2014年 東京上級 第2回 (2014.4.09~10)

謙虚は衝突ではなく、調和を生み相手をも虚にする  埼玉 不動産業 47歳 男性 KS  
 道塾上級第2回目の講義、ありがとうございました。 今回、特別な感覚を感じたのが、先生が虚をもって塾生の方を制する時、差し延べた手に、確かに虚と言える様なものを感じました。
具体的な表現は難しいのですが、あえて表現するならば、手、腕の中がスカスカになっている様でした。 自分の手に対し執着心、我欲が無く、見た目には、手ははっきり見え、そこに有りますが、中身の存在感が希薄で、その様な手を掴もうとしても、 例えば、シャボン玉が飛んでいて、確かにそこに有りますが、掴もうとしても無くなってしまう様な感じで、実際に掴んでも、 すかされてしまうのではないかと思いました。虚はエネルギーを得る扉を開き、謙虚は衝突ではなく調和を生み相手をも虚にし、ゼロ化し、 制されてしまうのではないかと、その様に見えました。それに対し、我が強く、自分に執着すると、恐れを生み、身を硬化させ、結果、 かえって物事を失敗に繋げるのではないかと思いました。

 捨ててこそ得られる物、この虚の心持ちで何事にも向かい合えば、 もう少し勇気ある生き方が出来、勇気から行動する自分へと進歩出来るのではないかと思いました。 話は変わりますが、昨年末、義母が股関節を骨折し、人工関節を入れる手術を受けました。 手術はおかげ様で成功し、その後、熱心にリハビリを行い、車いすから2本の杖、1本の杖となり、何とかここ迄は順調に来ました。
しかし、ここから先がいっこうに変化がなく停滞してしまいました。杖無しで歩くには、怪我をした方の足に体重を乗せ、良い方の足を上げ、 前へ運ばなければいけませんが、色々なやり方で試しましたが、どうしても出来ませんでした。先日、ふと道塾で行った歩き方の検証を思い出しました。

 手のひらを正面に向けて歩くだけですが、義母と一緒に「イチニ、イチニ」と足踏みから始めました。
最初は怖々でしたが、次第に力強くなって行き、ついには足が浮きました。時間にすれば1分位の間でした。 足が浮かせられたので、ほんの僅かですが前に歩く事が出来ました。義母は「気」に関する事など、一切知りません。 つまり、先入観といった物は全く無く、やってみたら出来た。ただそれだけです。 細かな説明や技術、気合などは何もいりませんでした。今まで数々の常識ではあり得ない事を見、体験させて頂きましたが、 今回、目の前で起きた人間の本来持っている力による出来事は、改この様な事を、オープンに指導して下さる先生には、本当に深く感謝しております。有難うございます。

 

自己改革を続けることを再認識  千葉 介護福祉士 36歳 男性 TO 
 先日は、道塾上級第2回ご参加させて頂き、ありがとうございました。 数々の実技、講義など聞かせて頂き、一番印象に残っている実技があります。 腕をつかみに来る相手の行動が気を通すことで分かり、よけられる実技でした。 あの感覚は今も忘れられないです。 頭でよけようとした感覚では、到底理解できないものです。 相手が掴もうと動き出した瞬間には自分はよけています。
むしろ、相手は動き出してもいなかったのかもしれないぐらいの時間です。 今の常識とされているものがどれだけ低いレベルなのかよく実感できました。 今の常識の真実を知り、自己改革を続けることを再認識させて頂きました。 今回の新刊もとてもありがたいものでした。 道塾で学ばせて頂いたものを再度学べるものです。 特に無限の方程式は希望がもてます。 何度読み返させて頂きます。
今後とも宜しくお願いします。

 

心が動かなければ物の本質が見えない  東京 整備士 44歳 男性 HK
 東京上級第2回、ありがとうございました。 今回の道塾では多くの気付きと反省がありました。
物が見えていても‥頭で気が付いていても‥心が動かなければ体も動かない。 困った人がいても、それに気が付いただけでは意味が無い。 動かなければ意味が無い。 頭で「どうしよう」とか考えているようでは駄目だ。 心が錆び付いて動いていない自分を感じてしまう回でした。
 また、「メモを取ると弱くなる」。 私は毎回メモを取る事を心がけ、道塾でもメモを取ってきました。
実践で気が通って強くなった状態の身体でも、メモを取ろうとすると弱くなる事を 体験させていただきました。 メモを取る事とは頭で理解しようとする行為であり、心が動かない。 心が動かなければ物の本質が見えない(感じる事ができない)。 先生のおっしゃる事を心で感じようとしなかった自分を反省し、 それに気付かせて頂いたことに感謝でした。 物を雑に扱うと体も弱くなる。 仕事などで忙しくなると、つい物を雑に扱ったり整理整頓を怠ってしまう事が よくあります。忙しくて自分を強くしたい時に、自ら自分を弱くしていたのだと 改めて思いました。 これからも色々な事に気付き、反省し、心を鍛えていきたいと思います。 次回もよろしくお願いいたします。

