか、会社で変な噂が立つのではないかと内心思うところがありましたが、それは口では信じていると言いつつも実際には信じきれていないことだと思いました。自分の殻を破る。人間良いと思うものは、それは他者に伝えたくなるものです。ゴルフが好きな人が他者をゴルフに誘う。道塾が好きで他者を道塾に誘う。そこに何の違いがあるか。ただそこに我が残っていると変に伝わってしまうように思います。今の常識では考えられないことを勧めるので、我をなくし、輪を広げる事は自分が幸せで相手も幸せになると信じて実践していきたいと思います。

東京 樹木医 女性 KM

宇城先生、このたびの合宿も、温かい雰囲気のなかで、笑いながらも、これから到来する可能性のある非常に厳しい時代を生き抜くための、多くの実証体験に満ちた合宿の時間をありがとうございました。
また、コロナ以降、制約の多い状況下でのイベントに、お骨折りいただいた事務局のみなさま、そして、困難にもめげずに参加された塾生の方々にも深く感謝いたします。

先生にお礼を申し上げたいことはこのたびも数限りなくありますが、これは時空を超え、電波ですでに伝わっていることを思い、ここでは一部を書かせていただこうと思います。
コロナ以降、合宿への参加がさらに厳しくなっている塾生も少なくないと思います。ですので、そのような方のためにも、この感想文をしたためたいと思います。

今回の合宿でも多くの気づきを頂きましたが、合宿に参加することの意味についても、以前よりも理解が深まったように思います。何かを身につけるための修行には、時間がかかり、時間をコツコツと蓄積していくのが前提と思います。ですが、同時に、そのプロセスの密度を高めていく工夫も必要であり、そのためには、合宿への参加は欠かせない、ということです。

常で、常に宇城先生を思い、映そうとしても、今の自分と先生との次元があまりにも遠すぎるので、迷子になることも多々あります。先生と一緒に過ごす時間を増やさせていただくことにより、映すべきお手本を少しでもしっかりと目と心に焼き付けておく機会を多くもつことが非常に重要、というのが以前よりも身にしみるようになりました。

本よりも動画、動画よりも道塾に参加することが、先生というお手本を自分に焼き付ける助けになってくれます。普段の道塾も十分に密度が高いのですが、合宿はさらに、与えられている時間や空間の量が圧倒的に恵まれており、朝から晩まで、先生を身近に感じつつ、多くの体験や気づきが得られる貴重な経験は、言葉では到底表現できません。その密度の高さ、楽しさは、その場にいて実際に経験しないともったいないと感じます。

それを思うと、合宿になかなか参加できない環境にある塾生も、なんとか参加できるような方策を得られるよう、心から祈念しております。

また、今回の合宿であらためて驚いたことは、先生の創造性の豊かさです。長年、技術者として多くの創造をしてこられ、生きることと開発がセットになっておられるのだろうと思いますが、それにしても、実証のバリエーションは多く、そして、それらも常に磨きがかけられ、その時の必要性に応じて、どんどんバージョンアップしていくのを目の当たりにすると、驚かざるをえません。

そして、先生のこの創造性は、真剣さ、優しさに支えられたものではないか、先生ほどの真剣さや優しさがあっては、天や宇宙も応援せざるを得ないのではないか、と感じました。

今回は、「千の風になって」ほか、音楽を多用された実証も多く、音楽の波動により、出てくる動きが異なることに驚きつつ、楽しく実証を体験させて頂いたことも心に残っております。他にも次々と思い浮かびますが、全部は書けないのがとても残念です。

自分自身の気づきについて書かせていただくと、今回の合宿のテーマであった「人間の可能性を体験する」というのは、今の自分に本当に必要としているテーマであると感じました。望んでいながら、変化も成長もしないのは、自分で自分の可能性を信じられていないことにつきる、変化や成長を止めているのは他ならぬ自分、とあらためて感じました。

では、どうするか? 今回も、日常で実践できる多くのヒントを頂きましたので、それを日々やっていこうと思います。今朝は、目覚めてから起き上がる前に、空手の型げいこをし、千の風になっての「私はそこにいません」を聞きました。

自分の横着病、中途半端さ、できないことの多さを思い、途方にくれることもありますが、人間には、自分には可能性があることを今回も先生に見せつけ体験させていただいたので、あとは自分次第です。
常に、「私はもうそこにいません」と、成長した自分の姿を一歩先に見つつ、希望とビジョンを持って前に進んでいきたいと思います。

岡山 スポーツ用品販売業 51歳 男性 IS

宇城先生、この度は我々の成長のため魂に響くご指導ありがとうございました。
今回の合宿は、前回より一層塾生の方々と寄り添うことが出来、?先生のエネルギーと調和の中で学ぶことが出来たかと思います。

今回のご指導の中で、何もしない、そこにはいませんが自身の身体の中では何のしないことようにしよう、そこにいないようにしようを必死で考えている自分の愚かさを身体で知ることが出来ました。
日常、真から寄り添うことを実践し、深さを知り謙虚な心で魂まで響くよう精進して行き、私ごとですと、野球を野球道として矢面に立てる立派な選手が沢山出てくる環境をつくりたいと思います。

静岡 自営業 58歳 男性 TO

1日のみの参加でしたが、とても実りがあり、これからやらねばならない自分の課題が沢山発見できてよかったです。
つくづく、宇城塾は「身体の癖、心の癖をとる修行の場」であると痛感しました。
やはり、2日参加と1日参加の違いがはっきりと解りました。
昨日の一番最初の実技で、お相手は2日間されている塾生でしたが、相手の方の気は私の身体を貫通するような感じで簡単に私の身体は崩されました。が、私の気は全然相手に通りませんでした。
やはり、1日たっぷりと宇城先生の気を通された身体は違うと痛感しました。
それでも、だんだんと時間とともにお相手の方と同様にできるようになってきました。
治療院の関係で2日は無理でも1日だけでも参加しないと、とても進化はできないと感じております。

今回も、書ききれない程のことをご教示いただきました。
特に印象が残っているのは、
「どうしたらできるか考えるより、どうしてできなくなったのかを反省すべきである。」
のお言葉でした。
私はいつも、どうしたら宇城先生のような気が出るようになるのかを考えていました。
が、本来身体はそのような力があるのに年齢と共に身体の癖、心の癖が大きくなり潜在能力が発揮できないのだということを忘れていました。
年齢と共に生じる心身の癖。
この癖が治らないのは、私自身の問題として数多くの問題がありますが1つは常識というマインドコントロールに縛られている。2つ目は過去や今にしか視野が向かず、未来を見ていない。3つ目は修行のつもりで行なっていることが実はエクセサイズになっていて深みがないことが、先生のご指摘ではっきりしました。
自分では、真剣に生きているつもりが真剣ではなかったということです。
多分、世間の人達も自分では頑張って生きていると感じているし自己満足している方がほとんどでしょう。
でもその生き方ではダメなんだ、と検証して実証してくれている方がいないと改善は無理です。
私には、お陰様で宇城先生がいらっしゃるから心身の癖に気づくことができます。
あとは、それを実践するかは自分自身しかありません。
「できるかできぬか、できねば無意味」
「知っているとできるとは違う」
日々の寄り添う、三戦の実践がエクセサイズになっていないか検証して、今より半歩成長しますように精進して参ります。
そして、何とかして1日でも許していただけるなら合宿に参加させていただきたい存じます。