2020年 大阪・A 第1回(2020.1.14)

道塾を通して、物事の深さを知り、日々謙虚でいることを大切にしたい

京都 教員 29歳 男性 KY

今回のどう塾の実践の中で、後ろに何人もの人が繋がり、前からその列を押すというものがありました。

私たちは当然押すことができない中で、先生は列そのものを押すのではなく、その隣の空間を押すことで列を動かされました。
その時に、私は列には入っていなかったにも関わらず、部屋全体の空間がガラッと変わったのを感じました。
そして、その空間そのものが押されているように感じました。その力は誰でも秘めているものですが、当然私は実践することができません。それは自分で自分の力を出させないように頭で考えているからです。

それと同時に「生き様」という言葉がありました。現在の自分があるのはこれまでの過去の経験や学習から今があります。その生き方そのものが今の自分であると考えると、これまでの自分の知識や経験は、その程度のものだったと感じました。

世界を見れば、1日1日が生きるか死ぬか、そんな生活をしている人々がいます。自分はどうなのか。まさに先生の言葉で「平和ボケ」です。これまで自分の命をかけた事もありません。人生をかけた事もありません。

小学校の頃から続けてきたサッカーも、大会で優勝したり、日本代表選手にも選ばれましたが、所詮スポーツだったと感じます。目先の勝利や優勝だけ、プロサッカー選手になりたい事、ただそれだけに捉われて、サッカーを通して深さを知ることはなかったと今、思います。

この道塾を通して、物事の深さを知り、日々謙虚でいることを大切にしたいと思います。そして、これまでの生き様を振り返り、これから教師、部活動の指導者として、未来ある子どもたちを導く人間として、あるべき姿を目指して日々学んでいきたいと思います。

「他尊自信」という言葉とつながるような感覚

京都 教員 37歳 男性 SF

「日本はすでに崩れている。」「崩れ始めていることに対して、なんとかしようとするとさらに崩れていく。」そんな言葉から、日本だけではなく学校においても、同じようなことが大きくも小さくも起きていると思いました。

また、肩を両手で押さえて並ぶストッパーを作った場面で、1人が力むとそこが崩れる、1人が力むと全体は弱くなるという検証がありました。

これを見て、他人事のようには思えませんでした。

自分の現場において、よくない方向へいってしまいそうだと感じたとき、自分がなんとかしたいと思い、1人で力んでいたのかもしれないと思いました。

自分が何とかしようと思ってしている行動が、全体をさらに弱くし、それを加速させていると思うと怖くなりました。

「調和しないとさらに弱くなる。」ということはこれまでも、道塾の検証の中で何度かされていて、頭では理解していました。
その都度、「それならばどうしたらいいのか」、「そのまま黙って見ていたらいいのか」、「それはできない。」と思い、自分なりに行動をしてきました。そんな中で今回の検証では、調和とは受け入れることなのかもしれないと思いました。

宇城先生は、これまでの道塾において、どんな人でも受け入れた上で、そのすべての間において、調和し、その全体を気で変化させてくださっていました。

私には、全体を変化させることまではできないかもしれませんが、まずは、他者を受け入れる大きな器、ゆとりをもつこと、他者と調和すること、その上で、自分のできることをやれる人になりたいと思いました。

そう考えていると、これまでもたびたび考えてきた「他尊自信」という言葉とつながるような感覚があり、心が明るくなりました。そして、その「他尊自信」の先こそ、宇城先生なのかもしれないと思いました。

道塾の中で、宇城先生の書斎の写真を見る機会がありましたが、圧巻でした。今もなお、宇宙のように広がり続ける器、宇城先生のそばにいながら、少しずつでも自分も大きくなっていきたいと思いました。

1年間のスタートとして、エネルギーをいただいただけでなく、1年間を過ごす上で大きな指針をいただいたような気持になりました。ありがとうございました。