 

日常を大切にしていきたい  神奈川 会社員 48歳 男性 TK
 宇城先生 スタッフの皆様 昨日はありがとうございました。 人を動かそうとするとき、私たちは力に頼ろうとしてしまいます。 それしか方法を知らないからです。 しかし、結果はうまくいきません。 自分たちはいつも実の世界でこのような衝突を繰り返しているような気がします。 そこでは有効な解決策が見いだせず、無為に時間を浪費する結果となります。 あるいは、力で解決できたように見えたとしても、 反感や遺恨を残したままになっていたりします。 剛、柔、ゼロ、そして、実と虚。 それは、統一体の身体による働きであり、頭の命令では、硬、軟、 ふぬけになるということを体験できました。 解決策は力にあるのではなく、エネルギーのレベルの中に 存在しているということが理解できました。 ただ「理解」はできたけれど、残念ながら「実践」することは出来ません。 そこにつながる道を進むことが自分たちの修行であると感じました。 統一された(気を通していただいた)空気はとても静寂で、 すがすがしい雰囲気に包まれます。 そのような空気(雰囲気)を伴った行動ができるように 日常を大切にしていきたいと感じました。 ありがとうございました。

 

気というものは心を素直にしてくれる  東京 保険代理店 48歳 男性 MW
 今回の実習ではふと気がつくと、身体が熱くなり、視野が開け、 正座が苦にならないなど、なぜかこれまで以上にエネルギーを 体感することができ、これが本来の「元気」というものではないかと 感じました。 また、今回の講義と実習を通し、自分は日々の仕事や生活の場において 「常に心があるのか」ということを強く反省しました。 計算を働かし小賢しく立ちまわることに終始していないか。 一時の感情に支配されていないか。仕事の一つひとつに心が こもっているのだろうか等々。そして不思議なのは、 こうした反省が道徳的な考えや功利的な目的から意識して行っているのではなく、 自然と心に湧き上がってきたものであることです。 「気」というものは心を素直にしてくれるのかと、 少々気恥ずかしながらも感じました。

 

時間の密度というものを実感  東京 社内通訳 53歳 女性 KM
 今回は、講義全体を通して、「時間の密度」というものをわずかながら 初めて実感でき、非常に感慨深い道塾となりました。 「リハビリで歩行訓練中の方が本を乱暴にテーブルに放り投げると 立ち上がれなくなり、丁寧に置くとスッと立ち上がれる」という様子を ビデオで拝見し、私たちが同じ動作をした場合は、背中を軽く押されて ぐらつくか、ぐらつかないかの違いしか判らなかったこの演習から、 気の働きがいかに大きく作用するものかを改めて知り、衝撃を受けました。
 また、先生に気を通していただいた状態で塾生全員が一本締めをすると、 音が澄み、四方に響き渡りました。気を通される前の一本締めでは、 濁った空気の中で音が割れて響かず、すぐに消えてしまいました。 カメラの三脚に気が通されると、無機物の鉄の棒であるにもかかわらず、 確かにその中でエネルギーが動いていることがはっきりと感じられました。 まるで、超弦理論の弦の1つ1つが動いているところを目のあたりにしたような、 不思議な思いと深い感動をおぼえました。 さらに、物事には「雑用」などないこと、雑に行えば全て雑用に堕すると 教えていただき、自分の生き方には雑な面が多々あることを振り返り、 ひとつひとつ丁寧に向き合い、取り組んでゆこうと思いました。

