※各師範の所属や肩書きは当時のものです。
フランク・ドーラン7段は、合気道修行歴42年。
本年合気会より“師範”の称号を許された数少ない外国人合気道家であり、アメリカにおける合気道普及に多大な貢献をした先駆者でもある。
2002年のエキスポセミナー師範でもある氏に合気道修行の道のりと、
エキスポの感想を伺った。
取材/翻訳:編集部
AIKI EXPO 2002 ラスベガスにて 2002年5月3日
1932年生まれ。北カリフォルニア合気道連盟 7段。1955年に柔道、1959年合気道を始める。米国の海軍および警察で徒手護身技を指導。1972年、スタンフォード大学で合気道を指導。サンフランシスコ・ベイエリアおよび北カリフォルニア合気道連盟主任指導員。アメリカおよびヨーロッパで合気道セミナーを頻繁に行なう。カリフォルニアで合気道ウエスト道場を経営。
◆ 先生も生徒も同じマットで
――今回のエキスポでは、今までお名前をお聞きするだけだった先生方に、実際にお会いすることができてとても感激しています。
ドーラン 同感です。エキスポに参加された先生方のうちの何人かとは長年のおつきあいをしています、プラニンさんもその中のお一人です、もう30年以上にもなります。しかし大半の先生方とは今回が初めてで、みなさんとても友好的でしたね。
――今回のセミナーでは、流派、会派に関係なく、またレベルもさまざまな方が参加されていますから、指導の面では大変だったのではありませんか。
ドーラン それほどでもありません。面白いなと思ったのは、約700人の参加者がいて、その中には指導者あり生徒あり、黒帯あり初心者ありで、みなさんが同じマットで稽古をしたということですね、これは素晴らしいことですよ。みんな真面目に、そしてお互いに助け合って稽古をしていました。ふつうではとても考えられないでしょう、たとえば50人のセミナーがあるとすると、誰かは文句を言うんですけどね。しかしこのエキスポで700人が集まってもみんな協力的で何よりも稽古を優先させていましたね。上級者が初心者を痛めつけるという光景も目にしなかったですね。
私が稽古中、生徒達の間を歩いていたら、生徒の一人が私を“先生”と呼んだのです。その人は7段なんですよ。しかしマットの上では初心者の謙虚な態度をとられている、感動しましたね。
今回のエキスポは友好演武会の5回目でもあるのです。合気ニュースでは日本で過去4回友好演武会を行なっています。これまで各回ともさまざまな流派会派から高段位の師範方が参加されています。しかしこれまでは、演武会が終われば見学者は帰ってしまいます。今回のエキスポでは、セミナーもセットされ、また最後の日にはパーティが開かれ、参加者たちは師範方とお話ができました。エキスポの3日間、寝食をともにした先生方は交流を深められ、そのお弟子たちもまた交流されました。これは過去にはなかったことです。日本でもエキスポのようなことを将来的にはやっていきたいと思っています。
ドーラン 文化の違いがありますからなかなか難しいですね。そのためにも、「会う、参加する、一緒にものごとをやる」などして距離を埋めていく必要がありますね。
誰もが頭では考えることですけど、実際にその場を与えてくれたのがプラニンさんです。
――アメリカの人たちは、文化の違いもあるのでしょうが、異なる流派の方たちと交流することに全然抵抗を感じていませんね。
ドーラン そうです、これはとても重要なことです。というのは私自身も毎日自分の合気道をやっていますが、他の人の意見も聞くこと(みんなそれぞれ聞く価値をもっていますから)も、とても大切なことだと思います。今回のエキスポではみなさん、美しい素晴らしい演武をいろいろな形で表現なさっていましたね。
このようなことをやらせたエキスポの考え方には強く共感しますね。それぞれが自分の気持ちを真面目に技を通して表現し、それが一つとして同じものではなかったのですから。
今回のエキスポでは、もう何人かの先生と親しくなれましたよ。こうした個人的なつながりは、私の合気道にとって、非常に大切なことです。
―― 先生のお弟子さんたちの反応はいかがでしたか?
ドーラン とても充実した時間をもてたようですよ。彼等に言ったのです、「スタイルにこだわらずに、できるだけたくさんの先生の講習に出なさい。今は理解することよりも講習に出てそれぞれの先生のすばらしいところを学びなさい」と。