2022年 仙台 第1回(2022.1.23)

己のコンパスの針を常に本質に置き、決して動かすことなく、その円を広げて行きたい

福島 地方公務員 53歳 男性 HO

宇城先生が指し示す本質を己の凝り固まった頭に照らし合わせ、なぜ己は実態から解離し、虚構に囚われ、閉じ籠り、周囲に悪い雰囲気を伝播しているのか?

ご指導をいただきながら、頭を捕らえている鎖を解き放つ方法を探っていました。

しかし、頭で考えれば考えるほどわからなくなり、方法論ばかり追い求め、隘路に迷い込み強い不安に襲われました。

四次元の検証で、相手の手を握り投げようとすると衝突し力比べになりますが、相手の手をもう片方の手で撫でてあげると、相手との関係性が溶けたようになり、投げることができました。また、相手の胸に手のひらを当てて、相手に払い除けてもらう検証では「私からあなたへ」という思いを乗せると相手はその腕を動かすことができなくなりました。

この検証で、己の身体を絡めていた何かが霧散し、身体が暖かくなりました。

私はこの相手に寄り添う、相手を思いやるという心を見失っていたのかもしれません。

虚構のような仕事で不安に囚われ、正当化する中で、自分自身で更なる虚構を作り出し、閉じ籠っていたのだと思います。

宇城先生から本質を学びながらも、そこから解離した私を気づかせ、引き戻していただき誠にありがとうございました。

更にこの先に五次元の世界があり、その高次元のエネルギーをもってしか、この世界を覆う虚構を見抜き、変化を起こすことはできないのだと感じました。

この経験を忘れることなく、己のコンパスの針を常に本質に置き、決して動かすことなく、その円を広げて行きたいと思います。

本当に師と仲間がいてくれることがありがたいです。また虚構に囚われそうになった時には、先生の本を読み、己に問い、仲間に相談いたします。そして、究極の場として宇城先生に直接触れさせていただき、この心身を律したいと思います。

コロナ禍、相次ぐ自然災害、迷走する政府と無関心の国民、まさに先行きの見えない日本ですが、希望を持って、しっかり足を地に着けて前に歩んで参ります。

どうかこれからも厳しいご指導をお願いいたします。
ありがとうございました。

今日一日をどれだけ命を燃やして生きているか

神奈川 川映像制作 35歳 男性 YT

人が持つ身体やエネルギーの凄さ・素晴らしさを常に実践を通じて体験させていただき、3時間の講義が一瞬に感じられるほど熱く濃密な時間のなか学ばせていただきました。

先生にご指導いただき、日常のなかで真剣さをもっていかに今の自分の変えていくか、今日一日をどれだけ命を燃やして生きているか、ということを強く感じております。

相手に寄り添う心をもって行動すると自分や周りにエネルギーが生まれ伝播していく、といったご指導いただいたことを、いかに日常の中で本気で取り組んでいるか、取り組んでいたか、日々の中で真剣にやり切ることが今の自分の大きな課題であることを改めて気づかせていただきました。

そのような中で、仕事において今までは右から左に流す作業のような仕事の仕方をしていましたが、限られた納期のなかでいかに昨日の自分よりも良いものを創るか、どれだけ魂を込めて創れるか、という気持ちがでるようになり、お客様や社内での評価が変わったり、大きな仕事を任せていただいたりリピートをいただけたりと、自分でも驚くくらい目に見えて変わっていくことを経験し、先生にご指導いただけることの有難さや真剣さをもって行動することの大切さを感じております。

今よりもさらに成長できるよう、一日一日、1つ1つの日常の中でどれだけ真剣にできるか、ということをしっかりと心に刻み、日々を積み重ねてまいります。

改めまして、今回もご指導いただきありがとうございました。

まずは宇城式呼吸法を毎朝続けています

東京 教員 女性 MH

NHKBS「明鏡止水」、「探険! ホムンクルス  脳と体のミステリー」の放映からスタートした仙台道塾ですが、ホムンクルスの宇城塾長は53歳とあり、いまの私よりも若いのに、いつでも一番強くてすごいです。

番組内での大学教授が理由付けを話していましたが、自分が出来もしないことを理論づけて話す言葉よりも、一目瞭然で宇城塾長が目の前で見せて下さり、体験させて頂ける5次元の世界は、不思議と元気になり笑顔が絶えない不思議な世界です。

身体は宇城塾長の思いのままに出来ないことが出来きて、スポーツの世界ではありえないことも訓練することなく出来るのは気の世界で、自分の殻に閉じこもることなく、心を開いて回りが見渡せ心配りを忘れない広い視野をもち利他の心でいることなのかと思い始めています。

以前の私は、自分のことしか考えられない狭い視野で、人の話も聞かなく乱暴者でした。宇城塾長から何度も叱られる内に、自分の癖が少し見えて変化したい、そんな自分を直したいと言う気持ちがあるいまは何故宇城塾長に叱られるのかも少し感じられるようになってきました。

「人の振り見て我が振り直せ」で仙台道塾の〇さんが宇城塾長に叱って頂いている姿を見て自分を振り返り、反省し気を流す、気をとどめない、気を切らない身体になれるように、まずは宇城式呼吸法を毎朝続けています。

