2018年 東京中上級・A 第1回 (2018.1.24)

感謝は謙虚な心からしか生まれない       東京 会社員 48歳 男性 TK

 昨日印象に残ったことは、「自分に気が通っているかどうか検証しないと自分ではわからない」ということです。
 他の人に押してもらうと一目瞭然ですが自分ではわからないというのは、自分で自分がわかっていないということを物語っていると思いました。ということは、自分だけの基準で進めることの危険性を示していますし、師を持つことの大切さを表しているのだと感じました。
 毎回、道塾に参加するたびに気づきをいただいていますが、もし参加していなかったら、今以上に自己中心で横着な 人間になってしまったのだと思います。

 昨年7月に会社を辞め、自分の会社を立ち上げました。今のところ、多くの方がいろいろと支援をしてくださって、概ね順調に滑り出しました。
 自分の会社を立ち上げたころと時を同じくして、「感謝日記」を付け始めました。小さな感謝をひとこと書くだけですが、 多くの方に支えられていることを実感します。書いていて気づいたことは、感謝は謙虚な心からしか生まれないと言うことです。自分が謙虚でいるためにも、感謝日記は続けていきます。 そして、今年は自分が支援を受けるばかりではなく、支援をしてくださった方への恩返しをしたり、自分が他の困っている方を支援して行きます。それによって先生がおっしゃる「魅力」を高め、いい循環を創り出して行きたいと考えています。
 次回も楽しみにしております。ありがとうございました。

 

できた事実はあとから理論や理屈をつけても、もともとできていた方が先にある 
                                        東京 造園業 55歳 男性 MO

 実践実証から、机の両端を一人ずつ持って持ち上げる、先生が気をかけると重くなる。その机の上に一人うつ伏せで寝る、持 ち上げると、人が乗ってるのに軽くなる。理屈ではなく目の前でおきている事実を知り素直に受け止める。何でそんなことができるのか不思議ですが、先生が仰られように、できた事実はあとから理論や理屈をつけても、もともとできていた方が先にあるということ、実証できる人が必要なこと。
 正座と体育座りでの検証。正座をする、後ろから軽く押してもらうとぶれない、体育座りだとぶれる。前からできていたこと 、今の教育では直そうとしても無理。学校以外で正座を教えていく、そこから育てることなど、いつも納得させていただくこ とばかりです。そして正座や日常生活の中でいかに横着をなくすか。
 健常者が杖を粗末にあつかい投げても歩けるが、脳梗塞などで歩けない人が投げると歩けるものが歩けなくなる。目には見え ないけれど、物を粗末に扱うことも横着のひとつであることで、気をつけなければついやってしまいそうです。
 気が身体を守ってくれる。三戦の型を通じ、統一体になれるよう身体を練っていく、正しい型を繰り返し、調和の出来る身体 と心をつくっていく、無意識化まさしく死ぬまでできないかもしれません。少しでも自分を変えることにより、日常生活の中で活かすことの原点に戻ることを、一緒に道塾にこられている年配の0さんを見て感じました。