2015年 大阪初級(前期) 第3回 (2015.3.17)

まずは自分が愛を持って接し、自分が変わらなければ  京都 教員 男性 24歳 KY

 第3回の実践の中で、3人ほどが後ろに繋がって、前から引っ張ってみる、次に手を添えてそっと押す、という実践がありました。その実践を通して、「対立」と「愛を持って接する」ということを感じました。それは人との関わりでも同じであると感じています。やはり自分が愛を持って接することで、相手に思いが伝わるのではないか、と考えています。さらに、お話の中で「自分が変われば、相手も変わる」という言葉がありました。それは学校現場にいる自分のことであると感じました。「どうせあの子はこんな子だから」というような先入観で接しているから、子供もそうなってしまうのか、などを考えました。まずは自分が愛を持って接し、自分が変わらなければ、相手も周りの環境も変わらないと思います。そのことを心においてまだまだ学んでいきたいと思います。貴重なお話ありがとうございました。

 

「気」の持つ偉大なエネルギーには圧倒された  奈良 教員 女性 51歳 TT

 今回も貴重なご指導をありがとうございました。今日の検証の中で、宇城先生が、両端から引っ張られている帯を伸ばしたり、縮めたり、また、帯に亀裂を生じさせたりと、「気」の持つ偉大なエネルギーには圧倒されました。また、人が、何人もの人に支えられ、方向を指示しなくても鳥のように手をはためかせ、自分の思い通りに飛んでいける様子も夢を見ているようでした。先生に「気」を通して頂くことで、「できた自分」と「できない自分」の大きな違いにいつも気づきます。できる自分でありながら、できなくしている原因が自分にあります。知識優先の頭脳ではなく、スピードある心や感知で行動しなければならないのだと思います。先生は以前「進歩成長とは変化すること。変化するとは深さを知ること。深さを知るとは謙虚になること。」と仰られました。できる自分に成長したい。今の現状の中で、自分ができることは誠心誠意取り組み、感謝の気持ちを持って人には接し、挨拶を続けていこうと思います。 これからも、ご指導をよろしくお願い致します。

 

今ある横着な自分の姿勢を変えることから始まる  奈良 主婦 女性 51歳 HO

 昨日はご講義頂きありがとうございました。回を重ねるごとに「気がとおっている」ことの深さを感じています。私たちは努力が足りないと、先生はおっしゃいました。本当にその通りです。緊張感も真剣さ全く足りていません。頭で考えていても、間に合いません。今ある横着な自分の姿勢を変えることから始まることに気づきました。「念じれば通じる」。相手を思う思いやりの気持ちをもって、心のこもった挨拶ができ、ゴミ拾いが自然にでき、他人のために尽くせることが、大事なこだと教えていただきました。おんぶされている者に先生が気を通されると、その人が思っている方向におんぶしている者が動きます。念じていることが伝わっているのです。愛おしい気持ち、思いやりをもっての行動が、他人の心に通じ動かすことができるということも実践を通して感じることができました。
 また、強固な帯を引き合う実践では、3人対5人で引き合ったら、普通では圧倒的に5人の方に引かれていきましたが、先生が3人の方に3人足しますとおっしゃって気を通されると、互角な引き合いになり、むしろだんだん3人の方に引かれていきました。さらにそのエネルギーは、帯に亀裂を入れるほどの想像以上のものでした。できると念じることが可能に導くことができ、その力をだすのには、自信を持つことで、そのためには、心のこもった挨拶、思いやりが大事なことを教えていただきました。
 3学期から不登校になった少年が、夜の書道のお稽古にだけ顔をだすようになりました。そこに同級生がいっしょに来てお稽古して帰ります。毎週増えていきます。帰りには、「明日、学校行く?」「……」とさりげないやりとりがあります。翌日、そメンバーで迎えに行ったら2か月ぶりに学校に来れたそうです。子どもの人を動かす力はすごいと思いました。先生のおしゃった愛のあることばがけ、行動と繋がった気がしました。今回も色々な事に気づかせて頂き、どうもありがとうござい ました。

 

「調和」が大切であると実践を通して強く思いました  大阪 教員 男性 34歳 YI

 今回の宇城先生のお話を聞かせて頂いて、日頃スポーツに携わる身として、非常に考えさせられました。 なぜスポーツをしているのか、なぜスポーツをするのか、その問いに明確な答えもなくただ続けている自分がいました。「勝つこと」に執着することが如何にレベルの低いものであるか、身をもって体験させて頂きました。やはり「対立」ではダメであり、「調和」が大切であると実践を通して強く思いました。今回の道塾でも多くの体験をさせて頂いて身にしみて感じることがありました。非常にわかりやすい内容ばかりでした。 宇城先生、誠にありがとうございます。次回以降も宜しくお願いします。 

 

対立がいかに愚かなものであるかと実感  奈良 土木系公務員 男性 25歳 AN

 今回の講義では、「身近な心遣いの重要性」を学びました。私たちが一般的に目にする力、すなわち部分体で構成された力は、宇宙全体の5%に過ぎず、対立を主として構成された力であるため、非常に弱い力である事を知りました。しかし、残り95%の力は、私たちがその存在に気づいておらず、統一や融合により構成されている力であり、気を通じてそれらを引き出す事が可能であると学びました。
 気によって働く力は、質量を変える事が可能であり、古典物理学では説明が出来ず、量子力学に近い概念である事を学びました。よって、高校まで学んできた物理学を当たり前と考えていては、この力を理解できないと教えて頂きました。
 気によって働く力の概念の理解に時間がかかる一方、それらを実際に引き出すにはどうすればよいかが分からずにいた中、宇城先生から最後に大きなヒントを頂きました。それは、「あいさつ」をすること。子供の頃から言われていた事ですが、これほどまでに深く納得したのは初めてでした。気によって働く力は、融合や調和から成り、それは人を愛する事であると学びました。部分体とは真逆の発想であり、対立がいかに愚かなものであるかと実感しました。
 人を愛するには、自分に自信を持ち、相手を受けいれる心が必要と感じました。そのためには、日々のあいさつを欠かさず行い、コミュニケーションを通じて相手から信頼されるような関係を作り、対立を生み出さない環境作りが必要と感じました。これからは、仕事に対して何事にも逃げず・恐れず、自ら積極的に取り組めるよう、まずはあいさつをしっかりと行いたいと思います。貴重なご講義ありがとうございました。 

