調和の世界が実際に存在することの証明は、私の生きる希望になっています
千葉県 会社員 50代 女性 NS
今回も貴重なご指導ありがとうございました。
調和・融合と対立、衝突、競争の世界の違いを学ばせていただきました。
宇城先生の講義は、いつも丸く柔らかい空気に包まれています。
それは、調和の世界が実際に存在することを証明してくれ、それは私の生きる希望にもなっています。
机をもった塾生の前に立ち、攻撃がくる検証において。
攻撃がくる時、心が怯え、手が出てしまう自分がいました。怯えるから攻撃されることを理解しました。
宇城先生に気を通されたあとは、攻撃する人たちが目に入っても、全く動じない心の安定と自由さ、自然な呼吸を感じました。
3人の塾生と私の腕相撲の検証において。
倒せる気がしない、倒せないという教育を受けてきた記憶が邪魔をしていることを体験しました。
宇城先生から気を通されると、その場の空気が変わり、倒そうという気持ちがなくなり、相手と一体化して優しい気持ちになりました。
その後は、3人の塾生が目の前で勝手に倒れていく。そこには、優劣がなく、ただ心地よいという気持ちだけが残りました。
気を通された塾生が投げをした時は、投げられた塾生が硬く見え、
宇城先生が同じように塾生をなげた時、投げられた塾生は丸く柔らかい空気をしてボールのようにみえました。
宇城先生が話をされている時、柔らかい空気のまま全くぶれないことに気づき感動しました。
塾生を一瞬で変えてしまう宇城先生のご指導にも感動しました。
変化した塾生は、柔らかく、目が澄んで、良い笑顔になります。
様々な体験を通して、日常の課題のヒントをいただきました。
世の中をみると、宇城先生のもとでもっと勉強しなければならないという事を感じます。
体験させていただき、ありがとうございます。
先生の教えを実践していきます。
引き続きご指導よろしくお願いいたします。
頭で考えたことは真逆のことを正しいと思ってしまうのだと分かりました
千葉県 SE 40代 男性 RY
今回も素晴らしいご指導ありがとうございました。
無駄にエネルギーを消費し、エネルギーが枯渇しているのが自分だということがよく分かりました。
体調が悪い人を気にかけて思いやると、スクラムを押せるほどの本来の力が出ることを教えていただきました。
逆に自分本位の生き方をしているとエネルギーを消費し、相手とも対立するということです。
寝そべった状態で相手に足を引っ張ってもらう検証でも、引っ張られないようにすればするほど、簡単に引かれてしまいました。
逆に相手が引っ張る方へ自分を全部持っていくと引かれなくなり、調和の力が出ました。
そのくらい、頭で考えたことは真逆のことを正しいと思ってしまうのだと分かりました。
自分でも分からないくらい普通に真逆のことをやっていることの怖さを知ったことで、問題があっても自省することから始められると感じました。
今回も大切な指針をいただきありがとうございました。
道塾を重ねていくにつれ新しい気づきがたくさんあります
福島県 介護職 30代 男性 YM
宇城先生、ご指導ありがとうございました。
日本人の財産は人間性。この言葉を聞いてハッとしました。
タイパ、コスパという言葉がありふれて本来の人間性が軽薄化しているのではないかと感じています。
先月に参加させていただきましたプレ道塾でも日常の型、正しい正座、座礼、守る力、胸から光を出す等を改めてご指導いただき、日常こそが実践であり、それが人間性を作ると感じました。
対立、競争、衝突の世界から心のある生産の世界へ。
それには素直に道塾で学んだことを実践していく、宇城先生に学んだことをただただ素直に、頭で考えるのではなく実践していくことが一番大事だと感じました。
検証では今日は宙に浮かすからと最初に言われて、そんなことがあるのかと思いましたが、実際に全身を押さえてもらっているにも関わらず宙に浮いてきました。
そして思えば思ったところに向かう、回転しました。終わってからも暫くは宙に浮いている感覚がありました。
これも調和、融合、生産性の世界で、いくら頑張って宙に浮こうと思ってもできないです。
最近改めて宇城先生のご著書を読み返しており、道塾を重ねていくにつれ新しい気づきがたくさんあります。
このことを言っていたのか、これはずっと言っていたんだな等理解が深まります。
そして常に言ってらっしゃる勉強が大事である、寄り添うというとこを日常で活かしていきます。
自分がよい状態になることで、まわりもよい状態にすることができるのかもしれない
埼玉県 教員 40代 女性 YO
この度も道塾でのご指導、本当にありがとうございました。
今回、体験のお子さんが1回経験したことを自身でどんどん実践できるようになる姿に、子どものもつ力、柔軟性のすごさと、自分が常識とか当たり前とかでいかに凝り固まってしまっているか、ということを再認識しました。
毎回、教えていただいていることを自分の力でできるようになるのは、まだまだです。
今回も1列になった人を引くことが、一人ではできませんでした。
