2024年 大阪・B 第1回(2024.2.13)

頭脳で何でも現象を理解出来るという思い込み自体が、人類の思い上がり

兵庫 会社員 64歳 男性 YK

先生が最近よく諭される、「数学1+1は意味が無い。1個のミカンと1個のリンゴは足しても2個とはならない。」の真意は、二つあると理解しました。一つは、抽象的な哲学では意味が無く、それが実用になって人の役に立って初めて意味がある事。もう一つは、ルート2が1.41421356…になる道理を教えて頂いた時に気付きましたが、我々は教えられた事を覚えているだけで、その本質の意味を考えようとしない。その能力がないという事です。

小学生の時には何故だろうという好奇心があったのに、時間優先の受験勉強を経るうちに、暗記の上に暗記を重ねて、本質を理解しようとしなくなった。それが、新聞に書いてあるから、専門家が言ってるから、世間が言っているからという、思考停止の大人を生んで、自分の常識にない現象を頭から受け入れないことになっているのだと思います。

子供は気による実技を見て、どうなっているのか、自分もやってみたい、と好奇心が先導して変わっていくが、大人は、凄いなあと感心するだけで動くエネルギーがなくなっているという先生のお言葉にも頷かざるをを得ません。自分の頭で勉強しないから騙される。やがては国家や海外組織に命を奪われるかもしれない、それよりも先に自然災害が襲うかもしれないという環境を考えると、いつまでもそんな事を言っていられないです。現状から変わりたくない人は滅びるしかないという厳しい自然の摂理を今回の震災でも見せつけられました。

宇城先生の気による数々の実技は、全てオリジナルであり、前例のない事を次々と実験されている立場は、先頭を走るパイオニアとして歴史上の偉人と同様、孤独なのかなと想像します。世界中の誰にも同じ事が出来ないために、それを説明する理論も存在しない。もっとも、頭脳で何でも現象を理解出来るという思い込み自体が、人類の思い上がりのように思います。「参考文献があるものはパクリ」という先生のお言葉から、そう感じました。

素直にありのままに宇城先生の教えが私の身体を通して、私の周りにいる人に伝わるように自然体でこれからも学んでいきたい

奈良 教員 61歳 男性 YO

先日の道塾では私自身の体調も精神状態も芳しくなくて、大阪まで車を走らせてやっとのことで会場まで到着しました。先生のイタリアでの空手講習会のDVDを拝見していますとだんだんと背筋が伸びてきました。先生は世界を相手にしても堂々と自信に溢れ、どんな相手にも負けずそれでいて必ず技をかけられた方が、笑顔になります。負けずにでも負かすのではなく、負けた方も笑顔になり勝てるというこれが宇城先生の極意「戦わずして勝つ」ということなのかなと思っていました。自分の不調の原因を先生はご存知であるかのように、今の日本の構造的な問題点をどんどんと指摘されました。政治家・震災・教育・経済・スポーツ・資源・エネルギーなど自分が今、山積みされている諸問題を前になすすべがないことに、焦りを感じ、虚無感に襲われていることを先生は見透かしていらっしゃるように明確にしてくださいました。

これらの問題は「1+1=2」という単純な計算式で解決できることではなくて、「りんご1個+みかん1個」や「1㌢+1㌘」といった問題の解を求める思考力がなければ、解決できないことであると教えてくださいました。実際道塾で宇城先生にご指導していただく以前の私では、到底気付けなかった教育やスポーツの世界の無力さや至らなさ、おろかさそしてこれからの行くべき道の方向性を教えてくださりました。

道塾では先生は塾生全員に向けてお話をしてくださっているのですが、いつも「今の自分が悩んでいること、ときに迷いそうになっていること」の核心に迫ってくださります。そのときに先生はすべてお見通しなんだなと感じます。先生の「気」のエネルギーの中にいると時に温かく感じるときや頭がぐるぐると回り、立っていられなくなるような感覚におそわれることがあります。その感じ方の違いはその時その時の自分の状態によって違います。それはまるで自分の心を先生が鏡で見せてくださっているようです。その時に自分の今の状態にはっとして「これではだめだ」と思わせていただくのです。今、宇城先生に気を通していただいている自分が、そのありのままの姿で自分の子供や孫、生徒に接することによって、これからの日本の未来が決まると思います。素直にありのままに宇城先生の教えが私の身体を通して、私の周りにいる人に伝わるように自然体でこれからも学んでいきたいと思っています。
これからもご指導よろしくお願いします。    

