2025年 大阪・B 第2回(2025.4.15)

先生の見せてくださる異次元の世界を、不可能と思うか、近づきたいと思うか

大阪府 歯科衛生士 女性 H.N 

貴重な学びの機会を与えていただきまして、ありがとうございます。

「知の入り口は身体である」というお言葉が印象的でした。日常生活で無意識に対立している私たちは、自分中心(思考中心)の行動を繰り返しています。これは、今まで「頭で考えてから行動する」という癖を身につけてしまったためだと思いました。

まずは身体で感じ、身体で気づくことを繰り返し、今までの頭の命令(欲)を消していかねば、次のステップへは踏み出せません。道塾・実践塾で師に触れる機会、師に直接学ばせていただける機会を最大限に生かし、身体が気づき目覚める感覚を大切にしていきます。

今回も「参加しなければ、見ているだけでは分からない」と何度もお声をかけていただき、学校教育で身に着けてしまった受け身の学び方は、まったく意味がないことを痛感いたしました。

思い込み、決めつけを払拭する検証の一つに、腕相撲があります。女性だから、体格が違うから、などという言い訳は全く通用しない。統一体という身体になれば、難なく倒すことが出来ます。今回も、何人もの女性が腕相撲で男性を身体ごとひっくり返していました。

これらを経験することで、「自分で統一体に近づきたい」という思いが湧いてきます。いつまでもマジックを見ているような捉え方では何も変わりません。自分が変わりたいのであれば、一歩踏み出さなくては変われないことを、今回の道塾で強く感じました。自分の中にある可能性を、わずかでも引き出すことができれば、周りも変わると思えるようになりました。

先生の見せてくださる異次元の世界を、不可能と思うか、近づきたいと思うかで、今の生き方はまったく異なります。決して架空の世界ではなく、実際に体験させていただける実在の世界です。

ただ、あまりにも難解すぎて思考がついて行かないことはありますが、自分だけでなく、これからを生きていく子どもたちを守ってあげたいという気持ちが後押ししてくれます。「自分が変わりたい」という思いだけでは変われないと思います。「守るべきものを守りたい」その気持ちを大切にしたいと思いました。

本来自分の細胞が持っているエネルギーを、全く活かしていない

兵庫県 会社員 60代 男性 H.K 

今回は、ひたすら先生の気のエネルギーが自分の細胞に与える驚くべき力を体験させていただきました。ありがとうございます。

中でも、腕相撲で自分の力の方が優位な相手に逆に押し込められた時、また誰にも押されていないのに先生の投げた気で押し込められた感覚は、体験しないと分からないものでした。力を入れれば入れるほど、負けてしまいます。

翌日、腕相撲の格好をしてみると、その時の感覚が身体に残っているのか、同じように空気相手に負けてしまいます。これは自己暗示なのか、身体の記憶なのかは自分でも判断できません。ただ、左手でやるとそのような結果にならないので、感覚が残っているのだと思います。

本来自分の細胞が持っているエネルギーを、全く活かしていない。先生が「全然仕事をしていないのに給料もらっているのか!」と仰るのも、もっともです。

道塾生の1割でも気のエネルギーにアクセスできるようになり、自分の周りに拡げていくと、日本も変わると思いますが、それはとてつもなく難しいことです。

日本の武士(人民も)の本来の心は「正々堂々」である。孫子の兵法は中国から渡って来た輸入品であるというご説明、日本人として誇りに思います。江戸時代前の歴史を読んでいると、有力貴族や大名の権謀術数を駆使する姿が当たり前のように考えていましたが、恐らく芯のところでは真心が宿っていたのでしょうね。現実に生きていく上では非常に難しいことですが、それを現代に活かしてこそ、祖先を敬う行為になると思います。

農業は利益を上げるものではない。自然を観察・理解する機会であり、米作りは日本の心であり、経済原理で片付けてはいけないという御言葉に深く同意します。食料自給率の問題もありますが、日本では、徴兵制ではなく「徴農制」を敷くべきだなと思います。

自分の中に確信を作っていかなければ、エネルギーや変化は起こせない

京都府 中学校教員 40代 男性 H.A 

全てはエネルギーがなせる技。エネルギーが大人は枯渇していて、逆に子どもたちはエネルギーがあるからこそできる。

エレベーターで急いでいる人に対して「なんやこいつは」ではなく、「何か急ぐ理由があるのか」と寄り添えるか、それとも自分中心で考え相手のことを思わないか。その度にエネルギーは消えていく。

大人が何が駄目なのかが、今日の講習会でよく分かりました。そして何故大人は駄目なのかも、感じることができました。

宇城先生が何度も実践される、あり得ない実証。腕相撲で女性が男性に勝つ。指一本で力が抜けて倒される。その捉え方、感じ方も、大人と子どもではまったく違う。

塾生の方が、自分で写真を撮って行った実験。「ありがとう」の声をかけると成長して、声を掛けなければ枯れていく。先生が仰ったように、日本の第一次産業が衰退して危機的状況にある。その中で最前線に立って行動を起こす藤松さんの姿。言葉ではなく、行動というエネルギー。

何が大切か。それは間違いなく「愛情というエネルギーある行動」です。それは植物のみでなく、当然人間も同じで、やはり愛情を感じるから成長し、それが循環していく。

第一次産業が衰退していくことは、命を守るという根本、「食」さえもないがしろにされ、根本がもう既に日本は危うい。本来、政治が本当の意味で下支えしていれば、こんなことにはなっていない。

「教育が悪いから」「政治が悪いから」と言っているだけでは、エネルギーは出ない。その中で、どのような行動を日常で実践するかということを強く感じました。

塾で先生が仰る危険信号、様々なサイン。それを踏まえて、どう自分の未来を変えていくか。挨拶一つとっても、胸から光を出してやるのか、目が引っ込んだような挨拶をするのか。その先の結果は全く違う。

それを「違うだろう?」ではなく、自分で立証していく毎日を送らなければ、ここでの学び、先生からの視座は全くもって意味がない。何より、聞いたことは自分の信念にはならない。

宇城先生を鏡にしてこそ、師から学ぶ。師を映すが、実現する。エネルギーは人間が生まれ持っている力。それを宇城先生に見せてもらい、感じさせていただいた。

明日からの毎日という実証実験を行う中で、自分の信念が試され、自分自身の求めるものが、見えたり、体験したりする。それがなければ、何も学んでいない、何もしていないに等しい。

できる人が前に立つだけで、できる。できない人や信念のない人が目の前に立った時に、迷いやブレが生じる。自分の中に確信を作っていかなければ、エネルギーや変化は起こせない。自分の今が改めて見えた、そんな時間でした。ご指導ありがとうございました。