2021年 東京中上級・A 第2回(2021.3.31)

調和の時空を体感した2時間

東京 自営業 52歳 男性 KM

驚く程あっという間の2時間でした。
まさに途切れない時間、調和の時空を体感した2時間でした。
理想の人間関係の体験だったと思います。

宇城先生に導かれ、素晴らしい場が出来上がりました。見事な一体感。笑顔、笑顔、笑顔。
寄り添う心とは、こう言うことか。先生はいつも先に先に示してくれる。身体が知っているので、時間が言葉を産み、意識することができる。心からの感動です。本当に誰も200%信じないと思います。それくらいかけ離れた異次元のような世界だと思います。だけど正真正銘、現実の世界です。

実はこのところ目に見えて現実が良くなっている事を実感しています。自分はもとより家族も驚くほどです。もしも、もしもこれが「自分が変われば周りが変わる」だったらと、夢のような心地です。自分のスピードを感じています。言葉が中から湧き上がってきます。身体と頭の調和でしょうか。先生の言われる通りだと思います。人は変われると思えます。頭でなく心に気に従う、動かされる。自分で無い何かに動かされる。不思議ですが本来、人間はそいいうものなのか。こんな感覚を知ることが出来て本当に幸せです。心からの喜びです。一生をかけて身につけたい思いでいっぱいです。次回もご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

とにかく、実力をつける

神奈川 自営業 58歳 女性 KF

先ずは、昨日は「気」は潜在意識にある、ということの実感と、先生のおっしゃる「身体脳」ということが自分の腑に落ちた、ということが、何と申しましても嬉しかったです。
「気」によって私たちが崩されるとき、「意識」ではどうにもならない。
「頭」は本当に無力である、ということを昨日は何だか、とても良く納得出来ました。
95%の身体での「潜在意識」を磨き、「気」を受信できるように「身体脳」を開発する努力をして行きたいと思います。

そして、もう一つ腑に落ちたことは、「時間を止めない」ということでした。
私たちは、すぐに「自分が」「自分さえ」と考えることが癖となって、それが時間を止めて孤立を招いている。
今まで、何となくそのことを頭で理解していたつもりになっていたものの、自分のどういう状態が「止まっている」のかさえ、良く分かっていなかったのだな、と思います。
その時間の繋がりの理解として、先生が鉛筆を「肥後守」で削ることと、鉛筆削りをただ回して削ることの違いで説明してくださったときに、
あ、そうか、と思いました。
それは楽をしない、横着をしない、ということとも繋がって行くのだな、とも思います。

そういう時間の連綿とした繋がりの中で、落ちているものを拾う時、相手に渡してあげる、という「心」と「時間」の繋がりを絶ち切らない。
ケーキを切って、大小があったら、大きい方をパッと取って相手に渡してあげる。
その心の発動と行動が自分のエネルギーを大きく育ててくれる、ということを、今日は良く納得が行きました。

そして、人の列を棒で押すときに、力で押すと「点」になって伝わらない。
先生は確か「手の内」とおっしゃっていたように思いますが、「気」の通り道に従うような「気」の力で先生が押すと、列を組んでいた皆さんには一瞬でその「気」が分かったようでした。
「点」ではなく「線」さらに「面」…。
「気」は広がりをもって一瞬で伝わって行くことが実感できました。
せめて、力に頼る「点」から、何とか脱却したいな、と思います。

また、目の見えない人の地理の認識と、目の見える私たちの、視覚に頼った認識との違いのお話も、衝撃でした。
視覚に頼った目の見える私たちは、固定した視点のおかげでものを平面でしか捉えられない。
でも、目の見えない方々は、身体で地形を捉え立体的に捉えることが出来る。それだけ私たちは身体感覚を使えていないのだな、と。

このコロナ禍において、マスクが義務のようになっていますが、マスクを外しただけで、相手を投げることが出来ていたことも驚きでした。
マスクをしただけでレベルが下がってしまうのは本当なのだ、と。
今やマスクがマナーになっているので、なかなか人前では外せませんが、マスクに頼る考えは絶対にするまい、と思いました。

最後に、先生がおっしゃっていた、「とにかく、実力をつけよ!」ということを心に置いて、毎日を過ごしたいと思います。
人の目や評価を気に掛けることなく、とにかく、実力をつける。
そのつもりで日々真剣勝負をします。

いい意味で自分を疑っていくことから始めなければならない

神奈川 パイロット 55歳 男性 TK

昨日の講義の中で「視点」についてのお話がありました。
「目の見えない人が世界をどのように見ているか」という事を、きちんと考えたことはありませんでした。
正確にいうと、目の不自由な人は聴覚や触覚を通じて、私達が目にしている世界を作り上げているのだと想像していました。
つまり、「違った方法で自分達と同じ世界を見ている」と漠然と捉えていました。

しかし、よく考えてみると、これは非常に傲慢な考え方だと言えます。
自分の見ている世界が唯一無二の世界であるという前提に立っているから、そのような考えになってしまうのだと思います。
視覚を通さずに形成された世界は、自分たちの見ている世界とはかなり違ったものになっているかもしれない、という想像力すら欠けています。
自分達は、まさしく、ただ一つの視点から、この世界を自分の都合のいいように切り取って見ているに過ぎないのだと理解できました。

先生のご指導を受ける際に大切なこととして、今までの常識を捨てるということが挙げられると思います。
そして、自分ではそのように気を付けているつもりです。
しかし、実際は、その捨てるべき常識について「気付いてもいない」ということがよく分かりました。
まず、その事実を肝に銘じ、いい意味で自分を疑っていくことから始めなければならないと感じました。