2013年 大阪中上級 第1回 (2013.2.5)

気づきを得た一人の人間がスピードとエネルギーを持って   滋賀 高校教員 47歳 T.F

 「教える」どころか「学び方」すらわかっていない、ということを思い知らされたこの度の道塾でした。ラジオ体操は体育の基本だと考えていましたが、それを行なった時の我が身の浮いてしまう弱さ。これに対し、ちょっと体を斜めに向けるだけで確かな身体に変わる驚き。そのようなことをこれまで意識することもなく、それがあたり前だと信じて疑いませんでした。誤った考えを土台にして、その上に「強さ」や「速さ」「勝つための努力」を「正しく」積み上げていく。体罰もその一連の流れの中にあり、その部分だけを問題視しても、破滅への流れは止まらないということを教えていただきました。「対立・衝突」の行き着く先の破滅を避けるためには、やはり根本からのコペルニクス的転換が必要なのだと強く思いました。またその転換、変革も誰かが号令をかけ、旗を振って先導しても仕組みや組織は変わらない。その中にいる、気づきを得た一人の人間が、スピードとエネルギーを持って、内面からうねりを起こしていくように、周囲を変えていくことによって可能なのだということに確信を持ちました。宇城先生がずっと前からおっしゃっていた危機感にやっと気づいている自分です。まだまだ学びの端緒に着いたばかりですが、ともすれば閉ざしがちになる己を開いていけるように心がけていこうと思います。

 

自分を信じることの大切さを気付かせてくれます   京都 公務員 26歳 女性 R.I

 教室に一歩足を踏み入れた時から、受講生の皆様の講義に臨む姿勢や意識の高さに圧倒されました。厳しい中に、笑いもあり、教室全体が暖かく、明るく感じられました。このような環境で学ぶことができることを有難く思います。
  折しも、高校の部活動における体罰を苦にした生徒の自殺や、女子柔道における体罰の告発が世間を騒がせています。日々の報道の中で、もやもやとしたものを感じるばかりで本質が見えていなかった私ですが、今回先生の教えをいただき、無意味な暴力や体罰は必要がないことに改めて気付きました。先生は受講生一人一人の目を見ながら実践を踏まえ、自分を信じることの大切さを気付かせてくれます。私が感じた教室の暖かい空気は、先生と受講生の間に信頼関係が築かれているからこそ生まれているものだと思いました。
  今はスポーツ界における体罰問題、と一歩引いた目線で語られていますが、とても身近な問題だと思います。私も自分に余裕がない時、理解が追い付いていないとき、人に心の無い言葉を投げ掛けてしまうことがあります。子供に手を上げる親がいるのも、親が子供を教え、導いていくことが出来ていないからだと思います。自分の周囲への姿勢を変えていくことで、厳しい指導をしていたり、難しい場面であっても、包む空気は自然と暖かくなるものだと学びました。
「すごいな」「不思議だな」と感じるばかりの初級を経て、これからは日々の生活の中で一つ一つ気付きを重ねていく一年にしたいと思います。

 

本来の姿に戻って生きたい   大阪 医師 54歳 女性 H.A
 眼で見えているものが如何に虚であるかということを実感しました。腕を横に広げる部分体体操の見かけの動きを変えずとも、内面を変える事で統一体となれる。けれど、見える形に囚われて間違いを正そうと外見の正否を問題にすると衝突になる。眼に見えない心の動きこそが実である。“思う”という心の動きは外から見えないが、強いパワーをもつ行動そのものである。また、毎日の生活で感じる怒りや苦しみも頭が作り出した虚である。体罰報道を受けて感じる怒りや失望は無用のこと。表面しか見ない私には見えなかっただけで、既に出ていた過去の結果が見える形になっただけである。これが、先生の“それで正解”というお言葉の意味するところと理解しました。今、事件として世に出てきてもなおその本質が見えない人たちがいる。先生に繋がらなければ私もその気づきを得ていないに違いありません。先生とそのご縁に感謝するばかりです。