一人でも、みんなと一緒にやっている時のような、一つになる感じをつくれるようになりたいです。
今回、自分の中で希望がもてたことがありました。集団はよい方に影響を受ける、という実証です。
集団の中によい状態の人が入ると、まわりもよい状態になる、というのはとても印象に残りました。
お酒造りなどにも使われている、というのにも驚きました。
一人だけではできないのではなく、自分がよい状態になることで、まわりもよい状態にすることができるのかもしれない、というのはとても希望がもてるものでした。
一人だけでは意味がない、ではなく、一人でも意味がある、というのは、自分自身がよりよい状態になりたい、という希望につながりました。ありがとうございました。
気を通して日常を観る時、ネットやAIにはない真の気づきの世界が広がります
宮城県 会社員 60代 男性 HK
冒頭「子どもにできて大人にできないこと」のDVDの映像が流れました。生命の完成形の存在として子どもの持っている力を軸に構成したものです。先生が道塾でいつもご指導されていること、常に言われていることが、あどけなく、純粋な子どもの実際の動作を含む姿として映し出されています。常識からでは見抜けない子どもの持つ力は、さまざまな道塾に関連する映像で知っていたはずのことなのですが、今回観たときになぜかいつもより心にぐっと入ってきた感じがしました。気の世界は同じようなことでもその繰り返しの中で、受け取る側の感度のようなものによってその入り方が変わってくるということでしょうか。今回とても素直にこの映像の本質の姿が心に転写されたような気がしました。
先生からは常に意識に邪魔されない無意識の動きの大事さを言われます。子どもの動作は無意識のかたまりの統一体からきている。そのことで地球からのエネルギーである気を無意識に使っている。その無心の姿は、翻って自分の中にある、できない大人としての姿をくっきりと照らし出しているかのようでした。
講義では「細胞が作り出すエネルギー。今は対立/競争/衝突に95%が消費され、調和融合の生産には1%しか使われていない。心による生成エネルギーによってこの生産へのエネルギーを95%にすることができる」と。打って勝つは下の勝ち、勝って打つは中の勝ち、戦わずして勝つは上の勝ち、3つの勝ちのうち、戦わずして勝つことが真に効率的であり、そのためには先を取る、事の起こりをおさえることだ、と。この、事の起こりをおさえることに心の生成エネルギーを使う、それが大切なのだと思いました。対立に使われるエネルギーは浪費でしかないですが、心で発出する生成エネルギーはいくら使っても浪費とはならず、究極の省エネであり、それこそ本質的に地球にやさしい、ということになるのでしょう。
不思議な実技がありました。一人を、もう一人が手を掴んで押さえる。その押さえる側の人をまた後ろから数人が並んで支える。通常は押さえられた人はその数人の列をどうにも動かすことはできません。しかし手を押さえられている人がもう片方の手にコップを持ち、そこに先生が水を注いでいく。注いでいくほどに、今度はその押さえられている手で、押さえている側の数人を押し返すことができます。
その時は実技の意味を捉えることができなかったのですが、道塾後実技に参加した方に聞いてみたところ、注いでいる水がコップに満ちていくほどに自分を掴んでいる相手の力が抜けていくように感じたと。これを聞いて、コップに水が注がれていくと同時に、掴んでいる側の心の中に何かが満ちていったことによって生じたことなのだろうか、と思いました。この場合コップに満ちていくのが水でしたが、注がれ満ちていく過程というものは、身体に気を流し相手と調和する作用をその場にもたらすのだろうかと思った次第です。それは、我が子に愛情を注ぎ見守り続ける親、生徒に熱心に声をかけながら教える教師、植物に毎日声をかけながら育てる人、などの周りに起こる場のように。
数人が細長のテーブルの長辺側を両側から分かれて持って行う実技。掛け声とともにテーブルを数人が力を込めて短辺側方向へ突き出すようにします。その突き出す側に一人が対峙して立ちますが、通常はその突き出しの動作にただ怯え身体を後ろに引くようにしてしまいます。先生が横からその人を支えるようにして気を送ることでその怯えが消える。そして机は突き出すことができない。交通事故で横から別の車に突っ込まれても助かった例があるのはこの気のおかげだと言っていました。
気は事の起こりをおさえるという意味では、突っ込んでくる車の勢いを止めてしまう力は気の真骨頂と思えます。命の危機に際して、自然に発せられた気の力といえるのかもしれません。現代の車社会においては日常の移動の現場で常に命の危険と隣り合わせの状況が生じえます。交差点で直進車の好意で譲られることで右折するが、直進車の脇をすり抜けるように走ってきたバイクと事故になる、いわゆるサンキュー事故と呼ばれるケースがあります。多くの場合命にかかわる事故となります。
