2020年 東京中上級・B 第6回(2020.12.9)

道塾の場は、自分の捉え方を確認できる場となっております

埼玉 会社員 53歳 男性 TY

今回も 貴重なご指導を頂き、ありがとうございました。
今回のご指導では、人間の顕在意識は全体の 5% で、残りの 9 5%は潜在意識であると教えて頂きました。

潜在意識は、後付けの知識、思考であり、生きる上での 真理は、潜在意識にある。

また、顕在意識は概念であり、潜在意識は実態とも言える。
そ の例えとしては 、自転車 は 理屈で理解しても乗れず、実際に乗り、失敗を繰り返しながら の 実践を通じて 乗れるようになる。一度乗る事が出来ると、身体に刻まれた記憶 により、いつまでも乗ることが出来ると言うものである。
正に真理を突いた教えと思いま す 。

私は、先生から頂いた 、これまでの講義により、正しい事 と、そうでない事の区別が出来るようになってきたと感じます。
特に現在進行形である、 新型コロナウイルスに関する報道、行政の対応方針などは、疑問を感じる事が多く、道塾の場は、自分の捉え方を確認できる場となっております。

また、社会人として 、 今回とても印象強く残っている先生からの言葉は「欲を超える」 の一言 でした。
今生を生きて行く上では、 経済的基盤となる 金銭的な 欲は、切っても切れないものがあります。
ただ、金銭欲に拘ると心体が弱くなることも実感しており、自身としての悩みで ありましたので、「 欲を超える」の一言に捉え方の糸口を観た思いがしました。
これからは、先生から頂いた言葉を生きる手掛かりとして思考を深めていきたいと思います。

最後に、忘れられない出来事は、ペットボトルを使った検証でした。
それは、私が両手で空のペットボトルを握るもので、先生が気を入れた瞬間ペットボトルが固くなり 、 握る事が出来なくな りました。
そして次の瞬間、先生からの手刀打ちで吹き飛ばされました。
ただ、今でもその瞬間、何が起きたのか思い出すことが出来ません。
覚えているのは、飛ばされた後の事だけです。

当日は、内面的不調が続いていた時でしたので、先生からエネルギーを頂いたと思っております。その日の帰路は、とても快調に帰ることが出来ました。
大変ありがたい出来事で、心より感謝申し上げます。

本年は、新型コロナウイルス感染症の影響により道塾開催には、ご苦労も多かった事と思います。そのような中 、毎回の心強いご指導に、多くの勇気を頂きました。
先生からの ご指導を支えとし、 これからも 精進を続けて参ります。
引続きのご指導を、宜しくお願い申し上げます。

「車のブレーキとアクセル」の話が心に残りました

茨城 会社員 52歳 男性 TK

今年最後の道塾で導入の際に先生が話された「車のブレーキとアクセル」の話が心に残りました。それは車本体があってブレーキ、アクセルが必要である。ということです。
コロナ禍でのGo toと自粛は本体の「国民への愛」があって然り。
それが無く自分の利益に走るから国が壊れていく。正にその通りだと思いました。

また、自分に対しても同様に行動と思いに本体である覚悟や真剣、愛があるのかと自問自答してしまいました。無い自分を感じました。持ちたい自分も感じました。持つ自分になります。

体験型のところでは先生の心で空気が変わった感じがしたり、その後も風のように空気が動き続けている感じがしました。
調和する心が大切なことを改めて感じることができました。ペットボトルを手刀で打つところを見たのですが塾生の方と先生のそれは全く違うことを驚きました。塾生の方のは物理的な衝撃で先生のは波動で体が別物になってしまった感じでした。

呼吸法の実践においてもレベルの深さを知ることが出来ました。その違いはどこから来るのかは分かりませんが、「他尊自信」、送られた集合写真にある言葉ではないかと思います。それは周りのひとを大きく包み込んでいく愛であり、自分を信じる強さだと勝手に思い、実践して行きます。

宇城先生、ありがとうございました。本当に行き詰りの毎日だった私を先生の言葉が心が助けてくれたのました。感謝しかありません。お身体を大切にご自愛ください。

「人が喜ぶことをする」を念頭に置き、日常の小さなことから行動・実践して参ります

神奈川 会社員 33歳 男性 NS

今回、講義のお話の中で宇城先生からHONDAの創業者である本田宗一郎の「車を動かす時に必要なのはアクセルであり、車を止める時は?」の問いに対して当然のようにブレーキだと思いました。しかし、車庫に駐車するときはアクセルを踏み駐車します。