 宇宙の叡智との絆である心を曇らせなければ、本来の人間の姿、力を取り戻していける。先生はそこへ戻っていく道筋を示して下さっていると思います。毎回、気の存在を体験することで本来の姿に戻れる自分への信頼を取り戻させてくださる。だからこそ、障害のある患側でなく正常な健側を動かすことで身体は左右バランスのとれた動きを取り戻そうとするというお話をお聞きした時にも、私たちはそういった身体の力を信じることができる。そして、初級受講の頃はどうしたら気の通った身体に変身できるかとばかり考えていましたが、今は本来の姿に戻って生きたいという思いに変わっています。
 また、立って座るという連続した動作であっても、意識するということが大切なことも教えていただきました。初級では、手を回しながら立つと肩を押さえられても立ち上がれることを検証しました。それは頭で考えると身体は弱くなるからだと理解しました。今回、頭で考えることと意識するということは全く別の動きであるように感じられました。立つというような日常のありふれた動作、姿勢や呼吸も在るべき形を意識し自分にフィードバックを繰り返しかけていく。やがて無意識にそうなっていく。そうして気がつくと出来ていた自分がある。そんな道を歩んでいきたいです。 

 膝を軽く曲げるだけで力が押さえた人を貫通していく実証やサンチンの動作で、かえって身体が弱くなる実証では、サンチンを稽古しているつもでも全くできていない自分を見せていただき、しかし励みをいただいたように感じました。これからも手探りで稽古して参ります。上級の初めに当たり、得るものの大きな時間でありました。新しい仲間との出会いを大切にまた1年間、成長して参ります。

 

結果を出すまで自分の潜在能力を信じて   三重 公務員 57歳 男性 T.N

 今回気付かせていただいたことの中で、私にとって重要なことの一つは、「常に先へ先へと動き、とどまってはならない」ということです。ついつい頭の中であれこれと考えたり、迷ったり、打算に走ったりしてしまうのですが、頭で考えずにとにかく心と体を動かす、走る、ということに取り組みたいと思います。「正しい姿勢を身に付けようとするときに、初めは『あっ、姿勢』『あっ、姿勢』と意識して正していかなければならないけれど、続けるうちに体に染み込んでいつも良い姿勢が保てるようになる」と、塾長が物事の取り組み方の例としてお話しくださいました。このことをあてはめると、初めのうちは「考えてはだめだ」と意識してコントロールしなければならないものの、積み重ねていくうちに素早く動けるようになるのだと思います。速さということに関して「限りなくゼロに近い無意識の世界のスピードを得て統一体になるためには自分の器を大きくすること」という塾長のお話がありました。ただ心の中で「大きくなりたい」と望むだけで叶う訳はなく、結果を出すまで自分の潜在能力を信じて倦まずに続け、ひとつの物事を成就させて、次のステップに進むということの繰り返しでしか成就できないのだと改めて気付かせていただきました。
 大宇宙の中では自分は一つのほこりとさえ言えないくらいに小さなものだと想像すると、自分を守ったり、カラに閉じこもったり、横着したり、打算に走ったりするなどといったことは、さらに自分を小さくしてしまうのだとわかります。周りを変えようとするのではなく、また、周りに取り込まれるのではなく、開かれた明るい方向を目指して自分を変えることで器を大きくしていきたいと思います。検証の中で、体に対して斜めの方向に腕を交差させて振る動きをする際に、これみよがしにやるのではなく、「組織の中で生き残る方法」をユーモアたっぷりに教えてくださり、「これが『一人革命』だよ」とおっしゃったことに強烈なインパクトを受け、これからの実践の大きなヒントをいただきました。このように道塾の塾生として宇城塾長のもとでそれぞれの「一人革命」を実践する仲間とともに歩めることに大きな喜びを感じています。

 

