2022年 東京・A 第3回(2022.5.17)

幅広く奥深い世界を学ばせて頂きました

東京 環境NPOの理事長 60歳 男性 HT

1)台湾有事について
2)スウェーデン、フィンランドのNATO加盟について
3)ひも理論について
等、最新の知見に基づいた大変興味深いご講義を聞かせて頂きました。

1)2)に関して、私たちは関心を持ちながらも、つい知らず知らずのうちに他人事として捉えがちですが、決してこれらは対岸の火事ではなく、自分事として危機感を持って考えなければならないことというのが
よく分かりました。

「人は個人的な世界に閉じこもってしまうことで、自分の理解を越えたことや簡単には分からないことへの感受性を失ってしまう。
危機が身近に迫っているのに、そのことに気付かずに、危機が蔓延してしまうことほど危うい危機はないのだ。」
不正確ですが、そうした意味のことを先生は板書されました。
また、
「徹底的に現世主義が身に付いたものは、現世とは何かさえ分からないのだ。」
とも表現されました。

私たちは自分自身も含め、つい自分の理解や価値観の中に引き籠もりがちなのだと思います。その方が楽だからです。
それが自分にとって痛みであっても、現実から目を背けてはならないことを改めて学ばせて頂きました。

「人が正気を保てるのは、神秘主義のお陰である。
神秘主義によって、理解しえないものの力によって、あらゆる事柄を
理解し得るようになるものなのである。」

難しいですが、ここでいう「神秘主義」とは、脳が考える現世の狭い世界を越えた、人智を超越した広く大きな世界のことを指しているのだと理解しました。

3)ひも理論は、物理の世界、量子力学の最先端の知見であることを知りました。
先生はいつも5次元の世界のことを平易な言葉で教えてくださいますが、その延長として、世界は11次元まであるという説を知り、驚愕致しました。
正直、私の理解を越えた世界ですが、そうした考え方で、宇宙の誕生や
ブラックホールなどの説明がつくということを学ばせて頂きました。

実技では、人と人とが交わってこそ、人は人間になれる、対立は争い、憎しみ、怯え、戦争に繋がり、調和こそが仲良し、安心、安全、平和への道であることをテーマとして、いくつかの実技を体験させて頂きました。

今回は時事問題を入り口に量子力学の最先端の知見に至るまで、
幅広く奥深い世界を学ばせて頂きました。

自分の甘さに喝!を入れていただきましてありがとうございした

静岡 理学療法士 58歳 男性 TO

宇城先生の生き方に比べ、いかに私の生き様が甘いか痛感しました。
何のために宇城先生に学びにきているのか?
研修会後から、ずっと自問自答しております。
今、はっきり言えるのは、「笑って死にたい。」です。
其のためにはどうするか?
笑って死ぬためには、自分の人生を悔いのないようにやり切ることが大事です。

私に縁のある家族、患者さん、知人が日々を笑顔溢れて平和で過ごせることが、私にとって最も願うことです。その為には、自分が幸せを呼び込むような人間力がなくてはなりません。
まさしくブラックホールを想像するような宇城先生の磁力で、皆が幸せの渦に呑み込まれて行くような人間力。そのような人間力を得るために、宇城先生に学びに来ているのだということが再確認できました。

宇城先生は「間」の達人であると感じています。
人と人との間をいかに制するかが、人間として大切なことかが研修会で教えていただきました。
「人は魅力で引きつける。」
その人の「間」に、調和、優しさ、行動力、正義、寄り添う心が溢れていれば、人は磁石のように引きつけ合い、それが渦のように広がっていき幸せな世界があるのだと信じています。
戦争反対だと、誰もが言います。
しかし、戦争を防ぐためには武装をするのではなく、人の幸せを願う「間」をいかに高めることが大事です。
人の最小単位である家族が幸せでなければ、戦争反対という資格はありません。家族、地域、職場を幸せにしていくことが真の戦争防止になると思うのです。

