大東流合気柔術宗範 佐川幸義先生へのインタビュー秘話

大東流合気柔術宗範 佐川幸義先生へのインタビュー秘話

合気道史の探究を深めていくスタンレー・プラニン氏が、大東流合気柔術研究にも辿り着いたのは至極当然のことでした。

武田惣角の高弟、佐川幸義先生へのインタビューを試みますが、幾度となく断わられます。あまりある情熱に突き動かされたプラニン氏は、なんと約束もとりつけずに佐川先生の自宅兼道場に直接うかがってしまいます。当然、佐川先生にはにべもなく追い返されてしまうのですが、探究心に燃えるプラニン氏は、さすがにその時は、「もう二度と来ない!」と思ったそうです。

しかし、自宅に帰り冷静になったプラニン氏は自分の非礼に思い至り、佐川道場にスタッフを介して連絡を試みます。そこで、取り次いでくださったのが、佐川先生の弟子、木村達雄先生でした。木村先生は長く季刊『合気ニュース』の読者であり、その内容も合気ニュースの取材姿勢も高く評価してくださっていました。そして、佐川先生に『合気ニュース』の趣旨を説明くださり、一度会ってみてもいいのではと説得してくださったのです。

このような形で、1986年2月20日、晴れて佐川先生のご自宅に伺いお話を聞けることにはなりましたが、佐川先生から出された条件は、「録音不可、写真不可、メモすら不可」でした。

プラニン氏は当時はまだ、込み入った話になると通訳が必要でした。同行したスタッフは仕方なく佐川先生の目を盗むようにメモをしつつ通訳をしていましたが、それを佐川先生に見咎められます。「なにが書いてあるのか見せてみろ!」

スタッフが読み上げるメモの内容に、「そこが違う」「こうだ」と訂正を入れ始める佐川先生。
そうこうしているうちに筆記が許可となり、いつのまにかインタビューになっていったのです。

「合気道開祖植芝盛平が学んだ武術、大東流合気柔術」――
それまであまり知られることのなかった大東流合気柔術について、プラニン氏はこのようにして研究を深めていったのでした。

この時のインタビューは会見集『改訂版 武田惣角と大東流合気柔術』に収録されています。





佐川幸義師範の三人捕 『改訂版 武田惣角と大東流合気柔術』より