[会見]カリフォルニア合気道ウエスト道場 フランク・ドーラン 合気会7段
「合気道で育む人間関係は盛平翁の偉大な遺産」




◆自分なりの合気道を

ドーラン 私は本部道場の5つのクラスに出席して、5人の師範から指導を受けたわけですが、横面打ち四方投げだとしたら、みなそれぞれ強調されることが違っていました。そして、大先生がそれをご覧になっていて、先生方が自分なりのやり方でなさるのを許しているのを見て、目が覚めたような気持ちがしました。ちなみに日本に来る前の私の合気道は藤平先生のスタイルでした。というのは当時藤平先生は他の師範方にとても影響力がありましたから。 大先生は実際に教授されるということはなさらなかったと思います。たとえば「足はここに」とか「この技はこうする」とか。大先生が教えられたのは原理なんですね。体格のそれぞれ異なる先生方が合気道の原理を自由に表現されていたわけです。このことは私にとってひとつの気づきでした。我々はまったく同じように技をする必要はないのだと。
私が初段から2段の頃ですけど、体がだんだん藤平先生とは違ったやり方をやりたがったのです、 セミナー風景 というのは、藤平先生の体型と自分のとは違いますから。でも、「この形を変えてはいけない」と、自分に言い聞かせていました。 そして、本部道場に行って先生方のそれぞれの合気道を見て、気持ちが楽になりましたね、ちょうど美術館に行った時のような気持ちです。たとえばルーブル美術館には、レンブラントやマチスなどの巨匠の絵がたくさんありますね。誰もがマチスだけを見にくるわけではないのです。 合気道も絵画のようなものだと思います。みなさんそれぞれのスタイル、形で“絵”を描くのです。ですからそれぞれの形に対して敬意を払うことは大切だと思います。


◆北カリフォルニアに合気道道場

ドーラン ということで、ナドー先生と帰国した時には我々の合気道に対する考え方は今までとは変わっていましたね、それ以来2、30人の師範方との稽古をしてきました。 良い弟子になることは、まず泥棒になることだと私は思うのです。つまり、先生の技を盗むのです。ですから私の合気道は厳密には私自身のものとは言えず、先生方から学んだ技をミックスし自分なりに作り上げたものと言えます。

――ドーラン先生がアメリカで合気道の指導を始められたのは?

ドーラン 帰国後すぐというわけではありません。1964年、ナドーさんと、ロバート・タンさん(藤平先生の弟子、北カリフォルニアと南サンフランシスコに道場を持つ)の道場でお会いし、一緒に稽古と指導を始めることになったのです。その時は我々は2段でした。リクレーションセンターなどで教えました。人数も増えていって北カリフォルニアに合気道が広まっていったわけです。 今では本部道場傘下の組織があり、ベイエリアあたりでも60以上の道場があります。またヨーロッパや世界各地にも道場があります。

――合気道の発展に貢献されたのですね。

ドーラン はい。時間はかかりましたけどね。合気道場が一つもないところで道場を開くのは大変ですよ、まず受けがいない、みな初心者ばかりですからね。今年で合気道は42年、指導歴は35年になります。