体の奥の方からは、喜びが溢れる   大阪 会社員 45歳 男性 M.A

 今回初めての中級参加となりました。初級の時と比べてレベルの高いお話に、なかなかついていけずに戸惑ってしまいました。初級を終えて中級に参加したことを、まるでレベルアップをしたかのような錯覚をしている自分自身に気付かされ恥ずかしく思いました。三戦の型をしても、簡単に後ろから体を揺すられ、体も心も浮ついている事が解っていながら、何も出来ませんでした。
 近づく程に遠くなっていくというお話がありましたが、一生かかっても辿り着けない師の存在に触れた気がします。しかし、先生との絶望的な距離間とは反対に、体の奥の方からは、喜びが溢れてくるのを感じています。道塾の帰り道から何か嬉しくてたまらなくて微笑んでしまいます。その感覚は今も続いていて、仕事が楽しく、家族にも優しく接する気持ちになっています。これからは先生に与えられるだけではなく、自分自身で気を発せられるような日常を積み上げていきたいと思います。

 

自分との戦いの中で調和融合を身に付けたい   大阪 会社員 44歳 男性 H.T

 内面の働きについて
 ラジオ体操をする時に真横に腕を振って後ろから腰を揺さぶると安定感がなく、少し右斜め、左斜めに振ると安定すると事象の中で今まで正しいと言われたことが、実に理にかなっていないかがよく分る事象でした。本当に正しいのか正しくないのかは、やってみて初めて分かることですが、指導する側の方々が間違いに気付かず教えているのか体験出来ました。それが正しいからと言っても学校や組織の中では爪弾きに合うか、怒られる。
 では、どうするのか?「内面でするということ」そうすれば、生き残れると言われた時に、 いかに間違いだらけの常識がまかり通っていることに、気付く瞬間でもあり今もなお、間違いだらけの指導者が日夜、指導していることの恐ろしさとともに、塾長の理にかなった指導には高次元のレベルで比べようがない。「だからだめなんだ」ということに、指導者が気付くべきですが、何が正しいのか解っていないのではないでしょうか?

無力化について
 手を塾長の肩に両手で押さえていた手が、動かない。
 いくら動こうとしても動かない。それどころか、体が動かない。
 体が熱く感じ、頭ではどうしようもない感覚で、ここで打ち込まれたら間違いなくやられる。調和融合、相手に入る、無力化するとはこういうものかと肌で感じました。

愛という武器
 もう一つ印象に残った事象で物を拾う仕草で、「あぶない!」と塾長が声をかけると、かけられた相手が後から押されても動かないという事実。
 心の発動の「あぶない!」が相手を守るということが、目に見えない「気」というエネルギーではないのかと思いました。日常においても、「いってらっしゃい」も「おかえり」も「気をつけて」も心の発動の言葉が相手を守るのではと思います。まさに、愛という武器ではないでしょうか。
心を開く
 塾長自身も心を開いているからこそ本物の指導する方とは、全員に「心が開いている人」に伝わるのだと思いました。
 感想文の中でまるで自分のことを言われている様だと、ハッとさせられることが書かれているのを見て塾長は皆に言われているのだと言うことに気づかされました。
 毎回いろいろな発見、気付くことの大切さと「今」というプロセスが未来につながりどうなるかは容易に創造できるのではと思います。良いことも悪いことも「今」という種がどういう風になるかは、一人一人に言えることではないでしょうか。心ない権力者がトップに立つことの危険性を感じずにはいられない中、逃げない、妥協しない、自分との戦いの中で調和融合を身に付けたいと思います。

 

愛とは行動であり、実体のあるエネルギー   京都 販売業 43歳 男性 S.I

 上級は、初級と違って厳しい雰囲気だと伺っていたので受講前は緊張していたのですが、会場に入るとスクリーンを背に、先輩受講生の方々とにこやかに談笑されておられる塾長の笑顔に、会場全体がとってもなごやかなムードになっていて、終始ワクワクしながら受講させていただきました。初級クラスでは私も含め受講生の方々が、まだまだ心が固くうまく笑えていない人もおられたと感じましたが、上級中級合同クラスでは皆さんがすっごくいい笑顔で笑われるのが印象的で、生命がはじけ合ってる!と感激しました。
 