 そして、今回教えていただいた「心は気を創り、気は血を創り、血は身を創る」 という言葉は特に強く胸に響きました。この一文に凝縮された心と気と 身体の関係を肝に銘じ、「24時間が修行」という姿勢を本気で実践しなければ、 と反省しました。 僅か2 時間余のうちに、量子物理学の世界から現代社会のありよう、人体の仕組み、 人として求めるべき道に至るまで、先生は私たちの想像もつかないような 切り口から真実を語り、目にみえるはずのないものを見せ、 感じられるはずのないものを感じさせてくださいます。 世の中の見え方が変わり、自らの横着な心と振る舞いを恥じ、 惰性に流されがちな自分を清新な気持ちにリセットできます。 何年もかけてあらゆる分野の書物を読破し、ひたすら哲学しても 到達できないかもしれない、人として最高の生き方をわずか 2時間のうちに指し示していただき、先生から直接学べる道塾こそ、 1年が10年にも匹敵する本当に時間の密度の濃い場であったのだ、 といまさらながら実感しています。 これほどの大きな学びを毎回惜しげもなく授けてくださる先生に対する ご恩返しは、口先でお礼の言葉を飾り立てるのではなく、自分の内面から 真の意味で成長した姿をお目にかけることでしかできないと思っています。

 これからの人生を、その年数にかかわらず 「密度の濃い充実したものでありました」と胸をはってご報告できるように、 平和ボケと横着をこの身体からたたき出し、素直に師を映せる自分となれるよう、 日々覚悟を以って心を育んでまいります。 本当にありがとうございました。

 

すべてにおいて心が伴い、作用する  東京 アルバイト 39歳 男性 MK
 今回も先生からいろいろなお話を頂きましたが、一番心に残ったのが実践塾の方を治療している映像でした。その方が本や杖を粗雑に扱うと立ち上がれなくなり、丁寧に扱うと普通に立てる。この映像を見た時、一つ一つの行動には必ず意味があり、それには心が伴うことが分かりました。同時に、今まで先生と行ったいろいろな検証で「分かっているつもり」だった自分が恥ずかしくなりました。それほど、この映像は私に取って衝撃的でした。物に対する態度、他人に対する態度、すべてにおいて「心」が伴い、作用する。そして、このことは家庭での躾や学校教育において教育しなければいけないのに、私達の場合は、すべて「心」を置き去りにして教育されていた現実を知り、非常にぞっとする話でした。しかし、まだこの傾向が続いています。中学校での武道教育がその例だと思います。「心」のない指導者が、柔道初心者に教えたら、事故が必ず起きます。そこには、世界の指導例を素直にフィードバックをしようとする態度が見受けられず、かと言って未然に防ごうとフィードフォワードする態度も感じられません。悲しい事故が起きないためにも、「心」のことを知っている我々が、常に子供達や周りに発信していかなくてはなりません。それが先生のおっしゃる24時間修行でもあり、大河にコップ一杯の水なのだと思います。
 私自身も、物質・力がすべてを思われる世界から、調和・融合の世界に身を置き、常に修行していきます。今回、実技において先生が気を発して団体を動かした時、わずかですが空気の波動を感じることが出来ました。今までは全く感じることが出来なかったので、少しは成長したのかな?と思いました。これからも「心」を鍛えて、先生の気をもっと大きく感じられるようになりたいです。講義、ありがとうございました。

 

雑用ということはない  東京 会社員 50歳 女性 MY
 今回心に残ったのは「雑用というのはない」という言葉です。最近会社で単純作業的な仕事が多く、あまり評価されない割には時間ばかりが取られることにあせりを感じていました。しかしその仕事を雑にしているのは自分の心や取り組み方なのだ、ということに改めて気づかされました。
 先生が見せてくださったビデオでも、物を雑に扱うと松葉杖の塾生が立てなくなり、丁寧に扱うと難なく立てるということが、如実に気の存在を表していました。時間に追われ、慌しく過ごすことが多いと、ついいろいろなことに対して散漫になり、全身全霊を込めることとはほど遠い毎日を過ごしてしまいがちです。そんな日常に流されず、少しづつでも進歩できるよう、一つ一つの行いに気持ちを込め、丁寧に取り組んでいくことに心がけたいと思います。また、手をつないで立つ時、自分こそが一番に立つと思うとお互いに反発し合って立つ動作が遅くなってしまいますが、お先にどうぞという気持ちでいるとそこに調和が生じ、すんなりと立つことができました。衝突と調和を、また違った視点から見ることができ、日々の行動を反省することができました。最後に皆がいっせいに手をたたく時、気を入れるとどうなるのか、といった検証をしました。気を入れない時のパチッという音に比べ、気を入れた時は張り詰めた空気の中を短く鋭く音が通ったようでした。気は見えないものですが、それを音として捉えることができたのには感動しました。
 今回気づかされたことを心に刻み、日常を送るようにしたいと思います。それでは次回もよろしくお願いいたします。