頑固で乱暴なところは抑えるようにして気をつけて、人の喜ぶことが出来るように心がけ、電車では席を譲るのではなく、気が付いたら譲っている自分を目指します。

先生が見せて下さる5次元の世界が希望であり、進む方向なのだと確信しました

岩手 教員 51歳 男性 JS

今回の道塾でも、非常に大切なことを教えて頂きました。
現在の日本は不安だらけであり、その不安から自殺や刺傷事件が起こっている。希望を与えていかなければならない。確かに、特にメディアは不安を煽るだけで、何もしていません。もはや政治やメディアはあてにならない現在、私は実証に裏付けられた宇城先生が導いてくださって頂いているため、冷静に行動することができています。

特にも先生が見せて下さる5次元の世界が希望であり、進む方向なのだと確信しました。気が通った人に投げられると、投げられた人も別な人を投げることができる、そこに優劣はない。私にとって今更ながら、そこに希望が見えました。
また、気が通った人が一人いるだけでその集団が強くなる、その逆もある。少し先の未来に進むことも、実際に自分の身体がわかっていますが、脳が邪魔をしていることがはっきりとわかりました。

3次元にもいるかどうかわからない自分ですが、先生に教えて頂いたことを実践して、せめて4次元の世界には完全に入り、5次元を目指していきたいです。

ただ寄り添うことが気(エネルギー)を生むということを希望に励みたい

秋田 教員 53歳 男性 TI

今回の道塾で印象深かったのが、用の美のお話です。工芸品は、職人が実用品としてその用途に合うようにものを作るとそこに心惹かれる美しさが生まれる。日本刀は、斬れるという用を追求した結果、美しさという美を備えたものになっている。人間に例えると用は人間力、美は人間性になるというお話でした。そのような人間を目指したいと思いました。

また、忠という字には、いつわりのないまことの心という意味があります。忠は「中心」という字から出来ています。中心がある姿勢は強い。中途半端が一番いけないということばがありました。自分は中途半端な状態だと思いました。

一つの机の片方寄りを4人で持って持ち上げる検証がありました。机に何も置いていない状態で持ち上げることは、4人で四隅を持つよりは楽ではないと思いますが、難なく持ち上げることが出来ました。

次に4人が持っているのと反対の机の端に水の入ったペットボトルを蓋をしたまま置いて持ち上げることは、慎重でしたが、持ち上げることが出来ました。ペットボトルの蓋を開けると、持ち上げるのを躊躇しているのか持ち上げることが出来ませんでした。

次に4人のうちの1人がうずくまっている人をいたわり、机に戻って持ち上げてみると、持ち上げることが出来ました。

次に同じ人がうずくまっている人を素通りして机に戻って持ち上げようとすると、持ち上げることが出来ませんでした。

これは、寄り添うことでエネルギーが生まれ、周りの人にもエネルギーを与えることが出来るということを示しており、逆に素通りすることはエネルギーを生まず、周りに与えることも出来ないということを示していると教えていただきました。このことは、宇城先生がいつも私たちに示されてきたことです。

私が希望を持ったのは、正にこのことでした。思いやる行動、寄り添う行動がエネルギーを生み、力を生み、身体を強くし、他者にもエネルギーを与えることが出来る。そういう行動が出来る一人になりたいと思うし、そういう行動が出来る人が世の中に多くなれば、エネルギーあふれる世の中になるだろうと思います。

複数人が正座で横に並び、腕をがっちり組んでつながった状態で、先生が気をかけるとつながったまま倒れるという検証がありました。
私は一番端に位置していました。私の反対の側の方たちはつながったまま倒れましたが、私の近くの方は、列から倒れるときに離れてしまいました。それは私が気を切らしてしまう癖があるからだと指摘されました。その証拠に反対側の方は倒れても足を掴んだ人を投げることが出来ましたが、私の近くの方は足を掴んだ人を投げることが出来ませんでした。
気を切らしてしまうということは、エネルギーを与えられない、教師であれば子どもたちにエネルギーを与えられない、不幸にしてしまうということでした。このことばは、非常に深く心に刺さりました。
子どもを不幸にすることを私は望んでいないのに、自分がそういう身体になっていると示されたことをとてもショックに思いました。ただ、それを示していただけるのは、宇城先生しかいないのだと思います。

私が宇城道塾に初めて参加させていただいたのが、2010年ですので、今年で12年になります。参加の動機が動ける人になりたいというものでした。よいと思ってもなかなか自分から動けない自分から、よいと思ったことを自ら動ける人間になりたいと思ったのです。

そしてこれまでたくさんの勇気をいただき、少しずつ自分から声をかけたり、動いたりということが日常生活で出来るようになってきたと思います。勇気をいただきありがとうございます。しかし、まだまだ殻に閉じこもるという癖は根深く、検証で現れたと思います。検証で現れるということは、日常生活でも現れているだろうと思います。

宇城先生は、癖は師がどうにか出来るものではなく、自分が気づいて克服するしかないとおっしゃいました。ならば、自分が気づかせていただいた限り、生きるしかないと存じます。日常生活で思いやり寄り添う行動をしていく。ゴミを拾う。お先にどうぞを実践する。周りを不幸にするのではなく、エネルギーを与え幸せにすることが出来る人になりたいと願います。

前回に引き続き、今回も中途半端な自分に活を入れていただいたと感じます。また、現実の自分と目指す人間像との差も思い知らされました。ただ寄り添うことが気(エネルギー)を生むということを希望に励みたいと思います。今回も大きな気づきを与えていただいた宇城先生、どう出版、道塾事務局、会場、塾生の皆さんに心から感謝申し上げます。