2013年 東京中級 第1回 (2013.1.23)

まず行動、それから言葉   東京 会社員 52歳 女性 K.M

  2013年第1回目の道塾は、私にとって今年1年の指針となる言葉をいただき、また生命というものの奥深さを様々な角度から教えて頂いた、大変に刺激的で大きく心を動かされた学びの場となりました。
 冒頭の講義では、アンコールワットの遺跡の数々の写真が強く印象に残りました。千年近くも永らえている遺跡であっても、地球という生命の成住壊空の営みには抗えず、その各所を大樹に絡めとられて徐々に崩壊へと向かいつつある姿を見ながら、自分の生命にも厳然と限りがあることを考えていました。
 どれほど長生きできたとしても、あと30年程度の人生なのだから、生老病死という生命のサイクルを受け入れ、人間として最高の状態である統一体を目指して、地球と重力で繋がっていることを実感し、生かされていることを心から楽しみ、感謝し、自分の生きた証を人の心に残せるような振る舞いのできる人間にになりたい、と思いました。

 そして、 今回の道塾で最も感動したことは、本物の師と相対することで、自分では不可能な動作が「映す」という形で瞬時に可能となることを体験できたことです。
「正座の状態から片膝立ちで刀を抜き、相手を斬る」という居合いの所作を自分だけで行ったときは、右足を大きく踏み出した状態から立ち上がることは全くできませんでした。それが、先生が私たちに向き合って、一緒に同じ所作をして下さった時には、踏み出した足幅もなにもかも一切同じであるのに、全く無理なくスッと立ちあがることができました。自力で立ち上がったというより、何か目に見えない力に私の体が軽々と抱え上げられて、気がついたら立ち上がっていた、という感覚でした。
 特に何を考えることもなく、眼前の先生の所作に心を集中した一瞬、身体が劇的に反応して不可能が可能となることを全身で体感させていただきました。その瞬間、理由は判らないのですが体の奥底から強烈な歓喜の思いが湧いてきて全身を満たし、思わず涙がこぼれそうになりました。それこそ、細胞1つ1つのレベルに至るまで、身体中が喜んでいることを、脳が後追いで知覚しているような、不思議な感覚でした。その際の、「本物の師でなければ、このように映すことはできない」という先生の言葉の重さ、深さを改めて噛みしめ、また、まさにその師にこうして教えていただけている身の幸せを思い、心から有難く思いました。
 今回の居合の所作を通した演習を通じて、こうした演習の場だけでなく、社会を捉える目、日々の行動、人との関わりかた、一瞬の心の働き、まさにありとあらゆる場で、その24時間が全て修行であり、師を映す場であるのだ、と得心しました。さらに、先生は道塾の講義、演習、著作、DVDなどあらゆる機会、媒体を通して塾生に「本物」を映し、成長を促そうとして下さっているけれど、それを映せるか映せないかは私たちの感度と一念次第であるのだ、とも感じました。

 今年で4年目となるのですが、道塾で学び続けるなかで、無意識のうちに、いつの間にか先生の姿が心の奥に焼き付いていることを実感しています。特に、気が進まないけれど、手をつけなればならない自分の課題に取り組もうとしたときなど、こちらを真っすぐに見つめる先生の姿が目の奥に浮かび、思わず背筋を伸ばしてしまうことがあります。その度に、全身全霊、魂を打ち込んで一人一人を育てようとされている先生の思いが、私の生命に刻まれ始めているのだと感じます。そして、これほど素晴らしい師に巡り合えたことに対する感謝の思いは、言葉でなく行動で、自分が変化・成長することで表さなくては、と気が引き締まります。
  2013年は、「まず行動。それから言葉。」を指針として、行動することを私の祈りとして参ります。日々の小さな行動の積み重ねを通して、自分の成長という大きな結果に繋げられるよう、毎日を大切に過ごします。そして、いつかは、「電車にその人が一人いるだけで、車内で悪さをするような人が出なくなる」ような存在になることを目指して、心を磨き、アンテナを敏感にして、少しでも多く先生から教えて頂ける事を吸収・咀嚼して身に付けらるよう、この一年を通して真摯に学んで参ります。

 