宇城先生は、「覚悟、肚は鍛えてできるものではない。誰にも真似できない唯一無二の技術や知識、経験があってこそ、先を取ることができ相手に入ることができる。それこそが覚悟となり肚となる。」この言葉は先生が技術開発で生き抜いてきた経験から出てきたお言葉かと思います。
精神論ではなく、やってみせて相手の心を掴む生き様に本当に尊敬しております。
私も医療技術者として、治してみせて相手の心を掴む生き様を全うする覚悟です。そのためには、人の3倍努力と仕事をして経験を積む修行をして参ります。

今回も、自分の甘さに喝!を入れていただきましてありがとうございした。

次回までに今の人間力を一段高める修行をして参ります。

2022.5.17宇城どう塾第三回

神秘があるから、正常を保っていられる
常識を越える体験が進化となる
常識から考えても進化無し。神秘から学ぶことが大事
人間は人の間。間を制すのは、調和、寄り添い、笑顔
常識の300%を越える実力が無いとダメ
希望があるから元気で生きていける
誰にも負けない勉強、技術、経験がなければ、覚悟、肚はできない
戦わずして勝つには先を取ることが大事
満足したら、進化はない。常に変化を
歴史とは戦いの記録である
外交は戦いの一手段
もっと苦労せねば

「どのようにしよう」と考え行動するよう心に決めました

東京 保険代理店業 56歳 男性 MW

宇城道塾の帰路はいつも元気になります。
それは、気持ちだけではなく、明らかに身体も元気になっています。
いつもは座ると即眠くなる電車の座席ですが、全く眠くなりません。
頭の回転も良いようで、全身の細胞レベルで活性化が実感できます。
しかしながら、こうした状態はせいぜい数日程度ですので、いつも「どうしてなんだろう」という思いに駆られます。

今回の宇城道塾の中で、宇城先生が「『どうしてなんだろう。どうしてなんだろう』と考えてはだめだ」とのお言葉がありました。
その瞬間はっとし、日常でとらわれることの多いこの「どうしてなんだろう」をやめ、「どのようにしよう」と考え行動するよう心に決めました。

この在り方のほうが、宇城道塾で学ぶ、空間、時間、時空、エネルギーといった考え方に沿うように感じたからです。
怒りや不安といったネガティブな感情についても、その原因に焦点をあわせている気がします。

毎回、心身が元気になり学びを持ち帰ることができる、宇城先生と宇城道塾という場に心より感謝申し上げます。

既存の概念とは反対方向にある本質を求め続けることで自分の心と身体を変化させて器を広げていきたい

埼玉 健保組合 66歳 男性 YS

現実主義の見地の人は自らの目の前で起こる様々なことを現実視野で捉えるだけで、本質を理解出来ないことが多い。自分の殻にこもった狭い世界の中での見地では変化していく周囲の状況に気がつかずに、危険が迫ってきたとしても対応力が効かなくなってしまうというお話がありました。

その検証としてしっかりと両手の指を組んだ相手の人の腕を力ずくで離そうとしても全く離すことは出来ないのに、優しい気持ちで撫でると楽に外れてしまうという事実が特に印象的でした。

また、その検証では絶対に外されまいとして力を入れることに執着してしまうと変化に対応できずに虚を突かれる状態となり、身体が危うくなっても気がつかない状況に陥るという側面もありました。

長年にわたり教えていただいて、対立がダメだということは整理がついてきましたが、それにしても撫でる時の気持ちが瞬時に周囲に伝わっていくようなことが多々あり、これまでの自分の概念とは反対方向の事実には戸惑いも感じます。正気になるということは神秘主義を求め、自分の理解が及ばない事を謙虚に受け入れ続けることであり、それによって自分の殻を破り器を広げ、変化していけると教えて頂きました。そのことを心してやってまいります。

翌日に会議がありまして車で飯田橋まで出かけました。その帰路に私は助手席に乗っていたのですが、人通りの多い駅近くの狭い交差点で横断歩道を渡ろうとしている歩行者と危うく接触しそうになりました。私は咄嗟に「危ない」と叫びましたが、同時に急ブレーキがかかり際どいところで停車しました。