日常の劣化した自分本位な常識の世界から、毎回先生に高次元の世界への導きで自らを覚醒させて頂き感謝

兵庫 介護職 58歳 男性 TK

道塾にお世話になってから、もう丸10年になりました。
今だ未熟で他の塾生のようなレベルではありませんが、以前までの低次元な自分がお陰様で随分成長したと感じております。

今回実践で気を通していただきました。
私の手と足をつかんだ人を投げる。投げられた人は立つこともできない・・。
そして私が投げた人の足を他の人がつかむ。投げられた人もその人を投げられる。気は連鎖している・・・。

そして次はその更に投げられた人の足を他の人がつかむ。
今度は先生が「あなたが投げてください。」とおっしゃられました。
私より数人さきにいる人なのに私が思うと投げる事ができました・・!。

更に今度は投げられて動けない人を「その人を立たせてあげてください」と先生が。
そして私がそう思うとその人がスッと立ち上がることが出来るようになりました・・・!
もちろん先生に気を通していただいたからなんですが、出来た自分が嬉しくて仕方ありませんでした。

その後も先生が私の肩を叩いてその連携を自由自在に制し、そのつながった私たちを「これが仲間です。」とおっしゃりました。感動いたしました。

日常の劣化した自分本位な常識の世界から、毎回先生に高次元の世界への導きで自らを覚醒させて頂き感謝しております。

成長乏しい私ではありますが体で学んでいきたいと思っております。
今年もどうかよろしくお願いいたします。

自分自身にも中心を作る物差しをしっかりと持って精進します

京都 教員 42歳 男性 HA

子どもたちの何のために勉強をするんですか?勉強に意味があんですか?先生の今日の講習会の中でなるべくしてそうなっていると言うのがよくわかりました。1+1=2なぜ。と自分も思っていました。しかし学校の学習になぜを教えてくれる答えも、問いかけはなく1+1=2だから2。そしていつの間にかそこに何ら疑問を感じなかった。その上で、屁理屈で子どものなぜ?を奪う方向で答えを求めていました。
しかし、宇城先生から学び、子どもにできて大人にできない。この事実に気付かせて頂き、今日の話をきかせてもらい、改めて日本はダメになるしかない。その方向に向かっているということが理解できました。
先生が仰るように教育が何より大切である。何をどのように学ぶか、それによって人間の在り方や、生き方が決まる。子どもが勉強がしんどくなり楽しく無くなった時に算数を何故やらないといけないか。それに対してもっともらしい『論理的思考力を身につけると、、、』では子どもたちの知的好奇心は完全になくなる。
そして大人は教師はどうだというように何も言えなくなっている子どもを見て自分は勝ったぐらいに捉える。重大な失敗をしたことに気付かず、子どもはそこでなんか分からへんけど、暗記すればいいんでしょ。そこには、それを発展させたり、活用できたりという力は生まれてこない。だからこそ先生が仰るように学校に行って子どもはダメになる。そして受験のための生き方(暗記力)、スポーツで勝つための生き方(自己中心)を学び、人間力=暗記力や人間としての価値=相手に勝つこと・身体能力になってしまって益々、間違った価値観を学び、己さえ良ければ良いが強化される。そこで様々な問題(いじめや体罰)何のための学校なのか、学びなのか。スポーツを通じて真に何を学ぶのか。大人がしっかりしないと、大人が勉強しないともうどうしようもないところまで来ている。宇城空手が持つ真の人間力を体現した空手。守るを何よりも大切にする意味。そこに己さえがあれば宇城空手は成り立たない。
こうして道塾でこの間違った学びにまず気付き、そして間違ったこの身体をもう一度取り戻すには、身体で学ぶ、光の速さよりさらに速い、気の力に触れてそれを身体に取り入れる。そこへの希望や道筋が今日は見えた気がします。知る。これで良いのか。そして現状を現状に留まらない。希望に触れさせてもらい感謝します。宇城先生という中心を持って日々これで良いのか。違うだろ、本来は。こうあるのが人間としての在り方だと自分自身にも中心を作る物差しをしっかりと持って精進します。

御指導ありがとうございました。