2021年 東京中上級・B 第1回(2021.4.28)

気という宇宙エネルギーによって人間は生かされているという事実を感じ取ることができました

神奈川 会社役員 53歳 男性 YO

先生の言う「人間は他の動物たちよりも弱いからこそ互いに助け合い、調和しながら生き延びてきた」というお話がとても印象的でした。そして実験で、自分が対立の状態では数人の人を引っ張ることができないのに、相手の立場に立ち調和した状態になると今度は引っ張ることができる、その事も実際に経験させていただきました。まさに気という宇宙エネルギーによって人間は生かされているという事実を感じ取ることができました。

世の政治家の多くが国民の思いに寄り添った政治を行わないがゆえに我が国がますます弱体化してしまっている、それと同じことを自分自身も仕事の場で行ってはいないだろうか。身につまされるような思いもいたしました。コロナ禍の今だからこそ尚のこと、互いに調和し合い、それによってこの難局を乗り越えていかねばならない、その思いを改めて強くいたしました。

私は日々仕事をする中で本当に多くの迷いや悩みを抱えてしまいます。しかしこうして先生の教えに触れることでその迷いはきれいさっぱり無くなってしまうのです。今回もまた道塾に来たから迷いが消えた、になってしまいましたが今後は日々の生活の中で気の力をもって自ら迷いを消せるよう励みたいと思います。

今回も貴重な教えを賜り、誠にありがとうございました。

心ありの一人革命で行動してまいります

千葉 会社員 52歳 男性 YT

コロナ禍で今年初めての道塾は非常に内容の濃い2時間でした。

マスクを着ける意味について検証した際、自己防衛の為のマスクは自分を弱くしてしまうことを知りました。
二重、三重のマスクは自分の力を奪います。
相手にうつさないという意識ではなく自分だけはうつりたくないという心が二重三重のマスクです。

1列に並んだ人たちを引っ張る検証で引っ張られる人たちと同じ位置に立つことで調和出来ることが分かりました。リーダーの在り方を再認識いたしました。
落ちたものを拾う行動と落としたものを届ける行動では、動きは一緒でも強さは違うということも体感しました。

全てに共通するのは最初に自分を置くかどうかです。
自分を思うか相手を想うかで結果が変わります。
コロナ禍で今までと同じようには過ごせなくなる中、自分の保身を考える心が強くなりがちです。
本当の力が試されるのが今なのだと思います。

人類の天敵コロナウィルスに打ち勝つ方法は人間にだけ持たされた思いやる心です。
自分を一旦横に置いて相手の気持ちに寄り添うことが出来れば調和します。
人は一人では生きていけませんし人に助けられて死んでいくのです。
明日無くなるかも知れない命をどう使うか。
心臓は自分で動かしたり止めたりする事もできず生まれてから死ぬまで休むこともありません。
広い宇宙の中で生かされていることを知れば感謝が湧いてきます。
感謝する心は周りを慈しむエネルギーになるのだと思います。

銀河の渦もDNA のらせん構造も同じ回転だということを宇城先生に教えていただきました。
マクロのエネルギーとミクロのエネルギーを繋げる調和の力。
日本人が大事に育ててきた文化です。
それを失い絶滅していくのか、踏みとどまって後世に継承できるのかを問われているのは私たちです。
世界をどう繋いでいくかの分岐点にいることをあらためて考えました。

心ありの一人革命で行動してまいります。

これからもご指導いただけますようよろしくお願いいたします。

心の威力は、本当に絶大

神奈川 自営業 59歳 女性 KF

宇城先生、充実した楽しいご指導をありがとうございました。

水曜日はどうしても仕事に穴があけられないことが多く、終わってから駆け付けると20~30分くらい、遅刻してしまいます。
昨日も到着した時はちょうど、先生のお話も終わろうとするところでした。

すぐに検証に移り、2人1組で1人が座り、もう1人が後ろから肩を押さえつける検証に入りました。

いろいろな身体の変化を感じさせていただきましたが、先ずは姿勢によって、気の通りが違う、ということ。
背中を丸めて座ると、上から肩を押さえつけられるとずーん、と辛い。
もう、耐えるだけで必死です。
孤立していて、悩んでいる時と一緒の感覚です。
でも、胡坐で腰を立てると、すっと気が通る。
気が取り入れられるか否かは、普段の姿勢一つで全く違ってくることを再認識しました。
そしてこれは、押さえている側にまわっても、気が通った時と抜けた時の違いが良く分かりました。

さらに、先生に気を通して頂くと、もっと大きな違いが出て来ました。
気を通して頂くと、肩を押さえられたまま、胡坐の姿勢から脚を前に伸ばしたり、また胡坐にしたりと、自由自在に、しかも楽に出来ます。
でも、気を外されると出来なくなる…。

先生が気で磁場のようなものをつくられると、その中にいる私たちは、どんな方向を向こうが、先生が部屋から出て行こうが、押さえられたまま自由自在に動けるのに、気を消されると出来ない…。

私たちは本当に、自分の身体が使えなくなっていることを痛感します。
先生もおっしゃっていましたが、結局、このレベルでしか何も出来ていないのだ、と…。
(悔しい…。)

気が取り込めるようになりたい!と心から思ったときに、「気を取り込むためには、心が大事である。」という次のテーマに。
それは「気」はエネルギーであり、人が喜ぶことをする、人のために動く、そういうことが自分のエネルギーを高める、ということです。

そして、その検証。
落ちているものをただ拾うだけだと自分中心で、孤立しています。
その時は上から押さえられると、起き上がれない。
でも、落ちましたよ!と人に渡すつもりになっただけで、上から押さえている人をパッと跳ねのけて起き上がれます。
今日は自分でもハッキリ分かるほど力強く起き上がれ、相手の方を投げるのにも、パッと投げることが出来ました。

心の威力は、本当に絶大なのですね。
常に人のためを思うことを心がければ、この心がけがそのうちに深層意識に浸透して、気とも仲良くなれる身体になれるのではないかと思います。

大正初期生まれだった祖父母が、「気は心」と良く言っていましたが、小さいころにはどういうことなのか、今一つピンと来ませんでした。
でも、今は「そういうことか」と。
祖父母がこういうことを口癖のように言っていたのですから、ひと昔前はまだ、「気」というものの存在が広く受け入れられていたのですね…。

そして、気を取り込むためのもう一つの心がけである、<脱対立>、<欲を捨てる>ということの検証。
数人が組んだ人の列をひっぱろうと、力づくで引っ張ると対立が起こり、自分の想い(欲)が邪魔をして列はついて来てくれない。
でもいったん列の横に並び、列の人々と目線を同じにしてから、先頭の人の手を取って、引っぱろうとせずにただ後ろに下がると、列はついて来てくれます。

これは、実際の仕事でも即出来ることですから、毎日毎日、最初はしっかりと意識して、「自転車に乗れるレベル」になるまで、身体に染込ませていきたいと思います。そして、自分で気を取り込める身体に、少しでもなっていきたいです。

あっという間の1時間半(遅刻したので)でした。
先生、本当にありがとうございました。