思い返せばあれは身体からの叫びというのか刹那の時間の中での叫びでした。

言われてみれば誰もが空間と共に存在する時間との繋がりの中で生きていますが、目に見える空間だけに意識が囚われる私の日常です。昨日の交差点でのことは一瞬での危険予測でしたが、将来に向かっての長い時間の中に存在しうる危険を感じ取るのはより深いところでの実践だと思います。ましてや5次元や更に多次元の世界が存在することには到底理解が及びません。ですが、目には見えなくても確かに存在するものがあるという事実を受け止め、既存の概念とは反対方向にある本質を求め続けることで自分の心と身体を変化させて器を広げていきたいと感じました。

先生のご講義や実践を通して、神秘の世界に直接触れさせていただいている

神奈川 会社員 56歳 男性 TK

自分が如何に小さな知識の中で物事を見ているのか、という事がよく分かりました。自分の知識の範囲でしか現実を理解できないので、その見方は自ずと偏ったものになってしまいます。また、その小さな知識の中に「自分中心」が潜んでいるので、常に摩擦や衝突が生じてしまいます。結果、自分ではニュートラルに物事を捉えていると思っても、全く違ったものになっています。

現実は、自分の知識の範囲よりずっと大きな広がりを持っているのだと思います。そして、その現実のもっと外側に神秘の世界があるのだと思います。現実をきちんと見ることが出来ない自分達には、その外側にある神秘の世界を理解することは不可能です。しかし、先生のご講義や実践を通して、その神秘の世界に直接触れさせていただいているのだと感じます。

そこでは、今までの常識では考えられないことが起こります。自分の小さな知識の世界から、ずっと離れた世界に身を置くことが出来ます。それが現実であり、自分達にとっての神秘でもあります。その現実を知識ではなく、自分の身体で受け止められるようになることが、目指すべきところであり、修行なのだと感じました。

気づかせていただいたことを徹底していきたい

東京 自営業 36歳 男性 YT

前回の道塾での反省を強く感じながら、あっという間の1ヶ月でした。

私たちがいかに常識という小さな殻の中にこもってしまっているのか。ちょうど仕事の上で、自分の狭い枠の中で捉えてしまいがちだと感じはじめていたところで、昨日はそれがどういう状態なのか、本来あるべき姿はどうなのかを様々な角度から教えていただきました。

そもそもどの次元で物事を考えるのかによって向かい合うものが変わり、当然結果も変わるということ。自分が見えている範囲でこなすのはその時は快適だったり楽しかったりしますが、本質的な解決にはつながっていなかったり、もっと大きな可能性を見過ごしているのだと思います。

自分の枠から脱却する。閉じるのではなく、開く。

なんとかしたいと思い、道塾に継続して通わせていただいていますが、しかし前回までの僕は「良くなりたい」「変わりたい」という程度でした。

『絶対に変わる』『絶対に良くなる』

この1ヶ月、先生の講義録や皆さんの感想文を読み、そしてまた昨日の先生を目の当たりにして、そのような土台がなければ何も積み上がらず、何をしても一緒だという想いを強くしました。

海外へのオンライン講義での先生の板書に『統一体は、力を入れるの反対の力を抜くではない』という趣旨のことが書かれていましたが、まさに僕もこのような表面的な勘違いをしてしまっていたと思います。

また、世の中では、人が増えれば増えるほど調整が大変になったり、揉め事が増えるというのが常識だと思うのですが、先生が実践されるときは僕らの人数が増えれば増えるほど、かかるエネルギーが大きくなっているように感じます。先生はそれを「多いほど協力するから楽になる」というように表現されていましたが、ここにも大きな希望を感じています。

自然が多様になっていく意味。だからこそ開くこと、溶け込むことが本来のあり方であり、それがミクロな実践にもつながっていく。このような世界の美しさを観念ではなく、身をもって教えていただけることがありがたいです。

気づかせていただいたことを徹底して今日からのひと月も過ごして参ります。