講義で印象に残ったのは、
 「脳が行動を決意してから、実際の行動を開始するまで0.2秒かかる。
  気はこの0.2秒の世界に入り込める(=相手の攻撃を開始前に気で制する)。
  0.2秒というのは、時計の秒針ではほとんど判別できない微細な振れ幅だが、
  自分という器を大きくしていくと
  (時計の絵の周囲一杯に大きな円を描かれ、秒針をスーッと延長して描かれて)
  こんな風に 0.2秒の振れ幅も大きく見えるようになり、そこを捉えられるようになる。
  器を大きくしていく事が大切だ」
というお話でした。
 講義の開始前、塾長が世界各国の出向いた先で出会った現地の人たちの写真や動画を、御自身のiPadをスクリーンに繋いで上映して下さっていました。その、世界各国の人たちの生き生きとした表情がとても愛おしくて、その人たちと繋がっている、同じ地球で生きているんだ、という感覚を覚えました。この世界の人たちを、他人事でなく仲間と感じる感覚を広げていく事が「自分の器を大きくする」事につながるのではないか、と深く感じ入りました。
 実習では、ついに宇城塾長のサンチンの型の実演を間近で生で見られて感激しました。今回は、最初の礼から三歩前進までの動作でしたが、単純な動作なのに塾長の体やお顔や伸ばされる腕の隅々まで クワ~ッと生命力が通っていくその動きに心底感動しました。
 また、「心を開く」という事をサンチン型の後半の「中割れ」の動作で示していただきましたが、相手の心をやさしく胸元に引き寄せていく動き? 相手の心にそっとやさしく愛を置いていく動き?(私は そんな印象を受けました)に、心を開くとは こういうことなのか?!と 眼からウロコが落ちる想いがしました。実際にこの動作で向かい合う相手の方々に気の力がおよぶ現象を見せていただいたので、愛とは行動であり、実体のあるエネルギーである、と感じ入りました。
  今回の第一回で サンチン型への非常に大きな興味が湧いてきましたので、購入済みのDVDを見ながら自宅での稽古を開始しています。この先、どんな発見があるのだろう。次回の講義が本当に楽しみです。

 

周りも自分もプラスになることこそが大切   大分 53歳 男性 T.M

 サンチンを学びました。サンチンはDVDで見て、形と順番を覚え、毎日繰り返し稽古しています。しかし、目に見える形だけ真似をしても、中身のない稽古を繰り返していました。宇城先生から気を入れていただくと、筋肉では解決できない力が発生します。宇城先生に気を入れていただくことで、心と気の底知れない威力を経験することができるということは、大変に貴重なことだと思います。講義全体を通じて、統一体を身につけることができなければ、一人革命などできないということを学びました。
 私達は閉鎖された世界に生きており、開かれた世界においては到底意味のないことを繰り返しています。(意味がないことをしていること自体わからない人が大勢いる中で、宇城先生に学ぶことで気付かせていただけることに感謝しています)
統一体となることができれば、開かれた世界に身を置くことが可能となります。
そして、目には見えない内面を変えることで理不尽な世界でも堂々と生きられる。
 掃除をする時に手伝ってもらいたいと思いながら掃除をする時と、そういう気持ちが全くなくなった時に、自然に手伝いが始まるというお話は、身近なこととしてよくあることだと思います。我欲がある行動は相手にも伝わり、心からの行動も相手に通じるということです。周りも自分もプラスになることこそが大切です。その為にも、心ありの行動を常日頃から実践していきたいと思います。そして自分の器を少しでも大きくしていく努力をすることで、視野を拡げていきたいと思います。
 宇城先生が、綺麗と美しいは違うとおっしゃいました。私は、目に映る綺麗さを求めていました。美しさに気付けるような自分、そして自分自身を美しくする努力をしていきたいと思います。
 素直な気持ちになるということは、過去の知識や経験を全て捨て去り、心を開いて師のお言葉、実技のありのまま学ぶことだということだと思います。素直さと謙虚さを常に忘れないようにしたいと思います。

 

