塩田剛三先生のこと (その1)

塩田剛三先生とプラニン合気ニュースに入り、編集者であるスタンさんの編集補佐として、同行して行なった初めての取材会見が、

植芝盛平の戦前の直弟子であった養神館の塩田剛三先生でした。

塩田先生は当時67歳くらいだったと思います。

身体は小さいけれども、始終ニコニコとインタビューを受ける塩田先生に、エネルギッシュな内面と、同時にどこか「やんちゃ」な一面を感じたのを覚えています。


お話の内容は、盛平翁に初めて会った時に、翁にコテンパンにやられてしまったエピソードから始まり、1941年に行なわれた宮様の前での演武会で、40分投げられっぱなしでその後40度の熱を出したというお話や、鞍馬山での21日間の修行、中でも月のない闇での真剣を使っての稽古は、今では絶対にあり得ないような修行の様子で、思わず聞き入ってしまいました。
生涯ではじめての取材としては、あまりにインパクトが強いもので、一つひとつ強烈に覚えています。

スタンさんは、当時の歴史的背景や盛平翁の足跡、直弟子たちの戦後の状況などは、すべて頭に入っているようで、メモひとつ見ないで、次から次に塩田先生に質問していて、心底感心してしまいました。当時、そして今でもですが、これほど合気道や盛平翁について、知りつくした人はいないのではないかと思います。

私は合気道のことは当時ほとんど知識がなかったので、取材前に、塩田先生の本をいくつか必死に読んでいました。

そして取材が終わりかけた頃、スタンさんがなんと私に「最後に、あなたから何か質問あればどうぞ」と言うのです。突然のことで、めちゃめちゃあせったのを覚えていますが、なぜか、塩田先生の本に書いてあった、「犬と稽古する」というお話が頭にあって、気づくと「塩田先生は犬と稽古なさるとそうですね!」と質問していました。

その時のスタンさんの、目を白黒させて「何を言い出すか!」と焦っている様子が忘れられません。
しかし、塩田先生は、いやな顔一つせず、ニコニコと楽しげに、「そう、そう!」と言いながら、犬との稽古の様子を語ってくださいました。

愛犬二匹をわざと怒らせて自分にかかってこさせ、公園でしょっちゅう稽古していたそうです。だから血だらけで家に帰宅して家の方にびっくりされることもよくあったそうです。残念ながらこの部分は、のちに、会見を一つにまとめた会見集『植芝盛平と合気道』にはカットされてしまいましたが、私がお聞きした、息をのむような塩田先生の修行人生は、そのままこの本に掲載されています。

初めての取材が塩田先生であったなんて、今思うと本当に光栄なことでした。スタンさんあってのご縁であったと思います。

塩田先生のあの笑顔、笑い声を今でも思い出します。(木村)

 

[『合気ニュース』編集長 スタンレー・プラニンとの取材の思い出]