 

「身体は内なる気に応じて動く」を体感できたことに大きな感動   大阪 教員 男性 27歳 DK

 宇城先生、本日はご多忙のなか丁寧に指導していただきまことにありがとうございました。今回も驚くべき体験が多くありましたが、特に「身体は内なる気に応じて動く」ということを体感できたことに大きな感動を覚えました。
 私が7人ぐらいに持ち上げられているにも関わらず、気を通されると、渡り鳥のようにして方向を意識するだけで、集団が一体化したようにその方向へ進んでいきました。特に力んだわけでもなく、ただ行きたい方向を意識しただけでした。これは、自分の体内に気というエネルギーが満ちており、それを宇城先生に引き出していただいたことにより集団ごと動かせたのではないかと思いました。
 頭で考えていて解決できることではありませんが、このようなできる自分を発見する体験を積み重ねていけば、少しずつ自分に自信がつき、心を開いて地に足をつけ、ぶれずに生きていけるのではないかと感じました。ぶれている状態では、自分の意識のない方向からの圧力にとても弱いということは、正座をした相手を押す検証をもってはっきり実感することができました。
 
 また、この度、自分自身が反省すべきだと感じたのは、福島県の非難した人々への補償金の話しを聞いた時のことです。その家族に支払われる補償金が1億4000万円と聞き、少しではあるが「いいな」という気持ちが芽生えました。これは、恥ずかしいことだと思います。ただ金額の大きさに惑わされ、その先にある家族の姿を想像する力が足りていませんでした。多額の補償金の影響で働く意欲をなくし、社会から離れて行ってしまう親とそれを見ながら育つ子どもの状況を考えればそのような発想は生まれるはずもありません。いつも宇城先生がおっしゃっている未来から今をみるということができていないからです。これでは、子どもたちに想像性・創造性を培えるはずもありません。もっと、思いを遠くに広げ、未来から今をみるスピードのある生き方をしていきたいです。今日の学びを糧にさらに謙虚に生きていこうと感じました。

 昨今の、急な国際情勢を考えると、ますます、日本人として、一人の人間としての生き方を問われているように感じます。複雑化した社会のなかでも結局は自分自身がぶれない人間かどうかが重要だということです。今、海外に行ったら自分は自信を持ってそれを説明できるのかと、ふと考えました。なかなか、自信のある答えがでてきません。しかし、この道塾を中心として常に師に学ぶ姿勢を忘れず、進歩・成長していきたいと思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。 

 

あいさつで目の前からひとり革命をしたい   大阪 教員 男性 34歳 JM

 昨年から、9回目の参加になりました。今日もありがとうございました。
 はじめ、音楽に波動があるということをお聞きし、いくつかの曲を流すと不思議と力が出ました。流行している曲の中には、人間を軽くする、浮かれさせるものがあると聞き、知らず知らず内に、聞かされているのだと思いました。

 今日も、たくさんの学びがありました。宇城先生の帯を両端から引っ張ると、のびないと思っている帯が、すーっと延びていきました。片方を持たせていただきましたが、宇城先生が気を通すと、こちらの体にも気が通っているようで、自然と額に汗がにじみました。
 また2人組になり、肩をもんでもらったとき、宇城先生が方が鉄のように固くなると言われると、自分の両肩が硬くなり、ペアの方の指が入らなくなりました。けれど、やわらかくなると言われると、自分の肩の筋肉と筋肉の間に、ペアの方の指が入り込んでくるようでした。
 次に3人組になり、もう一方から引っ張りました。肩に手を添えて引くと、体が動きました。そのとき、私自身、宇城先生の言葉や実習されることを理解しておらず、宇城先生の言葉が、宙に浮いた状態で、体が動きませんでした。宇城先生は、よくわかっていない私に、手を止めて、一喝をしていただきました。そのあとで、丁寧にお話していただき、腑に落ちました。腑に落ちると、もう一方から引っ張ってもらうと、よりわかりやすく体が反応したように覚えています。
 よく考えると、目の前の生徒や職員、自分の取り巻く環境にいつもとらわれて、動けない自分がいたことに気づきました。そして、同時に、宇城先生にそのとき一喝していただけなければ、今後も同じところをぐるぐると回っていたと思います。

 その後の実習では、テーブルの上に座らせていただき、もう一方の方に、手を合わせ押すと、宇城先生は、もう一方の方が動いたのに、私や他の方が同じようにすると、自分が動いてしまいました。私は、2回目のときは、何も考えず、ゆっくりと押しました。が、「どうして動くのか?」と頭に浮かべた途端、自分のテーブルが動きました。またペアになりました。自分が上になり、おんぶをしてもらいました。宇城先生の気を通すと、体が重くなりました。また気を通した状態で、私が行きたい方向を思い浮かべると、もう一方は、自然とそちらに傾いていきました。
 全体を通して、「エベレストに登ったことのない人が、エベレストの登り方を教えてもらいたい」と言っても横着です。こうおっしゃっていたことで、私は修行という修行をしていないことに気づけました。次の1か月は、あいさつで目の前からひとり革命をしたいと思いました。