 

頭ではなく、心で感じる事ができました  静岡 会社員 49歳 男性 NY
  第2回目の講義ありがとうございました、私にとっては原点に帰る講義だった ようにおもえます。
今の日本の現状に危機感を持ち真剣に立ち向かっている 日本人がどれだけいるでしょう?
気のエネルギーが希薄になっているのは、間違いありません。
今回の講義で剛、柔、無力化、実と虚の検証が実に、自分に入りやすく、 おもしろく、原点に帰れた内容だったと思います。 特に7人が横に手をつなぎ、正座し人より、早く立ち上がる検証では、 自己中心的な人は互いに引っ張り合い良い会社、環境を作れず、ゆずりあい、 調和すれば全員がスッとたちあがれ、みんなが気持ちをあわせれば素晴らしい会社が作れるなど、頭ではなく、心で感じる事ができました。 ありがとうございました。
また宇城先生の御著書を購入した際、 至誠とサインしていただき、言葉の意味がわからず、調べて見ました。 吉田松陰先生が弟子にあてた言葉で、目の前の事に誠意をもってあたりなさい、 それに尽くしなさいて言われたそうで、その言葉に感動しました。
今、まさに 日本人になくなってきている、現状です。 宇城先生の書いて下さった書を毎日、見つつ日常生活に修業しています。 本当に素晴らしいお言葉ありがとうございます。
次回も、よろしくお願いします。

 

今目の前にある現象に集中  東京 ライター 51歳 男性 SK
  宇城先生のフイード・フォワードのお話が今回、最も印象的でした。 常に先の先を想定して、早め早めに手を打っておくことがとても大事 なのだと痛感させていただきました。 今目の前にある現象に集中し、奥の奥を見据えることで、 未来も見えてくるのだと・・・。 どうしても日々の生活の忙しさにただ流されてしまいがちになるのですが、 それはやはり、自分が横着で、事前に仕事の先の展開を読んでいないから、 もしくは、読み違えているから、時間不足に自分が勝手に悩んでいるので あって、もっと今に集中しながら先を読むことにも注意を払わねばと 思いました。
また、「死ぬこと以外はかすり傷」のお話も、 頸椎損傷から奇跡の復活を成し遂げた気合あふれる道場生の方の映像を 拝見することで本当に肚に落ちた感じがいたしました。
今回も貴重なご指導、誠にありがとうございました!

 

日常生活の大切さを学びました  神奈川 販売 36歳 男性 OO
  今回も沢山のご指導ありがとうございます。 私は今回の講義で心の持ち方の大切さ、気の無限さ、日常生活の大切さを 学びました。冒頭の動画で空手実践塾の中島さんがリハビリの一環で、 椅子から立ち上がろうとする時、松葉づえを大切に扱うと立ち上がって強くなり、 雑に扱うと立ち上がれなくなって弱くなる。 また机の上に置いてある本を丁寧に置くと立ち上がって強くなり、 投げ捨てるようにすると、立ち上がれなくなって弱くなる。 また空手の型である手刀受けをしただけで、立ち上がれた姿を見た時は、 とても驚きました。日常生活の所作やサンチンの型だけでなく、 手刀受けにも身体に気を通す事が出来るとは思いませんでした。 自分の中で新しい発見と収穫と感動です。 これからより一層、空手の型の稽古をしていきたいと思います。
また7人の横列で手をつないだ状態で正座し「誰よりも早く立ち上がって」と 先生が言い、立ち上がると意外とすぐに立ち上がる事が出来ず、 逆に「お先にどうぞ、という気持ちで立ち上がって」と言うと、今度はすんなり と誰よりも早く立ち上がる事が出来ました。相手を想う気持ちひとつで、 身体がこんなに変化するとは、本当に驚きでいっぱいです。
また、気を通すと拍手の音が全く違ってくる事も驚きでした。 普通に拍手すると「パチン」という音が出るのですが、気を通した拍手だと 「パーン」とそんなに強くたたいている訳ではないのですが、 教室中に 音に変化しました。宇城先生の気は自由自在で本当に素晴らしく、 毎回道塾では、新しい発見の連続です。 本当に日常生活が修行の場だという事を改めて感じさせて頂きました。
まだまだ先生に気を通してもらわないと何も出来ない自分ですが、 いずれ自分自身で気を発する事が出来るように、日々真面目ではなく 真剣に生きていきたいと思います。