先生は今という時間の捉え方には二つあると言われました。時間の矢という通常のイメージの中の今。そして過去と未来の境目に在りながら、どちらも同時に含むような今。その今を広げるように過去と未来とともに大きくなっていき未知を拓く、すなわち無から有を生む、と。命にかかわる例の、このサンキュー事故の譲られた先の未来も、バイクも含めた未来を今として観ていれば防げる事故なのだろうと思います。それは結果として命を救うという意味で無を有にし、事の起こりをおさえています。
食事の時、箸を横に置くのは、そのように置いた箸が結界の役割を持っているからだとの話がありました。箸の向こう側を神聖な領域(命からできた食物)とし、手前側を人間界とする区切りの意味がこめられている。同じ箸を使う文化の中国や韓国ではそのような使い方はされず日本文化特有のものだ、と。調べてみるといろいろその由来がわかります。例えば次のような文に出会います。「『いただきます』と感謝を述べてから、お箸を取って結界を解き、食べ物と人間の橋(箸)渡しであるお箸を使って食べ物をいただく。そして『ごちそうさま』の言葉と共に、お箸を横に置いてあらたに結界を作る。」
箸を置くための箸置きというものがありますが、それを使うことは気の流れにつながっていると以前の道塾でうかがったことがあります。その時以来食事のとき箸置きを必ず使うようにしています。日常生活が日本文化に由来する意味、そして気とともにある、そのことの奥深さと有難さを改めて感じています。
様々な実技や話題の中で気づきを与えてくれる道塾の場は、気というものが我々の生活や行動の現場で、あるいはそれを具現化する身体の中で、本来流れるべき存在として在ることがよくわかります。それは道塾であるからこその気づきでもあります。気を通して日常を観る時、ネットやAIにはない真の気づきの世界が広がります。このような場で学べることに感謝したいと改めて思った道塾でした。今回もご指導ありがとうございました。
どう実践していくのかということを日々自らの行動で示していかなければなりません
宮城県 50代 男性 MW
宇城先生、今回もご指導有難うございました。
先生が道塾の度にご指導くださったことを、普段の生活、仕事において一人の人間として実践しようと行動しています。
そうした中で、先生の圧倒的な覚悟からなる人を導く力、守る力は、どの政治家もどの企業人も成し遂げられていない。
私自身も全然できていない、先生の次元とはかけ離れて遅れていると痛感しています。
先生は道塾での実践において、例えば先生の背後にいる人達が、絶対的な安心感のもと宇城先生であれば守られるという絶対な信頼感が自然に身体から湧き上がってくる安心感をもって守ってくださいます。
一方で、今トップに立っている政治家や企業人はそのようなことが出来るでしょうか。
全くそうではありません。ふわふわとしていて場当たり的で信頼感は持てません。
それは、先生がおっしゃられる「型」が無いから、そうなっているのではないかと感じます。
「型」が無いので、場当たり的な後手後手の政策になってしまう。
自身の型も信念も確立されていないのでそうなるのだと感じます。
まさに「型無し」であり、型もないから「型破り」のことが出来ないのではないでしょうか。
先生に初めてお会いすることが出来てから25年が経ち、その間ご指導頂いてきましたが、先生がだいぶ前からおっしゃっていたことが今になって分かるという未熟さを感じています。
先生がおっしゃったこと、身体での実践で教えて頂いたことを漏らすことなく、出来ていない自分に気付き、ではどう実践していくのかということを日々自らの行動で示していかなければなりません。
いまだにこういう状況は恥ずべきことかもしれませんが、ただひたすらに先生の教えを実践してまいります。
引き続きのご指導何卒宜しくお願い申し上げます。
エネルギーを消費する側から生み出せる側に少しでもなれるように
神奈川 映像制作 30代 男性 YT
宇城先生、今回も仙台でのご指導ありがとうございました。
先生のもの凄いエネルギーとご指導に、時間が一瞬に感じるくらい濃密な学びの時間をいただきました。
今回、特に感じたことは、「日常がいかにエネルギーを浪費しているだけになっているか」「心の在り方が無限のエネルギーを生み出す」ということです。
腕相撲で女性の腕を複数人で押さえつけた状態から先生がエネルギーを与えたら簡単にひっくり返されたり、先生との腕相撲で倒そうとした瞬間に反対側に身体ごとひっくり返ったり、また、せっかくエネルギーを生み出しても嘘や心ない行動で一瞬でなくなるといった様々な実践での検証を通じて、改めて人に備わっているエネルギーの凄さや無限の可能性があること、また普段の行動がエネルギーを何も生み出さずにただただ消費しているだけという先生のご指導にガツンと衝撃を受けハッとさせられました。
エネルギーを消費する側から生み出せる側に少しでもなれるように、まずは日常の在り方を今一度見直し、行動していきたいと思います。
今回も貴重なご指導の数々、誠にありがとうございました。