「愛は行動を伴うもの」を心の真ん中に   徳島 高校教員 39歳 男性 K.S

 この道塾に参加させてもらうようになって5年目となりますが、毎回新鮮で、気付かせていただき、エネルギーをもらっています。今回もその通りでした。
 勉強を重ね、統一体の考え方を理解したつもりでいても、次第に行動に移せなくなり、日々の雑踏の中で今まで培ってしまっていた部分体的考え方に支配され、行動と共に全ての事柄が止まり、不満や怒りの矛先を回りに向けておりました。先生がしきりにおっしゃっていた「体罰はあって当然。そういう中で生きてきたのだから」「統一体的考え方ができれば、体罰なんて起こりえない」という言葉が印象的でした。
 以前から「教育から崩壊する」「なかでも、柔道が一番ひどい状態だ」「手遅れになっている」というお話を何回も聞かせていただいてましたが、現在、実際に体罰・暴力問題が明るみに出てきました。まさに、先生が先をとって物事を日々考えているから、数年前から今の状況を容易に予測できていることが証明されました。さらに、「一人革命」という言葉も以前から教えていただきましたが、今回、さらに深まった感じがしております。
 以前であれば、ぱっと聞いて、「よし、僕だけでも必死になってやれば周囲がそれに影響され変わっていくんだ!」と思っておりましたが、講義中に先生が実践していただいたように、先生が気を出していただいたら、腕を組んだ私たちがその「気」に押され、その「気」を感じ、そして笑いが起きる。このことを体験させてもらいました。まさに、一人のエネルギーが周りに影響を与えた瞬間でした。そのわかりやすい例で、誰か手伝ってくれないかなーという気持ちで掃除をしたら、誰も近づいてこないけれど、本気になって掃除をしていれば、思わぬ人が手伝ってくれるということもおっしゃてくれました。まさに、一人革命のヒントが隠されていると感じました。今までなら周りを変えてやる!という頭に居着いた状態で一人取り組んでいましたが、それでは部分体的考え方になり、周りにはなんの影響も及ぼさない。しかし、必死になって、今あることに取り組んでいたら、身体で取り組んでいたら、統一体的考え方に近づき、周りに影響を与える事ができる。まさにそのことでした。
 また、時間の話の中で、とても短い時間の幅で、目に見えないようなものでも、視野を広く、器を大きくすればそれははっきりとわかるようになり、その世界で物事を考え捉えていくと、相手の先を行くことができるとも教えていただき、そのためには、素晴らしい師と出合わせてもらっている今に感謝し、日常生活の中で、姿勢や挨拶、ゴミ拾いを通じて自分を鍛え、「心」の上に相手と書いて「想」、「心」の上に自分と書いて「息」、「心」の上に「今」と書いて念、「心」が真ん中にあるのが「愛」、マザーテレサの言葉である「愛は行動を伴うもの」を心の真ん中に置き、行動していきます。

 

「目に見えない世界」が心の世界   愛知 学生 19歳 男性 A.K

 先生がホワイトボードに「閉ざされた世界」と「目に見える世界」と書き込みました。閉ざされた世界とは、器が狭く目先の事しか考えられない自己中心の世界です。まさに自分が一生懸命やってきたスポーツ空手の世界だと思います。そのスポーツ空手は、同時に目に見える世界であり、綺麗さ、格好良さを求める物でした。それと真逆の「開かれた世界」と「目に見えない世界」が心の世界であり、僕達が先生から学んでいる世界です。先生と出会い、今までの学びの積み重ねがなければ自分も一生「閉ざされた世界」と「目に見える世界」の中にいたと思います。
 また、柔道女子のオリンピック監督が暴行したというニュースが最近話題になっていますが、先生からの学びがあってこそ、それをおかしい、何かが違うと感じる事ができますが、先生と出会えずにあのままスポーツ空手をしていたらきっと、柔道なんだから指導するときに殴る蹴るぐらいは当たり前だろう?と思っていたと思います。間違った世界にどっぷりとハマっていた自分に間違いであると気づかせてくれたのは先生だけです。本当にありがとうございます。
 また先生の三戦、居合い、開発業時代の話、聞く度に勇気づけられます。そして宇宙、大自然のお話、人間は生かされているということを肝に銘じ、また心の中に先生から学んだ事を念じ、日常を修行していきます。