[会見]カリフォルニア合気道ウエスト道場 フランク・ドーラン 合気会7段
「合気道で育む人間関係は盛平翁の偉大な遺産」



◆ 柔道からだんだん合気道が好きになった

――お話が前後しましたけど、ドーラン先生の合気道歴をお話しください。

ドーラン 合気道を始める前に海兵隊にいました。当時すでに柔道をやっていましたので、その経験をかわれて海兵隊の新人に柔道を教えていました。その頃合気道の先生(黒帯)が隊に教えにくるようになって、それで初めて合気道を知ったのです。それまでは合気道という名前さえ知りませんでした。

――合気道を始めたきっかけといいますと?

ドーラン 海兵隊では大きな道場で6人の指導員がそれぞれ柔道、空手、合気道を教えていました。1クラスか2クラスしかない日もあって、自然とお互いが柔道、空手、合気道を教え合うようになりました。
 でも当時は合気道は面白いと思いましたが、柔道のほうが好きでしたね。
 合気道は、急に好きになったというのではなく、時間が経つにつれてという感じでした。初めて合気道を見た瞬間、これだ!と思ったなどとよくみなさんおっしゃいますけど、私の場合は柔道からだんだんと合気道に移っていったという感じです。
 当時私は、暴力とは切ってもきれない環境にいました。まず海兵隊では戦争に行きましたし、それから後は警察官でしたから。合気道はトラブルの平和的な解決方法があって、とてもいいなと思いました。


◆「大先生ではなく、藤平先生のをください!」

――日本にいらっしゃった時は、合気道はどのくらいやっていらしたのですか?

ドーラン 1963年頃に本部道場にうかがった時は、合気道歴は4年ほどで初段になったばかりでした。その時、アメリカの先生から当時本部道場の指導部長だった藤平先生へあてた紹介状を持っていきました。

 初めての本部道場訪問は、到着した時もおいとまする時も、へまをやってしまってさんざんでした。
 まず最初の失敗は、本部道場の看板が読めなくて道場ではなくて大先生のご自宅のほうへ直接行ってしまったのです。応対に出られた方に手紙を渡すと、しばらくして藤平先生が出てこられました。それから大先生のご自宅を通って道場のほうへ案内されたのです。
 道場では藤平先生が個人教授を始めるところでした。藤平先生は当時9段で私は初段、非常に緊張したのを覚えています。その時先生は一人のお弟子さんを紹介してくださいました。その人がロバート・ナドーさんです。彼もこのエキスポに参加されてますね。彼とは40年来のつきあいです。
 それから道場をおいとまする時、またへまをやらかしました。事務所へ行って「写真をください」と言うと、事務員が「はい、大先生の写真ですね」「えっ? いや、藤平先生の写真です」「はっ? 大先生のお写真でしょ?」「オーノー 藤平先生」「はぁ~?」。
 何回かの押し問答の末、私は仕方なく小さな大先生の写真と大きな藤平先生の写真を買いました(笑)。おかげで事務所へは30年、顔を出せませんでしたよ(笑)。


◆本部道場での稽古

ドーラン その時の来日はほんの2、3週間の滞在でしたけど、大先生にお会いすることができました。写真だけで知っているのと実際にお会いするのとは違いますから、お会いできて本当によかったと思います。
ある時、私たちが稽古をしていると、先生が突然ご自宅から道場へ来られたのです。先生は道場の真中を、まるで老人がのんびり公園を散歩するように歩いていかれるんですね。その間我々は、ははーっとばかりに平伏したまま。「ははぁー、この方が大先生か! やっぱり違う。稽古中でも大先生は道場の真中をああして行くんだなあ」(笑)。

――当時は外国のお弟子さんは多かったのですか?

 ドーラン はい、かなりね。たとえばテリー・ドブソン、ヴァージニア・マヒューさんとかね。でも道場は今ほど広くはなかったですから。当時は本部道場では大先生か藤平先生、または多田先生や山口先生、田村先生、五月女先生などの高段の師範方が、10人くらいを指導されていました。一クラスの人数は少ないかわりに、今よりも個人的な指導ができていたと思います。
 
藤平先生から「一日、5クラスあるけど、全部出てもいいよ」と言われて。5時間の稽古のあとは、這うようにして家に帰りました。

――当時の稽古はアメリカでの稽古とくらべてどうでしたか?

ドーラン かなり違っていました。というのは、1960年代初期のアメリカの合気道は、まだそんなに進んだものではなかったのです。稽古する人も少なかったし、生徒や指導員のレベルも藤平先生が来られた時を除いて、そんなに高いとは言えませんでしたから。  
アメリカのクラスでは説明が必要だったし、稽古もそれほど活発とは言えませんでしたけど、本部道場ではほとんど説明も準備運動もなし。1分ほどのストレッチングをやって、先生が技をやって見せて、我々はそれを20分間、がむしゃらにやる。また1分間くらい技を先生がやって見せ、また我々が20分それをやる。こうして1時間のクラスが終わると、すぐに他のクラスが始まるという具合でとても活気がありました。