これも「愛」のひとつの形   東京 会社員 42歳 男性 S.N

 「愛」=名詞  「愛する」=動詞
愛するとは心で相手を思いやる気持ちではなく、相手を肯定し、感謝を表し、相手の感情を理解し奉仕すること。皆がこのような気持ちをもって行動すれば凄くいい世の中になると思います。
 先生のお話で初級と中級の違いを理解できました。同じことを体験しても活かし方が違ってくる。それが「深さ」ということですね。この「気」というものを通じて実社会でどのように活用していくか・・・ 初級の時の「わぁ~凄い!」という感動から一歩先に進んだ感じを強く受けました。
 話を聞く姿勢で身体の強さが変わること、相手の方をおんぶして重さが変わることなどパートナーがいて始めて体感、検証できることです。お互いに「お先にどうぞ」、検証が終わればその都度「ありがとうございます」そんなやり取りが自然とありました。今思うとこのような行動も気の流れを良くしているように思います。これも「愛」のひとつの形だと思います。
  次の講義が楽しみです。その間に先生の書物、DVDを読み漁ろうと思います。『サンチン上巻』での先生の動き、本当に心から凄いと感動しました!! 競技空手と武道空手の違いといいますか、本当はこれなんだ!!という気持ち、目から鱗とはこのことです。

 

調和の気の世界がある   千葉 医師 70歳 男性 K.I

 貴重な体験ありがとうございました。
 相手に対する思いやりの気持ちと気の力について体験させていただきましたが、「行為」ということを通してあることに気付きました。気は調和だということで、最近なぜか「ゲーデルの不完全性定理」というものが頭に浮かんできていて、調和との関係を考えていました。これが証明したのは「理の限界だった」のだ。事の主体となる「行為」という別次元ではゲーデルを超えたものがある。
 調和の気の世界がある。こう実感して何か気分がスッキリした感じになっています。

 

変われる自分を信じて   東京 自動車整備士 43歳 男性 H.K

 今回のお話の中で、会社で働く人たちは人材ではなく人財である、心を中心とした想像力、心を中心とした提案などを色々な事例を含め説明させていただきました。経済を中心にして人の心を後回しにする現在の世の中にあって、非常に大切な事だと思いました。

 今回の実技で、人をおんぶして左右に振るという事をしました。ただ振るだけでは重さと不安定さで振り落としそうになります。そこで、先生に気を通していただくと相手と一体となり、重さや中心のブレを感じることもなく振ることが出来ました。私の相手をしてくださった方は私よりもかなり大柄な方だったので、より大きくこの変化を感じることができ、これが調和だと体感出来ました。これは人間関係も同様であり、気を通すことにより相手と一体となり調和する事ができる。また、気を通すことにより視野が広がり、より深く物事を感じ前向きな生き方が出来るのでは・・・と感じた時間でした。

 正座をする時も、次に立つ事をイメージして座ると、抑えられても衝突しないで立てる。ある動作にしてもバラバラではなく全てが統一した動きによって相手と衝突しない動きが出来る。
神社などで手を合わせるとき、物を願うと弱くなる。無心だと強い。欲が人を弱くする。
自分の弱さのひとつを見たような気がしました。自分の弱さに気づき、下をを向いてしまう事が多々あります。自分の弱さに気づいた上に変われる自分にも気づき、また変われる自分を信じ、学んでいきたいと思います。

 

わかるだけではなくできるようになりたい   東京 ピアニスト 50歳 女性 A.H

 今回は、祈りについての検証が印象的でした。
自分の望みを祈ると居着いてしまい身体が弱くなること、自分以外のこと、例えば世界平和などを祈っても同じ。そういえば「人の為と書いて『偽』と なる」という文を読んだことがあることを思い出しました。
ただ手を合わせるのが一番身体が強くなること。これも0.2秒の世界の入るコツなのでしょうか?
以前他で読んだ文に、祈りは単に気休めなどではなく力がある。病人に対する実験で、何もしないグループと、皆で回復を願うグループでは、祈りを捧げたグループの方が治療効果がいいとあり、それからは、知人が病気と知ると必ず祈るようにしていましたが、今回のことを知ってからは、その人を思い、ただ手を合わせるようにしています。最初は心もとない感じがしていましたが、だんだんと清々しい感じがわかるようになってきました。

 また、初級と同じ検証でも見える物が前より多い気がします。そこから受け取れることの説明もまた初級より一歩突っ込んだことを言われます。わかるだけではなくできるようになりたい。実践できることをやっていくのみ。その意味でも、次回からサンチンのご指導を受けられることを大変楽しみにして
おります。DVDだけでもすごいなと思いますが、実際の先生のサンチンは本当に美しく、今度はここの動きを見ようと前もって思っていたことなどすっかり飛んでしまいます。しかも「ここでは力は入っていない」と言われたポイントで思いっきり力を込めていました。下手な練習休むに似たり。謙虚に学び、 深さを知るまでになれればと思います。