身体で覚えるのだという先生のお言葉を大切に、日々の生活を送っていきたい
京都府 技術職 20代 男性 HH
私はこの度初めての参加でしたが、今までの自分を振り返る貴重な機会となりました。
講義中での「人は家畜となっている。」「人がものに動かされている。」「今の人は自分で考える力がない。」という先生のお言葉が、私にとって特に印象的でした。さらに先生は言葉だけでなく、椅子をつかんだ多数の大人を触れずに動かすという実演によっても、それらの言葉の意味を示されていましたが、私はまだまだ理解が及ばず、ただただ不思議に思い、驚くだけでした。
しかしながら、講義が終わってからの数日間、自分の今までを振り返りますと、自分が何の疑いもなく社会の価値観を受け入れ、周りに合わせ、狭い視野のまま過ごしてきたことに気づき、そのような自分がまさしく、考えたことを忘れた家畜ではないかと思うようになりました。
また、人に寄り添って、多人数のスクラムを崩すという検証を初めてさせていただきましたが、自分ができたのは最初の1回だけで、2回目以降は全くできなくなりました。人に寄り添うことが出来ていない自分、その瞬間は寄り添っても列を崩す場面になると途端に押そうとする自分に切り替わっている自分を自覚しました。
このような自分はどこから来るのかを考えてみますと、まさしく相対的な世界、競争の世界に浸りきっていることが原因にあるのではないかと感じました。これらの世界にいることが当たり前の自分は、常に周りの目を気にしており、そしてすべてのことにおびえている。だから心を開くことも、人に寄り添うことも出来ず、対立になってしまっているのではないかと思いました。
このように、自分が当たり前だと思っていた価値観や社会の構造、これらがすべて今の自分の状態につながっており、本当の強い自分を取り戻すためには、自分を根底から見直し、能動的に動き、考えなければならないと思いました。
しかしながら今の自分は、具体的に何をしていけばよいのか分からない状態です。ですので、身体で覚えるのだという先生のお言葉を大切に、宇城先生に気を入れていただいたときの感覚、先生の実演に参加しているときの自分の体の感覚を忘れないように、日々の生活を送っていきたいと思います。ありがとうございました。
「“勉強する”とは、“関心を持つこと”」
大阪府 中学教諭 60代 男性 HS
先日の10/14(火)もいろいろとお忙しい中、大阪道塾Bクラスでのご指導を賜り、誠に有り難う御座いました。
私が会場に着いた午後7時前には、既に数十名の方々が宇城先生を囲むように立たれていて宇城先生のお話しを聞いておられました。ご講義の開始時間前からのその光景を拝見し、いつもながらの宇城先生の熱い思いを目の当たりにさせて頂きました。
その流れからご講義が始まり、最初に宇城先生がホワイトボードに記されたのが「短期(個人なら1年)、中期(個人なら3年)、長期(個人なら6年)」でした。宇城先生の企業での経営の体験から「短期、中期、長期」の視点についてよくお話しして下さいます。…が、正直に申し上げますと、いつも私はあまりピンと来ていなくて、自分がこれまでに生きてきた人生でそのような視点で取り組んできたことが皆無だったことに気づかされます。
そして、そのことは「一に“勉強”、二に“勉強”、三に“勉強”、四に“勉強”、五に“勉強”」と仰ることも同様で、今まで“受験勉強”ばかりやってきて、「さて、どのように“勉強”したら良いのだろう?」と思ってしまいます。幸いに、以前、宇城先生から「“勉強する”とは、“関心を持つこと”」と仰って頂いたことで、例えば季刊『道』に掲載された記事から、その方の著書を手にいれ読ませて頂いたり、たまたま見たテレビ番組でその方を見かけて慌てて録画したり…と、まだまだわずかながらですが、関心を持とうとしている自分もいます。
さて、今回、いろいろと見せて頂いた「実証」。つまるところは(秋季合同合宿でもそうであったように)、全てが「エネルギー」に依り起きることであり、それも「心あり」が大切であることを見せて頂いたと思っています。そして、その「心」も、いわゆる「心技体」で考えると、まずは「技体」が先にあることで、その後に「心」が出てくるとのこと。このお話しは印象に残りました。「理は業(わざ)の中にあるこそ、まことの理。理業ふたつのものにてはなし」という言葉を思い出しました。
あと、他人(ひと)に寄り添うことでエネルギーが出てくることを確認する実証。先日の合同合宿の折りには、縦一列に並んだ列を動かす最後の段階(寄り添ったあと、縦に並んだ列の横を歩くだけで、列が後ろへ下がるや、寄り添われた方の人が列の横を歩いても列が後ろへ下がる)が全然ダメで出来ませんでした。「さて、今回はどうだろうか?」と一抹の不安がありましたが、スクラムを押すことは何とか出来ました。そのとき、他の方と「寄り添ったふりをするのが、一番ダメになりますね」との気づきも確認出来ました。
あと、他の方が行っている実証を見ている中で「なぜなのだろう?」と、一つの疑問が出てきました。それは、スクラムを押すときに、長年「道塾」にいらっしゃる方々は、最初にきちんと「立礼」をされてから押されます。この夏の「京都実践講演会」で、縦一列に並んだ先頭の方を中学生の子が一度立礼を行ってから押すと列が後ろへ動きましたが、この違いとは何なのだろう?…との疑問が湧いたのです。
最後に…。ご講義が終わってから、宇城先生がわざわざ我々の方に来て頂いて仰って頂いたことも印象に深く残りました。宇城先生が受講感想文を読まれると「“身体のことは難しい”と書かれてある場合がある。しかし、そこで停滞してしまっている。“難しい”からこそ、そこから奮起し歩み出さねばならない」(仰った言葉はこの通りではなかったですが、このような主旨のお話しだったと記憶しております)とのこと。
引き続き御指導を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。有り難うございました。弥栄。