アクセルしか付いていない、ブレーキのない車へは危険で乗ることは出来ません。ブレーキとアクセルは別々に捉えるのではなく一つであるという事。

「男と女」、「昼と夜」も別々でなく一つである。私達は、この全体で捉えるという見方ができません。すべて別々(部分)で捉えているため視野が狭く、常に衝突せざるを得ない構図となっています。だからこそ調和できる人と衝突する人の違いは、シンプルに器の大きさの違いでもあると思いました。

器の大きい人は全体が見え、相手を包み込むことができる。器を大きくするには、統一体へと変化していくしかありません。
器の小さい人は部分体。部分体は頭の命令で動く身体なため(身に付いていないため)器の形すらないのかもしれません。

一つという全体で捉えるあり方は、相手を包み込み調和の世界を創ります。相手と一つになる。宇城先生は、体験を通して常に私達にその事を教えてくださいます。

今、コロナウイルスが広がる最中、国の政策はGOTOキャンペーンを推奨し、片方では感染予防の自粛を訴えています。
アクセルとブレーキは、車という実態がありますが、GOTOキャンペーンがアクセルであり、自粛をブレーキとした時にその実態は何にあたるのか。

宇城先生の答えは「国民の幸せである」と話されました。
今の政治家で全体が見え、先生のように真の答えを持ってる人がいるのでしょうか。何のためにやっているのか、目先の利益や私利私欲で動いていると思考は浅くなり、本当に成すべきものを曇らせます。曇らせているのは何か。その原因は全て自分自身の欲にあるのだと改めて思いました。

「何かをしよう、やろう」とすると意識は相手に読まれ、自然と相手の意識に反発する反応を身体は起こします。
しかし宇城先生に対峙すると、先生からはやろうとする意識は全く感じれず(ゼロ)、透明な何かを前にこちらは完全に無力化されてしまう。

この言葉では伝えられない感知の深淵なる世界とは別で、今の学校は最初から答えがあるものを問わせて一つの答えを生徒に教え込みます。
無限に広がる方向ではなく、極めて小さい世界へと強制的に押しやるイメージです。その結果、色々な弊害が生まれていきます。

知識を優先させ、身体の体験や心を無視するため身体先にありきの子供達は、統一体から部分体へと変わってしまう。今の教育が知識優先にしたことにより人間をどんどん小さくさせてしまったのだと感じました。

一般的に健常者と言われる私達がこの最大の病気を抱えてしまっています。この病気を直していくには、部分体から統一体へと変化していくしかありません。

会社も社員を大切にする心は薄れ、株主に目がいっている。目先の利益、欲に心を奪われて本当に大切にしなくてはいけない事を見失っている。
何が本当に大切なのか、大切にしなくてはいけないものは何なのか。常に自身に問いかけていかなくてはいけないと強く思いました。

宇城先生は、欲や競争を無視するのではなく、欲を乗り越えていく事、競争原理を乗り越えていく事が大切であると話されました。
実力をつけていかなくてはいけません。事理一致の稽古と実践していくこと。今までの自分をもう一度見直し、今を変えていくしかありません。

人間としての土台である礼儀(躾)や人を大切にする心を宇城先生から学び、その上で何が本当に大切なのかを問いかけていく、真実は何なのかと自分自身に問いかけていく。
今まで受けてきた教育(今の自分)は人間の能力の5%にも満たないこと。自分のなかにある95%の世界へと移行し、潜在能力を引き出していく事。

先生が開発で取り組んでいた時の姿勢は「品質を守る」とかの次元ではなく、自分に任せてくれた人に迷惑をかけない、裏切らないという次元の大きな視野で仕事に取り組んでいたと話されていました。小さな部分に目が行くのではなく、全体のその先、その先、その先の事まで考え、大きな視野で物事を捉えている。見ているスケールの大きさが違う。見えている世界が違う。
先生のお話を聞き、今の日本人がいかに小さな人間へとなってしまったかをより一層痛感致しました。自分の目先の利益、欲で動いているからこそ人間が小さくなる。
自己中心、自分の事しか考えていないから人間が小さくなる。先生の教えにある「人が喜ぶことをする」を念頭に置き、日常の小さなことから行動・実践して参ります。そして24時間稽古を心掛け、事理一致の稽古と実践を通して自分を変えていきたいと思います。